第33話 邂逅
古代遺跡の跡地は、冷たい夜気と燃える村の熱風が混ざり合い、異様な歪みを生み出していた。
息を切らし、肩を激しく上下させながらそこへ駆け込んできたクリスの視界に、最悪という言葉すら生温い地獄が飛び込んでくる。
石畳の上に転がっているのは、彼が率いる特務部隊の、蒼き鎧を纏った部下たちの姿だった。誰もがピクリとも動かず、その衣服を赤く染めて倒れ伏している。
そして何より、クリスの心臓を凍りつかせたのは、一本の崩れた石柱の根元に横たわる、小柄な少女の姿だった。
「ル、カ……?」
クリスの声が、かすれて消えそうになる。
茶色のショートボブは土にまみれ、衣服の胸元は大量の鮮血でどす黒く汚れていた。彼女のすぐ傍らの地面には、激しい衝撃で根元からへし折れた彼女の愛剣が、無残に転がっている。あれほど無邪気に自分を慕い、笑顔を向けてくれていた部下が、死人のように蒼白な顔で血の海に沈んでいた。
クリスの全身の血が、一瞬で逆流するような感覚に襲われる。
ゆっくりと、呪われたように視線を上げた。
倒れる部下たちの中央。月光を浴びて、血塗られた『無銘の長剣』を冷たく構える、一人の人物が佇んでいる。
その身体からは、夜の闇を圧するほどの濃密な、血のようにドロリとした「赤い闘気」が陽炎のように立ち上っていた。
普段の黒髪は、瞳と同様に燃えるような真紅へと染まり上がっている。それが何の力なのか、クリスの知識にはない。ただ、人間の限界を完全に逸脱した、圧倒的で禍々しい力がそこにあることだけが、肌を焼くような熱と共に伝わってきた。
だが、そんな異形の姿をしていても、クリスがその顔を見間違えるはずがなかった。血を分けた兄弟以上に、誰よりも長く、誰よりも近くで見てきた、大切な幼馴染の顔。
「セ、セラ……なのか……?」
親友の名を呼ぶクリスの声は、激しい困惑と恐怖に震えていた。
一方、その声を浴びたセラもまた、弾かれたようにその真紅の瞳を大きく見開いた。
「……クリ、ス……?」
信じられないという思いが、セラの胸に去来する。
自分を理不尽に追い出し、冷酷な修羅の道を歩み始めたと聞いていた親友。その親友が今、自分の護りたかった『陽だまりの村』を焼き払い、子供たちの命を奪おうとした最悪の冷血漢として、王国最強の騎士の鎧を纏って目の前に立っている。
互いの視線が、地獄の炎に照らされながら激しく交錯した。
先に沈黙を破ったのは、目の前の惨状に理性を毟り取られたクリスだった。
「セラ……! なぜ、なぜお前がこんな辺境の村にいる……! お前が……お前がルカたちを、俺の部下たちを、こんな目に遭わせたのか……!?」
クリスの告発に、セラの脳裏に怒りの業火が爆発した。
「何を言っているんだ……っ! クリス……君が、君がやったのか……!! この温かくて、誰も傷つけない平和な村を、君が……壊したのか!!」
セラの悲痛な叫びが、夜の遺跡に木霊する。
「僕の大切な人たちを、僕を救ってくれた人たちを、また奪うつもりか!! クリス、君の『正義』は、無抵抗の子供たちまで焼き殺すことなのかっ!!」
「黙れっ!!」
クリスはセラの言葉を怒号で遮った。
クリスにとって、この村は魔族と通じた「国家反逆者の巣窟」だ。そして目の前には、自分が手を汚さないためにと身代わりになってくれた最愛の部下・ルカが倒れている。それがセラの仕業だという事実が、クリスの心優しき魂を完全に狂わせた。
「お前が……ルカを、ルカを殺した……! よくも、よくも俺の部下を……ッ! セラァァァァァッ!!」
クリスの怒りと絶望が、限界を超えて頂点へと達した。
その瞬間、セラの身体に起きたものと「全く同じ異変」が、クリスの身体をも侵食していく。
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
クリスの美しい銀髪が、端から急速に燃え盛るような真紅へと染め上げられていく。それと同時に、冷徹だった彼の瞳が、底なしの憎悪を孕んだ真紅の輝きを放ち始めた。
ドガァァァァンッ!!
