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第40話 運命

 地上の惨劇も、赤黒く燃え盛る村の炎も、引き裂かれるような仲間たちの絶叫も。

 ここには、その一切が届かない。

 フラリス王国の歴史から完全に抹消された、世界の裏側に位置する暗黒の『巨大なダンジョン』。その最深部は、肌を刺すような冷気と湿った重い空気が滞留する、静寂だけが支配する底なしの深淵だった。

 人族はおろか、高位の冒険者であっても生きては戻れないとされるその不帰の地を、一つの小さな、けれど温かい灯りがゆらゆらと揺れながら進んでいく。

「……んー、今日の探索はこの辺にしておこうかな。これ以上潜ると、さすがにお腹が空いちゃうし」

 ランタンを片手に、暗闇に響くのんびりとした声。

 声の主は、一人の少女だった。

 ランタンの薄明かりに照らされた彼女の髪は、夜の闇にはあまりにも不釣り合いな、可憐な薄いピンク色。セミロングの綺麗なウェーブがかかった髪が、彼女の軽やかな足取りに合わせて弾むように揺れている。

 並の魔術師なら一瞬で狂いかねないほどの濃密な瘴気が漂い、狂暴なモンスターたちがいつ牙を剥いてもおかしくない最悪の迷宮。しかし、彼女――リリィは、まるで天気の良い日の庭園を散歩でもしているかのような、恐ろしいほどの余裕と無防備さで歩いていた。

 その時だった。

 ヒュウゥゥゥゥゥゥゥッ……!

 はるか、はるか頭上の見上げるほどの真っ暗闇から、大気を激しく引き裂くような異様な音が聞こえてきた。凄まじい速度で何かが落下してくる、不穏な風切り音。

「ん? なあに、これ……? 魔物の奇襲?」

 リリィは小さく小首を傾げると、ランタンを高く掲げて漆黒の天井を見上げた。

 次の瞬間、彼女の綺麗な瞳が驚きに大きく見開かれる。

 光の輪の中に飛び込んできたのは、魔物などではなかった。凄惨な剣戟の痕を無数に刻み、衣服を赤黒い鮮血で染め上げた、一人の血まみれの少年の身体だった。凄まじい衝撃を受け、息絶える寸前の状態で、重力に従って猛スピードで真っ逆さまに落ちてくる。

「うわっ、ちょっと待って!? 人!? 上から人間が落ちてきたんだけど!?」

 あまりにも予想外の事態に声を上げながらも、リリィの行動は神速だった。

 彼女は慌てる素振りを一切見せず、ランタンを持っていない方の華奢な右手を、落ちてくる少年へと滑らかにかざす。その指先から、圧倒的な密度を誇る柔らかなエメラルドグリーンの魔力が、惜しみなく解放された。

「《風精の揺りシルフィード・ネスト》!」

 リリィの紡いだ言葉に応じるように、少年の真下に幾重もの目に見えない突風の層が出現した。それは激しい落下の衝撃を段階的に、けれど完璧に吸収していく、風の最高級クッション。

 凄まじい質量を持った落下速度が、リリィの放った風の魔術によって、まるで一枚の羽毛のように殺されていく。

 ふわり、と。

 胸を斜めに深く切り裂かれ、完全に意識を失っている黒髪の少年――セラは、リリィのすぐ目の前の地面に、傷口に衝撃を与えることなくそっと横たえられた。

「……嘘、信じられない。この深さの崖から落ちてきて、こんな大怪我を負っているのに、まだかすかに息があるなんて」

 リリィはランタンを地面に置き、セラの傍らにパタパタと駆け寄ってしゃがみ込んだ。

 覗き込んだセラの容姿は、血にまみれていながらも、どこかあどけなさを残した端正なものだった。胸元の傷は痛々しく、心臓の手前まで達している致命傷。それなのに、彼の表情はまるで、すべての戦いから解放されたかのように穏やかな寝顔を保っている。

