第32話 遭遇
――一方、クリスが村の裏手へと駆け出していった頃。
村の西側に取り残されたクロエ、ノア、シグマ、オメガの四人は、地獄絵図と化した村で必死の救助活動を行っていた。
「《水流の盾》ッ!!」
クロエが両手をかざすと、彼女の規格外の魔術によって、膨大な水の防壁が出現し、燃え盛る家屋の火の勢いを無理やり押さえ込んだ。
「そっちの瓦礫を退けたぞ! こっちへ逃げろ!」
巨漢のシグマが、背中の大剣を抜くことなく、丸太のような太い腕で焼け落ちた柱を軽々と持ち上げ、逃げ遅れた村人たちの退路を確保する。
「大丈夫です、もう痛くありませんよ。すぐに傷を塞ぎますからね」
ノアは倒れ込んだ村人の傷口に手を当て、世界最高峰と謳われる繊細な魔力操作によって、無痛のまま瞬時に深い斬り傷を塞いでいく。オメガも寡黙に周囲を警戒し、燃え移る火の粉を払い落としていた。
彼らの圧倒的な力によって、少しずつ救助の輪は広がり始めていた。
しかし、どれだけ傷を癒し、火を消そうとも、彼らの胸の内に広がる真っ黒な絶望が消えることはなかった。
無惨に焼け落ちた家。家族を失い、泣き叫ぶ人々の声。
『王国の平和を守るため』。その高潔な理想を掲げ、泥を被る覚悟で入団したはずの騎士団。しかし、今自分たちの目の前にあるのは、自分たちと同じ蒼い鎧を着た者たちが生み出した、何の罪もない人々への無慈悲な虐殺の痕だった。
「……これが、私たちのやるべきことだったの……?」
クロエが水魔法を放ちながら、震える声でポツリと呟いた。
彼女の視線の先には、血だまりの中に落ちた、蒼天の天秤騎士団の誇り高き天秤の紋章が泥にまみれて転がっている。
「――嘘でしょ。あなたたち……ここで、何をしているのッ!!」
不意に。
火の粉が舞い散る黒煙の向こうから、鋭く、そして激しく震える声が響いた。
ビクッと肩を震わせ、クロエが弾かれたように声の方向へと顔を上げる。シグマたちも同時にそちらを振り向いた。
そこには、逃げ遅れた村の子供を片手で庇いながら、もう片方の手で美麗なレイピアを強く握りしめた一人の女性が立っていた。
煤で汚れながらも、夜の炎の中で輝くような腰まである長い銀髪。
「……マリー、姉……?」
クロエの瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれた。
それは、かつて同じ釜の飯を食い、背中を預け合い、数え切れないほどの死線を共に潜り抜けてきた恩人。セラと共にパーティーを抜け、自分たちが最も尊敬し、いつかまた笑顔で再会したいと願っていたはずの女性だった。
だが、煙の中から現れたマリーの瞳に宿っていたのは、再会の喜びなどではなかった。
それは、信じていた者たちに裏切られたという圧倒的な絶望と、周囲の炎すらも生温く感じるほどの、激しい怒りの炎だった。
「どうして……どうしてこんなところに、あなた達がいるの!? 答えなさいッ!!」
マリーの血を吐くような叫びが、燃える村の夜空に虚しく響き渡る。
彼女は村の中を駆け回りながら、蒼い鎧を着た騎士たちを倒し、村人を逃がしていた。その騎士団の中に、まさかかつての仲間たちがいるなど、思いもしなかったのだ。
「ち、違うんです、マリー! 私たちは……ッ」
「ノアが手当を……俺たちは誰も殺してない! むしろ助けようと……ッ」
足元で怯える村人を庇うように立ちながら、ノアが涙声で訴え、シグマが必死に弁明しようとする。
だが、マリーは彼らの言葉を鋭く切り捨てた。
「何が違うの!? あなたたちが属している騎士団がやったことでしょう!!」
「……ッ」
共に旅をした二年間、マリーに怒られたことは何度もある。しかし、今のマリーはかつて見たことがないほどに激昂し、そして、見ているこちらが胸を締め付けられるほどに悲痛な顔をしていた。
「俺たちは……命令に、従って……」
シグマのいつもの豪快な大声は完全に鳴りを潜め、その巨体は心なしか一回りも二回りも小さく見えた。
「従って!? 騎士団の命令に従って、罪もない人たちを殺したって言うの!? ふざけないでッ!!」
マリーは強くレイピアを握りしめ、咆哮した。その美しい瞳からは、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。
「この村はね……全てを失って、心が壊れかけたセラを、温かく迎え入れてくれた場所なのよ! セラが心を取り戻した、セラの『故郷』になるかもしれなかった村なのよ!! それを、あなたたちは……ッ!!」
「――えっ」
マリーの放ったその言葉に、クロエの心臓が凍りついた。
自分が手紙で、あえて村の名前を伏せていたからだ。
クリスに余計な心配をかけまいと、彼らを思いやるためについた嘘が、結果として彼らの手でセラの居場所を焼き払わせるという最悪の悲劇を招いてしまった。
(私が……私が伝えていれば……! クリスも、この子たちも、こんな地獄を味わうことはなかったのに……っ!)
