第49話 聖剣
肌を刺すようなひんやりとした空気が、地下へ進むごとに一段と重みを増していく。
アンバーガルド近郊遺跡の最深部へと続く螺旋階段は、長く、深く、まるで大地の底――冥府へと繋がっているかのようだった。
「ねえ、ユリさん。さっきから気になってたんだけど……ユリさんの『探し物』って、一体何なんです?」
警戒を怠らずに薄暗い階段を下りながら、セラは前を歩くピンク色の髪の少女に問いかけた。
これがただの宝探しや路銀稼ぎのクエストではないことは、これまでの道中でなんとなく察しがついている。ユリの魔術の腕前は、冒険者の中でも間違いなくトップクラス――いや、王宮に仕える宮廷魔術師と比べても遜色ないほどの超一流だ。そんな彼女が、わざわざ腕利きの従者を二人も連れて、身分を隠すように辺境の遺跡を巡っているのには、相応の重い理由があるはずだった。
「ん? 気になる?」
ユリは振り返り、悪戯っぽく可憐なウインクをして見せた。
「ふふっ、それはね……『世界を救うための、ほんの小さな手がかり』ってところかしら」
「世界を、救う……?」
大言壮語にも聞こえる言葉だが、彼女の瞳には微塵の冗談も混じっていなかった。
セラは一瞬、かつて「剣一本で世界を変える」と真っ直ぐな瞳で語っていた親友・クリスの姿を重ねてしまう。だが、ユリから感じるのは、あの魔王を倒すという悲壮なまでの覚悟とは違う。もっと明るくて、芯の強い太陽のような温かい光だった。
「お嬢様、見えてまいりました。あそこが最深部の大広間のようです」
セバスの静かな声で、セラの思考は現実に引き戻された。
階段を降りきった先には、苔生した巨大な両開きの石の扉が立ち塞がっている。
「ミーア、開けてくれる?」
「お〜! 任せとけ!」
ミーアが巨大な戦鎚を背中に回し、小さな両手を石の扉に押し当てる。「ふんすっ!」という可愛らしい掛け声と共に彼女が力を込めると、大人十人がかりでもビクともしないであろう巨大な扉が、ズゴゴゴゴ……と重い地鳴りを上げてゆっくりと開いていった。
扉の向こうに広がっていたのは、ドーム状の広大な空間だった。
天井からは青白い発光苔が星空のように冷たい光を落とし、部屋の中央には、古びた石の台座が鎮座している。そして、その台座の上には、鈍く光る小さな『石板』が置かれていた。
「あった! 私が探してた古代の記録版よ!」
ユリが顔を輝かせて駆け出そうとした、その瞬間。
ゴゴゴゴォォォォン……ッ!!!
遺跡全体が激しい地震のように揺れ、台座の奥の暗がりから、巨大な影が立ち上がった。
全高は五メートル近く。全身を強固な古代の魔法金属で覆われ、関節部からは青白い魔力の光を漏らす、遺跡の防衛兵器――『エンシェント・ゴーレム』だ。数百年の眠りから覚めた巨人が、赤い眼光を一行に向ける。
「侵入者……排除スル……」
無機質な機械音声が響き渡ると同時に、ゴーレムが丸太のような巨大な右腕を振り下ろしてきた。
「ユリさん、危ない!!」
セラが叫ぶより早く、ミーアが間に割って入り、巨大なハンマーでゴーレムの腕を下から力任せにカチ上げた。
「おいしょ〜!」
ガギィィィィンッ!! という鼓膜を劈くような激しい金属音と火花が散る。
ミーアの規格外の怪力をもってしても、ゴーレムの巨体はわずかに仰け反っただけだった。
「うっわ、こいつめちゃくちゃ硬いぞ! アタイのハンマーが弾かれた!」
「ミーア様、お下がりを。関節部の隙間を狙います」
セバスが瞬動し、ゴーレムの膝裏や肘の駆動部へと正確無比な蹴りと手刀を叩き込む。しかし、その完璧な体術も、分厚い魔法装甲の前に阻まれ、決定的なダメージには至らない。
「物理攻撃が効きにくいなら! 《紫電の槍》!!」
ユリが両手をかざし、超高圧の雷撃の槍を放つ。紫色の稲妻が空気を焦がし、ゴーレムの胸部に直撃した。
凄まじい爆発と閃光。だが、煙が晴れた後、ゴーレムは胸の装甲を少し焦がしただけで、機能に全く支障をきたしていなかった。
「あら、 私の魔術を正面から受けて平気なの?」
「おそらく、表面の装甲が魔力を拡散・吸収する性質を持っているのでしょう。厄介な相手ですな……」
セバスが警戒を強めながら後ろへ跳んだ。
物理も魔術も通じない、鉄壁の守護者。再び巨大な拳を振り上げるゴーレムを前に、パーティーに一瞬の焦りが生まれる。
だが、その中でただ一人。セラだけは、極めて冷静に敵の巨体を観察していた。
(……魔力も通さない、物理も弾く。なら、絶対にどこかに弱点があるはずだ。あんな巨体を動かすための、膨大な魔力の『供給源』が……!)