クリスの足元の石畳が、内側から爆発したように弾け飛ぶ。彼の全身から、セラに勝るとも劣らない、圧倒的な質量の「赤い闘気」が噴出し、天を衝く火柱のように燃え上がった。底知れない異形の力が、全身の血管を駆け巡る。
「……許さない。絶対に許さないぞ、クリスゥゥゥッ!!」
「ルカの命を、部下たちの命を、その命で償え……セラァァァッ!!」
もはや、言葉による弁明の余地など、最初から一文字も残されていなかった。
互いが互いを「大切なものを蹂躙した絶対悪」だと信じ込み、怒りと悲しみに我を忘れた二人の少年は、かつての絆をその手で引き千切り、互いの命を奪うべく地を蹴った。
真紅の闘気と真紅の闘気が、遺跡の中央で真っ向から激突する。
ズドォォォォォンッ!!!
二人の足が地を捉えた瞬間、凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲の古い石壁が衝撃に耐えかねて粉々に砕け散った。
「ハァァァァッ!!」
クリスが左手をかざすと、彼の規格外の魔術能力が暴走を始める。夜空に無数の光と炎の魔術の矢が出現し、意思を持つ流星群となってセラへと降り注いだ。一発一発が地面を消し飛ばす威力を持つ弾幕。
しかし、覚醒したセラの超人的な動体視線は、その全てを見切っていた。
セラは真紅の闘気で身体を包み、紙一重の速度で魔術の矢を回避しながら、避けきれない一撃を『無銘の長剣』の刃で正確に弾き落としていく。キィン、キィンと硬質な音が連続して響き、弾かれた魔術が背後の古代遺跡を容赦なく破壊していった。
「そこだっ!!」
弾幕を潜り抜けたセラの姿が、クリスの視界から煙のように掻き消える。
真紅の闘気による超高速移動。セラは一瞬でクリスの死角である背後へと回り込み、その首筋を刈り取るべく、容赦のない一撃を放った。
だが、同じく「赤い闘気」に目覚めたクリスの反応もまた、人知を越えていた。
「甘いっ!!」
クリスは振り返ることもなく、背後に向かって自らの『無銘の長剣』を突き出した。ガキィィィィンッ!! と、互いにお揃いで買ったはずの二本の長剣が、火花を散らして激しく噛み合う。
押し合う力の奔流。
至近距離で、真紅に染まった二人の瞳が睨み合う。
かつて【正義の剣】で背中を預け合い、「誰も泣かない優しい世界」という同じ理想の未来を語り合った、あの温かい日々。そして、互いの道を決定的に違えることになった、あのギルドの個室での悲痛な決別。
その全てが、怒りに呑まれた今の二人の脳裏には浮かばない。
映っているのは、かつての仲間でも、最愛の親友でも、家族同然の幼馴染でもなかった。目の前にいるのは、ただ自分の護るべき世界を破壊し尽くした、憎き『敵』――ただそれだけだった。
「クリスゥゥゥゥッ!!!」
「セラァァァァァッ!!!」
激しい怒号と共に、二人は再び間合いを離し、目にも留まらぬ速度で斬撃の嵐を繰り出し始めた。
セラの天賦の剣才が繰り出す峻烈な突きを、クリスの魔術を乗せた鋭い一振りが強引に弾き返す。互いの長剣が交差するたびに、遺跡には真紅の衝撃波が吹き荒れ、夜の闇が赤く爆ぜる。
凄まじい速度と威力の応酬。しかし、どちらの剣技も、どちらの闘気も完全に互角だった。致命的な一撃はどちらにも入らず、ただ互いの肉体を、衣服を、そして心を削り合っていく。




