第20話 第二の故郷
上空から強襲した魔族・フィリーの襲撃を辛くも退けた、その日の夜。
静寂を取り戻した村長の家の居間では、囲炉裏の火がパチパチと爆ぜる音だけが重く響いていた。
赤々と揺れる火を挟んで、セラとマリー、そして深く皺の刻まれた顔を沈痛な面持ちで伏せる村長の三人が、重苦しい沈黙の中で向かい合っていた。
「……村長さん。本当に、申し訳ありませんでした」
セラは板張りの床に両手をつき、額が床に触れるほど深く、深く頭を下げた。
「顔を上げておくれ、セラ。お前さんたちが戦ってくれなかったら、村はどうなっていたか……。謝るのは、むしろ守ってもらった我々の方じゃよ」
「いいえ。あの魔族は、明確に僕を狙ってやって来ました」
セラの言葉に、村長はハッと息を呑んだ。
「僕がこの村に留まり続ければ、いつか必ず、また別の刺客が現れるかもしれません。今日の被害は広場の一部だけで済みましたが、次はどうなるか分からない。……僕がここにいれば、いつか必ず、この大切な村を、皆さんの命を、取り返しのつかない危険に巻き込んでしまう」
セラの悲痛な言葉に、村長は寂しそうに、けれどすべてを理解したようにゆっくりと目を伏せた。
村人たちは誰一人として、災厄を招いたセラを恨んでなどいない。むしろ、フォレストウルフの群れから子供たちを救い、身を挺して村を守ってくれた命の恩人として、心から感謝し、いつまでもここにいてほしいと願っている。
だが、セラの「もう二度と、大切な人たちが理不尽に傷つく姿を見たくない」という強すぎる優しさが、彼自身に、この温かい村を離れるという過酷な決断をさせてしまったのだ。
「……行くんだね」
「はい。半年という短い間でしたが、本当に……本当にお世話になりました。皆さんが僕にくれた、この『陽だまり』の温かさは、絶対に一生忘れません」
セラは真っ直ぐに村長を見つめ、決意に満ちた瞳でそう告げた。
――翌朝。
朝霧がまだ晴れきらない、冷涼な空気が立ち込める頃。
最低限の荷物と無銘の長剣を背負ったセラと、旅装束に身を包んだマリーが村の出口へと向かうと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
出立の時間は誰にも伝えていなかったはずなのに、広場には朝早くから村人全員が集まり、二人の門出を見送るために待っていたのだ。
「セラお兄ちゃん……っ! 行かないでよぉ……っ!」
人混みを掻き分けて飛び出してきたレンが、大粒の涙をボロボロとこぼしながらセラの足にすがりついた。その小さな温もりに、セラの胸が締め付けられる。
セラはゆっくりと膝をついてレンと同じ目線になると、泥だらけの頭をポンポンと優しく撫でた。
「ごめんね、レン。でも、お兄ちゃんには、どうしてもやらなきゃいけないことができたんだ」
「う、うわぁぁぁん……っ! ぜったい、ぜったいまた帰ってきてねぇ……っ!」
「うん、約束するよ。レンも、お母さんの言うことをよく聞いて、立派な男の子になるんだよ」
レンを抱きしめ、母親たちから手渡された保存食や水筒をありがたく受け取る。
村人たちとの涙と笑顔に包まれた別れを終え、二人は何度も何度も振り返りながら、朝日に照らされた村を背にして歩き出した。
村が見えなくなる丘の上まで来たとき、マリーは前を歩くセラの背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……本当によかったの? セラ」
「うん。僕のせいで、あの温かい場所を壊すわけにはいかないからね。……ね、マリー。すべてが終わって落ち着いたら、またあの村に行きたいな」
「そうね。必ず行きましょう」
マリーは優しく微笑んで頷いた。
帰る場所がなかった自分に、第二の故郷と呼べる場所ができた。いつか帰りたいと心から思える場所ができた事が、セラはたまらなく嬉しかった。
なぜ強大な魔族が自分を名指しで襲ってきたのか。フィリーの口にした『あの方』とは一体何者なのか。
謎は深まるばかりで、これから歩む道が平坦ではないことは分かっている。だが、前を向き進むセラの瞳には、半年前にすべてを失った時の暗い迷いは、もう微塵もなかった。
再び血と鉄の匂いが立ち込める戦いの世界へと身を投じることを決意した少年と、彼を絶対に見捨てず支え続ける女剣士。
二人の新たな旅が、静かに、けれど確かな熱を帯びて幕を開けた。
――はずだったのだが。
「……あれ?」
街道をしばらく歩いていたセラが、不意にピタリと足を止め、何か重大なことに気づいたようにハッとしてマリーを振り返った。
「どうしたの?」
「そう言えば、僕たち……元々、当面の路銀を稼ぐためのクエストでこの村に来たんだよね? なのに、一度もギルドに達成報告に行ってないじゃないか。ってことは、僕たち、これから旅に出るのにお金がないんじゃ……!?」
真っ青な顔で慌てふためくセラを見て、マリーは「ああ、そのこと」と涼しい顔で答えた。
「それね。セラが村の畑仕事に夢中になってる間に、私がちょくちょく街のギルドに出向いて、報告して報酬を受け取ってたから、お財布の心配は大丈夫よ」
「えっ! ちょくちょく行ける距離じゃ……あ、でもマリーの足なら、でも半日くらいかかるんじゃ……」
「そこは心配ないわ。乗り合い馬車を使ったもの」
「あー……なるほど、馬車ね。……って、えっ?」
「それに、そもそもパーティーを抜ける時に、今までの私たちの貢献度に見合うだけの当面の生活費は、正当な権利として持ち出してきたから、当分遊んで暮らせるくらいには貯金もあるしね」
事もなげに言い放つマリーの言葉に、セラは完全にフリーズした。
「……え? じゃあ、そもそも……路銀稼ぎにわざわざあの村でクエストをやる必要なんて、最初からなかったんじゃ……」
身も蓋もない真理に気づいてしまったセラに対し、マリーは悪びれる様子もなく、茶目っ気たっぷりにパチンとウインクをして見せた。
「ま、いいじゃない! 細かいことは気にしないの。結果的に、あんなに素敵な出会いと、帰る場所ができたんだから。ね?」
それを聞いたセラは、一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐに毒気を抜かれたように吹き出した。
そして、いつもの太陽のような柔らかい笑顔に戻って、深く、力強く頷いた。
「うん、そうだね! ありがとう、マリー!」
二人の笑い声が、澄み渡る青空の下の街道に明るく響き渡った。




