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第56話 シーレイン②

 鼻腔をくすぐる潮の香りと、空高く舞う海鳥たちのけたたましい鳴き声。

 フラリス王国でも有数の規模を誇る活気に満ちた港町『シーレイン』。

 海から吹き込む湿った風が、大通りを行き交う商人たちの威勢の良い怒号や、荷馬車が石畳を叩く重い音と混ざり合い、むせ返るような熱気を生み出している。

 ここは大陸有数の交易の拠点だ。港には大小様々な帆船が停泊し、馬車と船を乗り継いで何日もかかるような遠く離れた異国からの物資や旅人を、絶え間なく運び込んでいる。

 数ヶ月前、セラがマリーと共にこの街を訪れた時と、その活気ある景色は何も変わっていなかった。

 ただ一つ違うのは、隣を歩く仲間が今は誰もいないということだ。

(ユリたちは、急用で王都に戻っちゃったしな……)

 セラは冷たい潮風に黒髪を揺らされながら、一人ごちた。

 『禁忌の崖』の底に広がる巨大なダンジョンへと落ち、死の淵を彷徨っていた自分を救い出してくれたユリ、セバス、ミーアの三人。

 束の間の賑やかで温かい共同生活だったが、ユリは実家からの急な呼び出しがあり、王都へと戻っていった。琥珀の街アンバーガルドで深く頭を下げて感謝と共に彼女たちを見送り、セラは再び一人になったのだ。

 しかし、その足取りに以前のような重さや絶望はない。

 セラの腰には、かつてクリスとお揃いで買った『無銘の長剣』はない。あの崖での死闘の末、互いの闘気と魔力が激突し、粉々に砕け散ってしまったからだ。

 代わりに腰に提げているのは、執事のセバスから借り受けた、無骨だが質の良い鋼の長剣。その真新しい柄の感触が、セラに「ここからもう一度、自分の足で進むんだ」という確かな決意を思い出させてくれる。

(ユリは、国のために『聖剣』を探している。僕は彼女たちに命を助けられた。だから今度は、僕が彼女の力になりたいんだ)

 自分が強大な力を得て、かつての親友をねじ伏せるためじゃない。

 あの日、刃を交え、崖から落ちた時から顔を合わせていない以上、クリスが今どこで何をしているのかセラには知る由もない。王都の騎士団でどのような道を歩み続けているのだろうか。

 いつか必ず彼と向き合い、止めなければならない時は来るだろう。だが、今のセラの直接の原動力は、「自分を救ってくれた大切な新しい仲間の役に立ちたい」という純粋な思いだった。

 ユリが用事を終えてこの街で合流するまでに、少しでも聖剣の手がかりを集めておく。それが、今のセラが一人で動き出すための最初の目的だった。

 セラは一人、見覚えのある煉瓦造りの大きな建物へと向かった。冒険者ギルドだ。

 前回マリーと来た時は、Sランクだとバレてしまいギルド中が大騒ぎになった。

 今回はなるべく目立たないようにしようと、フードを深く被ってギィィ、と重厚な木製の扉を押し開ける。

 酒と汗の匂い、そして荒くれ者たちの喧騒が押し寄せてきた。

 セラが壁際に沿って中へ足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。

 二階の吹き抜けのバルコニーに立つ一人の女性と、バッチリ目が合った。

 夜の海のように艶やかな黒髪のロングヘアー。冷たく見下ろすような視線に、周囲を威圧するような圧倒的な風格。シーレインのギルドマスター、ミオである。

 「……あっ」

 セラの姿を視界に捉えた瞬間、ミオの威厳に満ちた能面のような表情に、ピキッと亀裂が走ったのが見えた。しかし、彼女は一階の荒くれ者たちが自分に注目していることに気づくと、深呼吸を一つして、すぐさま氷のような冷徹なギルドマスターの顔を作り直した。

