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Episode 64

 夜が明け始めたばかりだった。古い松の枝葉には、まだ濃い霧が重く残っていたが、私はすでに山を下り始めていた。


 夜露が深い葉の上に大きな水滴となってたまり、ときどき冷たいしずくが、私の肩に落ちてきた。背中には使い古した粗い布の袋を背負い、腰には小さな骨の短刀を差していた。そして右手には、いつもの竹の枝を強く握っていた。それは、洞窟の裏にある岩場で、汗だくになりながら何度も練習してきた、私にとって大切な武器だった。


 しかし、今回山を下りる目的は、獲物を探したり、食料を交換したりすることではなかった。


 今回の目的は、まったく別のものだった。


 あの灰色の服を着た連中が何者なのか。そして、破壊的な力を持つあの黒い金属片を使って、いったい何をたくらんでいるのか。それをはっきりさせなければならなかった。


 二日前、あいつらはついに私の洞窟の入り口までやって来た。


 あいつらは私の足跡を知っている。人里離れた山奥で、私が一人で生きていることも知っている。そして、自分たちが探している物が、この辺りのどこかにまだ隠されていると、ほぼ確信しているようだった。


 このまま何もせずにいたら、遅かれ早かれ、あいつらは石を一つずつひっくり返し、木の穴まで調べて、私を見つけ出すだろう。


 別の場所へ移ればいいのか?


 そんな考えが一瞬、頭をよぎった。しかし、私はすぐにその考えを振り払った。


 私は、自分の洞窟を離れたくなかった。


 そこは、誰かに寝る場所を奪われる心配もなく、安心して目を閉じられる、私にとって唯一の居場所だった。


 これまで何年もの間、私は自分の手で乾いた枝を一本ずつ拾い、重い石を一つずつ運び、通り道をきれいに整えてきた。そうやって、暗くて冷たい洞窟を、本当の家に変えてきたのだ。


