Episode 79
神聖で満ち足りたラク・トゥイの渡し場の灯籠流しの夜が過ぎると、果てしなく広がる原生林は、まるで何かに洗い清められたかのように、再び本来の静寂と安らぎを取り戻していた。
最後に残った灯籠たちは、胸の奥に秘められた思いや願いを乗せ、果てしない下流へと流れ去っていった。川の両岸に暮らす人々の日常も、少しずつ元の営みへと戻り始めていた。子供たちは再び水辺で賑やかな歓声を上げながら遊び回り、鍛冶屋の老人が振るう槌の甲高い音も、毎朝変わらず響き渡る。ラク・トゥイの流れは穏やかに川面を滑り、洪水によって崩れた岸辺も、堤を築き直し、少しずつ修復されていた。
僕、ラム・チエウ・バンにとって、万物はすべて、それぞれあるべき場所に落ち着いたように思えた。
夜明けの薄明かりが差し込む頃、僕は洞窟の入り口に腰を下ろし、静かに荒縄を手にしていた。片手だけで結び目を解く技を、根気よく磨いているところだった。
左手で縄の端をしっかりと押さえ、右手の指先を巧みに動かしながら、幾重にも絡み合った螺旋状の結び目を一つずつたどっていく。焦らず、急がず。ほどいては結び直し、縄が決して絡まって乱れないよう、細心の注意を払っていた。
小さなリスは苔むした岩の上に仰向けになり、丸々とした腹を朝の暖かな日差しにさらしていた。
朝食をすっかり平らげた今、主人の修行を監督するという、ほかならぬ退屈な仕事以外にすることはないらしい。
「朝からずっとその縄をいじくり回しているが、飽きないのか?」
リスは大きなあくびをしながら、からかうように言った。
僕は顔を上げようともしなかった。
「技を身につけているところだ」
「縄を結ぶのに、何をわざわざ習う必要がある? 子供にだってできるぞ」
「そう思うなら、お前もやってみればいい」
リスはたちまち口をつぐみ、身体を丸めて、何事もなかったかのように横たわった。
「私は人間ではない。そんな些細なことを覚える必要などないのだ」
僕はかすかに笑った。
「なら、お前はもう覚えなくていいな」
そう言って、縄を軽く引いた。
次の瞬間、ひどく複雑に絡み合っていた結び目が、驚くほど滑らかに、いとも簡単に解けていった。
満足した僕は、縄を脇に置き、いつもの竹の枝を手に取った。
ここ最近、僕はフア・ティン・ティーとズア・トゥオンから教わった武術の初歩を、自分なりに整理し、組み合わせるようになっていた。
構えを取る際も、以前のように両脚を無闇に強張らせ、その場に棒立ちになることはなくなった。移動するときは、身体の重心と相手との間合いを保つことに意識を集中する。さらには、転倒した際にも自然と反応できるようになっていた。顎を胸元に引き寄せ、肩を斜めに傾け、腕で衝撃を分散させる。硬い岩場に素手を突き立てて身体を支えるような愚かな真似は、もうしない。
とはいえ、これだけで立派な武芸を身につけたなどとは到底言えない。
それでも、少なくとも今の僕は、何も知らず、ただ闇雲に手足を振り回していた無知な子供ではなくなっていた。
僕はしなやかに左後方へ一歩退き、腰をひねって身体の向きを変える。さらに半歩、後ろへと退いた。
敵に不意に手首をつかまれた場合を想定した動きだった。
力任せに腕を後ろへ引き抜こうとするのではなく、相手の握りにわずかに生じる隙間を探りながら、手首を滑らかに回す。同時に足を斜めへ踏み出し、引き寄せる力の軌道から身をかわす。
一連の動作は、以前に比べて格段に滑らかで、自然なものになっていた。
「まあ、悪くない」
リスは首を反らし、大きなあくびを一つした。
「毎日毎日、私はお前の『悪くない』という言葉を聞かされている気がするぞ。もう聞き飽きた」
