第67話 すれ違う足跡と、王女の決意
フラリス王国の中心、白亜の王城での窮屈な公務を終わらせたリリィ・フラリスは、王女としての豪奢なドレスを脱ぎ捨て、いつもの動きやすい冒険者の衣服へと着替えていた。
王都から南の港町シーレインへと続く街道を、一台の馬車が軽快に駆け抜けていく。
「あーっ! やっとお城から出られた! もうコルセットも、お堅い貴族たちの長話もまっぴらよ!」
馬車の窓から顔を出し、薄いピンク色の髪を風に揺らしながら、リリィ――冒険者『ユリ・クリード』は、思い切り背伸びをして歓声を上げた。
「お嬢様、身を乗り出すのは危険でございます。それに、一応はまだ王都の近郊。誰の目があるかわかりませんゆえ、はしたないお言葉は……」
向かいの席で、初老の執事セバスが苦笑交じりにたしなめる。その横では、淡い紫色の髪を揺らす猫耳の獣人、ミーアが不満げに尻尾をパタパタと振っていた。
「アタイ、早くあの海の街に行って串焼き食いたいぞー! お城のご飯も美味かったけど、量が少なすぎるんだよな!」
「ふふっ、ミーアったら本当に食いしん坊ね。でも安心して、シーレインで美味しい海鮮をたくさん食べさせてあげるから!」
ユリはミーアの頭を撫でながら、窓の向こうの青い空を見つめた。
彼女の胸の中を占めているのは、海鮮串への期待でも、公務から解放された喜びだけでもない。
(セラ……ちゃんと待っててくれてるかしら)
アンバーガルドの街で別れた、黒髪の少年。
暗黒の崖から落ち、心に深い傷を負いながらも、自分たちを護るために再び剣を握ってくれた彼。不器用で、優しすぎるあの少年が、一人で無茶をしていないか心配でたまらなかった。
『ユリさんの用事が落ち着いたら……必ず、シーレインで合流しましょう』
真っ直ぐな瞳で告げられた約束の言葉が、今もユリの心を温かくしている。
「早く、会いたいな……」
ポツリとこぼれた呟きは、馬車の立てる車輪の音に混ざって、南の風へと溶けていった。
数日後。
活気あふれる港町シーレインに到着した三人は、休む間もなく真っ直ぐに冒険者ギルドへと向かった。
潮の香りと荒くれ者たちの喧騒が渦巻くギルドの扉を押し開ける。
「相変わらず、むさ苦しいところですね」
セバスが眉をひそめて周囲を警戒する中、ユリは足早に受付カウンターへと向かおうとした。
その時だった。
「――あら。これはこれは……まさか、このような辺境のギルドに、いらっしゃるとは」
二階のバルコニーから、氷のように冷たく、威厳に満ちた声が響いた。
シーレインのギルドマスター、ミオである。
夜の海のように艶やかな黒髪を揺らす彼女は、ギルド中の冒険者たちの視線を一瞬で制圧すると、淀みない優雅な足取りで階段を下り、ユリたちの前でピタリと立ち止まった。
ミオは周囲に聞こえないよう声を潜め、深々と一礼する。
「お忍びのところを失礼いたします、リリィ殿下。シーレイン・ギルドマスターのミオと申します」
「……あら。ご丁寧にどうも。でも、今の私は冒険者の『ユリ・クリード』よ。どうかその名前で呼んでちょうだい」
ユリが人差し指を口元に当ててウインクをすると、ミオは恭しく頷き、二階のVIP用応接室へと三人を通した。
カチャリ、と重厚な扉が閉まる。
「遠路はるばるお疲れ様でございます、ユリ様。本日はどのようなご要件で……?」
完璧なギルドマスターの顔で紅茶を差し出すミオに対し、ユリは少しだけソワソワした様子で切り出した。
「実は、人を探しているの。数日前に、この街に来ているはずなんだけど……」
「人探し、でございますか? どのような特徴の……」
「黒髪の男の子よ。背はこれくらいで、鋼の長剣を背負ってて……あ、名前は『セラ』っていうの。セラ・ウッドベル」
――ガシャンッ!!
