〔6〕間が悪い
ジリジリとした日差しが降り注ぐ炎天下の中、ディアンはもう三時間くらいは林近くの畑の片隅にいる。
その格好は障害物のない畑において姿を隠す為、身を屈めて土色の外套を被った状態だ。合わせの隙間から視線だけを動かして、ディアンは周辺を警戒しているのである。
近くに木々が作った涼しそうな木陰が見えるものの、そこから来るであろうと考えたディアンは敢えて木陰を選ばずに畑の中から様子を見守っていた。
勿論おじさん達の作業の邪魔にならぬように距離をとった場所の、現在休耕地として休ませている区画で、寝ころんでも何をしてもいいと言われている畑の中だ。
「分かっちゃいたけど猛烈に暑い……」
こめかみを汗が伝い、囁きで愚痴をこぼす。
ここで余り動けばディアンの存在を知られてしまうが、雨除けの意味もある外套の中は焦熱が籠り茹だるような暑さなのだから、水分を補給しないと犯人をどうこうする前にディアンが死んでしまいそうだった。
そろそろ限界だと起き上がろうとした時、視界の中で動いていた赤いコッコがこちらに近付いてくるのが見えた。別にコッコにバレたからといって問題はないが、そのコッコが騒げば狙っているものにも気付かれてしまう恐れがある。
「くぅっ……間の悪い……」
体はグッタリし始めているが、今驚かせば数時間はコッコ達がディアンを警戒する事は目に見えている。だからこのコッコが少し離れるまでの間はまだ動かぬほうがいいと、ディアンは瞬時に結論を出す。
「コッコッ ココッ」
土を突きながら首を前後に動かすコッコは今のところディアンに気付いておらず、懸命に餌を求めてこちらへ歩いてくる。外気が涼しそうでいいなぁと、ディアンは首を伝う汗を拭いながら半目になった。
そんなコッコがディアンの数メトル先まで来た時、ディアンの肌にチリリとした悪寒が走った。
これは魔獣の討伐を始めてから知った感覚で、魔獣の気配にディアンの体が反応したものだと認識していた。恐らく、幼少期にディアンが魔獣と遭遇した経験で植え付けられた感覚ではないかと思っている。
(!! 魔獣?!)
驚きを押しとどめて忙しく視線を動かすものの、いるはずの魔獣の姿は何処にも見えない。
しかしディアンの体は確実に『近くに魔獣がいる』と警告を発していた。
ディアンは直感を信じ外套を放り投げて瞬時に立ち上がると、近くにいたコッコへ覆い被さるように飛び掛かった。このコッコが騒げば畑にいる者達や他のコッコも気付き、ここで何かがあったと察知してくれるかも知れないからだ。
ところがディアンに気付いたコッコがこちらへ顔を向けた時、コッコの足元から出てきた得体の知れない緑色の長いものがコッコの首に巻き付き、コッコに声を上げさせる間もなく体を地面に引き倒した。
飛び掛かる間の一瞬にそれを目撃したディアンが、コッコを助けようと手を伸ばして赤い体を掴んだ瞬間、地面に吸い込まれるようにしてコッコの体が消える。
そして手を放さぬディアンの体も抗う事ができない強い力によって、コッコに続き一瞬にして土の中へと飲み込まれたのだった。
ディアンの侵入を阻むような全身を擦る土や石の抵抗など|物ともせず、コッコは何かに引きずられて地中の横穴を猛烈な速さで進んでいく。
絶え間なく顔に降る土で目を開ける事もできないディアンは、ただ呼吸だけを確保するために顔を背け、引きずられるまま全身を削る痛みに耐えながら、必死に手に力を込めて歯を食いしばる。
それからどれくらいが経ったのか、長いようで短い時間。
腕の感覚が麻痺し始めた頃、唐突に浮遊感に包まれたディアンはコッコを掴んだまま何かに激突してしたたか背中を打った。
「かはっ……」
背負う剣の鞘が食い込み、肺から一気に空気が漏れる。
再度空気を取り込む為に開始した呼吸は淀んだ空気をはらみ、生臭い匂いが鼻についてディアンは思わず呼吸を止める。冷やりとした空気に喜ぶ気分ではない。
近くで何かが動くような気配がしてディアンは手に掴んでいたコッコを抱きしめるが、コッコはぐったりとしたまま全く動く事はなかった。
