第46話 闇
フラリス王国の中心にそびえる白亜の城。その最上階にある蒼天の天秤騎士団・団長室には、外の光が届かぬほどの凍てつくような重苦しさが満ちていた。
「――以上の通り、『陽だまりの村』に潜伏していた国家反逆者および違法薬物の製造拠点を、完全に殲滅いたしました」
クリス・フィンリードは、大理石の床に片膝をついたまま、機械的なまでに冷徹な声で報告を終えた。
彼の背後には、同じく片膝をつき、深く頭を垂れたまま微動だにしない特務部隊の少女、ルカ・ロスティが控えている。
「見事な手際ですね、クリス隊長」
執務机の横に立つエイル副団長が、眼鏡の奥で冷徹な目を細める。
「ですが、報告書によれば、ルカ隊員を始めとする一部の分遣隊が、本隊の到着を待たずに『独断で』攻撃を開始したとあります。いかに相手が反逆者とはいえ、軍規違反は免れない。……彼女の処遇については、軍法会議にかける必要がありますね」
その淡々とした言葉に、ルカの肩が僅かに震えた。
彼女は静かに目を閉じる。自身の独断が、敬愛するクリスに泥を塗ってしまった。あの夜、村を焼き払った罪をすべて受け入れる覚悟は、すでに決まっていた。
「言い訳はありません……。すべての責任は、私に――」
「――お待ちください、エイル副団長」
ルカが罪を認めようとした刹那、クリスの声がそれを鋭く遮った。
エイルが怪訝そうに眉をひそめる。
「ルカは、俺の命令で動いたに過ぎません」
「……ほう?」
「村の残党が裏手のダンジョンへ逃げ込むのを防ぐため、あらかじめ彼女たちを少数精鋭の先遣隊として放ち、退路を断つと同時に村へ火を放たせました。すべては、一人の残党も逃がさないための『俺の指示』です」
クリスの言葉に、ルカは信じられないものを見る目で、クリスの冷え切った背中を見つめた。
隊長はそんな命令など出していない。自らの独断専行を庇い、あろうことか「自分の非情な作戦だった」として、すべての泥を被ろうとしているのだ。
「なるほど……」
エイルは顎に手を当て、感心したように頷いた。
「あの温厚だったあなたが、あえて部下に火を放たせ、村ごと焼き払うという非情な決断を下したと。……素晴らしい。私情を挟まず、国家の害悪を完膚なきまでに根絶やしにするその冷徹な判断力。あなたもようやく、真の騎士としての『顔』になってきましたね」
エイルの賞賛は、クリスの心を千の刃で切り刻むようだった。しかし、彼は能面のような表情を崩さず、ただ短く「過分なお言葉です」とだけ返した。
「……クリス、報告にはセラを討ったとあるが、真実か?」
それまで黙って聞いていたシュウ団長が、静かに口を開いた。
「……はい。セラは特務隊員に重傷を負わせ……騎士団の任務を妨害しました」
「だから、討った……と」
「……はい、私が……殺しました」
「……そうか」
シュウの深い青色の瞳は、愛弟子の被る分厚い「氷の仮面」の奥底で、血を流して泣き叫ぶ本来の心を見透かしているかのようだった。だが、彼はそれ以上追及しなかった。
「今回のあなたの冷徹かつ迅速な功績を高く評価し、特務部隊隊長から『騎士団六番隊隊長』への昇格を命じます。……これからは、より過酷な闇と向き合うことになるでしょう。魔族との主戦場でも国の為に頼みますよ、クリス」
「……はっ。御意のままに」
エイルの言葉にクリスは深く頭を下げた。ただ魔王を倒すため。彼は自らの魂と引き換えに、王国の中枢へと深く足を踏み入れるのだった。
***
謁見を終え、重厚な扉の外へ出た瞬間。
ルカはたまらずクリスの背中にすがりつき、ボロボロと大粒の涙をこぼした。
「隊長……っ! なぜですか! なぜ、あんな嘘を……っ! あれは私が勝手にやったことです! 私は罰を受けなければいけなかったのに……っ!!」
泣きじゃくるルカを、クリスは静かに振り返って見下ろした。
その瞳は、やはり底知れない虚無に沈んだままだ。
「言ったはずだ、ルカ。お前のしたことも含めて、すべては隊長である俺の責任だとな」
「でも……っ! 隊長は、本当はあんなことしたくなかったはずなのに……私のせいで、隊長が『非情な人殺し』だなんて誤解されて……っ」
「誤解じゃない」
クリスの短く冷たい言葉に、ルカは息を呑んだ。
「俺は、俺の目的のために、大切な親友を……あいつの居場所を、この手で壊した。エイル副団長の言う通りだ。俺はすでに、血にまみれた人殺しに過ぎない」
「隊長……」
「俺はこれから、この世界のすべての悪を切り伏せる。そのための泥なら、いくらでも被る。……お前は、それに巻き込まれただけだ」
そう言って歩き出すクリスの背中を見て、ルカは確信した。この人は不器用すぎるのだと。誰よりも優しすぎるからこそ、他人の罪まで背負い込み、自分一人だけが地獄へ堕ちようとしている。
(……なんて、悲しくて、綺麗で……尊い人なんだろう)
ルカは涙を拭い、床に片膝をついて、クリスの背中に向けて深い忠誠を誓う礼をとった。
「……いいえ。私は巻き込まれたのではありません。私が、私の意志で、あなたに付き従うと決めたのです」
クリスの足が止まる。
「隊長がすべての罪を背負い、地獄へ落ちるというのなら……私は、あなたの手足となって、最も深く暗い地獄の底までお供いたします。あなたがこれ以上その手を汚さなくて済むように……どんな汚れ仕事も、私がこの手で成し遂げてみせます」
それは、盲目的な崇拝から、完全に一線を越えた『共犯者』としての誓いだった。
クリスは振り返ることなく、薄闇の廊下に声を落とす。
「……そうか」
氷の騎士と、その影に潜む狂信の刃。
彼らが歩む修羅の道は、後戻りできない暗黒へと、さらに深く沈んでいくのだった。




