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第19話 魔族

 フォレストウルフの群れとの凄惨な死闘から、数日が流れた。

 セラの右腕に刻まれていた深く凄惨な傷跡は、マリーの付きっ切りの治癒魔術によって完全に塞がり、今では薄っすらとした傷痕すら残っていない。

 村には再び『陽だまり』と呼ぶにふさわしい、穏やかで平和な日常が戻ってきていた。

 その日の午後も、雲一つない澄み切った青空の下で、セラは村の子供たちとかけっこをして笑い合っていた。

「ははは! ほらレン、こっちだよ!」

「あーっ! セラお兄ちゃん待てー!」

 楽しげな子供たちの声が響く。広場のベンチでは、村の母親たちが微笑ましそうにその光景を見守っていた。

 すべてが平和で、誰もがこの優しい時間が明日も明後日も続くと信じて疑わなかった、その時だった。

「――ふふっ! 見ーつけたっ。キミが『セラ君』かぁ~」

 不意に。

 本当に唐突に、上空から鈴を転がすような、場違いなほど軽やかで愛らしい少女の声が響いた。

 村人たちが何事かと一斉に空を見上げた次の瞬間、太陽の光を背にして、一人の少女がふわりと広場の中央へと舞い降りた。

 身に纏っているのは、おとぎ話のお姫様のような、豪奢なフリルをあしらった漆黒のドレス。髪は愛らしいツインテールに結われ、まるで精巧なビスク・ドールのような可憐な容姿をしている。

 しかし――その白い額から生える、禍々しく捻れた漆黒の二本の角と、背中でパサリと羽ばたくコウモリのような巨大な翼が、彼女が決して人間ではないことを残酷なまでに証明していた。

「なっ……魔族……!?」

 背筋を凍らせるような邪悪な気配を察知し、セラは子供たちを庇うように一瞬で前に出ると、背負っていた無銘の長剣を抜き放ち、鋭く構えた。

 敵意を剥き出しにするセラを見て、魔族の少女は一切の恐怖を感じる様子もなく、クスクスと楽しそうに笑う。

「はじめまして、セラ君。私はフィリー!」

 少女――フィリーは、スカートのフリルをちょこんとつまみ上げ、まるで舞台俳優が観客に挨拶をするかのように、恭しく、そして可憐に会釈をした。

「フィリー……? 目的は何だ。魔族がなぜこんな辺境の村に」

 セラが剣の切っ先を向けたまま低く問いただすと、フィリーは「えー?」と小首を可愛らしく傾げた。

「目的? そんなの決まってるじゃない。君に会いに来たのよ」

「僕に……?」

「そう! あのね、私の大好きな『あの方』がね、最近ずーっとあなたのことばっかり気にするから、私、ちょっとヤキモチ焼いちゃったの!」

 フィリーは両手を頬に当て、恋する乙女のように身をくねらせてから、突然、ニチャリと歪んだ笑みを浮かべた。

「だ・か・ら、ちょっとだけ君に意地悪しちゃおうと思って来たわけ!」

「……あの方……?」

 セラの疑問の声を掻き消すように、フィリーの頭上に、周囲の空気を歪ませるほどの圧倒的な熱量を持った、無数の巨大な炎の槍が顕現する。

「死んじゃったらごめんねぇ〜! 《紅蓮業火フレア・パニッシュ》!!」

 少女が満面の笑みで腕を振り下ろすと同時に、空を覆い尽くすほどの炎の雨が、逃げ惑う村人たちのいる広場へと容赦なく降り注いだ。

「させないっ……!!」

 セラは一瞬で広場の中央へと飛び出し、迫り来る炎の雨に向けて剣を振るった。

 神速の銀の閃光が、巨大な炎の槍を次々と空中で斬り裂き、軌道を逸らして弾き飛ばしていく。

 しかし、剣を通して伝わってくる少女の魔力は、完全に常軌を逸していた。

(くそっ……なんて重い魔力だ……! ただの炎じゃない。この魔族特有の粘り気のある高密度の魔力……魔術の質や属性こそ違うが、魔力総量だけなら、クロエに匹敵するんじゃないか……!?)

 かつての仲間であり、自称最強の魔術師であったクロエの顔が脳裏をよぎる。それほどの化け物が、なぜこんな辺境の村に現れたのか。

 炎を弾き落とすたびに、セラの手首にはビリビリと痺れるような凄まじい反動が伝わってくる。

(マズい……。僕一人なら躱せるが、これ以上この広場で戦えば、弾き飛ばした炎で村の被害が広がる……!)

