〔3〕噂話
「なあディアンも聞いたかぁ? あの噂」
料理の殆どを一気に平らげた三人は、やっと人心地がついたのか手に持つカラトリーの速度を落とて食べている。
その中のオルルがディアンへと身を乗り出して顔を寄せ、翡翠色の前髪から覗く薄茶の瞳を輝かせながら小さな声で尋ねてきた。
ディアンのほうはもう食べ終わってゆっくりと水を飲んでいたところで、コップをテーブルに置いてオルルへと紫紺色の瞳を向ける。
「噂って、何の?」
「ほら、アレの噂だよぉ」
「ああ、アレねー」
ディアンが聞き返せば、オルルもフェンスも『アレ』としか言わない。
それでは分からないとディアンが口を開きかけたところで、やっと口の物を飲み込んだロセットが顔を寄せて口を挟んだ。
「こいつが聞きたいのは“王の噂”の事だろう」
「そうそう~それそれ~」
オルルがロセットに親指を立てた。
オルルもフェンスも 『王』を『アレ』呼ばわりだ。
「王ってこの国の王の事?」
「ん? そう言うって事は、ディアンはまだ聞いてないんだね?」
首を傾けるフェンスに、ディアンは正直に頷いた。
「うん、何も聞いてない」
「ええ? 結構あちこちで聞くけどな~」
「ディアンは真面目だから、オルルと違ってあちこちウロチョロしないんだよ」
「あぁ、そっかぁ~」
ディアンが何かを言うまでもなく、オルルとロセットで話がついたらしい。
「それが何? どうせまた王が若い女を連れ込んでいるとかいう話でしょ?」
「うわっ、ちょっと声がデカイって」
フンと鼻を鳴らすディアンの口を、隣に座っているフェンスが塞ぐ。
「ほめぇん(ごめん)」
くぐもった声でフェンスに謝れば、「一応もう少し声を落としてくれ」と言って手を放してくれた。
知らず知らずにディアンの声が大きくなっていたようである。
「俺達が聞いたのはそんなんじゃなくて~」
「ふぅーん」
どうせ碌でもない事だろうと適当に相槌を打ったディアンは、再びカップを手に取って水を含んだ。
「もうじき王が変わるんだって噂だよ~」
―?!―
「っんぐ……ブゥーッ!!」
「!! わあぁっディアン! 冷ったいってばぁ~!」
王が変わるなんて一生に一度あるかないかの歴史的な出来事で、流石のディアンも想像を超えた答えに思わず水を吹き出してしまった。その水は目の前に座っていたオルルの顔面が受けとめてくれたので、店への被害がないのは救いである。
「ゲホッゲホッ……ゲホッ……ゲホッ」
「大丈夫か?」
水が変なところに入ってしまい、隣のフェンスが咽るディアンの背中をさすってくれる。
「ケホッ……ありがとうフェンス、もうだいじょうぶ、みたいだ」
涙の滲む視線を上げれば、湿り気を帯びたオルルが自分のシャツで顔を拭いていた。そのシャツにも当然水が掛かっていたはずだから、余り意味はなさそうだと思わなくもないが。
その隣ではロセットが呆れた顔でオルルを見つめている。
「今のはオルルが悪い。せめてディアンが水を飲み終わってから言えばよかったんだよ」
「えぇ? なんで被害者のオレが言われるのぉ~?」
わざとらしくへそを曲げるオルルにディアンが手を合わせて「ごめん」と謝れば、オルルは「もう乾いたからいいよ~」とフニャリと笑った。
オルルの大雑把な性格は、こういう時には正直助かるなとディアンは思う。
それにしても、その噂は真実なのだろうかとディアンは思考する。
だが王に対して出る噂はのちに正式に発表される話もある為、仮令違っていても『遠からず何かあるのだろうな』とは想像がついた。
「その噂って本当のこと?」
ディアンは視線をロセットに向け、潜めた声を発する。
ロセットはこの三人で組んでいるパーティーのリーダーであり、一番正確な判断力を持っているとディアンは思っている。オルルはフワフワした感じだし、フェンスは時々オルルに同調している姿をみるので、情報の真偽を確認するには少々決め手に欠ける気がしていた。
「さあな。それに答えられるのは本人だけだろ」
残念ながらロセットも分からないと首を振って明言を避けた。
「オレは本当じゃないかと思うんだ~」
「え? なんで?」
「だってこの噂を聞いたのは一回だけじゃないからね~」
「ああ、俺もここ一月で三回聞いたわ」
一方、オルルとフェンスは肯定派らしく、噂を信じているようである。
「まあ真偽は不明だが、そんな噂がある事はディアンも覚えていて損はないだろう。何かあるかも知れないしな」
「うん、そうだね。教えてくれてありがとう、ロセット」
「はあ? 教えたのはオレでしょ~オ・レ」
「あ、俺もだよね」
「じゃあ、皆に『ありがとう』って事で?」
「なんで疑問形なの~?」
仲間同士で他愛ない話をしていれば、いつの間にか店内は混み始めて席が殆ど埋まっていた。
「あ、混んできたからそろそろ僕は帰るよ。皆またね」
ディアンは立ち上がり、背後に立てかけていた剣を掴み背中に装備する。
「おう、またなディアン」
「じゃあね~」
「気を付けて帰れよー」
ヒラヒラと手を振る三人に背を向けて一足先にディアンは店を出る。店主に「ごちそうさまでした!」と伝える事は忘れていない。
ディアンが店を出ると既に空は黄昏色に染まっていて、今日は少々長居をしてしまったと苦笑が漏れた。友人に会うとつい話が長くなってしまうのは仕方がない事で、情報収集も冒険者には大事な事なのだ。
それにしても、と家路を辿りながらディアンは考える。
この国には白い神獣という神の使いがいて、この国の王を選ぶのだとディアンは教えられた。
そんな神獣が選んだ人ならばさぞ素晴らしい王なのだろうと、小さい頃はそう思っていた。
しかし、何年かして「王は、我々民の事など気にしておられないのじゃろう」と寂しそうに笑って王の噂を教えてくれた人は、「仕事もせず部屋から出てこない」、「女を傍に侍らしている」などのくだらない話ばかりが聞こえてくるのだと言った。
ここに食うにも困る民がいるのに何をしているんだ、とそれを聞いたディアンが憤慨したのは当然だろう。
今の王の時代は戦争や紛争もなく二百年近くも続いているのだから、その王はけして悪い王ではないのだろうとディアンも思う。しかしその王が変わると聞いてもディアンの感情が揺れる事は全くないと言い切れる。
生まれてまだ16年しか経っていないディアンからすれば、噂でしか知らない王の事などハッキリ言って興味はないのだ。
けれど、とディアンは口を引き結ぶ。
次に王になる人は民の事を想ってくれる人であればいいと思う。しかしその反面、それはきっと実現しないだろうとも思っている。今の王は貴族出身だと聞いていたし、次の王もきっと何処かの貴族から選ばれるのだろうと想像がつくからだ。
貴族というものはここの領主のように、孤児院をぞんざいに扱うような者達ばかりだとディアンは思っている。そう考えれば今の王が何もしてくれないのは当然のように感じ、ディアンには全く関りのない世界なのだと納得もする。
「やっぱり、王なんて碌なもんじゃない」
ため息交じりに独り言ちるディアンの声は、闇に包まれ始めたソーラムの一画へ静かに溶けていった。




