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第64話 手掛り

 フラリス王国の南部。王都や冒険者の街トーファスの無骨な石造りの風景とは打って変わり、どこまでも広く青い空と、果てしなく続く水平線が交わる場所。

 王国有数の港町『シーレイン』へと繋がるなだらかな街道を、一台の乗合馬車がガタゴトと車輪の音を響かせながら進んでいた。

「わぁっ……潮の匂いが強くなってきたね! マリー姉ぇ、海が見えたよ! もうすぐ着く!」

 馬車の窓から身を乗り出し、クロエが水色のふわふわとした髪を潮風に激しく揺らしながら、弾むような声を上げた。その大きな瞳は、かつての絶望の淵に沈んでいた頃の暗い影を完全に振り払い、確かな希望の光でキラキラと輝いている。

「こらクロエ、はしゃぎすぎよ。危ないから中に入りなさい。落ちたらどうするの」

 対面の席に座るマリーは、呆れたように苦笑しながらも、その声には以前のような重苦しい響きはなく、どこか晴れやかな温かさが滲んでいた。

 陽だまりの村での凄惨な事件の後、二人はセラが落ちた『禁忌の崖』の底へと続く暗黒の裂け目や、近隣の森を寝食を忘れて何日もかけて捜索した。クロエが優秀な探知魔法の網を限界まで広げ、マリーが足が棒になるまで歩き回っても、見つかるのは冷たい岩肌と凶悪な魔物の気配ばかりだった。

 だが、二人の心は決して絶望などしていなかった。

『ほら、やっぱりセラの赤い闘気の残滓も、血の跡も、身につけていた服の切れ端すら何もない! 絶対に自力で脱出したんだよ!』

 涙を拭ってそう言い切ったクロエの言葉通り、マリーもまた、セラがあんな暗黒の奈落で一人寂しく終わるようなヤワな少年ではないと確信していた。

 遺留品が何一つないという事実。それこそが、彼が自力で生き延び、這い上がり、次の場所へ向かって確かな足取りで進み始めた何よりの証拠だったのだ。

「でも、なんでまたシーレインに戻ってきたの? セラの足取り、本当にここで掴めるかな?」

 クロエが窓から顔を戻し、少しだけ不安そうに首を傾げて尋ねる。

「ええ、間違いなくね。ここへ来るのはアタシたちも二度目だから、多少は土地勘があるでしょう? シーレインは色んな国の船や商人が出入りする、王国随一の情報網のハブよ。あの子が何か目的を持って動いているなら、路銀や情報を得るために、必ずこの街のギルドを経由するはずだわ」

 マリーは窓の外の青い海を見つめながら、自信ありげに微笑んだ。

「……それに、この街の『あの』ギルドマスターなら、セラのこともアタシたちのことも、絶対に忘れたりしないでしょうからね」

 マリーがどこか意味深な、呆れたような笑みを浮かべると、クロエも「あー、あのちょっと変わった人ね」と思い出したように納得の頷きを返した。

 やがて馬車は、活気に満ちたシーレインの巨大な街門をくぐった。

 白壁と赤煉瓦の屋根が立ち並び、南国特有の開放的でのんびりとした空気に包まれている。大通りには異国の色鮮やかな織物や珍しい香辛料、そして獲れたての巨大な魚介類を焼く香ばしい匂いが漂い、屋台がひしめき合っている。以前訪れた時と全く変わらない、むせ返るような活気と賑わいを見せていた。

 馬車を降りた二人は迷いのない足取りで、港の近くにある大きな煉瓦造りの冒険者ギルドへと向かった。

 重厚な木製の扉を押し開けると、むわっとした酒と潮の匂い、そして荒くれ者たちの怒声にも似た談笑が、波のようにドッと押し寄せてくる。

「相変わらず、騒がしくてむさ苦しいところね」

 マリーが小さくため息をつき、美しい銀髪を払った、その時だった。

「……おい、見ろよ。あの銀髪の女、前に来た時も随分と騒ぎになってた……」

「あぁ。それに、あの水色の髪……間違いない、天才魔術師のクロエじゃねえか!?」

 マリーとクロエという、あまりにも目立つ元・Sランクパーティーの二人の登場に、ギルド内の冒険者たちが酒のグラスを止め、再びザワザワと騒ぎ始めた。潮の香りと酒の匂いが入り混じるシーレインのギルド内に、野次馬たちの好奇と畏怖の視線が四方八方から突き刺さってくる。

「ちょっと、なんだかまたジロジロ見られてるんだけど……」

 二度目の訪問とはいえ、このあからさまな視線には全く慣れないクロエが、うんざりしたようにマリーの背中に隠れた、まさにその瞬間だった。

「――騒々しいですね。ギルド内で無用な騒ぎを起こす者は、このわたくしが容赦なく海へ叩き出しますわよ」

 ギルド全体を瞬時に制圧するような、氷のように冷たく、圧倒的な威圧感のある声が二階のバルコニーから響き渡った。

 先程までの喧騒が嘘のように静まり返る中、階段をゆっくりと降りてきたのは、夜の海のように艶やかな黒髪のロングヘアーを揺らす、美しい顔立ちの女性だった。

 堂々とした姿勢で周囲を冷徹に睨みつけるその風格は、まさにこのシーレインのギルドを束ねるマスターとしての絶対的な威厳に満ちている。

「お久しぶりです、マリー様。それに……クロエ様も。再びこのシーレインへようこそおいでくださいました。こんなところで立ち話もなんです。……こちらへ」

 ギルドマスター・ミオは、冷ややかな視線で他の冒険者たちを牽制しつつ、洗練された慣れた足取りで二階のVIP用応接室へと二人を案内した。

「失礼します」

 マリーが応接室の扉を開け、三人が部屋に入り、重厚な扉がカチャリと閉まった――その、直後だった。

「キャアアアアアアアッ!! マリー様ぁ! クロエ様ぁ! お帰りなさいませぇぇッ!! ああっ、またお二人の尊いお姿をこの目に焼き付けることができるなんて、私、生きてて良かったですわ!!」