 「……そこの冒険者。以前、当ギルドを訪れた方ですね。どうやら、込み入った話があるようです。二階のVIP応接室へ来なさい」

 一切の隙を見せない、品のある完璧な所作と声色。

 周囲の冒険者たちが「あの氷のギルマスが直々に……?」「何者なんだあの若いのは」とざわめいている。

 セラは彼女の意図を察して小さく苦笑しながら、周囲の視線を背に受けつつ、階段を上って二階の部屋へと入った。

 「失礼しま……」

 セラが応接室に入り、背後の重い扉がカチャリと閉まった――その、瞬間だった。

 「ヒュゥゥゥーーーーーーッッッ!!!」

 さっきまでの氷のような凛とした態度は何処へ行ったのか。

 ミオは突然、酸欠になった魚のように限界まで息を吸い込むと、顔を真っ赤にして白目を剥きかけ、そのままセラの足元へと猛烈な勢いでスライディング土下座を決めたのだ。

 「キャアアアアアアアッ! セラ様ぁぁぁっ! 生きて、生きていらっしゃったのですねぇぇぇ! 尊い! ああっ、同じ空間の空気を吸ってもよろしいのでしょうか!? いえ、むしろ私の吐いた二酸化炭素がセラ様の神聖な肺に入るなんておこがましいッ! 息を止めます!!」

 「ちょ、ミオさん!? 落ち着いて! 息して! 怖い怖い!」

 バンバンと床を叩きながら身悶えするミオに、セラはドン引きしながら後ずさる。しかし、限界オタクと化したミオの暴走は止まらない。

 「落ち着いてなどいられませんわ! マリー様から行方不明になったと伺って、私、悲しみのあまり夜も眠れず、奥の部屋に祭壇を作って毎日お祈りをしておりましたのよ! ああっ、神よ感謝します! ちなみに私、マリー様とクロエ様がこの街のギルドに立ち寄られた際、お二人が座られたソファーは『永久保存』として特注のガラスケースに入れて厳重に保管しておりますの! きっと今も、お二人はセラ様の生存を信じて大陸中を探し回っていらっしゃるはずです!」

 (マリーに……クロエまで……!?)

 ミオの狂気じみた発言ガラスケースには一旦目をつむるとして、二人が無事で、しかも自分を見捨てず探してくれている。その事実に、セラの胸の奥が熱くなる。

 「コホン……失礼。推しを前にして、少しばかり取り乱しましたわ」

 ミオはようやく呼吸を再開し、わざとらしく咳払いをしながら、必死に赤くなった頬を両手でパタパタと仰いで立ち上がった。

 セラは居住まいを正し、ミオにこれまでの経緯――詳細は伏せつつ、崖から落ちたが助かったこと――を簡単に説明してから、真剣な眼差しで本来の目的を切り出した。

 「ミオさん。実は僕、強力な力を持つ武器……『聖剣』を探しているんです。何か、ギルドのネットワークで手がかりはありませんか?」

 「……は? せ、聖剣……ですって?」

 その言葉を聞いた瞬間、ミオの顔からスッとオタクの熱が引き、代わりに純粋な驚愕が浮かんだ。

 「セラ様……聖剣というのは、王国暦124年の勇者と魔王の戦争時代にまで遡るような……神話やおとぎ話の領域の代物ですよ!? 現在、世界中のどこを探しても、確実に実在すると証明されている聖剣など、片手で数えるほどしかないと言われていますが、それすら真実かどうか」

