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第14話 開かける扉

 ――追放のあの日から、半年という月日が流れた。

 王都の中央にそびえ立つ、絶対的な権力と王国最高峰の武力の象徴である、巨大な白亜の城。その最も厳重に警備され、真に選ばれた実力者しか足を踏み入れることの許されない最上階の静寂の回廊を、クリスはただ一人、静かに歩いていた。

 靴音が冷たい大理石の床にコツコツと響くたび、これまでの半年間に繰り広げられた、血と泥に塗れた苛烈な試練の記憶が脳裏を掠めていく。

 並の騎士であれば到達するまでに数年、いや十数年はかかるであろう過酷な階梯を、クリスと残った【正義の剣】の仲間たちは、すべてを圧倒的な力で蹴散らし、文字通り「異例のスピード」で駆け上がっていた。

 シグマの大剣が群がる敵を粉砕し、クロエの魔術が障害を焼き尽くし、オメガとノアが的確に死角を潰す。彼らの常軌を逸した実力は、歴戦の騎士団員たちの中でもすでに恐怖と畏敬の的となっていた。

 だが、その先頭に立つクリスの瞳は、どこまでも冷たく、光の届かない暗い氷の底のように沈みきっていた。

 すべては、遠く離れた平和な村で笑う親友の平穏を守り抜くため。

 そして、自らが悪役の泥を被り、すべての罪を背負って戦い続けると決めた、あの日の誓いを果たすためだ。

 やがて、クリスの足が止まる。

 目の前に立ちはだかるのは、王家の紋章と守護獣の意匠が緻密に浮き彫りにされた、見上げるほどに巨大で重厚な両開きの扉。

 この扉の向こうに、王国最強の武を誇り、全騎士の頂点に君臨する男――蒼天の天秤騎士団のトップである『シュウ団長』が待っている。

 ついにここまで来た。この扉をくぐれば、もう引き返すことは許されない。陰謀と血の匂いが渦巻く、本当の意味での修羅の道が幕を開けるのだ。

 クリスは静かに目を閉じ、肺の奥深くまで王都の冷たく澄んだ空気を吸い込んだ。そして、一つ、深く重い深呼吸をしてから、ゆっくりと目を開く。

 そこにはもう、かつて親友に向けていたような無邪気な光はない。あるのは、冷徹な騎士としての凍てつくような氷の刃だけだった。

「……行くぞ」

 誰に聞かせるでもない、感情を切り捨てた低い呟きとともに。クリスは両手を扉にかけ、その途方もなく重い扉を、一切の躊躇いなく力強く押し開けた。

 ――全く同じ頃。王都から遠く離れた、平和で静かな辺境の地『陽だまりの村』。

 その日の昼下がり。いつもと変わらぬ穏やかで優しい陽光が、村全体を黄金色に包み込んでいた。

 この日は午前中の村の手伝いがたまたま休みだったため、セラとマリーはお昼までゆっくりと羽を伸ばして休息をとっていた。

 そして昼食を終えた今、二人はすっかり板についた質素な村の衣服に身を包み、背中に編み込まれた籠を背負って、午後の薬草採取へと向かおうとしていたところだった。

 セラの掌には、この半年間で鍬や斧を握り続けてできた、農作業による硬いマメがいくつも出来ている。それは彼がここで人間らしい、温かい生活を取り戻した何よりの証だった。

「午前中ゆっくり休めたから、体も軽いね。今日は天気もいいし、黄金草もたくさん採れそうだ!」

「ええ、そうね。終わったら、またレンたちと鬼ごっこでもして遊んであげたら?」

「あはは、そうだね。あの子たち、本当に元気だからなぁ」

 そんな何気ない、温かく愛おしい日常の会話を交わしながら、二人が村の中央にある広場へと差し掛かった時だった。

 歩みを進めていた二人の足が、同時にピタリと止まる。

 平和なはずの広場に、ただならぬ緊迫した空気が渦巻いていたからだ。

 数人の母親たちが、地面に籠や洗濯物を落としたまま顔を真っ青にして集まり、血相を変えて何事かを叫び合っている。

 そして、セラとマリーはすぐに一つの「明らかな違和感」に気がついた。

 いつもなら、二人が広場に姿を現した瞬間に、「あ! セラお兄ちゃん、マリーお姉ちゃんだー!」と誰よりも早く満面の笑顔で駆け寄ってきて、セラの足元にギュッと抱きついてくるはずの、あの小さな太陽のような男の子――レンの姿が、どこにも見当たらないのだ。