ミオの手から、高級なティーカップが滑り落ち、床で粉々に砕け散った。
「えっ!? ちょっと、ミオさん!?」
驚くユリをよそに、ミオは目を見開き、全身を硬直させていた。
(セ、セ、セラ様ぁぁぁっ!? え? 待って? 王女殿下がセラ様を探している? ピンク色の髪で、お名前が『ユリ』……!?)
ミオの優秀なギルドマスターとしての頭脳が、光の速さで過去の記憶と目の前の現実を照合させていく。
『ピンク色の髪をしたユリっていう冒険者が僕を訪ねてきたら……僕がエルフの国に向かったって、伝言を残してもらえませんか?』
あの夕暮れの港で、セラが残した伝言。
あの時は「命の恩人の女性」としか聞いていなかったが、まさかその相手がフラリス王国の王女殿下その人だなどと、誰が想像できただろうか。
(セラ様……あなたという人は! 【正義の剣】でマリー様やクロエ様という世界最高峰の尊きヒロインたちに愛されているだけでなく、一国の王女殿下とまでフラグをお立てになっているというのですか!? さすが私の推し……主人公力がカンストしておりますわぁぁぁッ!!)
ミオの脳内で、限界オタクの血が沸騰し、今にも「尊い!」と叫び出しそうになる。
だが、相手は一国の王女。ここで奇行に走れば不敬罪でギルドごと消し飛ばされかねない。ミオはギリギリのところで理性を総動員し、震える足を押さえ込みながら、血の滲むような努力で「氷のギルドマスター」の仮面を維持した。
「ミ、ミオさん? 大丈夫?」
「は、はい……っ! 失礼いたしました、少し手が滑りまして……コホン」
ミオは必死に顔の引きつりを隠し、居住まいを正した。
「……ユリ様。セラ様でございましたら、間違いなく当ギルドにお立ち寄りになられましたわ」
「本当!? 今どこにいるの!?」
ユリが顔を輝かせて身を乗り出す。
ミオは少しだけ寂しそうに目を伏せ、首を横に振った。
「申し訳ございません。セラ様は数日前に、すでにこの街を発たれました」
「え……」
「『ユリさんが来たら、エルフの国に向かったと伝えてほしい』と。……ユリ様の目的である『聖剣』の手がかりを得るために、少しでも早く、自らの足でお力になりたいと仰っておりましたわ」
その言葉を聞いて、ユリは大きく息を呑んだ。
(セラ……。私を待つんじゃなくて、自分の足で先に行ってくれたのね)
エルフの国という未知の領域を訪れる恐怖もあるだろうに、それでも自分たちの役に立とうとしてくれている。
ユリの胸の奥が、熱いもので満たされていく。彼が強くなろうともがいている。その事実が、たまらなく嬉しかった。
「……ふふっ。あの子らしいわね」
ユリは柔らかく、心からの笑顔を浮かべた。
「お嬢様、いかがなさいますか?」とセバスが問う。
「決まってるじゃない! 私たちもすぐに追いかけるわよ! 」
「おー! アタイ、串焼き食べ歩きしながら行くぞー!」
ユリは立ち上がり、ミオに向かって深く頭を下げた。
「ミオさん、伝言をありがとう。助かったわ!」
「い、いえ……! どうかお気をつけて。セラ様を……お願いいたします」
ミオの言葉に、ユリは「ええ、任せて」とウインクを返し、足早に応接室を後にした。
扉が閉まり、一人残されたミオは、その場にへなへなと崩れ落ちた。
「ハァハァ……ッ、た、耐えきりましたわ……! でも、これでマリー様たちだけでなく、王女殿下までエルフの国へ……! ああっ、セラ様を巡る修羅場……いえ、壮大なドラマの予感に、私の胸の高鳴りが止まりませんわぁぁッ!」
限界オタクのギルドマスターが一人で悶絶していることなど知る由もなく。
港町シーレインの青空の下、ユリたち三人は、大切な少年が待つ遥か東の秘境――『エルフの国』を目指し、新たな旅路へと歩み出していた。




