〔2〕小さな町の片隅で
「おじさん、いつもの定食ひとつ!」
「あいよ、直ぐに持ってくから座ってまってな」
空高くそびえる積乱雲が朱色に染まる頃、中性的な顔をした少年が美味しそうな匂いを漂わせる店の扉を潜り、直後、大声で注文をしてから空いている4人席に遠慮なく腰を下ろした。
生成りのシャツの上に茶色い革のベストを着こみ、下はゆったりした黒いズボンと頑丈そうなブーツを履くその少年ディアンは、背に担ぐ剣を外して後ろの壁に立てかける。
耳の下で切りそろえた真っ直ぐな藍色の髪を舞わせて振り返れば、重そうなお腹を包む花柄のエプロンを軽快に揺らしながら、料理を両手に持った店主がもうこちらへ向かってくるところだった。
ここは店主のカート・ブラニガさんと厨房にいる奥さんのリアーナさんが営む食堂で、二人ともふくよかで包容力がある楽しい人達の店だ。
ただしリアーナさんは滅多に厨房から出てこない為、客の間では奥さんを溺愛している故に皆に見せたくないのだろうと言われていた。
そんな店では今日もカートさんが一人、ホールで動き回っている。
「ほんと、いつも出てくるのが早くてビックリするよ」
目の前に置かれていく熱々の料理に、ディアンは紫紺色の目を細めて笑みを深める。
「わっはっは。うちは早くて安くて美味いのが信条だからな。今日も沢山食べてってくれ」
「勿論そのつもりだよ。それじゃーいただきますっ」
話すそばから木製のカトラリーを手に取ったディアンは、店主が背を向けた頃にはもう食べ始めていた。
口いっぱいに頬張って目を細めるディアンの顔は、言葉がなくとも「美味しい」と言っているのは明白だ。
ここは、アルメオラ国北東の端にある小さな町ソーラム。
人口は七千人程で、ディアンが通う冒険者ギルドにも冒険者達が百人前後は出入りしていると聞く。
その為、ギルドの依頼は奪い合うようにして消化されて行くのだから、毎朝の受付時間に出遅れる訳にはいかないと、朝早くから冒険者ギルドに顔を出し依頼をこなす日々をディアンは送っていた。
冒険者とは“冒険者ギルドに所属する者”の事で、その冒険者ギルドとは、言ってしまえば『便利屋』みたいなものだ。
冒険者ギルドへは身分や年齢に関わらず誰でも依頼を出す事ができ、失せ物探しから掃除洗濯に始まり、危険を伴う魔獣退治などもお願いする事ができる。
依頼は理由如何に関わらず出す事はできるが、それには冒険者ギルドが了承する金額を提示せねばならず、前者なら少額で後者ならば高額の依頼料となる。
要は『お金を出すから、自分の代わりにやってくれ』という事なのだから、内容に見合った金額を出すのは当然の事である。
因みに、魔獣というものは普通の獣が“魔素”と呼ばれる大気中に含まれる魔力を過剰に蓄積する事で、体内の構造に変化が生じて巨大化したうえに、身体能力や獰猛性までが増幅されたものの事をいう。
獣は余り人に近付かず田畑を荒らすくらいしか被害がないのに対し、魔獣は見境なく生物を襲いその血肉を喰らう危険な獣であり、その討伐を受ける者が命がけなのは言わずもがな。
それらの依頼を総じて受け付けているのが冒険者ギルドであり、その依頼を消化する者達が冒険者である。
冒険者のほうも出自を問わず誰でも登録する事ができ、最初は駆け出しと呼ばれるFランクからスタートする。その後経験と実力をつけて実績を積み上げていけば、FはEへと昇級し、D、C、B、Aへと上っていく。
別にランクなど必要ないと思うかも知れないが、ギルドはランクという制度を設定する事で所属する冒険者達の身の安全を守っているのだ。
ギルドへ来る依頼は予めギルド側が危険度や内容を考慮してランクごとに分類し、安価だが簡単な依頼は低ランクに割り振り、高ランクへは難度が高い代わりに高い報酬の依頼が受けられるという仕組みを作っている。
その為駆け出しくらいでは簡単で安い依頼しか受ける事ができず、依頼を掛け持ちして生活する者が多い。
冒険者は生活する為、平たく言うと金の為に活動しているのであって、どうせならば高額の依頼を受けたいと思うのは皆同じであり、その為に上位ランクを目指しているともいえる。
事実、冒険者になった者は皆、躍起になって上を目指しているのが現状だ。