マリーの心は、激しい後悔と自己嫌悪でズタズタに引き裂かれていた。怒りの矛先は、彼らに向けているようでいて、その実、半分は愚かな自分自身に向けられたものだった。
「そんな……嘘、でしょ……」
クロエの手から力が抜け、展開していた水魔法の防壁が弾け飛ぶ。
シグマ、オメガ、ノアも同様に顔面を蒼白にし、言葉を失っていた。
自分たちが「反逆者の殲滅」と信じて向かった先が、あろうことか、自分たちがこの世で一番傷つけたくなかった親友――セラの、最後の居場所だったというのか。
「わ、私たちは……知らなくて……本当に……っ」
ノアが両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちて言葉を紡ごうとした、まさにその時だった。
ズドォォォォォォォォンッ!!!!!
突然、村の裏手――『入ってはいけない場所』とされている禁忌の崖の方向から、空気を震わせるほどの凄まじい爆音と、夜空を赤く染め上げる強烈な爆炎が舞い上がった。
「……セラ!」
マリーがハッと息を呑み、遺跡の方向を振り向く。
それは間違いなく、セラが子供たちを助けるために向かった避難所の方向だった。ただの騎士相手に、セラが苦戦するはずはない。今の規格外の爆発は、明らかに「尋常ではない力」同士が激突した余波だ。
マリーの背筋に、氷のような悪寒が走った。
「待って! クリスは!? この任務の部隊を率いているなら、クリスもここに来ているんでしょ!?」
マリーの鋭い問いかけに、クロエが俯き、大粒の涙をこぼしながらボソボソと答えた。
「……さっき、一人で……村の裏手に、向かった……」
「ッ!? 止めなきゃ!!」
マリーの脳裏に、あの日――ギルドの個室で親友から非情な追放を言い渡された時の、セラの絶望した顔がフラッシュバックした。
今のセラは、村の人々を傷つけられたことで正気を失っているかもしれない。そしてクリスは、自分の部下が引き起こした惨状を前に、すべてを自分の責任だと抱え込んでいるはずだ。
そんな極限状態の二人が、この地獄の中で再会してしまったら。
マリーが最も恐れていた『最悪の再会』、そして『親友同士の殺し合い』という悲劇の結末が、すぐそこまで迫っていた。
「話は後! 行くわよ!! このままじゃ、セラとクリスが本当に殺し合ってしまうかもしれない!!」
「……!?」
マリーの悲痛な叫びに弾かれたように、元【正義の剣】のメンバーたちは一斉に顔を上げた。
絶望している暇はない。後悔している時間もない。
彼らは自分たちの罪悪感を一旦胸の奥底に押し込み、ただかつての仲間たちを救うためだけに立ち上がった。
「行くぞッ!!」
シグマの咆哮を合図に、五人は燃える村の瓦礫を飛び越え、村の裏手にある『入ってはいけない場所』へと全速力で駆け出した。
炎の海を越えた先で、血を分けた兄弟以上に絆が深かった二人の少年が、殺し合うために剣を交えているかもしれないという恐怖を胸に抱きながら。




