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神獣と選ばれし王 【伍國豊穣記】  作者: 盛嵜 柊 @ 『シド』書籍化進行中
~白き獣と次代の王~

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〔24〕未知なるもの

「日帰りにしなくてよかった……」


 ディアンが呟いて見上げる空は、既に陽が傾いて薄闇が広がっていた。

 結局のところ、ディアンがアルマジーロを捕まえたのはそんな時間になってからだった。

 だが狩ったはいいが陽が落ちて、解体までは出来なくなってしまった。


「血抜きはしておきたいけど……。取り敢えず野営場所に移動しよう」


 こうしてディアンは網に入ったままのアルマジーロと、解体を済ませて小さくなったアルミラージを持って移動した。

 その移動先は、予め目星をつけていた昼に休憩した場所から程近い沢。

 そこは野原からも近く、何より水があるというのが選んだ理由である。


 ジャリ ジャリ と足音を響かせて薄闇の空を望む沢辺に下りる。

 頭上では濃紺に染まりゆく空に、半分に欠けた月と無数の星が瞬いていた。下げた視界を巡らせればある程度見晴らしがよく、野営地としても問題なさそうだとディアンは目視確認を完了させる。


 野営といえば、まずは焚火の準備からだ。

 しかし滅多に野営をしないディアンは、荷物を置いて焚き木拾いから始める事になった。そんな事で、火を入れる頃には辺りがすっかり暗くなってしまっていた。


 やっと熾した焚火を見詰めながら、ディアンは虫の音に消される程の小さな声を出した。

「そうか。ここに来るまでに小枝を拾っておけばよかったのか……」

 頭を掻きながら今回の反省を口にする。だがそうは言ってもこればかりは数をこなし、ひとつずつ経験を積んでいくしかない。

 反省はそれくらいにして、ディアンはアルマジーロが入った網へと視線を向けた。


「さて、次はコレをどうするか……」


 ディアンはこの依頼を受ける際、キャリイから今回の依頼について少し話を聞いてきた。

「アルマジーロは外皮が硬い為に解体は少し手間取るようですね。なので、血抜きをしただけの状態で持ち帰ってくる人が多いみたいですよ」

 そんなキャリイの言葉を思い出し、ディアンは渋面を作った。

「今から解体を始めたとすれば、視界も悪いし僕ではかなり時間が掛かるという事か……」

 視線を傍に流れる水へ移す。

 そうして暫し思案したディアンは、結局は血抜きをするだけに留める事にした。


 ディアンは網に入ったままの魔獣を担ぎ、沢辺を上流へ向かって歩き出す。

 水の流れを辿って歩いていくと、然程行かぬ場所に沢が黒い影を作っている個所があった。そこには低い段差ができ、落ちる水が土砂を抉って水深が少し深くなっている。小さな滝のようなものだ。


「ここに沈めておけば、血抜きは出来るはずだな」


 ディアンは先にその窪みに流れ落ちる水を袋に入れ、飲み水を確保する。

 あとは魔獣をここに浸しておけば血抜きは完了するはずだ。そんな算段で、ディアンは魔獣を網ごと窪地に沈めた。沢自体の深さはくるぶし程しかないものの、ここは思った通り、丸まったままの魔獣をしっかりと飲み込んでくれた。


