第27話 カウントダウン
深い森の木々が、夕刻の斜光によって長く不気味な影を地面に落としていた。
王都から遠く離れたこの静謐な森の中に、周囲の風景とはおよそ不釣り合いな、硬質な金属の擦れる音が響く。蒼天の天秤騎士団・特務部隊の分遣隊――ルカ・ロスティが率いる十数名の精鋭騎士たちが、獲物を狙う獣のような静けさで待機していた。
そこには、クリスと共に騎士団入りした旧【正義の剣】のメンバー、シグマやクロエ、ノアの姿はない。彼らはまだ、少し離れた後方の『作戦待機所』で、クリス本隊と共に開始時刻を待っているはずだった。
そう、ルカは「事前の偵察」などと適当な理由をつけて、自身に賛同する部下だけを連れ、クリスの許可なく密かに陣を抜け出してきたのだ。
「……みんな、よく聞いて」
静寂を破ったのは、ルカの鈴を転がすような明るい声だった。
彼女は愛用の投剣を指先で弄びながら、並み居る騎士たちを振り返る。その瞳には、一点の曇りもない。あるのは、クリスという存在に対する狂信に近い、純粋な崇拝だけだった。
「私たちのクリス隊長はね、本当に、本当にお優しいお方なの。あの方は、自分が泥を被ってでも誰かを救おうとする、本物の『正義』を体現したような人」
ルカの声に、騎士たちが静かに頷く。彼らにとっても、圧倒的な実力を持ちながら常に部下を気遣うクリスは、命を預けるに値する理想のリーダーだった。
「でもね、今回の任務……隊長は、本当はとても心を痛めていらっしゃるわ。相手がどんなに醜い大罪人でも、魔族と通じた国家反逆者でも、ご自分の剣で『村を焼く』という行為に、あの方は耐え難い躊躇いを感じておられる」
ルカはそこで言葉を切り、悲しげに瞳を伏せた。だが、すぐに顔を上げた彼女の瞳には、危うい光が宿っていた。
「そんなの、あんまりだと思わない? 誰よりも正しく、美しい心を持つ隊長に、そんな汚らしい役目を背負わせるなんて……そんなの、あっていいはずがないわ。……ねえ、そうでしょう!?」
「「「…………!!」」」
騎士たちが顔を見合わせ、その胸に歪んだ使命感が灯る。ルカの言葉は、彼らの忠誠心を煽り、判断力を奪っていく。
「だから! 隊長が本隊を率いて到着する前に、私たちが全部終わらせておきましょう! 隊長が剣を抜かずに済むように、隊長の手を汚させず、その心を傷つけさせない……! 汚れ仕事は、全部私たちが引き受けるの。それこそが、部下である私たちの本当の『正義』だと思わない!?」
「……おおおっ!!」
「ルカ殿の言う通りだ! 隊長をお守りするぞ!」
騎士たちの士気が、一気に跳ね上がる。
彼らにとって、これはもはや軍事作戦ではない。尊敬するリーダーの「心」を守るための、至高の献身へとすり替わっていた。
「ふふっ、そうこなくっちゃ! さあ、行きましょう。反逆者たちを一人残らず制圧して、魔族の穢れを浄化するのよ。隊長が到着した時に、最高の笑顔で『任務完了です』って報告できるように!」
茶色のショートボブを跳ねさせ、ルカは誰よりも先に森を駆け抜けた。
作戦開始まで、あと一時間。クリスが村に到着する頃には、すべてを『綺麗に』片付けておく。
そんな、恐ろしいほどに無邪気な願いを胸に、彼女たちは安らかな眠りにつこうとしていた陽だまりの村へと、その牙を剥いた。
――その、わずか数十分後。
夕闇に包まれ始めた陽だまりの村に、引き裂くような絶叫と、不吉な赤い火の手が上がった。
「な、なんだ!? お前たちは……何を、何をするつもりだっ!!」
異変に気付いて家から飛び出してきた一人の猟師の男が、村の入り口で呆然と立ち尽くす。彼の視線の先では、蒼い鎧を纏った騎士たちが、無抵抗の村人を次々と組み伏せ、あちこちの家屋に火を放っていた。
「動かないで。おとなしく投降すれば、あまり苦しまずに済ませてあげるから」
背後からかけられた冷ややかな声に、男が振り返る。
そこには、松明の炎に照らされたルカが、とびきり可愛らしい笑顔で立っていた。
「お、お前たち、騎士団だろう!? なぜこんなことを……俺たちが何をしたっていうんだ!」
「往生際が悪いわね。魔族と通じて、禁忌の薬物を作っていたことは分かっているのよ。……それとも、魔族に魂まで売っちゃうと、罪の意識まで消えちゃうのかしら?」
「何を……魔族だと!? そんなの、身に覚えがない! 嘘だ!!」
男が必死に叫び、逃げ出そうとしたその瞬間。
ルカの手から放たれた投剣が、空気を切り裂く鋭い音と共に男の脚を正確に貫いた。
「ぎゃああああっ!!」
地面に転がり、血に染まった脚を押さえて悶絶する男。その姿を見下ろしながら、ルカはゆっくりと、まるで散歩でも楽しむような足取りで歩み寄る。
「逃げようなんて無駄よ。……ああ、でも安心して。あなたはまだ死なせないわ。隊長に、ちゃんと成果を見せなきゃいけないもの」
ルカは倒れ伏した男の髪を乱暴に掴み上げ、無理やりその顔を炎上する村へと向けさせた。
「見て。とっても綺麗でしょう? 悪いものを全部焼き払えば、ここもきっと、本物の『陽だまりの村』になれるわ。私たちの隊長が、安心して笑えるような……そんな綺麗な場所にね」
「……あ、悪魔だ……お前ら、狂ってる……ッ!!」
男の呪詛のような呟きを聞いても、ルカの表情はピクリとも動かない。
彼女はただ、眩しいほどの笑顔で、けれど瞳の奥には底知れぬ漆黒の闇を宿したまま、手にした剣をゆっくりと振り上げた。
「大丈夫。これは全部、正義のために必要なこと。……隊長の平和のために、必要な犠牲なんだから」
夕闇が完全に夜へと沈む中、陽だまりの村は真っ赤な火柱によって赤々と照らし出されていく。
立ち上る黒煙。逃げ惑う人々の悲鳴。そして、正義を盲信する者たちの冷酷な行進。
それが、一分一秒を争って馬を走らせるセラと、何も知らずに本隊を率いて近づくクリス。
二人の少年の運命を、取り返しのつかない形で引き裂く――終わりへのカウントダウンだった。




