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第18話 決意

 運命の扉が開かれる時が来た。

 王都の象徴、白亜の城の最奥に位置する『蒼天の天秤騎士団長室』。

 この場所で行われる最終試験は、実技でも筆記でもない。騎士団の頂点に君臨する三人の最高幹部との「面談」――すなわち、騎士としての魂の在り方を問う、最も過酷な審判であった。

 重厚な石造りの廊下に、クリスの軍靴の音が静かに響く。

 入団試験開始から三ヶ月。セラを追放してから半年という月日を、クリスはただひたすらに血と汗に塗れて駆け抜けてきた。異例のスピードで最終試験まで登り詰めた彼を待つのは、王国最強の武を誇る三つの頂だった。

 現騎士団長、シュウ。史上最年少で団長に就任した、当代随一の天才剣士。

 副団長、エイル。冷徹な戦術眼を持ち、数々の戦局を覆してきた稀代の軍師。

 そして――前団長、ランドルフ。数多の英雄譚の中心にあり、無敗を誇る伝説の『剣聖』。

 クリスも冒険者時代からその名こそ知ってはいたものの、実際に顔を見る機会などなく、彼らと対面することは、一般の冒険者にとっては神話の住人と会うに等しい出来事だった。

 クリスは扉の前で立ち止まり、一つ深く、肺を凍らせるような冷たい空気を吸い込んだ。

 マリーからの手紙によってかろうじて繋ぎ止められていた心の一部が、戦士としての覚悟によって再び硬い仮面で覆われる。

「……行くぞ」

 彼は覚悟を決め、その精緻な装飾が施された両開きの重い扉を、全身の力を込めて押し開けた。

 ズズッ……と重苦しい音を立てて、ゆっくりと扉が開く。

 広い室内には、高級な香木を焚いたような厳かな香りが漂っていた。クリスは静かに歩みを進め、部屋の上座に並んで腰掛ける三人の面接官の前にたどり着く。

 許可なく顔を上げることは、騎士の礼節において不敬とされる。

 クリスは視線を足元の冷たい石床に落としたまま、その場に深く、音を立てずに片膝をついた。

「お初にお目にかかります。クリス・フィンリードと申します」

 静まり返った部屋に、クリスの鍛え抜かれた声が凛と響き渡る。

 その直後。

 ギシッ、と。

 微かな椅子の軋む音が聞こえた。正面の中央に座していた人物――おそらくは現団長シュウであろう男が立ち上がり、ゆっくりとした足取りでクリスへと近づいてくる。

 上質なマントが床を擦るわずかな音が、クリスのすぐ目の前で止まった。

「――久しぶりだね、クリス。ずいぶん立派になったじゃないか」

 その声を聞いた瞬間、クリスの背筋に激しい衝撃が走った。

 予想だにしていなかった、どこか懐かしく、そして何よりも気さくな響き。

 クリスは礼節すら忘れ、弾かれたように顔を上げた。だが、その無作法を不敬と咎める者はこの場にはいなかった。

「し、師匠……っ!?」

 クリスの目の前で、柔和な笑みを浮かべて立っていたのは――。

 かつて孤児だったクリスとセラの前に現れ、剣の基礎を、戦うことの厳しさを叩き込んでくれた恩師その人であった。

「ん? ああ、そうか。言われてみれば、私は君に名を伝えていなかったかな」

「あ、はい……! し、失礼いたしました!」

 驚きのあまり思考が停止していたクリスは、慌てて再び顔を伏せようとした。しかし、それを制するようにシュウが笑い、中央の椅子へと戻りながら告げた。

「よい。……おもてを上げよ、志願者クリス」

 その言葉は決して大きな声ではなかった。

 だが、部屋全体の空気を一瞬にして凍りつかせ、空間を圧し潰すような、重く低い覇道が響いた。

 クリスは本能的な戦慄と共に顔を上げ、声の主へと視線を向けた。

 シュウの右側。

 雪のような白髪と白髭を蓄え、威風堂々と椅子に腰掛ける老兵がいた。

 彼は鞘に収まった長剣を両手で掴み、それを杖のように床に突き立てている。

 ただ座っているだけ。それだけなのに、老人の周囲の空間は陽炎のように歪んで見え、肺が潰されそうなほどの凄まじい威圧感が部屋中に充満していた。

(……これが、剣聖ランドルフ様。……圧倒的だ。次元が違いすぎる……)

 ギルドの頂点に立ち、数多の死線を蹂躙してきたクリスですら、その瞳を向けられただけで全身の毛穴が逆立ち、生存本能が『絶対に勝てない』と強烈な警鐘を鳴らし続けていた。

