第50話 旅立ち
エンシェント・ゴーレムとの激闘から数日。
セラたちは、夕陽が街全体を黄金に染め上げる琥珀の都『アンバーガルド』に留まり、手に入れた石板の解読と情報収集に明け暮れていた。
「うーん……やっぱり、この星印が示す場所、普通の地図とは地形が微妙に違うわね。数百年前の海図だから、地殻変動で形が変わっちゃってるのかも」
宿屋の広い一室。大きなテーブルの上に石板と何枚もの現代の地図を広げ、ユリが腕を組んで唸っている。
彼女は超一流の魔術師であると同時に、古代文字や歴史の知識にも長けていた。ここ数日、ダンジョンや遺跡には向かわず、街の図書館やギルドの資料室を行き来しながら、少しずつ石板の謎を解き明かそうとしている。
「でも、ユリさん。この海流の描き方……大陸の南側、港町シーレインの辺りの海域に似ていませんか?」
「えっ? あ、本当だ! さすがセラ、よく見てるわね!」
「シーレインには前に少しだけ滞在したことがあって。大きな港町で、色んな国の船が出入りしているから、海図を見る機会もあったんです」
二人が顔を寄せ合って地図を覗き込んでいると、「お嬢様」と、静かな声が室内に響いた。
振り返ると、外出していたはずのセバスが、いつになく険しい表情で立っていた。その手には、封蝋が施された一通の重厚な羊皮紙の束が握られている。
「……セバス、それは?」
「先程、早馬の急使より受け取りました。『本家』からの、至急の報せでございます」
『本家』という言葉を聞いた瞬間、ユリの表情からいつもの明るい笑顔がスッと消えた。
彼女は無言で手紙を受け取り、封を切る。視線を文字に落とした彼女の顔が、みるみるうちに青ざめ、やがてギュッと悔しそうに唇を噛み締めた。
「……ユリさん? 何か、良くない知らせですか?」
セラが心配そうに声をかけると、ユリはハッとして顔を上げ、すぐにいつものような笑顔を取り繕った。
「ううん、大丈夫! ……ただ、ちょっと実家の方で野暮用ができちゃって。至急、王国の方へ戻らなくちゃいけなくなったの」
「王国へ……」
彼女にとって、実家からの至急の呼び出しは、決して無視できるものではない。
「すぐに出立するんですか?」
「ええ。セバス、ミーア、急いで荷物をまとめて」
「承知いたしました」
「えーっ!? アタイ、この街の串焼きもっと食べたかったのにー!」
ミーアが不満げに尻尾を揺らすが、セバスにたしなめられて渋々荷造りを始める。
ドタバタと慌ただしくなる部屋の中で、ユリは申し訳なさそうにセラに向き直った。
「ごめんね、セラ。せっかく一緒に旅ができると思ったのに……しばらく、戻れそうにないわ」
その瞳には、心からの謝罪と、離れがたい寂しさが滲んでいた。
セラは小さく首を振り、真っ直ぐに彼女を見つめ返した。
「謝らないでください。ユリさんにはユリさんの、大事な護るべきものがあるんでしょうから」
「セラ……」
「それに、僕もただ待っているつもりはありません。さっきの石板の海図……南の海域を指しているなら、僕一人でシーレインに向かいます」
活気ある港町シーレインなら、世界中の商人や冒険者が集まる。聖剣の噂や、古代遺跡に繋がる何らかの情報を得られる可能性は最も高い。
「僕が先にシーレインへ行って、聖剣の情報を集めておきます。だから、ユリさんの用事が落ち着いたら……必ず、シーレインで合流しましょう」
もう、ただ誰かの背中を追うだけの自分じゃない。
自分の足で歩き、いつか大切な仲間が戻ってくる場所を、自分の手で作って待っていたい。
少年の決意に満ちた強い瞳を見て、ユリはパッと顔を輝かせた。
「……ふふっ。やっぱり、セラは強いわね」
「そんなことないです。僕はまだ、弱くて……」
「ううん、強いわ。だから……私、安心して王国に戻れる」
ユリは窓から差し込む琥珀色の夕陽を背に受けながら、ふと、何かを思いついたように小さく一歩、セラへと近づいた。
二人の距離が、ぐっと縮まる。
「ねえ、セラ。一つだけ、約束してくれない?」
「約束……ですか?」
「そう。シーレインで次に会う時までの、大事な約束」
ユリは少しだけ上目遣いになり、ピンク色の髪を指先で弄りながら、不満そうに頬を膨らませた。
「……私のこと、『ユリさん』って呼ぶの、やめて」
「えっ?」
「『さん』付けなんて、なんだか他人行儀で嫌だわ。私たちはもう、お互いの背中を預け合った対等な仲間でしょ?」
セラは一瞬きょとんとしたが、彼女の真剣な――それでいて少しだけ照れくさそうな表情を見て、顔がカッと熱くなるのを感じた。
確かに、彼女は一つ年下だ。だが、その圧倒的な魔術の腕と、大人びた気高さから、無意識のうちに一歩引いて接してしまっていた。
「わ、わかりました……ユ、ユリ」
「ふふっ。うん、やっぱりそっちの方がずっといいわ!」
たった二文字、呼び捨てにしただけなのに。
その響きは、不思議なほどセラの胸の奥を温かく満たしていった。
「ユリ。……道中、気をつけて」
「ええ。セラも、無茶しちゃダメよ? 何かあったらすぐに逃げること! あなたのそういうお人好しなところ、すごく心配なんだから!」
「あはは……善処します」
――翌朝。
アンバーガルドの街門には、東と南、それぞれの道へ分かれる四人の姿があった。
「セラ! アタイがいないからって、魔物に負けんなよ! また遊ぼうな!」
「うん。ミーアも、元気でね」
「セラ様、道中お気をつけて。お嬢様が戻られるまで、どうかご健勝で」
「セバスさんも。ユリのこと、よろしくお願いします」
ミーアが勢いよく抱きついてきて、セバスが恭しく一礼する。
そして最後に、ユリがセラの前に立った。
「それじゃあ、またね。セラ」
「うん。また、シーレインで……ユリ」
名前を呼ぶと、ユリは満面の笑みで頷いた。
別れの寂しさはない。これは、再び交わるための前向きな旅立ちだ。
琥珀の街を背に、セラは南の海風が吹く港町シーレインへと一人歩き出す。
そしてユリたち三人も、王都を目指して馬車に乗り街道を駆け出していった。
それぞれの護るべき未来のために、運命の歯車が再び、大きく回り始めていた。