 もはやお家芸と言えるだろう。

 ミオは前回同様、扉が閉まった瞬間に顔をリンゴのように真っ赤にして瞳をキラキラと輝かせ、両手をぶんぶんと振り回して大騒ぎし始めたのだ。

「よ、ようこそ再び我がギルドへ!! 私、ずっとお二人の帰りをお待ちしておりましたのよぉぉぉ!!」

「ひっ……!?」

 すでに知っているとはいえ、外の冷徹な態度とのあまりの凄まじいギャップと、全く衰えることのない特濃の熱狂的ファン心理の圧に、クロエはドン引きしてマリーの背中にガッチリとしがみついた。

「マ、マリー姉ぇ……この人、相変わらず圧がすごいんだけど……。私、このテンションだけはどうしても慣れない……」

「これがこの子の通常運転よ。……コホン、ミオ。熱烈に歓迎してくれて嬉しいけれど、感動の再会はそこまでにしてちょうだい。今日ここへ来たのは、他でもないわ」

 マリーが呆れたようにため息をつきながら本題を切り出すと、ミオはハッと我に返り、慌てて咳払いをして姿勢を正した。

「そ、そう! そうですわ! お二人にお伝えしなくてはならない事がございます! セラ様が、当ギルドに戻って来られたんです! セラ様は生きていらっしゃいます!」

「「……えっ!?」」

 マリーとクロエの声が、完全に重なった。

「ほ、本当なの!? ミオ、セラが来たの!?」

 クロエが弾かれたように身を乗り出し、テーブルにバンッと両手をついて身を乗り出した。

「はい! 以前お見かけした時よりも、なんだかたくましくなられて……。どうやら『聖剣』を探されているとの事で、数日シーレインに滞在され、僭越ながら私と一緒にいくつか聖剣にまつわるクエストをご一緒させて頂きました!」

「や、やった~! やっぱり! やっぱりセラは生きてた! 生きてたよマリー姉ぇ!」

 クロエは全身で喜びを爆発させ、マリーにギュッと抱きついた。

「えぇ……えぇ、良かった。本当に良かったわ、セラ……」

 マリーは目頭が熱くなるのを感じ、クロエの背中を優しく、力強く抱きしめ返した。

 あの陽だまりの村での凄惨な死闘の後、暗黒の深淵に落ちてなお、彼は生き延びていたのだ。そして、決して立ち止まることなく、前へ進み続けていた。

「マリー姉ぇ、言ったでしょ! セラは絶対に生きてるって!」

 クロエの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。それは絶望の淵で流した悲しみの涙ではなく、心からの安堵と、太陽のような喜びに満ちた輝く涙だった。

「……お二人共、本当に心配されてましたものね」

(あああっ……最強と謳われる正義の剣のお二人が、こんなにも尊い涙を流されるなんて! セラ様、あなたは本当に幸せ者ですね……! もっとも、マリー様とクロエ様のこんな尊いお姿を、こんな間近で独り占め拝見できた私も世界一の幸せ者ですけど! ハァハァ……ッ)

 ミオは慈愛に満ちた表情で二人を見つめつつも、心の中では熱狂的なファン心理が限界突破し、密かに荒い息を吐いていた。

「……ミオ。さっき、セラは聖剣を探してたって言ってたわよね?」

「じゅるっ、あ、涎が……は、はい! マリー様!」

 マリーの鋭い問いに、ミオは慌てて口元を拭い、真剣なギルドマスターの顔へと戻って深く頷いた。

「セラ様は、ここで『聖剣』の在り処を示す確かな手掛かりを得て、再度旅立たれました」

「聖剣……!?」

「ええ。なんでも、ご自身の命の恩人のお手伝いをしているのだとか……」

「どこへ向かったの!?」

 クロエがすがりつくように尋ねると、ミオは一言、明確な道標を告げた。

「『エルフの国』です」

「エルフの国……!?」

 大陸のさらに東の奥地、長命な種族が住まう神秘に包まれた深い森の領域。

 彼がなぜそこを目指したのか、命の恩人とは誰なのか。理由など今は何でもよかった。どこだろうと関係ない。彼がそこへ向かったという、確かな道標さえあれば、彼女達はどこへだって行ける。

「ミオ。そのエルフの国へ向かうためのルートを教えてもらえるかしら?」

「もちろんです! エルフの国は、ここからさらに東の森の奥深くにあります。具体的な地図や物資の手配は後ほどお渡し致します。しかし、セラ様にもお伝えしましたが、彼らはとても排他的な種族です。人間が簡単に行ける場所ではありませんよ?」

「関係ないわ! ね、マリー姉ぇ!」

「えぇ。どんなに険しい場所だろうと、セラがそこにいるなら、私達は行くわ!」

 マリーとクロエの迷いのない、炎のように熱い決意に、ミオは深く頷き、力強く微笑んだ。

「承知いたしました。……推しのためならば、このシーレインのギルドマスターの権限、フル活用させていただきますわ!」

 ミオが力強く宣言し、部屋の扉を開けてエルフの国近郊までの詳細な地図と資料を取りに向かっていく。

 残されたマリーとクロエは、応接室の窓から、太陽の光を反射してキラキラと輝く青い海を見つめた。

(待っててね、セラ。今度はアタシたちが、あなたに追いついてみせるから)

 潮風が吹き抜ける港町。彼女たちが追うべき新しい希望の軌跡は、海を越えた遥か彼方の森へと、確かに繋がっていた。


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