 セラが村人を背に庇い、防戦一方で後退りしかけた、その時だった。

「――下がって、セラ!」

 セラの真横から、眩いエメラルドの光が放たれた。

 膨大な魔力を宿した風の障壁が、広場の上空を覆い尽くし、降り注ぐ残りの炎をすべて包み込んで完全に相殺した。

 レイピアを構え、セラの隣に並び立ったのは、マリーだ。

「あれ? 私の炎が消えちゃった……ふ~ん、お姉さん、やるじゃない! でも、二人掛かりでもそんなもん?」

「マリー!」

「ええっ!」

 フィリーが小首を傾げたその瞬間。

 セラの鋭い呼応と同時に、マリーがレイピアを真っ直ぐに突き出し、圧縮された疾風の突きを放つ。

「おっと!」

 フィリーは即座に不可視の魔力障壁を展開し、マリーの一撃を正面から受け止めた。だが、元Sランクの放つ極大の風圧は伊達ではない。その圧倒的な威力に押し込まれ、フィリーの小さな体は宙を舞い、村の入り口の外側まで大きく吹き飛ばされた。

「ありゃりゃ、村から出ちゃったわ」

 空中で体勢を立て直し、フィリーが防御の障壁を解いたその瞬間――。

 彼女の目の前には、すでに猛烈な速度で踏み込んできたセラが迫っていた。

「ウソ! はやっ!?」

「ハァァァッ!!」

 驚愕するフィリーに対し、間髪入れずにセラが剣を一閃する。完全に胴体を捉えたと思われた必殺の一撃だったが――。

 ガチンッ……!!

 硬質な金属同士がぶつかり合うような鈍い音を響かせ、セラの刃は、フィリーが展開した高密度の魔力障壁に再び阻まれていた。

(あっぶな〜。この子、いつの間にここまで来てたの!?)

 冷や汗を流すフィリー。だが、セラの攻撃は一撃では終わらない。

「まだまだっ!!」

 セラの斬撃が、嵐のような連撃となってフィリーの障壁に叩き込まれる。

 上、下、右、左。息もつかせぬ神速の剣閃に、さしものフィリーも反撃の隙を奪われ、防戦一方となる。

(……この子、ただ速いだけじゃない。剣が重いっ! あ、ヤバっ、障壁にヒビが……!)

 セラの猛攻に耐えかね、ついにフィリーの絶対的な障壁にピキリと一本の亀裂が走る。

 その瞬間、セラが意図的に剣の軌道を変え、天高く大きく飛び上がった。

 フィリーの視線がセラの動きを追い、一瞬だけ上を向いた、まさにその絶好の隙。

「ゲイル・スラスト!!」

 死角となっていた、セラの飛び上がった直後の真後ろの空間から、マリーの放つ渾身の疾風の一撃が、フィリーの眼前に迫っていた。

 長年Sランクパーティーで培ってきた、視線すら交わさずに成立する完璧なコンビネーション。

(あ、コレ、マズい――)

 ズドォォォォォンッ!!!

 フィリーの焦る声は、天地を揺るがすような巨大な爆音にかき消された。

 強烈な風の魔術が炸裂し、凄まじい土煙が周囲一帯を包み込む。

 やがて、マリーの放った乱流が、もうもうと立ち込める土煙を晴らしていく。

 そのクレーター状にえぐれた地面の中央には巻き上げられた砂埃を全身に被ったフィリーが、平然と立っていた。

「けほっ、けほっ……あ~あ! せっかくのお気に入りの服だったのに〜、埃まみれになっちゃったじゃない!」

 避けられるはずのない、完璧に入ったマリーの得意技。

 それをほぼ無傷で耐えきったフィリーは、ダメージを受けた様子もなく、おちゃらけた様子でドレスの埃をポンポンと払っている。

「……退きなさい。これ以上この村を荒らすというのなら、次は容赦はしないわよ」

 マリーはレイピアの切っ先をフィリーに向け、一切の感情を排した冷たい声で警告した。セラの剣も、いつでも次の連撃を叩き込めるよう、静かに殺気を放っている。

「あはは! 怖い怖いっ! でも、そうね、今日はこれくらいにしておいてあげるわ!」

 二人の底知れぬ実力と本気の殺気を感じ取ったのか、少女はパサリとコウモリの翼を広げ、再び上空へと軽やかに舞い上がった。

「あの方に、いい報告ができそう! それじゃあね、セラ君! ばいばーい!」

 少女は楽しそうにウインクを一つ残すと、空の彼方へと一瞬にして消え去っていった。

 残されたのは、マリーの防壁から漏れた炎で一部が黒焦げになった広場と、恐怖に震え、その場にへたり込む村人たち。

 奇跡的に負傷者こそ出なかったものの。

『セラを探す強力な魔族に居場所を知られ、襲撃された』という残酷な現実が、平和を取り戻したばかりの陽だまりの村に、再び暗く、冷たい影を落としていた。

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