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第3話 夢

 ギルドを出て、あてもなく歩き続けるセラの足取りは重かった。

 背負っている『無銘の長剣』が、いつもより何倍も重く感じられる。この剣は、かつて共に夢を見た親友との絆の証だったはずなのに、今はただ、冷たい鉄の塊として背中にのしかかっていた。

(……なんで、あんなことになったんだろう)

 空っぽになった心に、不意に古い記憶が蘇る。

 それはまだ、絶望という言葉すら知らなかった日々の記憶だ。


 ***


 セラとクリスは、いわゆる戦争孤児だ。

 十二年前、フラリス王国と魔王軍との間で起きた大きな戦争。その戦火は王都のみならず周辺地域にも甚大な被害をもたらし、セラの故郷の村も魔物に蹂躙され、すべてが焼け野原となった。

 王国の精鋭騎士による組織『蒼天の天秤騎士団』の活躍により魔王軍は退けられ、一年に渡るその激しい戦争には終止符が打たれたが、あとに残ったのは荒廃した大地と、セラたちのような行き場を失った子供たちだけだった。

 二人が出会ったのは、そんな子供たちを保護するための孤児院『木漏れ日の家』だった。

 仲良くなったきっかけは、もうはっきりとは覚えていない。けれど、気がつけばいつもクリスがそばにいてくれた。

 クリスはセラの二つ年上で、誰にでも優しく、それでいて正義感が人一倍強かった。他の孤児が外で虐められていると聞けば、脱兎のごとく助けに行き、相手が何人だろうとボコボコにしてしまうほど喧嘩も強かった。孤児院の皆にとって、クリスは本当の兄のような、頼れる太陽のような存在だった。

 セラはそんなクリスに強く憧れていた。なぜかいつも隣にいて、セラを守るように笑ってくれる彼が誇らしくて、たまらなかったのだ。

 決して裕福な生活などではない。

 配給されるパンは石のように硬く、スープは水で薄められて具なんてほとんど入っていない。洋服は誰かのお下がりでツギハギだらけだし、冬になれば狭い部屋のあちこちからすきま風が吹き込んできた。

