〔39〕うごめく澱み
吹き矢という珍しい武器で男を一人沈めたあと、ウォーレンは弾かれたように館の方角へと視線を飛ばした。
ディアンも緊張を纏い、身を乗り出すようにウォーレンの視線を追う。
「……何かあったのか、急に動きが変わったようだね」
ウォーレンの言う通り、遠目に見える男達が俄かに小屋に集まり始めているように見えた。
嫌な汗が頬を伝い、ディアンは即座に思考を会話に切り替える。
(リヒト、アメリア達は無事か?)
『今はな』
(?! どういう意味だ?!)
『今しがた見張りの数が増え始めた。まだ地下までは下りていないが、これから何らかの動きがあるやもしれぬ』
(!!! リヒト、もしもの時には……!)
『分かっている。こちらは任せよ――』
「――ディアン、急ごう」
リヒトの言葉に被せるように発したウォーレンの言葉が、ディアンの思考をこちらへと引き戻す。
急ぎウォーレンへと視線を戻したディアンの目に、険しい顔のウォーレンが映る。
「慎重に時間を掛けて進む予定だったけれど、向こうが動き出したとなれば悠長に構えている暇はないよ」
「分かった。手遅れにならない内に、何としてでもアメリア達を助け出す」
ディアンは気を引き締め、焦りを鎮めるようにウォーレンの言葉に深く頷いた。
◇ ◇ ◇
アメリアは薄暗い建物の中で、小さな子供を温めるように抱き寄せていた。
まだ六歳だという腕の中の子供は、ここにきてからずっと静かに涙を流したままだったけれど、先程やっと泣き疲れて眠ったところだった。それなのに少しずつ上が騒がしくなったような気がして、アメリアは子供の耳をそっと腕で包み込んだ。
この子がここへ連れてこられたのはもう何時間も前の事で、感覚的に半日以上は経っているとアメリアは考えている。
ここは窓がない為今が昼か夜かもわからず、実際にはどれ程の時間が経っているのかを確認できないのだけれど、アメリアは時々運ばれてくる粗末な食事で、何となく時間の経過を把握していた。
アメリアがそんな場所に閉じ込められてから、かれこれもう二日が経っているはずだ。そんな長い時間戻らぬアメリアを、孤児院の皆が心配しているだろう事だけが今のアメリアの気がかりと言ってもいい。
だがここから出る事も伝言を頼む事もできないことは、説明されずともこの状況が教えてくれていた。
それでもアメリアは泣く事も喚く事もせず、ここに集められてきた女性や子供達の面倒を積極的に見、精神が消耗しないように努める事を意識して自分を保っていた。
話を聞けばここに居るのはアメリア以外、皆、今年の税が納められなかった家から連れてこられた者達だという。
アメリアも以前、ソーラムにはそんな噂があると漏れ聞いた事があった。だがそれが事実だったのだと目の前にいる人達を見て、アメリアが驚愕したのは記憶に新しい。
しかしアメリアは皆とは違い、自分が何故ここへ連れてこられたのかは、未だ理由がわからないままだっだ。
あれはアメリアが孤児院の買い出しで町に来て、頼まれていた品物を買い終わり、そろそろ帰ろうかという時の事だった。
少し重たくなった買い物袋に視線を落とし、そこに自分でいれた刺繍を目にして頬を緩めた。
この刺繡は二年前、まだディアンが孤児院にいる時に入れたもので、先生達が使っている無地の買い物袋が寂しいからとアメリアが思い立ち、可愛い図柄の刺繍をしようとディアンに相談して作業を進めたものだ。
「ねえディアン。私、この買い物袋はちょっと寂しいと思うの」
「え? そうかなぁ。私は別になんとも思わないけど?」
ディアンはそういう事に無頓着なのはアメリアも知るところであるが、どうせだったらディアンにも一緒に考えてもらって図柄を決めたいと思っていた。