「一日過ぎるごとに、自分がほんの少しずつでも成長していると感じるからな」
「だが、私には、お前が今でも雀一羽捕まえられそうに見えないがな。捕まえてきて、おかずにでもすればいいものを」
僕は思わず声を上げて笑った。
「そもそも僕は、鳥を捕まえようなんて夢を抱いたことは一度もないぞ」
竹の枝を片づけ、僕は勢いよく立ち上がった。
今日の予定は、村へ下りてファム・フウ・テーに会うことだった。以前から二人で約束していたのだ。先日の大洪水で船底が大きく裂けてしまった木造船を、一緒に修繕することになっている。
そのついでに、紙と墨を扱う店にも立ち寄り、店主の老人が、ファン・トゥックという名の異人について何か新しい手掛かりを集めていないか、探りを入れてみるつもりだった。
籐籠を持ち上げ、中に入れた薬包みを一つずつ確かめてから、僕は洞窟の外へと足を踏み出した。
しかし、岩の庇を出た途端、ふと足が止まった。
洞窟の入り口に広がる湿った地面に、見覚えのない靴跡が残されていたのだ。
野生の獣の足跡ではない。
もちろん、僕自身の履き慣れた靴の跡でもなかった。
僕はその場にしゃがみ込み、注意深く観察した。
右手側にある大岩のすぐ脇に、靴底の模様まではっきりと刻まれていた。昨日の雨でできたぬかるみはすでに乾いていたものの、木の根元にわずかに残っていた泥は、靴で踏みつけられて無惨に潰れている。
足跡は洞窟の入り口へ向かって伸び、その後、来た方向へ引き返していた。
誰かが、僕の住処にまで入り込んで様子を探っていたのだ。
しかも、今回が初めてではないに違いない。
僕は素早く顔を上げ、周囲に生い茂る松の枝葉へと警戒の目を向けた。
肩にしがみついていたリスも、ただちに口を閉ざし、息を潜める。
「誰かが、ここに忍び込んできたのか?」
リスが声を潜めて尋ねた。
僕は答えなかった。
ゆっくりと歩き、年老いた松の幹に近づく。すると、その荒々しい樹皮に、真新しい傷が刻まれていることに気づいた。
短い三本の傷が、水平に、平行に並んでいる。ちょうど大人の目の高さだった。
獣の爪痕でないことは明らかだった。
僕は指先を伸ばし、その傷にそっと触れた。
傷口からは、まだ新しい樹液が滲み出していた。
もう一度周囲を念入りに見回してから、僕は慎重に洞窟の中へ戻った。
隠してある貴重品は、すべて元の場所に残されていた。秘密の岩穴も荒らされた形跡はなく、入り口を覆っている偽装用の土にも、掘り返された跡はまったくなかった。
つまり、侵入者はまだ、僕が品々を隠している場所を見つけてはいない。
僕はしばらく、その場に立ち尽くして考え込んだ。
「誰かが、とうとう私たちの住処を突き止めたようだな」
リスは僕を見上げ、その長い耳をすっかり垂れ下げた。
「いっそのこと……どこか別の場所へ引っ越して、隠れたほうがいいんじゃないか?」
僕は洞窟の中を見渡した。
ここで暮らし、ここを頼りにして、もう何年もの歳月が過ぎた。岩壁に刻まれた無数のひびも、入り口に転がる小石も、雨風を遮ってくれる木の枝も、その一つ一つが、まるで自分の身体の一部であるかのように馴染んでいた。
今さら、この場所を捨てて見知らぬ土地へ流れていく気にはなれなかった。
「まだ、引っ越す必要はない」
僕は乾いた枝を拾い、腐葉土を寄せ集めて、見知らぬ靴跡をすっかり覆い隠した。
それから籐籠を持ち上げ、迷いなく外へ出た。
ただし、いつもとは違う。
今回は、慣れ親しんだ山道を使わないことにした。
川辺に着くと、フウ・テーが底の抜けた木造船の傍らにしゃがみ込んでいた。
小さな鑿を使い、船底の腐った木材を慎重に削り取っている。時折、身をかがめては、長く走る亀裂の具合を確かめていた。
