第42話 悪夢
ふわりと咲いたような少女の笑顔に、セラは呆然としながらも、慌てて居住まいを正した。
「あ、あの……! 助けていただいて、本当にありがとうございます。崖から落ちた僕を、あなたが……?」
「えぇ、私とこの2人でね!といっても、本当にギリギリだったけれどね」
少女は「えっへん」と少し得意げに胸を張ると、傍らで尻尾を揺らす猫耳の幼女と、控えている初老の執事を示した。
「この子はミーア。で、こっちのジジ……コホン、立派なお髭の方が、私の執事のセバスよ」
セバスの視線が一瞬だけ鋭く細められた気がしたが、彼はすぐに凛とした態度で深く一礼した。
「お見知りおきを、若君」
「アタイはミーアだぞ! 傷、もう痛くないか!?」
「あ、はい……助けて頂き、本当にありがとうございました……」
グイグイと距離を詰めてくるミーアと、恭しすぎるセバス。二人の個性的な挨拶に、セラは目を白黒させながらコクリと頷いた。
そして、少女はスカートの裾を軽くつまみ、優雅に、けれど茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「私はユリ。ユリ・クリードよ。ただの……そうね、迷宮探索がメインの、冒険者ってところかしら。――あなたの名前は?」
「僕は……」
セラは言葉に詰まった。
パーティーを追放され、護りたかった村も焼かれ、親友と殺し合った。今の自分には、誇れるものなんて何一つ残っていない。それでも、目の前の温かさに背中を押され、彼は小さく口を開く。
「……セラ。セラ・ウッドベル、です」
「セラ……。ふふっ、優しくて、温かい響き。あなたにぴったりの名前ね。よろしく、セラ!」
こうして、見知らぬ豪華な客室で、奇妙で賑やかな共同生活が幕を開けたのだった。
――そして、夜。
昼間の賑やかな騒ぎが嘘のように、客室は深い静寂と仄暗いランプの灯りに包まれていた。
ふかふかのベッドに横たわるセラだったが、その規則正しかった寝息が、次第に乱れ始める。
「……っ、ぁ……」
セラの表情が苦痛に歪み、シーツを握りしめる手にギリッと青筋が浮かぶ。
脳裏にフラッシュバックするのは、赤く燃え盛る陽だまりの村。倒れる村人たち。
そして――真紅の闘気を纏い、自分を殺そうと刃を振り下ろしてきた親友の、底知れぬ憎悪の瞳。
「……クリス……やめ、て……」
うなされながら、彼が悲痛な声で叫ぶ。
「僕が、みんなを……! クリスゥゥッ!!」
ガバッ!! と、セラが弾かれたように上半身を起こした。
その瞳は見開かれているが、焦点は合っていない。現実と悪夢の境界線が曖昧なまま、過呼吸のように肩を激しく上下させ、ヒュー、ヒューと喉を鳴らしている。
激しい恐怖と喪失感で、自分の手がカタカタと痙攣するように震えていた。
「……っ、あ……ぁぁ……」
パニックに陥り、頭を抱え込もうとした、その時。
バンッ!! と勢いよく客室の扉が開いた。
「セラ、どうしたの!?」
「セラ殿! いかがなされましたか!」
「敵か!? アタイがぶっ飛ばしてやるぞ!」
セラの悲痛な叫び声を聞きつけ、真っ先に駆けつけてきたユリの背後から、セバスとミーアが鋭い目つきで部屋へ飛び込んできた。
しかし、ユリは部屋の惨状――いや、ベッドの上で一人怯え、カタカタと震えているだけのセラを見ると、スッと片手を上げて二人の動きを制した。
「……二人とも」
「お嬢様。しかし、ただ事ではない叫び声が……」
「大丈夫よ……ここは私に任せて、二人は外で待機していてちょうだい」
「……かしこまりました」
ユリの静かだが絶対的な響きを持った指示に、セバスは短く一礼すると、まだ心配そうにセラを見ているミーアの肩を引き、静かに部屋の扉を閉めた。
パタン、と扉が閉まり、再び部屋が静寂に包まれる。
「――大丈夫よ」
ユリは一人、ゆっくりとベッドに近づき、セラの震える両手を、自身の小さな、けれど温かい両手でしっかりと包み込んだ。
「っ……! ユ、リ……さん……?」
怯えたように震えるセラの瞳を、ユリは逃げずに真っ直ぐに見つめ返す。
その眼差しは、昼間の「お転婆なお嬢様」のものとは全く違う。どこまでも深く、静かで、揺るぎない気高さに満ちていた。
「大丈夫よ。セラ、あなたは今、誰よりも安全な場所にいるわ」
「でも……僕が、クリスを傷つけた……みんなを……っ。僕の剣じゃ、誰も護れなかっ……っ」
ユリはセラの自責の言葉を、優しくただ聞いていた。
「そう、あなたは誰かを護りたかったのね。……セラがどんな絶望を見てきたのか、今の私には分からない。でも、あなたが誰かを護るために、ボロボロになるまで戦い抜いたことだけはわかるわ」
ユリはそっと身を乗り出し、セラの背中に腕を回して、子供をあやすように優しく抱きしめた。
花の香りと、絶対的な安心感。
「僕が……僕がもっと強ければ。もっとクリスと話ができていれば……クリスは、皆は……っ」
「後悔しているのね。……ねぇ、セラ?」
ユリは身体を離し、優しい笑顔でセラの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「後悔ってね、その時は絶対に気づけないものなの。ああすればよかった、別の道があったかも……って、後になってからわかるんだよね」
ユリの優しい瞳が、ランプの灯りの中で真っ直ぐな強い光を放つ。
「だからね、間違えたっていいの。今あなたに出来ること、やりたいことを精一杯やれば。……いっぱい悩んで、後で悔しいって思えるのは、セラがこれからもっと前に進める証拠なんだから!」
ユリは再び、セラの震える身体を優しく抱きしめた。
「よく頑張ったわね。……今はただ、休んでいいのよ」
その言葉が、最後のトリガーだった。
張り詰めていたセラの心の糸が、音を立てて解けていく。
「ぁ……あぁぁぁっ……!」
大粒の涙がセラの瞳から溢れ出し、ユリの肩口を濡らす。セラはユリの服を強く握りしめながら、暗い部屋の中で声を出して泣き崩れた。
ユリは何も言わず、ただ静かに、セラの黒髪を撫で続ける。
(……大丈夫。この人はきっとまた前を向く。誰にも理解する事はできない自分の思いと向き合って。セラ、あなたはもっともっと優しく、強くなれるわ――。)
泣きじゃくる少年の背中を撫でながら、少女は心の奥底で静かに、確かな希望を確信していた。