陽だまりの村で、村人たちと作物の状態を観察し、自然の変化を見極めてきたあの日々。剣を置いていたからこそ培われた「視野の広さ」と天性の観察眼が、セラの集中力を極限まで高めていく。
(……見えた!)
セラの薄い茶色の瞳が、ゴーレムの動きの中に生じる「一瞬の綻び」を完璧に捉えた。
ゴーレムが攻撃を振り下ろす直前、胸の分厚い装甲の隙間が一瞬だけ開き、内部で青白く輝く『動力炉(魔石)』が露出するのだ。
「ユリさん! 次の攻撃、タイミングを合わせてゴーレムの足元を凍らせてください! 一瞬だけでいい!」
「えっ? わ、わかったわ! 《氷結の鎖》!!」
ユリはセラの意図を深く問わず、彼への絶対の信頼で即座に魔術を行使した。彼女の超一流の魔力が床を凍りつかせ、ゴーレムの巨大な両足を分厚い氷塊で強引に拘束する。
「排除……阻ガイ……」
足を止められたゴーレムが、邪魔な氷を砕こうと大きく前傾姿勢になり、両腕を振りかぶった。
――その瞬間。胸の装甲が開き、青白い動力炉が完全に露わになる。
「セバスさん、ミーア、道を!」
「承知!」
「任せろ〜!」
二人の従者が左右に散り、セラの射線を完全にクリアにする。
「――シッ!!」
セラは地を蹴った。
魔術を使わない、自分自身の鍛え抜かれた肉体だけの神速の踏み込み。
彼はゴーレムの振り下ろされる巨腕を紙一重で掻い潜り、その広大な胸元へと一直線に飛び込んだ。
握りしめた鋼の長剣。そこに宿すのは、己の純粋な剣術のみ。
「そこだッ!!」
セラの放った白銀の一閃が、装甲のわずかな隙間を抜け、奥で脈打つ青白い魔石を一直線に貫いた。
ピキッ……パァァァンッ!!