僕の姿に気づくと、フウ・テーは道具を置き、声を張り上げた。
「おっ、来たか!」
「ああ」
「ほら、早くこっちに来てくれ。この板をしっかり押さえてくれよ」
僕は籐籠を脇に置き、彼のもとへ歩み寄った。
二人で長い板をしっかりと支え、フウ・テーが鉄釘を打ち込んで、朽ちかけた船底に固定していく。
しばらく作業を続けていると、フウ・テーがふいに顔を上げ、声を潜めた。
「なあ、チエウ・バン。最近、森の中で見慣れない奴らに出くわしたり、うろついているのを見かけたりしなかったか?」
僕の槌を振るう手が、ほんの一瞬止まった。
「どうした? 何かあったのか?」
「昨日から、いかつい顔をした男たちが何人か、あちこちで妙な聞き込みをしているんだ。山の中で一人暮らしをしている子供の行方を探しているらしい」
僕はじっと彼の顔を見つめた。
「そいつらは、どんなことを聞いていた?」
「こげ茶色の外套を着て、腰に短剣を差した男が、この渡し場にまでやって来たんだ。肩に小さなリスを乗せている子供を知らないか、しつこく尋ねていたよ」
僕は黙り込んだ。
フウ・テーは、僕の表情が変わったことを見逃さなかった。
「お前、そいつらを知っているのか?」
「いや、まったく知らない」
「じゃあ、そいつらはお前の名前まで尋ねていたのか?」
「おそらく、そうだろう」
フウ・テーは手にしていた槌を草の上に置き、深いため息をついた。
「チエウ・バン、一体何が起きているんだ?」
正直なところ、どこから話せばいいのかさえ分からなかった。
灰色の衣をまとった連中のこと。謎めいた木箱のこと。黒い金属片のこと。そして、傷だらけになっていた灰衣の少女のこと。
すべてを打ち明けることはできた。
しかし、その一つ一つが、僕自身でさえまだ全貌を理解できていない、暗い秘密と結びついていた。
結局、僕は話を濁すしかなかった。
「森の中で何かを探している連中がいるんだ。以前、何度か偶然出くわしたことがある」
フウ・テーは眉間に深いしわを寄せた。
「それって、前に見かけた、あの不気味な灰色の服を着た連中か?」
僕は驚いて顔を上げた。
「お前も、あいつらのことを知っているのか?」
「前に、古い鍛冶場のあたりで、そっくりな奴らを二人見かけたことがある。鍛冶屋のタ・チョン・ソンが逃げ出してからというもの、そいつらは何度か村に戻ってきて、村人たちにしつこく事情を聞いて回っていたんだ」
「それで、お前は何か話したのか?」
「何も知らないって言っておいたよ」
フウ・テーは僕をじっと見つめた。
「だが、あいつらが普通の鉱夫や、あちこちを渡り歩く猟師じゃないことだけは確かだ」
僕は船の縁へと目を落とした。
「僕も、そう思う」
フウ・テーはしばらく黙り込んでいたが、やがて心配そうに口を開いた。
「もしそいつらがお前を追っているのなら、ここ数日は、一人で森の奥深くに閉じこもるような真似はやめたほうがいい」
僕は唇を結び、何も答えなかった。
フウ・テーは困ったようにため息をついた。
「お前があの洞窟を離れたがらないのは、嫌というほど分かっているよ……」
「僕の家だからな」
「それも分かっているさ」
彼はゆっくりと流れるラク・トゥイの川面に目を向けた。
「でも、家っていうのは、結局のところ、安心して暮らせる場所でなきゃいけないだろう?」
僕は顔を上げ、友人を見た。
フウ・テーは続けた。
「しばらく、この市場のある集落に身を寄せたらどうだ? 少なくとも、何かあったときには周りに人がいる。近所の連中だって、力を貸してくれるはずだ」
僕は渡し場に所狭しと繋がれている小舟を見つめた。
