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第43話 探検へ

 ――翌朝。

 厚手のカーテンの隙間から差し込む眩しい朝日に、セラはゆっくりと目を覚ました。

「……朝、か」

 上体を起こそうとして、すぐに顔の違和感に気がついた。

 まぶたが鉛のように重く、視界がひどく狭い。熱を持ってじんじんと突っ張るような感覚に、セラは思わず両手で顔を覆った。

(……泣きすぎた……)

 昨夜、あの仄暗い部屋で、自分はユリの前で子供のように泣きじゃくってしまった。

 あれほど声を上げて泣いたのは、パーティーを追放され、トーファスの宿屋で三日三晩泣き明かした時以来だ。

(……マリー、無事かな……)

 あの絶望の時、ずっと傍で背中を撫でてくれていたのはマリーだった。

 燃え盛る村で別れたきりだ。元Sランクの彼女が、ただの騎士相手にそう簡単にやられるわけがないと、頭では分かっている。それでも、自分が奈落に落ちたことで彼女がどれほど悲しむか想像がつくからこそ、心配でたまらなかった。

 大泣きしたことを思い出すだけで顔から火が出そうになるほど恥ずかしかったが、不思議と、胸の奥底にこびりついていた真っ黒な泥のような感情は、いくらか晴れ渡っていた。

 もちろん、クリスに対する想いや、陽だまりの村での悲劇への自責の念が完全に消えたわけではない。だが、今はそれらに押し潰されそうになるほどの息苦しさは感じなかった。

『後悔しようが、間違えようが、今あなたに出来ることを精一杯やるのよ』

 自分を抱きしめてくれたユリの温もりと、あの真っ直ぐな言葉が、セラの心に確かな火を灯し続けている。

 身支度を整え、あてがわれた客室を出てふかふかの絨毯が敷かれた廊下を進むと、一階のリビングから賑やかな声と、香ばしい料理の匂いが漂ってきた。

「おかわりだ! セバス、もっと肉をよこせ!」

「ミーア、行儀が悪いですよ。お口の周りがソースだらけじゃない。セバス、私にも紅茶のおかわりを」

「かしこまりました、お嬢様。ミーア様も、慌てずとも肉はまだ山ほどございますゆえ」

 リビングの重厚な扉を開けると、そこには、山盛りのベーコンと卵料理を口いっぱいに頬張る猫耳の幼女ミーアと、優雅に紅茶のカップを傾けるユリ、そして完璧な所作で給仕をこなす初老の執事セバスの姿があった。

「あ、おはようございます、 ユリさん、ミーア、セバスさん。昨夜は色々と……」

 セラが少し照れくさそうに挨拶をしながら部屋に入った、その瞬間だった。

「ん? おう、セラおはよ……ぶふっ!!」

 振り返ったミーアが、セラの顔を見るなり咥えていたベーコンを吹き出しそうになった。彼女はバンバンとテーブルを叩き、腹を抱えて大爆笑し始めた。

「ニャハハ! 何だその顔! 目がパンパンだぞ〜! ニャハハハ!」

「えっ」

「コラ、ミーア! 笑っちゃ、ダメ、でしょ……プッ」

 たしなめようとしたユリも、セラのあまりにも見事な「泣き腫らしたカエル目」を直視してしまい、ぷるぷると肩を震わせて見事に吹き出した。

「ユ、ユリさんまで……! ちょ、ちょっと、二人とも笑わないでよ!」

「だ、だってセラ! 見事なまでにお目々が一直線なんだもの! あはははっ!」

「アタイ、こんな面白い顔のやつ初めて見たぞ! ニャハハハハ!」

 顔を真っ赤にして抗議するセラを他所に、リビングは二人の明るい笑い声に包まれる。

 そんな中、セバスだけは一切表情を崩さず、スッとセラの横に歩み寄った。

「冷たい氷水で絞ったタオルをご用意いたしましょうか、若君。朝食の間に当てておけば、いくらか見れる顔に戻るかと存じます……プッ」

「セバスさんまでイジってるじゃないですかっ!」

 セラが情けなく叫ぶと、ユリとミーアはさらに腹を抱えて笑い転げた。

 かつて【正義の剣】で仲間と軽口を叩き合い、ふざけあって楽しかったあの頃の空気とは、また違う。どこまでもフラットで、騒がしくて、温かい空気。

 セラはタオルを両目に押し当てながらも、口元には自然と、この数ヶ月間で一番の柔らかな笑みが浮かんでいた。

 やがて笑いが収まり、セラも席について温かい朝食をいただき、食後の紅茶をゆっくりと啜っていた時のこと。

「さて、と。朝ご飯も食べたし、そろそろ準備しようかしらね」

 おもむろにユリは席を立ち、大きく背伸びをした。

「どこかに行くんですか?」

「うん! 私、これでも冒険者だもの。実はちょっと『探し物』があって、色んなダンジョンや遺跡を巡っているの。今日はこの街の近くにある、古い遺跡を探索する予定よ。セラはここでゆっくりしてて! メイドさん達には伝えてあるから」