 胸の奥がざわめき、嫌な汗が背中を伝うのを感じながら、セラは足早にパニックに陥っている母親たちの輪へと駆け寄った。

「何かあったんですか? レンたちは……?」

 セラの声に弾かれたように振り返ったレンの母親は、顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らし、今にもその場に倒れそうなほどに全身をガタガタと震わせていた。

「セ、セラさん……! あ、あの子たち……っ! 村の裏手にある深い森の奥……昔から村の掟で、絶対に近づいてはいけないって言い伝えてきた『入ってはいけない場所』に、朝から遊びに行ってしまったみたいで……! お昼を過ぎても、いくら待っても、誰も戻ってこないんです……っ!」

 悲痛な叫び声が、広場の暖かな空気を一瞬にして凍りつかせる。

 その、直後だった。

 母親の震える声に被さるようにして、村の裏手に広がる静かな森のずっと奥底から――大気がビリビリと波打ち、地面そのものが揺れるような、地鳴りのごとき音が響き渡った。

「――――ッ!!」

 それは、この穏やかな『陽だまりの村』では、開村以来、誰も絶対に聞くことのなかった異質で暴力的な音。

 木々で羽を休めていた鳥たちがけたたましい悲鳴を上げて一斉に空へと逃げ去り、草花が恐怖に震えるようにざわめき、村の空気が一気に冷たくなった。

 紛れもない。それは血と肉を求める、狂気に満ちた凶悪なモンスターの、鼓膜をつんざくような禍々しい咆哮だった。

「あぁ……っ! レ、レン……! 私の、レンが……っ!!」

 最悪の想像が頭を支配し、恐怖と焦燥で完全にパニックに陥った母親が、我を忘れて震える足のまま、森へと駆け出そうとする。

「お母さん、ダメよ!!」

 咄嗟に動いたのはマリーだった。彼女は駆け出そうとする母親の身体を後ろから優しく、しかし絶対に振りほどけない冒険者としての確かな力強さで抱きしめ、必死に引き留めた。

「放して! 放してよ! 私の子供が、あの中にいるの……っ!」

「落ち着いてください! あの異常な咆哮が聞こえたでしょう! いくらお母さんでも、武器も持たずに今の森に入るのは危険すぎます。犬死にするだけよ!」

 マリーの歴戦の冒険者としての切実な説得も、半狂乱になった母親の耳には届かない。彼女はマリーの腕の中で暴れ、涙を流しながら、なおも森へ向かって手を伸ばして泣き崩れた。

「でも、でも、レンが……っ! 誰か、お願い……助けて……っ!」

 絶望に暮れ、膝から崩れ落ちた母親の震える小さな肩に――そっと、温かく力強い手が触れた。

 ハッとして顔を上げた母親の目に映ったのは、マリーの隣で静かに状況を見つめていた、セラの姿だった。

「……セラ、さん……?」

「大丈夫です」

 セラの声は、静かだった。

 しかし、その声には、荒れ狂う嵐すらも一瞬で沈黙させるような、深く、揺るぎない力が宿っていた。

「彼らは、僕らが必ず探してきます」

 静かに、けれど絶対の決意を込めて森を睨み据えたセラの瞳。

 そこには、かつて親友に裏切られ追放された過去のトラウマへの迷いも、未知の敵に対する恐怖も、もう微塵も残ってはいなかった。

 かつて、自分の無力さを呪い、すべてを諦めて剣を置いていた少年の心は、この陽だまりの村の温かさと、マリーの献身によって、完全に蘇っていたのだ。

 今度こそ、大切な人たちの明日を、自分の手で護り抜く。

 かつて最強と謳われた【正義の剣】の『優しき刃』が、半年の沈黙の時を経て、ついに静かなる覚悟と共に目を覚ました。


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