〔12〕またお前か
その日ディアンが町へと戻ったのは、薄灰色の天空に高くそびえる雲を赤く染めた夕暮れ時だった。
本来ならば雨が上がったあとすぐに町へ戻る予定だったはずも、ディアンが動けるようになるまでに時間が掛かった為に、随分とずれ込んでしまっていた。
冒険者となったディアンは、これまでに何度も危険な目に遭った事はある。
だから恐怖に対する耐性が付いてきたと思っていた。しかし、今回は相手がガルムだったが為にこれまでにない負荷が心身を襲い、なかなか感情を立て直す事ができなかった。
そのうえ斃れたガルムを放置するわけにも行かず、強張る体をなんとか動かしたディアンがガルムも回収し、更に背負う荷物が増えた事も重なった。
ガルムはディアンの背丈以上ある魔獣だ。故に帰路の歩みが遅くなるのは致し方なく、あれ以降魔獣に遭遇しなかった事だけが救いだったといえる。
その帰路で一歩一歩進む森の中、あれが夢でなかった事は背の重みで嫌でも分る。
ディアンが目を瞑ったあの時、一体何があったのか……。
黙々と歩みを進めながら先程の出来事を思い返すものの、もうその一瞬を知る術がないディアンの思考は堂々巡りを繰り返していた。
ただその中で、最後に見えたあの白い何がガルムを止めてくれたのだろうとは想像がついた。
ガルムを屠ったあれが何かは分からないが、傍にいたディアンには見向きもせずに去って行ってくれたのだと思うしかない。
それは何故?
いったい何を考えてそんな行動に出たのだろうか。
理由などないただの気まぐれだったのか、もしかするとあのガルムと何か因縁があったのかも知れない。だがそんな事を考えても、ディアンには答えに辿り着く事は永遠にできないだろう。
そんな堂々巡りを続けていたディアンの予定が、これからまた狂う事になるとは、この時のディアンは知る由もなかった。
町に戻り早々に冒険者ギルドへ報告に向かったディアンは、何故か再びギルドの応接室に連れていかれる事になった。
応接室のソファーに所在なく座るディアンの対面には、既に見知ったギルド長のレイモンド・ルカーサが座っている。
「それで、どういう事だか説明してもらえるんだろうな」
ギルド長は、「またお前か」という視線を寄越しながら腕を組んだままディアンに言った。語尾が疑問形でない事から、ギルド長が納得してくれるまで帰れないのだろうとディアンは乾く唇をそっと湿らせた。
「ええっと、先程受付で話した通り僕が倒した訳じゃなく……」
「それは分かっている。確かにガルムの首元の傷は刃物ではなく、何かに噛み切られた痕だったからな。だから説明を求めているんだが?」
目を眇めて圧を出すギルド長は、ディアンの逃げ道を確実に塞いでいた。
そんなギルド長に、冒険者を守ってくれるんじゃなかったのかよ……と思わなくもないディアンである。
依頼を受けた冒険者には、冒険者ギルドに完了報告をする義務がある。
それがなければ依頼が失敗したとみなされる為、期限に余裕があるもの以外はその日の内にギルドへ行かなければならないのだ。
だから町へ戻ったディアンは疲れた体を引きずって冒険者ギルドへ報告に向かった訳だが、依頼の獲物であるララビットと共に背負っていたガルムは当然受付に見付かり、それはどういう事だという話に発展してしまった。
ガルムは単体でもCランク。
それをDランクのディアンが持ち込んでいる為、当然何か言われるだろうなとは思っていた。思ってはいたが、まさかそのまま再びギルド長に会う事になるとまでは思っていなかった。
ディアンはもう疲れていたし、報告と買い取りが終わり次第そのまま直帰するつもりだったのだが……。
「ですから。僕が襲われそうになって目を閉じていた間に、何かがガルムを倒してくれたんです」
「だから、その何かとはなんだと聞いている」
「……知りませんってば。僕は目を瞑っていたんだし、去って行くものをチラッと見ただけなんで」
「その見たものは?」
「僕にはそれが何かは分かりません。本当にチラッとだけでしたし……そう言えば色は白っぽかったですけど、その程度です」