動力炉を正確に破壊されたエンシェント・ゴーレムは、断末魔の機械音を漏らす間もなく、その巨体をガラガラと崩れ落ちさせた。地響きと共に、ただの鉄と石の残骸へと変わっていく。
「……ふぅ」
セラが静かに着地し、剣を鞘に納める。
「すごーいっ!! セラ、今の動き完璧だったわ!」
ユリが歓声を上げて駆け寄り、セラの背中をバシバシと叩いた。
「見事な観察眼と剣筋でした。私共だけでは、少々手間取っていたかもしれません」
「へへっ、やるな! セラ! ぴゅーんって、スゴかったぞ!」
セバスとミーアも、屈託のない笑顔でセラを囲む。
「あはは……みんなが隙を作ってくれたおかげだよ」
セラは照れくさそうに笑いながら、自分の手のひらを見つめた。
クリスに置いていかれた自分は、無力で、何もできないお荷物だと思っていた。
けれど今、自分はこの強くて優しい仲間たちの『護り手』として、確かに機能している。それが、セラの心にこの上ない誇りと温かさをもたらしていた。
「さーて! それじゃあ、本命のお宝を頂いちゃいましょうか!」
ユリは足取り軽く台座へと歩み寄り、そこに置かれた小さな石板を大切に手に取った。
その石板には、古代の文字で世界の地図らしきものと、いくつかの『光る点』が記されている。
「……ユリさん、それは?」
「うん。かつてこの世界に散らばったという、大きな力を秘めた『聖剣』の在り処を示す古代の海図よ。……これがあれば、次の目的地がわかるわ」
遥か昔、神族と魔族の戦いがあり、その際魔族を退ける為に使われたとされる『聖剣』。その力は世界を変える程と言い伝えられる物だった。
「……聖剣。英雄譚に出てくる……おとぎ話じゃなかったんですか」
「おとぎ話だと思ってた? ……まぁ、そうよね。でも、『聖剣』は実在するの。実際、数本の『聖剣』は世界のいくつかの国が見つけて保管しているわ。現在、ここフラリス王国にも数本の『聖剣』があるのよ」
「『聖剣』って、一本だけじゃないんだ……でも、そんな強い武器なら、各国がそれを争う原因になるんじゃ……」
セラの素朴な疑問に、ユリは少しだけ真剣な瞳になって首を振った。
「昔は『聖剣』絡みの戦争も少なくなかったみたい。だけど、『聖剣』はそもそもそれ自体は他と変わらない程度の武器なのよ」
「……どういう事ですか?」
「『聖剣』は持ち主を選ぶの。そして、選ばれた人が手に取る事で初めて真の『聖剣』となる。つまり、選ばれていない人が持ってもその力は発揮されない。ただの鉄の剣と同じ、意味がないのよ」
「でも、『聖剣』があるってだけで他国が手を出しにくい抑止力になるってことか」
「そう。ヘタに『聖剣』を奪おうとしても、もしかしたら真の使い手がその国にいるかもしれない。迂闊に奪えはしないってことね」
「……そんな話、聞いたこと無かった」
「ま、国家機密みたいなものだからね」
「……ユリさんは、なんでそんな事を知ってるんですか?」
「私は、国の命令で聖剣を探してる冒険者だからね。ある程度の情報は持ってるのよ」
「……国家機密」
「だから、セラもこの事は絶対に秘密よ?」
ユリは可愛らしくウィンクしてみせた。
「まだ道程は遠そうだけど、とりあえず一歩前進ね!」
石板を見つめるユリの横顔は、希望に満ちて輝いていた。
「一歩前進って事は、ユリさん達はこれからも……?」
「もちろん! この石板が示す次の場所へ向かうわ」
「……僕にも、手伝わせてもらえませんか?」
セラの申し出に、ユリは少しだけ驚いたように目を見開いた。
「……いいの? 聖剣があるかどうかもわからないし、今回みたいな変な敵も現れる。もしかしたら魔族や、他国の聖剣を狙う冒険者、それに騎士団と争う事になるかもしれないわよ?」
騎士団。その言葉に、セラの脳裏に銀髪の親友の顔がよぎる。
だが、今のセラはもう俯かなかった。
「……僕には、世界を救うような力はない。でも、今の僕がやりたい事、出来る事を精一杯やりたい。今、僕は……ユリさん達の力になりたいんです」
セラは迷いなく、真っ直ぐな瞳でユリを見つめた。
かつてのようにただ誰かの背中を追うのではなく、自分の足で並び立ち、大切な人たちを護り抜くために。
「わかったわ! これからよろしくね! セラ!」
ユリは満面の笑みで、セラに向かって手を差し出した。
過去の絶望を乗り越え、少年は今、新たな光と共に歩き出す。