フウ・テーの厚意は、痛いほど伝わっていた。
それでも、何の関係もない善良な漁村の人々を、自分の抱えている厄介事に巻き込みたくはなかった。
「自分で気をつけるよ」
「お前はいつも、そればかりだな」
「本当に気をつけるつもりだからな」
フウ・テーは呆れたように苦笑した。しかし、その瞳の奥には、深い不安が残っていた。
「分かった。これ以上、無理強いはしない。だが、よく覚えておけよ。何か少しでも危険なことが起きたら、すぐに俺のところへ来るんだ。いいな?」
僕は力強くうなずいた。
「ああ、分かった」
昼頃になっても、僕はすぐには洞窟へ戻らず、古書店に立ち寄ることにした。
店主の老人は店先に腰を下ろし、小さな箒を使って松の落ち葉を掃き集めていた。僕が近づいてきたことに気づくと、老人は顔を上げた。
「また本を漁りに来たのか、坊主?」
「いいえ。ファン・トゥックという方の行方について、少しお尋ねしたくて」
老人の箒を動かす手が止まった。
「まだあの男を探すことを諦めておらんのか?」
「はい」
「実は、お前より先に、あの男のことを尋ねに来た連中がいたぞ」
僕は驚いて瞬きをした。
「誰ですか?」
「見知らぬ男が三人だ。先頭にいた男は、顎から耳の付け根にかけて、曲がりくねった長い傷跡があった。そいつらは、九渓山脈の周辺にある古い石碑について、やけに詳しく聞いてきた」
僕の脳裏に、洞窟の周辺をうろついている連中の姿がよぎった。
「それで、あの人たちに何か話したんですか?」
「世間の誰もが知っているようなことしか話しておらんよ」
老人は箒を脇に置き、声を引き締めた。
「チエウ・バン、お前はまだ子供だ。あいつらの厄介事に、軽々しく首を突っ込むんじゃないぞ」
「ご主人は、あの人たちが何者なのかご存じなんですか?」
「詳しいことは知らん」
老人は大きく首を横に振った。
「だがな、長年の経験から言わせてもらえば、地中に埋もれた秘密を探し回るような連中は、自分たちの行動を他人に見透かされることをひどく嫌うものだ」
僕は黙って耳を傾けた。
老人はしばらく僕の顔を見つめていたが、ふと思い立ったように店の奥へ引っ込み、何かを持って戻ってきた。
「これを持っていけ」
差し出されたのは、背表紙が擦り切れた小さな本だった。
表紙には題名も著者名もなく、中には文字の基本的な書き方と、簡単な挿絵がいくつか記されているだけだった。
「最近のお前は、古い文字にずいぶん興味を持っているようだな。だが、あんな厄介な古代文字を読み解きたいのなら、まずは普通の人間が使う文字を、一通りきちんと覚えることだ」
僕は両手で恭しく本を受け取った。
「でも、僕には買うお金がありません……」
「誰が売ると言った?」
「それでは……?」
「持って帰って、しっかり勉強しろ。最後まで読みこなせるようになったら、返しに来ればいい」
僕は本を胸に抱き、老人を見上げた。
「本当にありがとうございます!」
「礼を言うのはまだ早いぞ。文字を覚えるというのは、お前が思っているよりずっと骨の折れることだからな」
僕は力強くうなずき、本を大切に抱えたまま、店を後にした。
肩の上にいたリスが、興味津々といった様子で本を覗き込んだ。
「それは食べられるものなのか?」
「食べられない」
「では、どうしてそんなに嬉しそうなんだ?」
「もうすぐ文字が読めるようになるからさ」
夕暮れが近づく頃、フア・ティン・ティーは竹林の中にある修練場を訪れていた。
彼女はまったく新しい剣の型を磨くことに没頭していたが、背後から忍び寄る足音に気づいた。
若い従者の少年が、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「お嬢様、お目通りを願っている者がおります」