 ダンジョン、という言葉を聞いて、セラの表情が強張る。

「……まさか、一人で……?」

「もちろんよ! ……と、言いたいところだけどね」

 言いながら横を向くユリの視線の先には。

「フフフ、腕が鳴りますな」

「わ~い! 探検! 探検! 肉いっぱい取ってくるぞ〜!」

 比喩ではなく実際に指の関節をポキポキと鳴らすセバスと、元気に飛び跳ねるミーアの姿があった。

「夜ご飯までには戻ってくるから、セラは待っててね」

「……」

 セラは思案顔で俯いた。

(遺跡探検……モンスターとはいえ、戦いに行くのか……怖い……また、誰かが傷付いたら……。でも、)

 身支度を整えようと部屋を出掛けたユリ達を、セラが呼びとめる。

「あ、あの! 僕も……行ってもいい……ですか?」

「無理しなくて、いいのよ?」

「……正直、怖いですけど……」

「……昨日私が言った言葉は、今すぐやらなきゃいけないって意味じゃないわ。セラが自分で動けるタイミングは、セラ自身が決める事よ。自分を誤魔化して無理に進もうとする必要はないの」

 セラの怯えが残る瞳を、ユリは優しく、気遣うように見つめた。

「……僕は、あなた達を護りたいんです。昨日会ったばっかりだけど……」

「……」

 セラの葛藤する姿を、三人は急かすことなく静かに見守っている。

「戦うのは怖い。でも、皆さんの力に少しでもなれるなら、ユリさんを、ミーアさんを、セバスさんを護りたいって思った。この気持ちは……僕自身の意思、だと思うから」

 言い終わると、セラはまだ少しの戸惑いを残しながらも、しっかりとした瞳でユリを見つめ返した。

「……そう。わかったわ」

 ユリはゆっくり頷き、「ふふっ」と心底嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ、改めて! 四人で行きましょう! ――と言いたいところなんだけど……セラ、あなたの剣、もう無いわよね?」

「あ……」

 ユリに指摘され、セラは自身の腰に手を当てて、その事実を思い出した。

 あの『禁忌の崖』でのクリスとの死闘。互いの全闘気を乗せた一撃の果てに、親友とお揃いだった『無銘の長剣』は、クリスの魔術と自身の力に耐えきれず、完全に粉々に砕け散ってしまったのだ。

 あの剣は、クリスと共に夢を見た絆の証だった。

 それが失われたということに一抹の寂しさは覚えるが、今は、前に少しでも進みたいという気持ちの方が勝っていた。

「あはは……そうでした。丸腰じゃ、探検なんてできないですよね。遺跡に行く前に、武器屋へ寄って安い剣を買ってきます」

 セラが困ったように眉を下げて苦笑した、その時。

「――当座の品ではございますが、こちらをお使いください、セラ様」

 音もなく背後に立ったセバスが、布に包まれた一本の剣をスッと差し出した。

 受け取り、鞘から抜いてみる。

 それは無骨な作りだが、刃こぼれ一つなくしっかりと手入れが行き届いた、見事な造りの鋼の長剣だった。

「当家の備品ですが、なまくらではございません。私共と共に護衛を務めていただけるのであれば、ぜひ」

「セバスさん……。ありがとうございます。お借りします」

 セラは新しい長剣を握り、軽く振って重心を確かめる。

 クリスと共に買ったあの剣とは、重さも、重心も、手触りも全く違う。けれど、今の彼にはその「新しさ」が、かえって『ここからもう一度進むんだ』という確かな決意を実感させてくれた。

(……あれ? そういえばセバスさんが持ってる、その布に包まれためちゃくちゃ巨大な荷物って……)

 ふと、セラの視線がセバスの肩に止まった。

 初老の執事の細身なシルエットにはどう考えても不釣り合いな、巨大な布包み。そのシルエットから推測するに、どう見ても『特大の戦鎚ハンマー』にしか見えないのだが、セバスはそれを羽毛のように軽々と担いで涼しい顔をしている。

(いや、執事だよね……?)

 思わず引きつりそうになるセラの頬をよそに、ユリが勢いよくパンッ! と両手を叩いた。

「よし! セラの武器も調達できたことだし、私達も準備して出かけましょう!」

「今日目指すのは東の森の遺跡よ!」

「おう! 肉のパワーで魔物もぶっ飛ばしてやるぞ!」

「……!」

 セラも、無言で力強く頷いた。

 ――数十分後。

 準備を終え、街の喧騒の中、別邸の重厚な扉を開け放つ。

 見上げるほどに高く、澄み切った蒼い空。

 昨日までの絶望が嘘のように、セラの足取りは軽く、その前を歩くユリたちの賑やかな背中を、彼は少し眩しそうに、けれど確かな温かさを胸に抱きながら追いかけていった。

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