〔32〕状況
『遅くなったな』
完全に日が落ちて人通りも無くなった大通りの物陰で、リヒトの帰りを待っていたディアンの脳裏に声が響いた。
ディアンが辺りを見回すと、路地の一角から白い猫が顔を覗かせていた。
そちらへと小走りで向かい、ディアンも路地の中へと滑り込む。
「リヒト! どうだった?!」
猫の前に膝をつき、ディアンは身を乗り出す。
『行先は判明した』
「何処だ? 町にいるのか?」
『うむ。町からは出ていないようだ。匂いは西にある、この町で一番大きな家の敷地まで続いていた』
「?! それって領主の館じゃないのか?」
『そうかも知れぬな』
「様子は?」
『門の外からでは中を窺い知る事はできなかった』
「そうか……。でも、なんでそんなところに……」
リヒトを待つ間、ディアンは考えていた。
誰かに連れていかれたとしても、何処かの家に連れ込まれていたならディアンは武力行使で助け出すつもりでいた。
しかしそれが領主の館ともなれば、ディアンが簡単に足を踏み入れる事は出来ないという事だ。
領主館の隣には自警団の詰所があり、普段から団員が周りをうろついていると聞いている。その為少しでも騒ぎを起こせば団員が総出でディアンを拘束しに掛かる事は目に見えている。それに下手をすれば、ディアンは賊として切り捨てられる可能性すらあった。
いくら破落戸崩れとはいえ多勢に無勢。今のままでは手も足も出ない事は火を見るよりも明らかで、ディアンは強く手を握り締める。
ディアンの思考を見透かしたように、リヒトが強い眼差しで見詰めた。
『何故かは知らぬが、匂いは間違いなくそこへ続いていた。だが周辺には護衛として見張る者も多くいる。そなた一人で、迂闊に動かぬほうがよいだろう』
「分かってる……」
アメリアを何故連れていった?
アメリアは大人しい娘で、仮令スリを見掛けたとしてもディアンのように手を出す事はしないし、目立つ事は極力避けるはずだ。
しかし理由はどうであれ現状は館にいるのであり、どうする事もできずディアンは強く目を瞑った。
『そう案ずるな。吾が中の様子を見てくる』
「?!」
瞠目しディアンがリヒトを見れば、獣は長い尻尾を揺らして目を細めた。
「……様子を見るって……入れるのか?」
先程リヒト自身が、周囲に護衛がいると言っていたはずだ。
『吾を誰だと思っている。それくらいであれば造作もない』
そういえばこんな小さな猫の姿をしていても、リヒトはこの国の神獣だった。その神獣に何ができるかまではディアンに分かろうはずもないが、この獣ならば不可能を可能にできるのではと今は信じたい。
「――彼女の様子を見てきてくれ。頼めるか?」
『契約者の頼みとあらば』
「…………頼む」
『承知した』
そんな会話のあと、一旦帰るようにリヒトに言われたディアンは渋々自分の家で待機する事になった。
とはいえ家に戻ってもアメリアの事が気掛かりで、ディアンはまんじりともせず夜を迎えていた。
暗く狭い部屋でベッドに横たわりながら、ディアンは額に腕を乗せて天井を仰ぐ。
なんで、どうして。思考はグルグルと回る。
だがいくら考えても、アメリアが連れていかれる理由などディアンには思いつかなかった。
徐にディアンは小さな木箱のテーブルに視線を向ける。
ディアンが熱を出したあの日、アメリアは優しい笑みを浮かべてあそこに座っていた。
しかし今は真っ暗な部屋にその面影はなく、ひんやりとした空間にその温もりも残ってはいない。
「アメリア……」
ディアンが小さく呟いた時、部屋の隅に音もなく動く小さな存在を見つける。
―?!―
飛び起きればそれがリヒトであると分かり、ディアンは張り詰めた緊張を解く。この猫には訊きたい事が次々出てくる気がする。
「――リヒト、今どうやって入ってきたんだ?」
こんな所に強盗は入らないだろうが、一応扉の鍵は掛けてある。
『吾が意識すれば、物理干渉を無効化できる』
「………? それもあの魔素ってやつか?」
『それとは違うものだ』
「………そうか」
ディアンは首を傾けるも、これ以上訊いてもいいのか分からず話題を変える。
そんな事よりももっと重要な事があるのだ。
「アメリアは?」
『姿を確認した。今は無事であるようだ』
無事という言葉にディアンは小さく息を吐く。
「それで、館の中にいたんだろう?」
『いいや。敷地内ではあるが、建物から少し離れた小屋の地下に閉じ込められていた』