 ミオの言う通りだった。一介の冒険者が簡単に手に入れられる代物ではない。そもそも存在すらあやしいが、ユリが探している以上存在する真実だとセラには確信があった。

 「わかってます。でも、どうしても見つけたいんです。命を救ってくれた恩人のためにも、そして……これから僕が、大切な人たちを護り抜くためにも」

 セラの薄い茶色の瞳に宿る、揺るぎない覚悟。

 自分のためではなく、誰かのために振るう力を求めている。  それを見たミオは、小さく息を呑み……やがて、フッと力強く微笑んだ。

 「……わかりましたわ。セラ様がそこまで仰るのなら、このミオ、ギルドマスターの権限をフル活用してお力添えいたしましょう! 少々お待ちを!」

 ミオはそう言うと、応接室の奥にある、普段は誰も立ち入らない特別書庫の隠し扉を勢いよく開け放った。

 「ゴホッ、ゲホッ! ……埃がひどいですわね……ええと、確か私が就任するずっと前の記録で……非公式の伝承をまとめた棚が……」

 ミオは豪奢なロングヘアーが蜘蛛の巣まみれになるのも構わず、脚立に登ってうずたかく積まれた古い木箱を次々とひっくり返していく。

 「ミ、ミオさん、手伝いますよ!?」

 「いいえ! セラ様は尊きお体を休めていてください! 埃一つセラ様に触れさせるわけにはいきません! ……あっ、ありましたわ!」

 数分後、顔を煤だらけにしたミオが、ボロボロの羊皮紙の束を抱えて戻ってきた。彼女はそれをテーブルの上にバサリと広げる。

 「ギルドの裏記録……未確認情報の束です。ここに一つだけ、未だ所有者が現れず、名前すら歴史の闇に埋もれてしまった『ある聖剣』の噂が存在します。持ち主の『真の強さ』に呼応して力を解放すると言われている、伝説の剣です」

 「本当ですか!?」

 身を乗り出すセラに対し、ミオは少し気まずそうに目を逸らした。

 「ただ……その、非常に申し上げにくいのですが。どれもこれも、限りなく『ガセ』に近い胡散臭いものばかりでして」

 「胡散臭い……?」

 ミオは一枚の古い依頼書を指差した。

 「例えばこれ。『シーレイン近海の海底洞窟で、夜な夜な神々しい光を放つ剣を見た』という報告。過去に調査隊を送りましたが、発光性のヒカリゴケにまみれたただの鉄クズでしたわ」

 「……」

 「次はこちら。『東の古代遺跡の奥深くに、王の資格を持つ者しか抜けない剣が刺さっている』というもの。……これも、ただの岩に深く刺さって錆びついたゴブリンの剣だったというオチですわね」

 「うーん……」

 「極めつけはこれです。『北の雪山で、喋る剣が歌っていた』。……調べた結果、ただ風の音が岩の隙間で鳴っていただけでした。このように、確たる証拠は一切残っていないのです」

 次から次へと出てくる、なんとも脱力しそうなフェイク情報の数々。

 だが、セラの瞳から光は消えていなかった。

 「……それでもいいです。一縷の望みがあるなら、全部確かめに行きたい。ユリが戻ってくるまでに、少しでも手がかりを見つけておきたいから。じっとしているよりはマシですから」

 力強く宣言したセラに対し、ミオは不敵な、それでいて隠しきれない歓喜に満ちた笑みを浮かべた。

 「お待ちください、セラ様。相手は未知の遺跡と、ギルドも全容を把握していない危険な魔物たち。いくら規格外の力を持つセラ様とはいえ、お一人で向かわせるわけにはいきません。ここはシーレインのギルドマスターとして、私が直々に! 現地調査のサポートとして同行させていただきます!」

 「えっ? いや、でもギルドの仕事が……これだけ大きなギルドだと、マスターが不在になるのはマズいんじゃ……」

 「全く問題ありませんわ! 有能な副官にすべての業務を押し付……任せてありますから! さぁ、善は急げです、すぐに出発の準備をしましょう! セラ様と私の、胡散臭いクエスト巡り……いえ、希望に満ちた大冒険の始まりですわ!」

 顔を真っ赤に染め、鼻息荒く謎の気合いを入れるミオ。セラはあまりの勢いに呆気にとられながらも、思わず笑ってしまった。

 一人ぼっちになったと思っていた。

 けれど、ユリという新しい仲間ができ、マリーもクロエも探してくれている。そして目の前には、こんなにも騒がしくて、自分の背中を強引に押してくれる人がいる。世界はまだ、こんなにも温かい。

 「よろしくお願いします、ミオさん!」

 セラは新しい鋼の長剣を握り直し、新たな希望を胸に、ミオと共に活気ある港町へと再び歩み出した。



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