ギルド長は眉間にシワを寄せはしたのもの、やっとディアンが本当に知らないと分かってくれたのか、それ以上詰め寄る事はせず、ソファーに背を預けて考え込むように目を閉じた。
本当にこれ以上聞かれても、ディアンにも答える事はできないのでどうしようもない。
ただしまだ言っていない事はあるが、それは単にディアンの推測であって言葉にはできなかった。
ディアンは、あれは何かの獣だったのではと思っている。
消去法で考えれば、あれが魔獣という線はない。魔獣は生き物を無作為に襲うと云われているので、ディアンに見向きもしなかった時点で魔獣という線は除外していい。
そして人だったという線もあるが、それはガルムの傷口を見た時に消えた。
そうなると残りは獣という線が残り、ガルムの傷口とも一致するし、あれは獣だったのだろうと推測ができる。
しかし、ディアンが見たのは一瞬で、見えたほんの一部の体が白っぽかったという事しか分からない。
体の一部に白を纏う獣など、それこそいくらでもいる。
野兎しかり、鹿や熊だって体毛の一部に白いところがある。それを上げていけば切りがなく、そしてディアンを見逃した意味も分からぬままだ。更にそれ以外の生き物となるとディアンには皆目見当もつかない。
だから辿り着いた結論は「なんでもいいか」で、ディアンは半分もう思考を放棄している状態だった。
実際に考えたところで正解など分かるはずがないのだ。
前回の時もそうだったが、調べても分からないものは考えるだけ時間の無駄。もう、なるようにしかならないのだから。
ディアンがそんな思考をしていれば、動きを止めていたギルド長がソファーから背を起こした事でディアンも視線をギルド長へと戻す。
「ディアン。お前、何か飼ってるのか?」
「はあ??」
思わず素っ頓狂な声を出したディアンの反応を見て、ギルド長は即座に首を振った。
「あーそれはないか。それに前回は爆破だったからなあ……。今回は獣の噛み痕だったからそう思ったんだが」
ポリポリと頭を掻きながらギルド長は言った。
「一応お答えしますが、僕は貧乏です。動物を飼う余裕はありません」
「まあ、そうだろうなぁ」
それに獣臭がしないからな、と要らぬ一言を付け加えるギルド長。
失礼なギルド長の言葉は聞き流したものの、思わずディアンの顔が赤くなる。
男の振りをしてはいても、これでも一応女性なのだ。“匂う”と言われれば当然恥ずかしいと思ってしまうのは仕方がない。一応毎日体を拭いて、清潔にはしているつもりだが……。
「いや、ディアンが臭いとは言ってないからな。もしも獣を使役していた場合の話だ」
「へ? 獣って使役できるんですか?」
別の方向に興味を持ったディアンを見て、ギルド長は「ああ」と納得したように言葉を続けた。
「この町には獣や魔獣を使役している冒険者はいないから、ディアンが知らないのは当然だな。条件はあるが“できる”とだけは言っておこう」
それを聞いてもさっぱり意味が分からない為、「そうなんですね」と上辺の知識として“使役できる”という言葉だけをディアンは飲み込んで頷いた。
「へえ~、ディアンは興味がなさそうだな。この話をすれば殆どの奴が興味を持つっていうのに」
感心したように言ったギルド長の顔は、面白いものを見たという風に笑っている。
「使役すれば獣臭くなるんでしょう? それにどうせ僕はその条件には当てはならないと思います。だから聞いても仕方がないと思って」
「確かにその通りだな。だが今後他の町に行くことがあれば、使役する者達を見る事もできるだろう。興味があるならそいつらに色々と聞いてみればいい」
「ですね。そうします」
「―――まあ話は逸れたが、今回の件は報告書のままギルドに情報として乗せるからそのつもりでいてくれ。一応ギルド長クラスまでの情報にしておくが、これを隠蔽しておく訳にはいかないからな」
「……はい。分かりました」
それとなく配慮をしてくれたギルド長に、ディアンは諦めたように首肯を返した。
誤字報告をいただき、ありがとうございます。
大変助かっております!
引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。