「誰だ?」
「そ、それが……子供でございます」
フア・ティン・ティーは形の整った眉をわずかにひそめた。
「相手の名前も確かめなかったのか?」
「ラム・チエウ・バンと名乗っております」
彼女の剣先が、ぴたりと止まった。
「今、どこにいる?」
「竹門の外でお待ちになっております」
フア・ティン・ティーは従者を鋭く一瞥した。
「次からは、客人をそんなに長く日差しの下で待たせるんじゃないぞ」
彼女は長剣を鞘に納めると、足早に外へ向かった。
僕は古い本を両腕で抱え、一本の竹に背を預けて静かに立っていた。
彼女が姿を現すと、僕は手を上げて挨拶した。
「こんにちは」
フア・ティン・ティーは、まず僕の手にある本へと冷ややかな視線を向けた。
「わざわざここまで来て、何の用だ?」
「ちょっと教えてもらいたいことがあって」
「何だ?」
「古代文字について、何か知っていないか?」
「知らない」
僕は少し肩を落とした。
「そうか……」
フア・ティン・ティーは、僕が抱えている古びた本に目を向けた。
「新しい文字の本でも手に入れたのか?」
「はい。古書店の店主が貸してくれました」
「それなら、まずはその本に書かれている基本的な文字を、きちんと覚えることだな」
「僕もそのつもりです」
彼女は僕をじっと見つめた後、不意に手を差し出した。
「見せてみろ」
僕は素直に本を差し出した。
フア・ティン・ティーは黄ばんだページを何枚かめくった。
「今はどの文字まで覚えた?」
「自分の名前の書き方を覚えたばかりです」
「では、地面に書いてみろ」
僕は本を受け取り、乾いた小枝を拾って、湿った地面に自分の名前を書き始めた。
まだ不慣れで、線の傾きも不揃いだったが、それでも何とか判別できる形にはなっていた。
フア・ティン・ティーはじっと文字を見つめた。
「お前の『ラム』の字は、基本の筆画を間違えているぞ」
「どこが違うんだ?」
彼女は身をかがめ、指先で該当箇所を示した。
「ここだ。横線はもう少し長く引く。それから縦線は、曲がらないように真っ直ぐ書け」
僕は顔を上げ、彼女の指先を追った。
「君の書く字は、本当に綺麗だな」
「父上から幼い頃より厳しく教え込まれたからな」
「だったら、少しだけ僕にも教えてくれないか?」
フア・ティン・ティーは目を上げた。
「私は寺子屋の師匠ではないぞ」
「それは分かっているよ」
「それに、暇を持て余しているわけでもない」
「そうか。それなら仕方ないな」
僕はごく自然に答えると、踵を返して立ち去ろうとした。
フア・ティン・ティーは一瞬、呆気に取られたように固まった。
おそらく彼女は、誰かにきっぱりと断りを入れれば、相手は決まって食い下がり、何度も頼み込んでくるものだと思っていたのだろう。
ところが、僕のような頑固な子供が、あまりにもあっさりと諦めてしまったものだから、どう対応してよいのか分からなくなったらしい。
「明日……」
僕は足を止め、振り返った。
「何?」
「明日、お前が時間どおりにここへ来るのなら……基本的な筆画くらいは、仕方なく教えてやってもいい」
僕はぱっと顔を輝かせた。
「本当か?」
「私をいつまでも待たせるような真似はするなよ」
「心配しなくていいよ」
フア・ティン・ティーは背を向け、歩き出した。
しかし、二歩ほど進んだところで、再び足を止めた。
「待て」
「今度は何だ?」
「手を怪我しているのか?」
僕は自分の手首を見下ろした。
先日、茨の枝に引っかかってできた傷が、まだ薄い赤い線となって残っていた。
「皮膚を少し擦っただけだよ」