現状目を開けているはずなのに周りの様子が全く見えない暗闇の中、何かの気配だけが近くにいると分かる。その気配は先程までと全く同じ、チリチリとディアンの肌に警告を発しているものだ。
ドクッドクッドクッと、闇の中で感じるのは自分の心臓が暴れる音だけ。目は頼れず嗅覚と聴覚のみの空間だ。
とそこまで思考してディアンは気付く。
ここにはディアンが座れるだけの空間がある。という事は何かの巣に連れ込まれた可能性が高い。しかしその正体が何であるのかは全く見えず、ただ纏わりつく生臭く淀んだ空気がディアンの死を予想させた。
自分は、餌になったのだ。
ヒタッ ヒタッ という湿った音と気配が僅かに移動して、寒気にも似た感覚がディアンの緊張を高める。だが今すぐに襲ってきそうな気配はなさそうだった。
だがここが地中の巣穴であるならば、ディアンに必要な空気はそう長くは持たないだろう。
早急に現状を打破しなければ、目の前にいるであろう魔獣に喰われるか呼吸ができなくなり、いずれにしても死ぬしかないという事だ。ただしこの状況を打破できる考えが、今のディアンにないのが問題であるが。
取り敢えずこの場所の把握をしないと……。
冷やりとした土壁と思われる物に手をついて相手を刺激しないようにゆっくり体を起こしていくと、天井に頭は付いたがギリギリ立ち上がる事はできた。ディアンの身長を鑑みれば、空間の天井高は160セッチというところだろう。
「フー」
と匂いを感じないように口で浅い息を吐き出す。
ディアンがここまで動いても、相手が今すぐ攻撃してくる気配がなかったのは救いだった。
尤も、相手は自分の領域に連れ込んだ事で、ディアンが何もできるはずがないと高を括っているのかも知れないが、そもそも魔獣がそこまで思考して動く生き物なのかをディアンが知るはずもない。
もう一度呼吸をして、『今は余計な事は考えるな』と自分を叱咤する。
続けて自分の肩の辺りに手を伸ばし、命綱とも呼べる剣の感触を確かめた。
肩にある重みで剣を失っていない事は分っていたが、こうして手で触れば、まだ希望はあるのだと心が落ち着いていく。
仮令自分がこの魔獣を倒せなかったとしても、どうにかしてここに魔獣の巣がある事を伝えなければならない。
それが今の最重要事項だ。
然もなくば町から近いこの場所で延々と生き物が攫われ続け、いつかは自分のように人にまで被害が及ぶ事になるだろう。今はコッコだからいい、という訳ではない。
それにまだディアンは諦める訳にはいかなかった。
孤児院ではディアンが来るのを楽しみに待つ子供達と、笑顔で迎えてくれる先生がいる。ディアンはまだまだ力をつけて、彼らがもっと楽に暮らせるように必要なお金も稼ぎたいのだ。
(お父さん……お母さん……力を貸して……)
心の中で祈るように呟いた時、突然、耳をつんざくような爆発音が頭上で鳴った。
―――ドオォーーン!!―――
降ってくる土砂と立ち込める土煙に、本能的にディアンは身を屈めた。
続けて淀んだ空気をかき混ぜるような熱気を含む風が一気に吹き込んで来て、ディアンは音のした方へと顔を上げた。
頭上にはポッカリと穴が開き、眩しい光が差し込んでいる。
外だ。
誰かがこの場所を特定して、巣穴の上に穴を開けてくれたのだろうか。
「助かった……」
新鮮な空気を吸って、思わず零れる言葉。
しかし土煙が収まっても頭上から誰かが顔を覗かせる気配はなく、穴が開いただけで終わってしまった。―――現状は自分で乗り越えなくてはならないのか、と即座に気持ちを切り替える。
慌てて視線を戻せばディアンの前には縦横一メトルの茶色く大きなカエルがいて、まん丸い目玉が二つ、ディアンを凝視していた。
補足:「メトル・セッチ」について。
薄々お分かりかと思いますが、「メトル・セッチ」は長さの単位を現わしています。
「メトル=メートル」「セッチ=センチ」という感じで脳内変換をお願いいたします。笑




