第17話 説教
凄惨な死闘を終え、夜の森に再び静寂が戻った。
セラとマリーは剣に付いた不浄な血を払い、群れの全滅を慎重に確認する。セラの右腕は、ウルフの牙によって深く抉られていた。マリーは手際よく自分の服の裾を裂き、セラの腕を簡易的に止血する。二人は互いに視線を交わし、子供たちを預けた『安全な合流地点』へと急ぎ足で向かった。
少し離れた森の入り口付近。そこには、松明を高く掲げて周囲を警戒する有志の村人たちと、彼らに守られるようにして身を寄せ合う子供たちの姿があった。
「セラさん! マリーさん! ご無事で……!」
闇の中から現れた二人の影を見て、村人たちが安堵の吐息と共に声を上げる。セラは自らの右腕の傷をマリーの影にさりげなく隠し、いつもの穏やかな、波一つない湖のような笑みを浮かべた。
「ええ、もう大丈夫です。群れは一掃しました。……さあ、村へ帰りましょう。お母さんたちが待っています」
その穏やかな言葉に促され、一行は夜の森を後にした。
――やがて、重なり合う木々を抜け、村の入り口を照らす大きな松明の灯りが見えた時。
今か今かと広場で待ちわびていた村人たちから、安堵と歓喜の悲鳴が上がった。
「レンッ! ああ、神様……っ! 生きててよかった……!」
「お母さぁぁん!」
親の顔を見るなり、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた子供たちは、堰を切ったように泣き出し、それぞれの母親の温かな腕の中へと飛び込んでいく。
一人、また一人と、無事に親子の再会が果たされ、村中が涙と笑顔に包まれる。それは、先刻までの地獄のような光景が嘘のような、あまりにも優しく、尊い光景だった。
「セラさん、マリーさん……! 本当に、本当に何とお礼を言っていいか……!」
レンの母親が、震える足で二人の前に進み出ると、そのまま地面に膝をついて深く頭を下げた。それを合図に、他の村人たちも次々と駆け寄り、口々に感謝の言葉を投げかける。
「頭を上げてください。みんなが無事に帰ってこれた、それだけで……本当に良かったです」
セラはホッと安堵の息をつき、優しく微笑もうとした。
――だが、その直後。
「……っ、痛……っ」
不意に、セラは小さく顔をしかめ、その場に膝をつきそうになった。
戦いが終わり、アドレナリンが急速に引いていくのと引き換えに、右腕に刻まれた深い噛み傷から、焼けるような激痛が凄まじい勢いでぶり返してきたのだ。
押さえていた布切れは既に赤黒く染まり、そこから漏れ出した鮮血がポタポタと、村の清潔な土へと滴り落ちる。
「……セラお兄ちゃん?」
母親に抱きしめられていたレンが、ふと顔を上げた。
明るい広場の灯りに照らされたセラの姿。その右腕は、衣服がボロボロに裂け、見るも無惨なほど赤く染まっていた。森の中では暗くて気づかなかった凄惨な傷跡が、光の下で初めて露わになったのだ。
「……あ……血、血がいっぱい……。お兄ちゃん、腕、どうしたの……?」
レンの顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「セラお兄ちゃん、僕を助ける時に……。僕のせいで、僕が言うことを聞かなかったせいで……っ。ごめんなさい……ごめんなさい!!」
事の重大さに気づいたレンが、ボロボロと大粒の涙をこぼしながらセラの足元に縋りついた。
セラは激痛に耐えながらも、汚れていない左手を震わせながら伸ばし、レンの泥だらけになった頭をポンポンと優しく撫でた。
「泣かないで、レン。……これくらい、大したことないよ。君たちが怪我をするより、僕が少し痛いのなんて、ずっといいんだ。……無事に帰ってきてくれて、本当にありがとう、レン」
「う、うわぁぁぁんっ……!!」
自分を責めるどころか、再会を心から喜んでくれるセラの圧倒的な優しさに触れ、レンはセラの腰に抱きついて、子供らしい声を上げて泣きじゃくった。その泣き声は、村の静かな夜空にどこまでも響き渡った。
「はいはい、感動の再会はそこまで。……セラ、早くこっちに来て。腕を見せなさい」
マリーが呆れたような、けれどどこか震えるようなため息をつきながら、セラの右腕を半ば強引に引き寄せた。
元Sランクの彼女からすれば、あの程度の群れ、セラが自分の肉体を犠牲にするまでもなく無傷で切り抜ける方法はいくらでもあったはずだ。それでも彼が「あえて噛ませた」のは、一瞬の迷いも許されないほどに子供たちの命が危機に瀕していたから。そして、セラが「自分の身を挺してでも、この日常を守りたかった」という不器用な願いの結果なのだと、彼女には痛いほど分かっていた。
「……ごめんね、マリー。心配をかけた。……ありがとう」
セラが小さく、消え入りそうな声で呟くと、マリーはフイッと顔を背けた。
そして、傷口に当てた彼女の手から、淡く清冽なエメラルド色の魔術の光が放たれた。
「――っ、いっ、たたた……! ちょ、ちょっとマリー、魔力が荒くない!?」
傷口が強引に塞がっていく感覚に、セラはたまらず声を上げた。
「うるさいわね。セラはノアの治癒術に慣れすぎなのよ。いい? 本来、治癒魔術っていうのは、壊れた細胞を急激に活性化させる技術なの。繊細な魔力操作は、並の魔術士にそう簡単にできることじゃないんだから。……あの子みたいに、相手にまったく痛みを感じさせずに傷を塞ぐなんて、世界中探したってノアくらいなものよ」
痛がるセラを見て、マリーはツンとそっぽを向きながらも、治癒の光を絶やさない。わざと魔力を少しだけ強く流しているのは、セラへの怒りか、あるいは――。
「あだだっ! ご、ごめんってば! マリー様、お願いします、もう少し優しく……!」
「……ふん。無茶ばっかりする大バカ者には、これくらい痛い方がお薬になるのよ。体に刻んでおきなさい」
口では冷たく突き放しながらも、マリーの長く美しい睫毛が、微かな安堵の涙に潤んでいるのをセラは見逃さなかった。
この不器用なほどに荒い治療は、彼女なりの精一杯の照れ隠しであり、大切な仲間が無茶をしたことへの「愛のお説教」なのだ。
やがて傷の手当てを終え、村人たちが持ち寄った炊き出しの温かいスープを啜りながら、セラは焚き火の向こうの夜空を見上げた。
傍らには、半年ぶりに鞘から抜いた、あの無銘の長剣が置かれている。
かつて、クリスに突き放され、すべてを失ったと思っていた。
けれど、この誇り高き無銘の剣は、今日、大切な子供たちの笑顔を確かに守り抜いた。
(僕にもまだ、守れるものがあるんだな……。守りたいって思える存在が、ここにあるんだな……)
セラの胸の奥。
一度は冷たく凍りつき、消えかかっていた冒険者としての、そして一人の人間としての「熱い火種」が、静かに、けれど確かな温もりを持って再び灯り始めていた。