「そんな些細な傷で、武術の修練に支障をきたすんじゃないぞ」
そう言い残すと、彼女は冷然としたまま、修練場の奥へと戻っていった。
僕は門の外に静かに立ち、彼女の後ろ姿を見送ってから、手元の本へと目を落とした。
まさか明日から、自分に新しい『課題』が一つ増えることになるとは、思ってもみなかった。
それは剣術でも、刀槍の鍛錬でもない。
自分の名前を、正しく、きちんと書けるようになることだった。
夜の帳が下りる頃、僕は一人で洞窟へと戻っていた。
いつもの古い山道を通るのはやめ、地下水の流れる沢沿いにある、荒れ果てた細道を迂回することにした。
道の半ばまで進んだところで、僕はふと、湿った土手に刻まれた真新しい足跡を見つけた。
またしても、見知らぬ者が現れたらしい。
僕は足を止め、身を低くして注意深く調べた。
今度の靴跡は、ひどく重々しいものだった。踵には小さな鉄鋲がいくつも打ち込まれている。
少なくとも二人の男が、ここを通ったようだ。
しかも、村へ下りる方向には向かわず、真っ直ぐ山の頂を目指していた。
僕はすぐに、このまま進むのをやめた。
素早く大木の陰へ回り込み、木々の葉に覆われた低い岩棚へと身を躍らせる。そこからなら、眼下に続く山道を一望できた。
二人の男が、黙々と歩いていく。
一人は濃い茶色の外套を羽織っていた。
もう一人は漆黒の外套をまとい、腰には鋭利な短刀を差している。
二人は一本の木の傍らで足を止め、風にかき消されそうなほど小さな声で何やら囁き合い始めた。
僕は耳を澄ませ、夜風に乗ってかすかに届く言葉を聞き取ろうとした。
「……麓の村は、隅々まで調べてまいりました」
「……子供の……」
「……小さなリスを連れた……」
黒い外套の男が、冷たく鋭い眼差しを原生林の奥深くへと向けた。
「まだ居場所を突き止められんのか?」
「申し訳ございません、閣下。まだでございます」
「見つかるまで探し続けろ。主は、いつまでも待ってくださるわけではない」
茶色の外套を着た男は、命令を受けて恭しくうなずいた。
そして、二人は再び歩き始めた。
僕は高い岩棚の上で、まるで石像にでもなったかのように身じろぎ一つせず、じっと息を潜めていた。
二人の姿が完全に漆黒の闇へと消えていくまで辛抱強く待ち続け、それからようやく、ゆっくりと地面へ降りた。
小さなリスは僕の襟元に深く潜り込み、震えながら一切身動きしようとしなかった。
僕は黙ったまま、二人が立ち去った道を見つめた。
あいつらは、僕の行方を追っている。
もはや、漠然とした推測などではなかった。
僕は人目を避けながら、遠回りの道を通って洞窟へと戻った。
その夜、僕はどうしても眠ることができなかった。
隠していた品々をすべて取り出し、平らな岩の上に一つずつ並べた。
鉄の指輪。
黒い金属片。
古代の陶片。
黒い宝玉。
そして、炎の刺繍が施された布切れ。
僕はそれらを長い間じっと眺めていたが、やがて清潔な布を用意し、一つ一つ丁寧に包んで、別々の包みにすることにした。
もう以前のように、すべてを一か所へまとめて隠しておくような愚かな真似はできない。
鉄の指輪と割れた陶片は、西側の沢沿いにある深い岩穴へと慎重に隠した。布切れと黒い宝玉は、荒れ地にある岩の下へ埋めた。そして、最も奇妙な品である黒い金属片だけは、何重にも布を巻きつけ、小さな滝の裏手にある暗い岩の隙間へと深く押し込んだ。
それらの隠し場所が、本当に安全なのかどうか、僕には断言できなかった。
それでも、万が一、誰かが洞窟へ侵入して隅々まで探し回ったとしても、すべての品を一度に奪われることだけは防げるはずだった。
すべての作業を終えると、僕は燃え尽きかけた焚き火のそばに、力なく腰を下ろした。
