〔20〕気苦労の対価
「ほぅ、際涯とはこんな風になっているんだね。まさに壮観という言葉に尽きる」
感嘆の息を吐くウォーレンは、遠く、何処までも広がる景色を眩しそうに見詰めていた。
このアルメオラ国は、四方を瀛で囲まれた独立した国土を持つ。国の縁は地の最果てを意味する“際涯”と呼ばれる崖で囲まれ、そこから望む絶景は見た者に畏怖と感動を与えると云われている。
際涯から見渡す景色は果てしなく続く濃紺にそまる瀛、ただそれだけしかないものの、辺境に住まぬ者は機会があればそこから望む景色を見てみたいと思うらしい。
ただし崖上から瀛までの落差は優に60メトルはあり、下を見れば恐怖に目を回し二度と行きたいとは思わないはずだ。それでも、一生に一度は際涯に行ってみたいと口にする者は多いのだとか。
「しかし、ここからでは陸地が見えないのだね」
振り返ったウォーレンがディアンの瞳を見詰めた。
視線を受けるディアンも、実はこれまでに一度も際涯まで来た事がない。
だがこの国は瀛に囲まれているのだとディアンは既に聞き及んでいた為、際涯からは瀛しか見えない事になんの疑問も抱いていなかった。ウォーレンがどうしてそんな事を言うのか、ディアンは逆に疑問に思い首を傾ける。
「ん? 何で瀛の中に陸地があるんだ? そんなの見えたほうがおかしいだろう? 瀛は瀛だ。国の端っこだからな」
ディアンは少しの驚きを含んで持論を述べる。
「おや? ディアンはこの瀛の向こうにも国がある事を知らないかい?」
ディアンは瞠目し、そして目を瞬かせた。
「それは聞いた事がなかった。初耳だ」
「そうなんだね。といっても他の国の事など知らない者のほうが多いから、ディアンが別におかしい訳ではないよ」
「………………。でもそう説明されれば、確かに瀛の何処かに何かが見えてもいい気はするな」
「そう思うだろう? でも何も見えないんだよね」
ガクリと大袈裟に肩を落とすウォーレンだが、念願の際涯へ来られたからか機嫌はよさそうだった。
ディアンはこれまで、この国以外にも国があるなどとは考えた事もない。だがこうして教えてもらえた事で、確かに何処かに見えるのではと気にはなってくる。
ディアンは木々が途切れた剥き出しの地面を歩き、遮る物のない崖の際まで進み出た。
吹き抜ける風は強く、まるでディアンを崖下へと誘っているように外套をはためかせる。それは被っているフードをはずし、ディアンの髪までも弄んでいった。
見渡す限りの濃紺は、絶え間なく白い線が動いている。それが『波』と呼ばれるものだとディアンも知っているが、勿論目にするのは初めてで、形を変えるその波をディアンは記憶に留めるように見詰めていた。
「綺麗だな」
「おや? ディアンも際涯は初めてなのかい?」
静かに隣に並んだウォーレンが、ディアンの顔を覗き込んだ。
「ああ。僕だけではまだ、ここまで来られないからな」
「―――そういう事か。確かにソロのDランクでは、流石にまだこの辺りの魔獣は厳しいね。パーティーでも組まない限り、ここまで来る事はできないか」
ディアンは視線を瀛に向けたまま、ウォーレンに頷いて返す。
「なあ、他の国ってこの国よりも住みやすいのか?」
「……」
ウォーレンからの返事がなく、ディアンは視線を隣人へと移動させる。
その視線を受けたウォーレンが、少し困ったようにディアンを見下ろした。
「……ディアンは他の国が住みやすいのならば、そちらへ行きたいと思っているのかい?」
揶揄うでもなく、ウォーレンからは真剣な眼差しがディアへ注がれていた。
「別に。ただ、他の国も同じなのかと聞いて見ただけだ」
ディアンがそう応えれば、ウォーレンの視線は崖の向こうへと流れていった。
「そうか。住みやすいかどうかは人それぞれ受け取り方が違うだろうし、他の国がどうなっているのかまでは私も知らぬ事で答える事はできない。ただ、私は自国の繁栄を望む者として、もしも今がディアンにとって住みよい国でないのなら、原因を特定しそれらを改善したいと考えてしまう。だが私にはその力はなく、机上の空論ではあるけれどね……」
「そうか。そうだな」
