〔7〕生命の危機
端からディアンは巣穴の中で、剣を振ろうとは考えていなかった。
やっと見えた穴の中は横幅が三メトル程しかなく、相手の動きを避けながら剣を振る事ができないと判断したのだ。
手に持つコッコを魔獣の脇へ向け放り投げると、目玉がそれを追った。その隙にディアンは一気に動く。
――外へ!――
ディアンは腰に付けていたナイフを抜くと勢いをつけて高く跳び上がり、穴となった部分の土壁にナイフを深く突き刺した。それを引き寄せるように腕の力だけで体を浮かせてから、反対の腕を伸ばして地上の土に手を掛けた。次に壁に刺したナイフに足を乗せて飛び上がると、ディアンは一気に地上へと戻った。
幸い巣穴は地上から一メトル程度の地下にあったようで、165セッチのディアンでもジャンプと腕を使って何とか地上に辿り着く事ができる深さだった。とはいえディアンの運動神経がなければ、それは達成できなかっただろう。
ディアンは地上に出て真っ先に空間を把握する。
穴の周辺には木々が立ち並んでおり、恐らく畑近くにあった林の中だろうと見当をつける。ここは幸いにも木々が大きく距離を空けており、十分に戦闘できる場所であると見て取った。
そしてやはり、そこには誰もいない。
ディアンは後退して穴から距離をとり、背面に装備する剣を抜く。足は肩幅よりも少し大きく開き、重心を落として剣を構えると、出てきた穴を刃先の視界の上に置いた。これは昔、護衛だったおじさんから教わった剣の構え。
『グエェー!』
間をおかず穴から飛び出してきた魔獣は、ディアンが見上げる程に高く跳んだ。
その滞空時間に接近しようとしたディアンの視界で、魔獣の口から緑色の細長い何かが伸びてきた。
ディアンは目を見開く。
これがコッコを引きずっていったものの正体、と悠長に思考する暇などなく、魔獣から伸びる緑色の舌は、まるで意思をもった蛇のようにディアンめがけて迫ってきた。その長さは魔獣本体より長く、三メトルは優にありそうだ。
――ズサッ――
その舌がディアンの居た地面に突き刺さり、遅れて本体がビタッと地に下り立つ。魔獣は丸々とした容姿とは一致しない軽やかな動きで着地した。
咄嗟に飛び退いたディアンはその攻撃を避けたものの、舌の動きは未だ衰える事はなく、今度は今いる位置を目掛けて既に動き出している。
クネクネと動く舌をディアンは剣を使って往なす。
舌は突き刺すように向かってくるか薙ぎ払うように横に動き、直線的に動けば跳び上がって避け、横に動けば剣でそれを弾いて応戦する。
しかし、このままでは本体に傷一つ付ける事はできないだろう、と思考が警告する。
ディアンの戦闘スタイルは、細い体に隠された筋肉と体幹に加え、持久力も兼ね備える身の軽さを重点に置いたものだ。柔軟な体はまるで軽業師のようにしなやかに動き、縦横無尽に空間を利用して敵の攻撃をかわす。
その代わり動きの制限を少なくする為に背後に装備する剣の剣身は40セッチ程で、ヒルトを含めても60セッチと一般に使用されている剣よりかなり短い。それ故、間合いを詰めなければ剣で止めを刺す事ができず接近戦は必須となる。
従って今回のように相手の間合いが遠間であるならば、いかにして懐に入るのかが戦闘の鍵になってくるといえる。
だがこの舌がとにかく厄介で、一見柔らかそうに曲がるくせに非常に硬かった。剣で応戦しても傷一つ付いておらず、ディアンの力では切り落とすのは不可能だと思考を切り替える。
どうにかして舌を掻い潜り、魔獣本体へと接近しなければ勝機はなさそうだ。弾くだけしかできない現状でディアンの思考は高速に回転した。
考える時間を稼ぐかのようにディアンは魔獣の周辺を走り回り、バク宙で進行方向を変えて舌の追跡をかわす。
大きな本体は殆ど動く事はなく、ディアンの動きを追ってしきりに目玉を動かし、舌を器用に操ってディアンを追いかけてくる。
ディアンを逃した舌が背後の木に当たり、爆音を上げて穴を開ける。
――ドォーンッ――
こんなのをまともに受ければ誰だって即死もあり得る。これは明らかにDランクが対応できる魔獣ではないだろう。だがそれを考えたところで応援が来る気配はなく、一か八かで当たって砕けるしか道はなさそうだった。
(行くしない!)
