第82話(最終回) できるかぎりの、平和を
降伏文書調印後。
文書に基づき、日本国内に防衛出動していた自衛隊並びに亜連に上陸した自衛隊は徐々に撤退した。
亜連にいた自衛隊は、インドや東南アジア諸国、欧州諸国やアフリカ諸国の陸海空軍からなる平和維持軍と入れ替わりで日本に帰国することなり、それと同時に国内に防衛出動していた自衛隊も撤収することになった。
これは亜連本土の部隊が、日本に何らかの攻撃を加える恐れがあるため――というより、その危惧が根強くある日本国民の心情を抑えてのことだった。
日本国民の中には、国内でのテロを恐れて、自衛隊の防衛出動を長期化しようという声も聞かれたが……法律や諸外国の反応、また何より、その危険が低いという分析と、これ以上の出動に自衛隊が耐えられない――何せ、想定していなかった4万以上の敵前上陸もやったのだ――から、その意見は却下された。
2月2日には防衛出動していた自衛隊の全ての部隊が撤収していた。
しかし、核攻撃を受けた浜松、甲府、船橋の三都市への自衛隊災害派遣は続いていた。
そして、防衛出動していた全部隊が撤収したこの日、鈴木総理は辞任の意向を表明した。
核攻撃を、戦争を防げず、自衛官や国民に大きな犠牲を出してしまった責任を取るというのが、その理由だ。
数日後。
与党も大規模な刷新が行われ、可及的速やかに党首選が行われた。
党首に選ばれたのは、若手政治家だった。40手前で選ばれたその若い政治家は、激しい混乱と熾烈な党内政治の末、この巨大政党を背負うことになった。
そして彼は、新たな内閣総理大臣となるのだ。
新しい総理となる男は、総理執務室のドアをノックした。
この日、鈴木総理は辞任する。そして明日から、この若手政治家が新たな総理になるのだ。
「どうぞ」
「失礼いたします」
新しい総理となる男は驚いた。
執務机にいた鈴木総理は異様に老け込んでいた。甘いマスクにはしわが寄っていた。黒かった髪も白髪が目立ち始めている。
(たった9日の戦争で……)
人間はこんなに変わってしまうのか、新しい総理となる男の背筋に冷たいものが走った。
そう思いながら、新しい総理となる男は腰を曲げた。
「ご挨拶にしたいと思いまして……お時間を作っていただき、誠にありがとうございます」
「うん、こっちも君に会いたいと思っていたんだ……ちょっとの間で申し訳ないけど……まあ、かけてよ」
鈴木総理は立ち上がった。二人は向かい合わせでソファーに座った。
そのタイミングで、秘書が湯呑をもってくる。
ありがとう、と鈴木総理は笑みを浮かべた。
新しい総理となる男は、鈴木総理の持っている湯呑が震えていることに気が付いた。湯呑の熱さなどではなく、心身から来るものだと容易に理解できた。
秘書が退室するタイミングで、鈴木総理が言った。
「改めて、総理就任おめでとう」
「ありがとうございます」
新しい総理となる男は一礼した。
「君には見込みがあると思っていた。でも、まさか僕の後釜になるなんて思わなかった……党内も内閣も一新するが……」
鈴木総理はそういって何かを言いかけ、そしてほうけた老人のように言った。
「これで、よかったんだろうか?」
「はい?」
新しい総理となる男は思わず聞いた。鈴木総理は答えるように言った。
「君が総理になることも、私が総理をおりることにも賛成だ……この戦争で僕は自衛隊の最高指揮官として命令も下した。日本の内閣総理大臣として色々な決断もした。その全責任は僕にある。そして僕の判断ミスで、たくさんの人を死に追いやってしまった。その全責任は私にある」
途端に眼光が鋭くなる。総理の目だ。全てを背負った男の目、9日間の戦争で日本の内閣総理大臣として生き抜いた男の目。
しかし、鈴木総理の目は途端に力をなくした。戸惑い、苦悩、大都市のなかで迷子になった幼児のような目。
「この戦争で、日本は壮絶な経験をした。そして、その中で日本は決断をしてきた。それは、どれも日本を、日本人を守るためには仕方のないことばかりだった」
鈴木総理はしかし、と続けた。
「しかし、本当にこれで良かったのだろうか……と」
新しい総理となる男は強い口調で言った。
「鈴木総理は間違っていません。どの決断も正しく、常に最善でありました」
鈴木総理はそれをきいて、ありがとう、と老人のようにゆっくり頷いた。
「……どこの世論調査でも、軍備増強、憲法改正に一気に向かっている。当然だ。あんなことがあったんだから。でも、それにいつまでものっかってはいけない……僕はそう思う……」
新しい総理となる男は、鈴木総理の言葉を慎重に聞いていた。
「我々はより強大で、強力な武力を欲している。そして、それは手に入るだろう。守るための力。武力を。それは過ちだとは思わない。振るわれる力から守る力も必要だ、しかし、武力とは暴力だ。守る力は同時に攻める力になる」
新しい総理となる男は、鈴木総理の目を見ていた。鈴木総理も、彼の目を見ていた。
「戦後何十年、我々は平和で、良き時代を過ごしてきた。それによって、我々は武力に対して無垢で、純粋であり続けた。しかし、今、それが踏みにじられてしまった。我々はより強力で強大な武力を持つ。大きな暴力を経験したが、まだ武力に対しては無垢で純粋なままだ。今後、我々は努力し、武力に惑わされることなく、正しく行使する……いや、できれば行使しなくてもいい、平和で良い時代を作らねばならない……」
鈴木総理は肩の力を抜いて立ち上がった。
新しい総理となる男も立ち上がる。
「新総理よろしくお願いします……国民とともに、良い国を、良い時代を……できるかぎりの、平和を……」
二人は握手をした。
「鈴木総理、お疲れさまでした」
「ありがとう……」
秘書がドアをノックして、総理、次のご予定が、と顔をのぞかせる。
「ああ、わかった……」
鈴木総理は新しい総理となる男に礼をすると、残された仕事をこなすべく、執務室を後にした。
総理執務室には、明日からこの部屋の持ち主となる男がたたずんていた。
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