借りてきた入門書が、隣に静かに置かれていた。
僕は最初のページを開いた。
そこには、基本的な文字が短い行ごとに並んでいた。
震える指先で、一つ一つの文字をなぞっていく。
「天……」
僕はゆっくりと声に出した。
「地……」
一文字。
そして、もう一文字。
小さなリスが頭をもたげ、しばらく興味深そうに僕の声を聞いていた。
やがて、大きなあくびを一つする。
「お前の文字の覚え方は、転び方を覚えるよりもずっと遅くて、お粗末なようだな、チエウ・バン」
僕は小さく吹き出した。
「だったら、お前が文字に詳しいというなら、ここへ来て教えてくれよ」
リスは即座に身体を丸め、再び横になった。
「私はそもそも文字など一つも知らん」
「なら、黙って寝ていろ」
僕は再び顔を伏せ、文字を一つずつ読み進めた。
洞窟の外では、夜風が鬱蒼と茂る松の木々を激しく揺らし、唸るような音を立てていた。
そのとき、遠くから、かすかな物音が聞こえてきた。
野生の獣の声ではない。
葉の隙間を吹き抜ける風の音でもなかった。
僕は慌てて本を閉じ、勢いよく立ち上がった。
足音を忍ばせて洞窟の入り口まで進み、目を凝らして木々の向こうを見つめる。
かすかな光が、一つ、揺れ動いていた。
提灯の明かりだ。
松の幹の陰に現れては消え、再び姿を見せたかと思うと、今度は先ほどよりも近い場所で揺らめいている。
誰かが、こんな真夜中に森の中を進んでいるのだ。
僕は素早く洞窟の奥へと退き、急いで地面の土をかき集め、赤々と燃える炭火の上へかぶせて、明かりを弱めた。
無闇に逃げ出すことはしなかった。
ただ濃密な闇の中に身を潜め、目を凝らして外の様子をうかがった。
光は刻一刻と近づいてくる。
一人。
二人。
そして、全部で三人。
彼らは、朝に僕が見つけた三本の横傷が刻まれている、あの古い松の木のすぐ下で足を止めた。
そのうちの一人が、突然顔を上げ、僕の洞窟の入り口をまっすぐ見つめた。
「この辺りで、かすかに火の明かりが見えた気がする」
「標的は、すぐ近くに潜んでいる可能性が高い」
僕は息を殺した。
胸の奥で、心臓が激しく脈打っている。
提灯を持った男が、警戒しながらさらに数歩進み出た。
しかし、まさに一触即発となったその瞬間、向こう側の茂みから、突然物音が響いた。
バキッ!
三人の男は、そろって驚いたように振り返った。
一頭の野生の鹿が慌てて茂みを飛び越え、その拍子に乾いた枝を踏み折ったのだ。
「ただの獣が通り過ぎただけか」
提灯を持った男は安堵の息を吐き、下げていた手を戻した。
「捜索を続けろ。この一帯を隅々まで調べ尽くすんだ」
彼らは洞窟の奥へ踏み込んでくることはなかった。
しかし、立ち去ろうとしたそのとき、黒い外套を着た男がふと足を止め、三本の横傷が刻まれた松の幹をじっと見つめた。
彼は細長い指を伸ばし、古い三本の刻み傷に触れた。
それから腰の短刀を抜き、慎重に、そのすぐ下へ鋭い横線を一本刻み込んだ。
これで、四本。
まったく新しい印が生まれた。
僕は暗闇の中から、その一部始終を見届けていた。
刻まれた傷にどんな深い意味があるのか、僕にはまったく分からなかった。
しかし、それが単なる傷ではなく、仲間同士で情報を伝達するための暗号、あるいは合図であることは容易に察しがついた。
あいつらは、この一帯を自分たちの縄張りとして、印を刻み始めているのだ。
やがて、三人の姿は夜の闇の中へと消えていった。
僕は長い間その場に立ち尽くし、ようやく外へ出ることができた。
古い松の木へ近づき、新しく刻まれた四本の傷を見つめる。
夜風が吹き抜け、乾いた葉がざわざわと音を立てて舞い落ちた。