「ひどい怪我……。でも、それ以上に……何、この感覚。なんだか、凄く不思議で、底が見えないほど冷たくて熱い魔力を感じる……。あなた、一体何者なの?」

 セラの身体に残る、かつて出会った誰のものとも違う、異質な闘気の残滓。リリィはその奇妙な気配に強い興味を引かれながらも、素早く両手をセラの胸の傷口へと構えた。

 彼女の手の平から、今度は世界を祝福するような、温かく優しい黄金の光が溢れ出す。

 その光が血塗られた胸元を包み込むと、信じられないことに、肉が急速に結びつき、骨が修復され、あれほど凄惨だった致命的な傷口がみるみるうちに塞がっていった。リリィの持つ魔術の腕は、間違いなく王国の常識を遥かに逸脱した超一流の域にあった。

「よし! とりあえず、これで命だけは完全に繋ぎ止められたかな!」

 完全に塞がった傷口を確認し、リリィは満足げにふぅと息を吐いた。

 しかしまだ、少年は深い昏睡の中にいる。静かに規則正しい寝息を立てるセラの頬を、リリィは人差し指でツンツンと興味深そうにつついた。

「でも、本当に不思議な子。こんな奈落の底で私と出会うなんてね。……ねえ、あなたのお名前はなんていうの?」

 当然、眠り続けるセラから返答はない。

 けれど、リリィはその黒髪の少年の顔を、どこか楽しそうに、そして慈しむように見つめ続けていた。

 光の届かない冷たい地の底。

 全てを失い、絶望の果てに命を落としかけた黒髪の少年と、深淵の闇の中で一人歩む、謎めいた桃色髪の少女。

 二人の運命の歯車が、この静寂の暗闇の中で、静かに、けれど確かに噛み合った。

 引き裂かれた絆。壊れてしまった正義。

 その傷跡を抱えた少年が、この新たな少女と共に、これからどのような新しい物語を紡いでいくのか。

 ――それはまだ、世界の誰も知らない。


【第一部 完】

第一部、これにて完結となります!

ここまで追いかけてくださった読者の皆様、本当に、本当にありがとうございました!

十六歳の誕生日に、信じていた【正義の剣】の仲間たちから突然の追放宣告を受けたセラ。

しかしそれは、彼を過酷な争の世界から遠ざけ、その「優しさ」を守りたいという、クリスたちなりの不器用で深い愛情ゆえの嘘でした。共にパーティーを抜け、献身的にセラを支え続けたマリーの存在には、作者としても強く胸を打たれながら執筆していました。

ようやく『陽だまりの村』で心穏やかな日常を取り戻したかに見えたセラでしたが、運命は残酷にも再び彼らを戦いの渦へと引きずり込みます。

偽の情報に踊らされた特務部隊のルカの暴走により、村は火の海に。そして、互いに「大切なものを奪われた」と誤解したまま、かつての親友同士であるセラとクリスが、真紅の闘気を激突させて殺し合うという、第一部最大の悲劇へと繋がってしまいました。

胸を斬り裂かれ、決して生還できないと言われる『巨大なダンジョン』の闇へと落ちていったセラ。親友を自らの手で葬ったという絶望を抱えながら、氷の騎士として帝国の闇へと進むクリス。

二人の少年の道は、完全に分かたれてしまいました。

しかし、物語は絶望だけでは終わりません。

奈落の底で出会った謎の少女、そして新しい仲間たちとの出会いによって、セラは再び立ち上がり、新たな旅路へと一歩を踏み出します。

それぞれの正義と想いを胸に、バラバラになってしまった仲間たち。

彼らが再び交わる日は来るのか?

次章、第二部からは舞台をさらに広げ、新たな国や未知のダンジョン、そして強大な敵が続々と登場します。セラたちの冒険は、ここからが本当の始まりです!

引き続き第二部も60話までは毎日の投稿予定です。

ブックマークや評価、感想など、皆様からの応援が毎日の執筆の最大のモチベーションになります。少しでも「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ応援よろしくお願いいたします!

それでは、第二部でまたお会いしましょう!

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