ディアンもそう呟いて、何処までも続く瀛に視線を向けた。
◇ ◇ ◇
ディアン達は際涯には立ち寄ったものの、日が暮れる前にはソーラムに帰り着いた。
その後ギルドで報告と買い取りを済ませたあと、ウォーレンとはあっさりギルドの前で別れる事になった。
「またね」と手を振りながら去って行くウォーレンの背中を見送ったあと、ディアンは深く息を吐き出して力を抜いた。
ディアンはこのあと食事に行こうなどと誘われたら、どうやって断ろうかと思っていたのだが、そんな気配すら見せずに去っていくウォーレンには最後まで振り回された結果となった。
それでなくともディアンは、言動でボロを出さない為に一日中ずっと緊張していた。お陰でディアンの精神はまあまあ消耗してしまっている。
とはいえその緊張のかいはあり、ウォーレンからは色々と教えてもらう事もできたし際涯も見る事ができた。それに何より、今日の報酬はディアンの苦労を補って余りあるものだった。
提出したクリプトンボアの外皮は、一体分のアルメ銀貨72枚。
これは個体の大きさに関わらず一律だった為、報酬が変わらなかった事はちょっと残念に思ったが、その代わりといえるのが持ち込んだ肉や牙などの素材の値段だった。
肉は“一体につき銀貨20枚から”となっていたが、解体して持ち込んだ肉と牙などの素材は、解体手数料を含むと銀貨54枚にもなったのだ。それは個体の大きさがここで響いたからだった。
結果、依頼分ともろもろ合わせた銀貨126枚はウォーレンから当然半々だと言われ、ディアンは喜んで受け取った。
Dランクのディアンにとって銀貨63枚は20日分以上の報酬に相当し、その金額を一日で稼ぐウォーレンはやはり凄い人なのだと感服したのだった。
そのような事であっさりとウォーレンから解放されたディアンは、夕飯どきより少し前だった事もあり、タンポポへと足を向ける事にした。
今日の自分へのご褒美だ。
「おじさん、いつもの定食ひとつ!」
「あいよ、直ぐに持ってくから座ってまってな」
お決まりの注文を投げ、ディアンはまだ余裕のある壁際の席のひとつに座る。背中から外した剣を置くころには、いつも通りに店主が熱々の料理を持ってこちらへ近付いてきていた。
「カートさんは、まるで僕が来るのを分かってるみたいだね?」
「はっはっは。それも企業秘密だな」
ニヤリと笑うカートさんは、「今日も沢山食べていってくれよ」と言い置いて厨房へと戻っていった。
この料理の提供の速さは誰にも教えてくれないらしく、ディアンの永遠の謎になりそうだ。
そんな事を考えて微笑んだディアンは、目の前の料理に意識を切り替えて早速食べ始める。
しかし二口目を頬張ったところで、ディアンは店に入ってきた者達に気付いて入口へと視線を向けた。
「あ、ディアンが来てる」
「ほんとだ~、ディアン数日振りぃ~」
「お疲れ」
フェンスとオルルにロセットが、顔を上げたディアンに手を振りながら向かってきた。
「相席してもいいか?」
そしていつものようにロセットが律義に聞いてくる。
「勿論」
ディアンがどうぞと頷けばフェンスがディアンの隣に、オルルがディアンの対面でロセットがその隣に座る。
そして大声でいつもの料理を頼むのまでが、ディアンが見慣れた光景だ。
そして料理が揃えば四人の会話が始まる。
「今日はなんの依頼を受けたの?」
フェンスが隣のディアンを覗き込む。
「……今日はクリプトンボアの素材依頼だった」
ディアンの返事にフェンスやオルルは首を傾けるが、ロセットだけは魔物の名前を知っていたのか目を見張った。
「クリプトンボア? そんな魔獣がいるんだね~」
「へえ、どんな魔獣だったの?」
オルルとフェンスは魔獣という言葉を口にするも、やはりその名前は知らない様子だ。
そんな二人をよそに、ロセットはフォークを置いてディアンに言った。
「それってDランクじゃないだろう? そんな魔獣をディアン一人で受けたのか?」
明らかに心配してくれていると分かるロセットに、ディアンもフォークを置く。
そして魔獣がBランクである事や、それにはBランク冒険者が一緒だった事をかいつまんで話していった。