僕は指先を伸ばし、最後に刻まれたばかりの一本にそっと触れた。
「いったい、あいつらはこんな辺鄙な場所で、何をそこまで躍起になって探しているんだ……?」
返事はなかった。
僕はしばらく呆然とその場に立ち尽くしていたが、やがて重い足取りで洞窟へと戻った。
その夜、僕の目に眠りが訪れることはなかった。
一方その頃、原生林からかなり離れた場所にある宿営地では、謎めいた一団が山道の脇に野営し、集まっていた。
一団を率いる中年の男は、信頼する部下から小さな紙片を受け取ったばかりだった。
男はそれを開き、目を落とした。
紙片には、四本の横線がはっきりと描かれていた。
その印をしばらく眺めた後、男は冷ややかな声で尋ねた。
「確認は取れたのか?」
「いえ、まだでございます。ただ、その子供が普段からこの一帯を出入りしているという情報だけは、確実につかんでおります」
「標的と直接接触した者はいるのか?」
「まだおりません」
男は紙片を丁寧に折り畳んだ。
「ならば、麓の村人たちを無闇に騒がせるような真似はするな」
彼は顔を上げ、暗く広がる大森林の方角を冷徹な眼差しで見据えた。
「我々がわざわざここまで足を運んだ目的は、罪もない子供を殺すことなどでは断じてない」
部下は恭しく頭を下げた。
「では、今回の任務の真の目的は何なのでしょうか?」
「恩知らずな者が失ったものを、取り戻すことだ」
男は歩み寄り、軍馬の鞍にそっと手を置いた。
「それと同時に、あの子供が本当に、その品の隠し場所へと通じる鍵を握っているのかどうかを確かめる」
一団は出発の準備を始めた。
やがて、朝の最初の陽光が木々の枝葉を透かして差し込む頃、僕はぼんやりと目を瞬かせ、眠りから覚めた。
顔を上げると、入門書が平らな岩の上に開かれたまま置かれていた。
昨夜、僕が懸命に読み方を覚えようとしていた文字が、ページいっぱいに記されている。
僕は身を起こし、指先で素朴な筆画を一つずつなぞった。
「天……」
「地……」
僕はほっとしたように微笑んだ。
今日も、僕は村へ下りる。
ファム・フウ・テーに会いに行く。
竹林へ行き、フア・ティン・ティーと一緒に文字を学ぶ。
そして、もしリュウ・ホアが分けてくれるなら、あの甘い菓子も受け取るつもりだ。
あんな見知らぬ連中に、自分の穏やかな日常を壊させるつもりなど、毛頭なかった。
しかし、洞窟を出ようとしたとき、僕は無意識のうちに、四本の横傷が刻まれた古い松の木へと目を向けていた。
かつてあれほど穏やかだったこの森が、もはや永遠に安全な場所ではなくなったことを、僕は誰よりもよく理解していた。
どこかで、誰かがひそかに僕の行方を追っている。
闇の奥に埋もれていた恐ろしい秘密が、少しずつ表へと引きずり出されようとしている。
そして、おそらくそう遠くないうちに、僕はあの者たちと正面から向き合わなければならなくなるだろう。
僕は籐籠を肩に掛け、小さなリスに声をかけた。
「さあ、行こう」
リスは素早く跳び上がり、僕の肩に飛び乗った。
「どこへ行くんだ?」
「文字を習いに行くんだ」
「甘い菓子はあるのか?」
「たぶん、あると思うぞ」
「だったら、さっさと走れ!」
僕は愉快そうに声を上げて笑った。
二つの小さな影は、朝霧に覆われた山道を歩きながら、洞窟の入り口からゆっくりと遠ざかっていった。
その背後では、古い松の幹に刻まれた四本の横線が、木陰の中で静かに佇んでいた。
広大な原生林の中に埋もれた、ほんの小さな印。
しかし、それを必死に追い求める者たちにとって、それは自分たちがついに目的の場所へ足を踏み入れたことを示す、最初の確かな証だった。