「よし。これでいい」


 パンパンと手を払って振り返ると、ディアンが熾した焚火が暗闇で鮮やかに浮かび上がって見えた。

 周りを探り、危険な物の気配がない事を確認する。多重に響く虫の音を聞き、問題はなさそうだとディアンは明るい焚火の下へと戻っていった。


 ディアンが去ったあとに月明かりが影を作る場所では、色の付いた水が透き通る沢の流れに溶けだしていた。



 ◇ ◇ ◇



 ―パチッ―


 生乾きの枝が爆ぜて焚火が小さな音を奏で、心地よい温かさにディアンの意識は浮上する。

 完全に眠っていないが、目を瞑っているだけでもディアンは体の疲れは取れていく気がしていた。


 程々に疲れていたディアンはあのあと、干し肉を齧ってから背を預けて早々に体を休めている。

 明日は少し早めに起き、沢の物を引き上げて水を切っておく必要がある。さもなくば水分を含む魔獣は重みを増し、ディアンの行動の妨げになってしまうだろう。

 夢うつつの意識の中で明日の予定をなぞっていたディアンは、その時急に訪れた違和感に、夢から覚めたように突として目を見張り立ち上がった。


 しかし辺りを見回しても、それが何かを確かめる事ができない。

「…………」

 不安と焦りがディアンを襲うも、焚火の向こうの暗闇に目を凝らす事しか出来なかった。

 なんだ、なんだ、なんだ、なんだ……。

 思考の中をひとつの言葉が埋め尽くす。

 バクバクと音を立てる心臓が、ディアンの鼓膜を支配する。

「!! そうか……」

 その違和感の正体を掴み、ディアンは背中の剣を引き抜いた。


 ディアンの耳にある音は、目の前の炎が立てる音だけだ。しかし本来ならば虫の音が聞こえなくてはならないのだと、ディアンはその違和感にやっと気付く。


 ジャリッと足元の小石を鳴らし、ディアンは剣を両手で握って焚火から距離を取った。

 最近こんな事ばかりで運がない、と通り過ぎていく思考。

 焚火の音だけが響く中、ディアンの手にする剣だけが光を反射して輝いている。

 五感を澄ませて気配を探るものの、ディアンを襲うはずのチリチリとした感覚はない。


「魔獣、ではない……?」


 視線だけを動かしながらディアンは唇を湿らせた。

 しかし油断する訳にもゆかず、ディアンの額に冷たい汗が流れていく。そしてその状態が暫く続いたあと、ディアンは弾かれたように上流へと視線を向けた。


 ―何かが来る!―


 それはまだ漠然としたものなのに、ガルムの時とは比べ物にならない程の重圧だった。次いで訪れたのはチリチリとする魔獣特有の感覚で、それも今までで感じた事のない全身に突き刺さる強い刺激を伴っていた。

 まだ姿を見せてもいない物が放つ気配は、ディアンを圧し潰さんと徐々に大きく重くなっている。足元からは、微かな揺れも伝わってくる。


 視線を離す事もできないが、かと言って留まっていれば得体の知れない何かが近付いて来る事は明らかだ。

 これはディアンでは太刀打ちできないものだ、絶対に……。

 小刻みに揺れる剣がキラキラと光を放つ。

『逃げなければ』と繰り返す思考に沈むも一歩も動けず、ディアンは崩れ落ちそうな足に辛うじて力を込める事しかできなかった。

 それは弱肉強食が成り立つ理の中で、明らかにディアンが今この場においての弱者だと自覚させた。


「はぁっはぁっ」

 ディアンの荒い息が喉元を過ぎていく。聞こえる早い鼓動に耳鳴りが混ざり、視界も色が失われて行った。

 ディアンは次第に自分の感覚が鈍くなっていく事を、どこか冷静に感じ取る。

 今ディアンの顔を見る者がいたとすれば、きっと真っ青に見える事だろう。

 それくらい極限まで追い詰められた人間は、動作も感覚も呼吸さえ自分の意思ではどうにもならなくなるのである。


 ―ドーンッ ドーンッ ドーンッ―


 急ぐでもなく、時々僅かに止まりながらも、地響きは一定の間隔で近付いてきた。

 それは得体の知れぬ魔獣が立てる足音。そうディアンの心は警告する。

 カラカラに乾いたディアンの口は言葉さえ乾燥させ、時折ヒュッと漏れた呼吸音だけが不規則に通り過ぎていった。


 緊張が続く中、程なくディアンの視界の先に小山のような黒い影が現れる。次いで黒い小山に浮き上がる二つの赤い光が、異様な高さにあると知る。


「?!」


 まだ遠方にあってもその影は、沢に寄り添う木々と比べても優に四メトルはあると見て取れる。

 そして影は沢辺一杯に広がり、まるで沢をせき止める大岩にすら見えていた。


「どう、するんだよ……」


 意味不明な言葉が誰に向けられたものか、最早ディアンにも分からなかった。

 それは単に、まだ自分が生きている事を確かめる為だけにディアンが紡いだに過ぎないのだから。

 しかし声が出たのならばまだ自分は動けるという事。そう己を鼓舞し、ディアンは無理にでも肺一杯に空気を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。


「ふぅーーーーーーっ」


 するとこの一呼吸は耳鳴りを薄くし、視界にも色を戻してくれた。

 だが希望を見たのも束の間。

 赤い双眸(そうぼう)がディアンを射抜く。


 目が合った。


 そう感じた瞬間、ディアンの視線は縫い付けられたように外せなくなり再び体は硬直する。

 パチパチと音を立てる焚火だけが、その空間にあっても変わりなく動いていた。


『グモォォォォォーーーー!!!』


 突如、小山は耳を(つんざ)く咆哮を上げた。

 遠くで一斉に何かが羽ばたく音を立て、一瞬で森の広い範囲が動き出した事をディアンは悟った。

 その異様なまでの存在感に、森全体がこの魔獣を恐れているのだと理解する。


 ――ドォーンッ――


 その時、黒い影は重厚な音を立てて半分の高さに変化した。

 それが二足歩行から四足歩行に変わった為だとディアンの思考は判断した。

 ―来るっ!―

 ディアンが思うと同時にそれは動き出す。

 ドカドカと地を揺らしながら向かってくる大きな影の、その先頭にあるのは鈍く輝く二つの赤い光。


 唇は薄く開かれたまま瞠目するディアンの瞳の中で、その全容が次第に明らかになる。

 焚火によって照らされる空間に足を踏み入れたそれは、錆色の巨大な熊の形を取ってディアンに迫った。


 ディアンも獣の熊であれば見た事はある。

 しかしこれはいくら魔獣といえど、最早熊の形を取った別の生物であると言わざるを得ない。


 それ程までに常軌を逸した存在感と、異様なまでに膨れ上がった殺意を放つものを、ディアンはこれまでに一度も見た事がなかった。


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