心の中で気合を入れ、さらに速度を上げてディアンは走り回った。
追いかけてくる舌は切れなくても弾く事はできる。
背後に迫る舌を意識に入れながら走るディアンは、外側へ膨らみ、魔獣の背後にそびえる太い木を目指して高く跳躍する。そして木の側面にぶつかる間際、足を付けて全身のバネを使い、魔獣に向かって思い切り蹴った。
自分の足では掻い潜れない舌でも、これなら間合いを詰められると踏んで。
「はあぁぁあーーーー!!」
声を張り上げて自分を鼓舞し、ディアンは剣の鋒を魔獣へ向けて構えた。
ディアンを追いかける長い舌は、その足元で空を切って通り過ぎていく。
徐々に近付いてくる巨大なカエルの顔に眉根を寄せ、ディアンは勢いよく剣を突き出した。
―――ザクッ!―――
見事ディアンの剣は深々とカエルの眉間に刺さるも、速度の落ちなかったディアンは剣から手を放して魔獣の上を通り過ぎていく。
「うわぁ~っ!」
今度は気の抜けた声を上げて地面に投げ出されたディアンは、木々の間を弾むように転がっていった。
――ドォォーン!!――
止まると同時に大きな音が響いて急ぎ体勢を立て直したディアンは、地面に倒れた魔獣を見て思わず膝をつく。
「ハァッ ハアッ ハァッ、たすかった……」
心から安堵の息を漏らしてグラリとディアンの体が傾いていく。
視界はグラグラして、後半はもう真面に立っている事ができなかったのだ。
本当にギリギリだった……と思考して、トサリッと軽い音を立ててうつ伏せになったディアンの耳に、微かに誰かの声が聞こえてきた。
「ぉ……ぃ……ぁ……」
『ここだ』と声を上げる事もできずにただじっとしていると、その声は徐々に近付いて来る。
「おお~い兄ちゃん、昼飯の時間だぞ~! おお~い兄ちゃんどこだ~!」
ディアンは力なく息を吐き出す。
笑ったつもりが全く笑えていなかっただけであるが、それでものんきなおじさんの声を聞いて、安心すると同時に『護れた』という気持ちが心を満たしていった。
程なく軽快な足音が聞こえてきて、近くでピタリと音が止まる。
「う゛わぁ! なんぢゃーこのバケモンはっ!」
悲鳴とも驚愕ともとれる声を上げたおじさんは、ディアンの姿が見えたのか荒い足音を立てて近付いてきた。
「こりゃあどうしたんじゃ!? 兄ちゃん無事か? 生きてっか?」
おじさんに抱き起されたディアンは薄っすら目を開くと、目の前のおじさんへ最後の力を振り絞った。
「おじ、さん――――みずっ!」
ディアンの体は戦闘前の炎天下の作業で脱水を起こしている状態で、今真っ先に必要なものは水だったのである。
◇ ◇ ◇
おじさんが来てくれたことにより、ディアンはどうにか無事に生還する事ができたと言えよう。
水を飲ませてくれたおじさんには感謝するばかりだ。
本当ならディアンは、コッコが連れ去られる前に水分補給をしておかねばならなかった。そうすればもっと思考も体も動き、こんな死ぬような思いをする事にはならなかった……はずである。
熱中症を甘く見てはならないというのは、今回の一番の反省点であった。
おじさんに水をもらい少し休んだあと、ディアンは問題なく回復した。
全身に傷はあるもののそれは引きずられた事に因る擦り傷程度であり、魔獣からの攻撃は全てかわしていた為体調が回復した時点で動けるようになったのだ。
だが安心するにはまだ早く、休んでいる間におじさん達が冒険者ギルドへ連絡をしてくれたようで、駆け付けてきたギルド職員の眼差しにディアンは冷や汗を流した。
「まさか、貴方一人で倒したのですか?」
と訝し気な眼差を向けられ、何が変なのか分からずに戸惑う事になったディアンである。
その後職員と共にギルドに帰って傷の手当てを受けたディアンは、依頼の話から魔獣を仕留めた所までを質問攻めにあい、覚えているだけでも事細かに報告するのはとても骨の折れる作業だった。
そしてディアンが解放されたのは日も落ちた夜になってからで、結局一日作業だったなぁとディアンは肩を落とした。
この依頼の報酬はアルメ銀貨一枚。
アルメオラ国の通貨は『アルメ』といい、アルメ銀貨一枚とはアルメ銅貨100枚分であり、アルメ金貨一枚は銀貨100枚となっている。
銅貨24枚がタンポポの食事一回分に相当するのだが、他の食堂では銅貨40枚が一般的で、安いタンポポだからこその値段だ。露店で売っているような薄い果実水でも、一杯が銅貨2枚である。
因みにFランクの一件当たりの報酬は銅貨10枚から30枚程度なので、ひとつの依頼をこなすだけでは食べる事にも支障をきたすのは言うまでもない。
Eランクでも一件が銅貨30枚から50枚程である為、低ランクでは依頼を掛け持ちするのは常識で、最低でも一日銀貨一枚以上にならなければ余裕は生まれなかった。
しかしこれは銀貨一枚では割に合わない依頼だったと、ディアンは苦い笑いを浮かべた。
一歩間違えればディアンは死んでいたかも知れないのだから……。
それでもこれは、おじさんがギルドに依頼を持ち込んだ時にはEランクに頼もうと考えていた案件で、それを聞いたギルド側が「最低でもDランクだ」と突っぱねたのだと聞いた。
確かにコッコを攫ったのがその辺の子供であったのならば簡単で、出てきた時に捕まえればよいだけの話だ。
しかしおじさんの説明を聞いたギルド側は、姿が見えないのだから危険な獣の可能性もあると判断し、危険度をDランク設定にして報酬を上乗せさせたらしい。
簡単な獣を狩る依頼はEランクからでも受けられるが、今回は相手が特定できない為にさらにひとつ上のランクを設定したという訳だった。
少し考えれば、原因を特定できないのだから危険度が上がるのは当たり前で、それでも今回の依頼はギルドの想像を遥かに超えた結果だったと言えただろう。
誘拐犯は、町の近くに潜んでいた危険な『魔獣』だったのだから。