 それでも、一つのろうそくに皆で群がって、ボロボロになった一冊の本を読み聞かせてもらう毎晩の時間が、セラは楽しみで仕方がなかった。

 一人の少年が紆余曲折を経て魔王を倒し、世界を平和にする英雄譚。セラは、その本の中の少年にクリスを重ねて聞いていた。

 皆が優しく、皆が皆を大切に想い合っている。そんな孤児院が、セラは大好きだった。

 そんなある日のことだ。

 孤児院の裏庭で、セラとクリスが枝切れを剣に見立てて遊んでいると。

 パチパチパチパチ、と不意に手を叩く音が聞こえた。

 振り返ると、見知らぬ一人の男がふらりと立っていた。

 深い青色の髪をなびかせ、吸い込まれるような鋭い眼差しを持った、背の高い男。

「君達、上手だね! 剣の練習をしているのかい?」

 男の声は静かで優しい声音だったが、不思議な威厳に満ちていた。

 クリスは見知らぬ男に警戒心をあらわにし、枝切れを構え直して言い放った。

「アンタ誰だ! この村の者じゃないだろう!」

「いい目をしているね。私は旅の者だよ。王都から休暇で来たんだ。まぁ、慰安旅行みたいなものかな」

「こんな何もない村に……か?」

 男は気さくに話そうとするが、クリスの警戒心は微塵も解けなかった。セラはそんなクリスの背中の後ろに隠れるようにして男を見つめていた。

「君は、後ろの子を守る騎士のようだね。弟くんかな?」

 男がセラを見て、警戒しなくていいよと言うように笑ってみせた。

「……」

 クリスは何も言わず、依然として油断なく男を睨みつけている。

「答えたくないかな? まぁ、いい。それより、君達は剣士になりたいのかな?」

「……だったらなんだ?」

「ふむ。先程少し君達の立ち会いを見させてもらってね。簡単に言うと、才能を感じてね。よければこの村にいる間、私が剣を教えてあげようか、と」

「……アンタ、剣士……なのか?」

 クリスの警戒心が、少しだけ変化する。

「まぁ、そんなとこかな」

「強いのか?」

「試してみるかい?」

 そう言うと、男は腰に提げていた本物の剣を抜き、クリスの足元へと投げ渡した。そして自分は、近くに落ちている一本の木の枝を拾い上げる。

「さぁ、どこからでもおいで」

 男は木の枝を剣に見立てて構えた。ただの木の枝だというのに、それが立派な名剣に見えるほど、その姿は洗練されており、一切の隙がなかった。

 クリスも相手から視線を逸らさず、足元に投げられた剣を拾い上げる。

「フン、後悔するなよ!」

 おそらく初めて握るであろう真剣を勇ましく構え、クリスは男に向かって斬りかかった。


 ***


「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」

 地面に大の字になり、クリスはよく晴れた空を見上げて荒い息を吐いていた。

「いやはや、素晴らしいよ君! その歳でその剣をそこまで使えるとは、やはり才能があるね」

 男はクリスとは対照的に、息一つ乱さず、笑顔で見下ろしていた。

「よく言うよ……。アンタ、最初の位置から一歩も動いてないだろ。クソッ、動かすことすらできなかった……」

「そうだね、確かにそうだが、君の才能は本物だよ。ちゃんとした師に出会えれば、君はもっと強くなれる」

「……あ、あの」

 二人のやりとりを少し距離を取って見ていたセラが、おずおずと男に近づき、話しかけた。

「ぼ、僕とも勝負して、くれま、せんか?」

 男は優しい笑みを浮かべた。

「もちろんだとも!」

 数分後。

「ハァ、ハァ……」

 クリス同様、地面に大の字になるセラ。やはり全く歯が立たなかったが、なぜか胸の奥には不思議な充足感があった。

「まさか、この子もこれほどの才能とは……。どうだい? さっきも話したが、私の弟子にならないかい? この村にいる間の、期間限定だが……」

 クリスは心配そうにセラに付き添っていたが、スッと立ち上がり、男の前に進み出て深く頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

 男は笑みを浮かべ、セラに視線を移す。

「君は、どうする?」

 セラはまだ立ち上がれず、大の字になったまま叫んだ。

「お、お願いします!」

「よし! じゃあ修行は早速明日から始めよう! あ、私の事は『師匠』と呼ぶように」

 師匠は少しだけ目を細め、フッと口角を上げた。それが、地獄のような修行の日々の始まりだった。

 翌日から、師匠は毎日孤児院を訪れては、セラたちに剣を教えるようになる。

 遊びの延長だった木の枝の振り合いは、すぐに木剣を使った実戦さながらの厳しい訓練へと変わった。

「腕を上げるな! 脇を締めろ! 腕だけで振ろうとするな!足を使え!」

 師匠の叱咤が飛ぶ。

 クリスの才能は、その頃から群を抜いていた。どんなに厳しい型も一度見れば自分のものにし、大人顔負けの鋭い一撃を繰り出していく。一方のセラは、筋力も魔力もなく、いつもクリスの後ろを追いかけるのが精一杯だった。

 泥にまみれ、全身を打ち身だらけにして、それでも二人は笑っていた。

 訓練のあとに師匠が持ってきてくれる、名前も知らない国の甘い菓子を三人で分かち合って食べる時間が、何よりも贅沢だった。

「そう言えば、聞いたことなかったが。クリス、セラ。君達はなぜ剣を使えるようになりたいんだい?」

「……俺は戦争で家族を魔族に殺された。友達も……。目の前で何もかも失って、正直、世界なんてどうでもいいって思ってた。でも、木漏れ日の家に来て、皆と会って、今度こそ守りたいって、失いたくないって思ったんだ。強くなりたい。そして、世界中から俺のような悲しみを失くしたい。その為に……俺は、魔王を倒したい」

 星空の下、クリスが真剣な顔で師匠に夢を語った。

 セラはその横で、必死にお菓子を貪っていた。師匠はクリスの頭を乱暴に撫で、それからセラの方を見て静かに言った。

「セラ。君はどうなんだい?」

 頬張っていたお菓子を無理くり飲み込み、少しむせりながらセラは答える。

「ぼ、僕は、クリスと一緒にいたい。ずっとクリスと一緒にいられるように、強くならないとって……思って」

 師匠は「そうか」と優しくセラの頭を撫でた。

「セラ。お前にはクリスのような派手な才能はないかもしれない。だが、お前の剣には、相手を思いやる『優しさ』が宿っている。それはいつか、どんな鋼よりも強い刃になるだろう」


 ***


「師匠。正直に答えてほしいんだけど……」

 修行の帰り道。すっかり寝てしまったセラを背中に背負いながら、クリスがゆっくりと話し始めた。

「俺は、セラが本気を出したら、俺より断然強いと思ってるんだけど。師匠はどう思う?」

「……気付いていたのかい?」

「うん。セラは優しいから、本気になる事なんてないかもだけど、手合わせしてて、なんとなく……」

「そうだね。君達の伸び代は計り知れないから断言はできないが、おそらく……クリス、君よりセラの方が強いだろうね」

「……やっぱりね」

 そう言うと、クリスは少し俯き、苦笑いをした。

「悔しい……かい?」

「……全く悔しくないって言えば嘘になるけど。正直、師匠が俺と同じ考えで嬉しい気持ちの方が強いかな。それに、俺はいつかセラよりも強くなって、セラをずっと守ってみせるから」

「そうだね。君にはセラが、セラには君が必要だ」

 師匠とクリスの会話を、夢現ゆめうつつにセラは聞きながら眠っていた。

 剣一本で世界を変えようとするクリスの背中を支え、共に歩んでいく。それがセラの、たった一つの、生涯を懸けた夢になったのだ。


 ***


 ……今の僕の剣には、あの頃師匠が言ってくれた『優しさ』なんて、一欠片も残っていないかもしれない。

 セラは自嘲気味に笑い、重たい空の下、人気のない路地裏へと足を進めた。

 あの温かな孤児院も、尊敬していた師匠も、そして唯一無二の親友だったクリスも。

 すべてが、遠い過去の幻のように感じられていた。


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