「……ランドルフ様。志願者を威圧するのはそのあたりでよろしいのでは? それほどの闘気をあてられては、クリス君もまともに会話ができないでしょう」

 シュウの左側から、透き通るような美しい声音が響いた。

 そこにいたのは、騎士団には似つかわしくないほどに長身で線の細い、色白の美しい男。涼しげな瞳に知性を宿したその人物こそ、副団長エイルであった。

「……ククク。エイルよ、案ずるな。このわっぱ、ワシの闘気をまったく寄せ付けておらんわ。それどころか、ワシを自分と比較し、勝機があるか否か……そんな品定めをするような目をしておる。この肝の座り方、シュウ以来かの。……久しぶりに楽しみな若者が来たわい」

 先ほどまでクリスを射殺さんばかりに睨みつけていた剣聖が、一変して愉快そうに目を細めた。圧倒的な死の象徴から、まるで田舎の村にいる好々爺のような柔和な雰囲気に、瞬時にして空気を変えてみせたのだ。

「なにせ、私の自慢の弟子ですからね」

 シュウは誇らしげに頷き、再び椅子に深く腰掛けた。

「さて、クリス。本当に大きくなった。君たち【正義の剣】の活躍は、辺境の地からここ王都にまで届いていたよ。シグマやクロエ、他のメンバーも全員、最終試験まで残ったようだね。そのリーダーがあの時の君であること、私は心から誇りに思う」

「……ありがとうございます!」

 いつぶりだろうか。師匠と弟子という、絶対的な信頼関係を築いていたシュウを前にして、張り詰めていたクリスの表情がわずかに、氷が解けるように和らいだ。

 だが、その安堵は次の問いによって一瞬で打ち砕かれることになる。

「ところでクリス。今回の試験メンバーの中に……君に匹敵する剣技の使い手と噂のサブリーダーの女性と、セラの姿がないようだが? 何かあったのかい? よければ、私の前では一人の志願者ではなく、弟子として話してくれないか」

 シュウの瞳はどこまでも優しく、けれどすべてを見透かすように鋭かった。

 クリスの表情は一瞬にして絶望の色に染まり、暗い影が落ちた。シュウは、その僅かな心の機微を逃さなかった。

 自分を擁護するつもりはない。言い訳をするつもりもない。

 自分が悪となって背負うと決めた、あの日の決断。

 クリスは、自らがセラを拒絶し、パーティーから追放したその顛末を、一切の感情を排した声で、淡々と語り始めた。

 シュウは静かに頷きながら、クリスの言葉がすべて終わるまで、一言も遮らずに耳を傾けていた。

 やがてすべてを話し終え、クリスが力なく視線を落とすと、シュウはゆっくりと立ち上がり、再びクリスの元へ歩み寄った。そして、大きな手がクリスの震える肩に優しく添えられる。

「そうか……。辛い決断をしたんだね。君たちは昔から、血は繋がっていなくとも、本当の兄弟よりも強く深く結びついていたから。……セラも君に負けず劣らずの天賦の才があった。君たちが二人並んで、ここに来てくれることを願ってもいたが……」

「いえ。あいつは……セラは、本当は俺より強いです。……ですが……ッ」

 絞り出すようなクリスの声に、シュウは穏やかに首を振った。

「わかっているよ、クリス。あの子は、優しすぎるんだね。騎士団が足を踏み入れる世界は、ただ魔物を狩るだけの冒険者とは違う。意思疎通ができる魔族、そして時に人間同士の殺し合いすら避けられない、血生臭い深淵だ。そんな場所に、あの子の優しい魂を巻き込みたくなかった……。君のその献身は、痛いほど理解できる。私は、君のその決断を支持するよ。……本当によく頑張ったね、クリス」

 肩に添えられていた手がクリスの頭に移り、ポンポンと、幼い頃のように優しく撫でる。

 厳格な修行の合間に、上手くいってもいかなくても、いつもこうして褒めてくれた恩師の手の温もり。

 貧しくても、仲間たちと夢を語り合い、泥だらけになって笑っていた孤児院での日々が、一瞬にして脳裏に蘇る。

「……っ……う……」

 堪えきれず、クリスの瞳から熱い涙が、石床へとこぼれ落ちた。

 鉄の仮面を被り、悪鬼となって戦い続けてきた半年間の孤独が、師の言葉によって、ようやく一時の安らぎを得た瞬間だった。

「さて、クリス。最後に一つだけ質問をさせてくれ。君は蒼天騎士団に入り、何を成したい?」

 シュウの問いかけに対し、クリスの頬を伝っていた涙は、一瞬にして蒸発したかのように消えた。

 顔を上げた彼の瞳には、もはや先ほどの弱々しい青年の面影はない。

 その瞳は一切の光を拒絶するような、底知れぬ漆黒の闇の色を帯びていた。彼は真っ直ぐに、吸い込まれるような鋭い視線で、師匠の瞳を見つめ返した。

「俺は――魔王を倒します」

 その宣誓は、もはや少年の夢ではない。

 すべてを捨て、地獄の業火に身を投じた復讐者のみが放つ、確信に満ちた絶望の咆哮であった。


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