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第23話 手紙②

 陽だまりの村を後にしてから、さらに三ヶ月の月日が流れた。

 あの日、ギルドの個室で非情な宣告を受け、すべてを失った日から数えれば、すでに九ヶ月という長い時間が過ぎ去っている。

 二人が身を寄せる港町『シーレイン』は、今日も昼間から潮の香りと活気に満ちていた。

 穏やかな土の匂いに包まれていた陽だまりの村とは真逆の、荒々しくも生命力に溢れたこの街で――。

 この三ヶ月間、セラは完全に剣士としての生気を取り戻していた。

 港を脅かす海生のモンスター――サハギンや巨大な甲殻類の討伐など、ギルドに張り出される厄介な依頼を次々とこなし、今やこのシーレインの街でもすっかり街の人々に頼られる存在になっていた。


 魔族の少女・フィリーの襲撃を経て、セラの剣にはかつてのような「迷い」がない。

 傷つけることを恐れるだけの優しさを捨て、大切なものを「護る」ための峻烈な刃として、その無銘の長剣は迷いなく振るわれている。

 昼間、潮風に吹かれながら港の子供たちに剣の型を教えて笑う彼の横顔は、本当にたくましくなったと、傍らで見守るマリーも実感していた。

 ――しかし。

 昼間の喧騒が嘘のように、夜のとばりが下りたシーレインの街は、果てしなく続く波の音だけが響く、静寂と孤独の空間へと姿を変える。

 海を見下ろす宿屋の一室。

 セラが別の部屋で深い眠りについている深夜。マリーは窓辺の小さなテーブルに頬杖をつき、揺らめくランプの微かな灯りを見つめていた。

 開け放たれた窓からは、冷たい夜の潮風が吹き込んでくる。

 コツ、コツ、と。

 不意に、窓枠を叩く小さな音がした。

 マリーが視線を向けると、そこには闇夜に溶け込むような漆黒の羽を持った一羽の小鳥――彼女の魔術によって編み出された伝書鳥の使い魔が、静かに羽を休めていた。

「……ご苦労様。いい子ね」

 マリーは使い魔の頭を人差し指で優しく撫でると、その細い足に結びつけられていた、羊皮紙の筒を解き取った。

 王国最高峰の厳重な封蝋。

 それを丁寧に、破かないようにそっと剥がし、丸まった羊皮紙をテーブルの上に広げる。

 そこには、どんなに血生臭い戦場にいても決して乱れることのない、持ち主の生真面目さを表すような端正な文字が、びっしりと書き込まれていた。

『――マリーへ。

 無事に、全員が蒼天の天秤騎士団の入団試験に合格したよ。

 俺が特務部隊の隊長に任命され、シグマ、オメガ、クロエ、ノアの四人も、それぞれ各部隊の要職に就くことが決まった。

 今は息つく暇もなく、各地の凶悪なモンスターの討伐や、裏社会の治安維持など、騎士団の中でも最も過酷な任務にあたっている』

 そこまで読んで、マリーはフッと小さく笑みをこぼした。

 異例中の異例。かつての冒険者パーティーが、揃って王国最強の騎士団の要職を独占するなど、歴史上でも類を見ない快挙だ。

 だが、彼らの規格外の実力を知るマリーからすれば、それは当然の結果でもあった。

 しかし、文面から滲み出る現実は、決して栄光に満ちた輝かしいものだけではない。

 手紙に書かれている『特務部隊』。それは表向きの華やかな騎士の仕事ではなく、国家の暗部を担い、泥と血に塗れながら秘密裏に敵を排除する、文字通りの『修羅の道』であることをマリーは知っていた。

『過酷な任務の連続で、シグマたちもさすがに音を上げそうになる時があるが、それでも誰一人として歩みを止めようとはしない。

 俺たちは、あいつの分まで、この国の闇をすべて切り伏せる。

 マリー。君が傍にいてくれないことだけが、今の俺にとって唯一の弱点かもしれないな』

 一切の弱音を吐かないクリスが、手紙の端にだけこぼした、本音の数行。

 マリーは文字をなぞりながら、胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。

 悪役の泥を被り、親友を追い出してまで守りたかったもののために、彼は今、一人でどれほどの重圧と戦っているのだろうか。

 会いたい。今すぐ飛んでいって、その傷だらけの背中を抱きしめてあげたい。

 だが、彼女にはここで、セラを護るという絶対の使命がある。

 マリーはゆっくりと息を吐き、手紙の最後の一文へと視線を落とした。

 そこには、これまでよりも少しだけ筆圧を弱めたような、どこか祈るような優しい文字が並んでいた。

『――セラは、まだ笑えているか?

 そっちの村は平穏なようだから、安心しているよ。土をいじり、子供たちと笑い合うあいつの姿が目に浮かぶようだ。

 どうか、あいつを頼む。そしてマリー、君も絶対に無理だけはしないでほしい。

 愛を込めて。クリス』

 その言葉を目にした瞬間。

 マリーの瞳から、ポロリと一粒の涙が零れ落ち、古い木のテーブルに小さな染みを作った。

「……バカね。自分の心配をしなさいよ……」

 マリーは小さくため息をつきながら、震える手で羊皮紙を胸に抱きしめた。

 クリスは何も知らない。

 彼が「平穏で安全だ」と信じて疑わないあの陽だまりの村が、強力な魔族によって襲撃されたことも。

 セラを名指しで狙う謎の組織が存在し、二人がすでに村を追われ、再び追われる身としてこの港町に身を潜めていることも。

 何もかもを、マリーは彼に隠蔽して手紙を書いていた。

 血生臭い王都で、己の身を削りながら修羅の道を歩むクリスに、これ以上の心労をかけるわけにはいかない。

「あいつの平穏が守られている」という事実だけが、今のクリスが正気を保つための、たった一つの命綱なのだから。

 だから彼女は、愛する男を護るために、最も残酷で優しい『嘘』をつき続ける。

「……大丈夫よ。セラは私が、絶対に護り抜いてみせるから」

 マリーは涙を拭い、引き出しから新しい羊皮紙と羽ペンを取り出した。

『――ええ、セラは今日も、村の子供たちと泥だらけになって笑っていたわ』

 決して震えないように、愛する人を安心させるための、完璧な偽りの日常を綴っていく。

 静かな夜。

 窓の外、月明かりに照らされて白く波打つ見知らぬ街の海を見下ろしながら。

 マリーは遠く離れた王都で戦う恋人の無事を、ただひたすらに、静かに祈り続けていた。

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