「小屋の地下? なんでそんなところに……」
『さてな。しかし、そこにはその娘以外にも女子供が三人いたぞ。地下へ続く扉の前には男が二人見張っている』
「見張り? どういう事だ?」
『理由までは分からぬ。どうやら皆連れてこられた者達のようで、怯えた様子であった』
「…………」
『ああ。一つだけ、男達が興味深い話をしていたな』
「……何?」
『あと二日は移動させぬと言っていた。故にその後は何処かへ移動させるという事だろう』
「あと、ふつ……か」
全く意味が分からないが、少なくともあと二日はアメリアの所在を知る事ができる。それにまだ移動していなかったのは不幸中の幸いだと、そうやって少しでも良いほうに考えねば、ディアンは今すぐにでもそこへ駆け付けたい衝動に突き動かされそうだった。
ディアンの焦りを感じたのか、リヒトがしなやかに尾を揺らす。
『そう急くな。いくらそなたが傷を癒せる身になったとて、一人で身勝手に動く事は止めておく事だ。吾も助力を惜しまぬ故、動くには熟考せねばならぬぞ』
「うっ……。分かった」
『まずはそなたの体力を回復させる事が前提だな。正常な思考を取り戻す為、少しでも眠っておくとよい」
ディアンは頭を掻きむしりたいのを我慢して、リヒトに向かって力なく首肯するのだった。
少しだけ眠る事ができたディアンは、翌日もリヒトにはアメリアを陰から見守ってもらい、丘の上にある孤児院へと一人向かっていった。
アメリアが無事である事を伝える為だ。
それにアメリアの事はリヒトにも協力してもらう為、できれば先生達が動かない方向で話す必要もあった。
「そうね。貴女には冒険者ギルドの伝手もある事だし、あとはお願いしたほうがいいのでしょう。それでも私達もできる範囲の事はします。何かあればいつでも言って頂戴ね」
ディアンの説明に納得してくれた先生達は、早々に町へ戻っていくディアンに深々と頭を下げて見送ってくれたのだった。
これでディアン達が動きやすくはなったが、救出の為に残された時間はもう明日までしかない。
先生達には任せてほしいと言ったものの、しかし肝心の「どうやってアメリアを助けるか」がまだ決まっていないのが現状である。
ディアンは町へ戻ると、通りを歩きながらいつもと変わりない風景に虚しさを募らせる。
こうして一見何も変わらない日常の風景を送る傍らで、アメリア達のように日常から隔離された状況に置かれているものもいるのだ。
「中から見ると、最悪な町だな……」
雄大な景色に囲まれてキラキラと輝くソーラムも、中に入れば輝きなどとは無縁な町であると知るのだ。
「酷い国だ」
口の中だけに言葉を吐き出して、ディアンはありもしない寒さを感じ、外套の前を掻き合わせて賑わい始めた町中を進んでいくのだった。
取り敢えず策を練る為家に戻る道すがら冒険者ギルドに近付くと、チラリと建物へ視線を向けてディアンは独り言ちる。
「当分は依頼どころじゃないな……」
再び視線を落としギルドに背を向けた時、ディアンの耳に朗らかな声が届く。
「あれれ? ディアンじゃ~ん?」
「え? あ、ほんとだ」
顔を上げて振り返ったディアンは、冒険者ギルドから出てきたばかりの三人に目を留めた。
「オルル、フェンス、ロセット」
「ディアンがこんな時間にいるなんて、珍しいな」
手を上げるロセットが目を細めた。
ディアンは今朝、陽が昇る前から孤児院に向かった為、帰ってきた今が三人の始動時間と重なっていたようだ。
「ああ、もうそんな時間か……」
「どうしたの、元気がないね?」
フェンスがディアンの前に立ち、わしゃわしゃと頭を撫でる。
いつもなら、ぐちゃぐちゃになる髪にむくれるくらいはするディアンだが、今日はそんな元気すら出なかった。
無反応なディアンを見て、ロセットが眉根を寄せた。
「ディアン、また具合でも悪いのか?」
「いや、そうじゃないんだ……ちょっと精神的に落ち込んでて……」
「失敗でもしたの? もう、ちっちゃな事なんて気にすんなって~。元気だしなよ~?」
「しかしそんな状態では、今日は依頼を受けないほうがいいだろうな」
余程ディアンの顔色が悪いのか、そう言ってロセットが真面目な顔で頷いた。
「そうだね……。心配してくれてありがとう」
苦く笑みを浮かべたディアンが視線を戻せば、三人とも無表情でディアンの後方を見詰めていた。