そんな冒険者のディアンは5歳の時に両親を亡くしてから14歳まで孤児院で過ごし、15歳になると同時に孤児院を出て一人で生活を始めた。それには早く独り立ちをして、貧しい孤児院の負担を減らしたかったという意味もある。
他のところはどうか知らないが、ディアンがいた孤児院は慎ましい生活を余儀なくされている場所だった。
慎ましいといえば聞こえはいいが、食事は自分達が育てている野菜が主食であり、特別な日にだけ形が分かる肉が入った料理が出てくるという状況だった。親代わりの先生達も育ち盛りの子供には物足りないと分かっていただろうが、ない袖は振れないのだと今のディアンは分かっている。
元々孤児院とは人の善意で成り立つ場所であり、人々の寄付と僅かばかりの奉仕品を売って生計を立てている施設だ。当然寄付が多ければそれなりの生活が送れるのだろうが、理想と現実は程遠いものだ。
ディアンが持っている僅かな知識に因れば、孤児院の寄付の多くはその土地を管理する領主が行うものだと認識している。
しかしディアンがいた孤児院では、その領主は形だけ“やっている”という体裁を保つ程度で、寄付額は雀の涙であったらしいと先生達の会話を盗み聞きしたディアンは知っていた。
そんな環境でも笑顔を絶やさぬ先生達に育ててもらったディアンは、自立できる年齢になると直ぐに冒険者となり、少しでも孤児院へ恩返しができるようにと昇級を目指して日々真面目に冒険者業をこなしていた。
ディアンの冒険者ランクはD。
最近やっと昇級したのだ。
まだ16歳という年齢からすれば、2年目でDランクまで上がったのは順調なほうだとディアンは思っている。そして昇級した事で魔獣の討伐依頼も受けられるようになったディアンは、今までよりも高額な報酬を受け取れるようになっていた。
そんな依頼を終えての楽しみは、この食堂『タンポポ』の安くて美味い食事だ。
初めての魔獣討伐で疲れた体がすぐにでも栄養を補給しようと騒ぎ出していた時、いい匂いに釣られてたまたま入ったこの店が気に入って、それからは依頼後のご褒美としてここへ通っていた。
借りている家にも調理場はあるが、やはり一人分の食事を毎回作るよりも安くて美味い『タンポポ』のほうが効率もいい。
それに、温かな笑顔が迎えてくれれば一人で食べる食事よりも美味しく感じるし、この店には見知った顔も来るのでディアンは自然とタンポポへ足が向いていた。
「ディアンみっけ~」
「おっ、ディアンも来てたのか」
「おつかれディアン」
動かしていた手を止めて顔を上げたディアンは、声のするほうへと振り返る。
すると同じ冒険者仲間である見知った三人が手を上げ、店の入口からこちらへと歩いてくるところだった。
「オルル、ロセット、フェンスもお疲れ様」
「相席してもいいか?」
ディアンが言葉を返せば、すかさずロセットが聞いてくる。
店には他の席もまだあるが、これから混む時間になるため相席のほうがいいだろうとディアンは頷いた。
席に着いた三人はそこから「おやじさーん」と声を張り上げる。
「オレ、“コッコの揚げフライ”ね~」
「あ、俺も同じの!」
「俺は“メイメイの包み焼きフライ”を頼む」
彼らもいつも決まったメニューを頼むので言わなくても店主は分かっているとは思うが、彼らは自分で言わないと気が済まないらしい。
因みにディアンがいつも頼むものは“焼きもちハンパルグ”というメニューで、ビッグホーンとブルピッグという獣の挽肉を平たく伸ばして濃い目のソースを掛けた料理だ。柔らかな肉から溢れ出る肉汁が濃厚なソースと絡み合い、旨味と甘みとコクが絶妙でディアンの舌を唸らせる逸品である。
注文から間を置かず「あいよ」と小気味よい声が聞こえたところで、店主はもう料理を手にこちらへ向かってくるところだった。本当に早過ぎないかと思わなくもない。
「おやじさん、いつもマジでチョッパヤ!」
「わっはっは。それもウリだからな」
「厨房がどうなってるのかが気になる……」
「それは企業秘密だ」
「美味すぎる理由は?」
「そりゃあ愛だな」
と、オルルに始まりフェンスとロセットの話を軽く躱す店主は、料理に目を輝かせる三人にウインクして去って行った。
三人は目の前の料理をまずは腹に納めようと、わき目も振らず口いっぱいに料理を含んで食べ始めた。
それを微笑ましく見ているディアンも彼らと同じ事をしているのだが、それに気付いていないのは当のディアンだけだろう。