「だって先生達は私達の為に、わざわざ町まで買い物に行ってくれる訳でしょう?」
「そうだね」
「だったら少しでも買い物が楽しく思えるように、可愛い刺繍を入れたほうがいいとは思わない?」
「まぁ……そうかもね?」
こう言ってもディアンには今ひとつピンとこないようだったが、アメリアの熱意が伝わったのか、それでディアンも刺繍の図柄を一緒に考えてくれる事になったのだ。
二人して顔を突き合わせ、あれがいいこれがいいと話すのはとても楽しいひと時だった。
そして図案が決まり実際に作業をしたのはアメリアだけだったが、それでも出来上がった刺繍にディアンは目を輝かせ、すごいすごいと褒めてくれたのは今でもアメリアの大切な思い出だ。
当時の事を思い出して顔を綻ばせたアメリアの肩に、ドスンと堅い何かがあたったのはその時だった。
人通りのある場所でよそ見をしていたアメリアは、その失態を即座に謝ろうと顔を上げた瞬間に体を硬直させた。
―町では自警団員に関わってはいけませんよ―
町に出かける時に言われた院長の言葉が、アメリアの脳裏を過る。
「町には、黒と灰の斑柄の制服を着た自警団員がいます。本来彼らは悪い行為をした者を捕まえるはずの人達ですが、その内心はいつも飢えた獣のように荒ぶった感情を秘めているのです。アメリア、もしその人達を見掛けても近付いてはいけません。もしも何かを見掛けても、何も見ない振りをして帰って来なさい。それは人として褒められた行為ではありませんが、貴方は私達の大切な家族で、貴方が無事である事が私達の一番の望みです。だから絶対に関わらないように注意して、無事に帰ってきてくださいね」
視界に覆いかぶさるように立つ斑柄の服を着た厳つい男と目が合って、アメリアは大きく目を開いた。
「おいおい。俺にぶつかっておいて“ごめんなさい”もないのかぁ?」
「……す、すみま、せん……」
「随分と言葉が不自由な娘だなぁ。おやぁ? お前、見ない顔だな」
怯えて視線を下げたアメリアの顎の下に許可なく男の手が伸びて、強引に顔の角度を変えられる。
「あ、あ……」
目を泳がせるアメリアは元来、控え目な性格だ。それを厳つい男に詰め寄られ、あまつさえ勝手に触れられれば、アメリアが混乱するのは無理もない事だろう。
「お前、何してんだ?」
アメリアに詰め寄る男の後ろから、今度は髭面の男の顔が生える。
「なぁに、この娘が俺にぶつかってきて謝りもしねえんで、どういうつもりなのか訊いてるところだ。へへっ」
「なるほどなぁ……あぁ、そういう事か」
覗きこんだ髭面の男が、アメリアを見てニヤリと粘りつくような笑みを浮かべた。
「そんじゃ、そんな不敬な奴は、俺達がじっくりと説教してやるしかねえよなぁ?」
「そーだな。めんどくせーけど、それが一番娘の為になるだろうぜぇ?」
男達二人はニヤリと笑い視線を交わすと、触れていた男がアメリアの腕を取って強引に歩き出した。
急な動きに前に倒れ込みそうになったアメリアを、腕を握る男がぶら下げるように引き上げて、「こいつは足もおぼつかないぜ」と笑いながら引きずっていった。
そしてアメリアが来た事もない裏道に連れ込まれたところで、口に布を巻かれて担ぎ上げられ、抵抗もできぬままこのどこかの門の中に連れていかれてしまったのだ。
こうして連れ込まれた建物の地下の小さな明かりだけが灯る薄暗い部屋で、ドサリと荷物のように下ろされてアメリアの口紐が解かれた。
「ここで大人しくしてりゃ、いいことが待ってるぜ」
最後まで嫌悪感しか抱かせない男がそう言って出ていったあと、やっと息ができた心地になったところで、アメリアは周りにいた怯える人達に気が付いたのだった。
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