 それを捨てろと言われるのは、野生の世界で生きてきた私から、たった一つの居場所だけでなく、自分が何者なのかを示すものまで奪うようなものだった。


 しかし同時に、私は一つの厳しい真実も理解していた。


 家を守りたいと思っていても、それを守る力がなければ、自分から災いを招くのと同じなのだ。


 大きな松の木の横を通り過ぎようとしたとき、私はふと足を止めた。


 茂った二本の枝の間に、灰色の糸が巧みに結びつけられていた。


 以前、私は洞窟の入り口近くで、これとまったく同じ糸を取り外したことがあった。


 しかし、今回の糸は別の場所にあった。人が通る主要な道から少し離れていて、普通に歩いているだけでは、なかなか気づかない位置だった。


 私は手を伸ばさなかった。


 腰を低くして木の根元の泥を注意深く観察すると、乾いた枝を一本拾い、糸のすぐ前の道に横向きに置いた。


 それから、竹やぶの中を静かに通り抜け、再び山を下り始めた。


 もし誰かがまだ私を見張っていて、この道を使って巡回しているのなら、あの枝によって、私が通り過ぎたあとに誰かが歩いたかどうかを確かめられるはずだ。


 とても簡単な工夫だった。


 しかし、この危険な山の中では、そんな小さな手がかり一つが、命を救うこともある。


 東の山頂から太陽が顔を出したころ、小さな村の貧しいわらぶき屋根が見えてきた。


 朝の炊事で出た煙が、家々の台所からゆっくりと空へ上っていた。


 けれど、今日の村の小さな市場へ続く道は、いつもよりずっと静かだった。


 物売りたちは急いで移動し、店の戸は少しだけ開けられていた。茶屋の前に集まっていた数人の男たちは、見知らぬ人が通りかかると、急に顔を伏せて黙り込んだ。


 私の知らないところで、何かよくないことが起きているに違いなかった。


 そして、村の入り口にある小さな酒場の前で、二頭の大きな黒馬が適当に結びつけられているのを見たとき、私の胸にあった疑いは、すぐに嫌な予感へと変わった。


 酒場の外では、二人の男が温かい茶を飲んでいた。


 左側の男は薄い灰色の服を着て、長い上着を肩にゆるくかけていた。


 右側の男は、各地を渡り歩く商人のような格好をしていた。腰には、革でできたふくらんだ袋を下げていた。


 二人とも、刀や剣を目立つように身につけているわけではなかった。


 しかし、まっすぐに座る姿勢や、たこのできた厚い手を見れば、鋭い武器を扱い慣れ、人の血を流してきた者たちだと、すぐにわかった。


 私は顔を伏せ、二人の座る席の横を通り過ぎようとした。


 そのとき、はっきりと質問する声が聞こえた。


「山で一人暮らしをしている子供のことを知っているか?」


 酒場の主人は驚いたように体を震わせ、激しく首を横に振った。


「どうかご勘弁ください。この辺りには、羊を飼ったり、薪を拾ったりして暮らす子供が何人もおります。どの子をお探しなのか、私にはわかりません」


 灰色の服の男は何も言わず、光る銀貨を一枚、木のテーブルの上に置いた。


「年は十歳くらい。山の上で一人暮らしをしている。いつも小さなリスを連れている。最近、川辺にも姿を見せたそうだ」


 テーブルを布で拭いていた主人の手が、空中でぴたりと止まった。


 その動きが止まったのは、一呼吸にも満たない短い時間だった。


 しかし、私はその様子を見逃さなかった。


 主人は何も答えなかった。


 ただ静かに銀貨を押し返し、見知らぬ男の前へ戻した。


「ここは旅人に茶を出す店です。山の上のことなど、私は知りません」


 灰色の服の男は、すぐには銀貨をしまわなかった。


 主人を見上げ、口元に薄い笑みを浮かべた。


「私は、別に騒ぎを起こしたいわけではない。ただ、行方がわからなくなった身内を探すために、道を尋ねているだけだ」


「それなら、山へ行って、山仕事をしている人たちに聞いてみてください。私は飲み物を売っているだけです。川へ行く道を知っているだけでも、ありがたいくらいですよ」


 灰色の服の男は、数秒間、主人をじっと見つめた。それから銀貨を手に取り、立ち上がった。


「わかった。もし何か思い出したら、村の東にある宿屋へ来るといい。そこにいるからな」


 二人の男は立ち上がり、その場を離れた。


 私はうつむいたまま、買い物を手伝いに来た子供のふりをして、急いで二人の横を通り過ぎた。


 村の中央にある共同井戸まで来て、ようやく足を止めた。


 冷たい水を手ですくい、顔にかけて気持ちを落ち着かせる。


 揺れる水面に映った二つの人影は、さきほどの男たちだった。二人は進む方向を変え、通りの奥にある金属細工の店へ向かっていた。


 彼らは急いでいるようには見えなかった。


 しかし、村人とすれ違うたびに立ち止まり、何かを尋ねていた。


 その聞き込みのやり方は、道に迷った人間のものとはまったく違っていた。


 彼らは村全体を包囲するように調べ、一人ずつ問いただしていたのだ。


 森の中でひっそりと暮らす子供を、実際に見たことがある人間を探しているのだろう。


 もし彼らが私の川辺での目撃情報まで知っているのなら、ファム・フウ・テーを見つけ出すのも、時間の問題だった。


 私はすぐに進む方向を変え、川辺へ向かって走り出した。


 予想したとおり、フウ・テーは二人の若い男と一緒に、横木が折れた木製のいかだを修理していた。


 遠くから私の姿を見つけると、彼は手にしていた木材を放り出し、足早に近づいてきた。


「ちょうどいいところに来たな」


 私は彼の緊張した顔を見つめた。


「何かあったのか?」


「見知らぬ男が二人、さっきお前のことを尋ねに来た」


 フウ・テーは私の腕をつかむと、川辺の小屋の屋根の下へ引っ張り込み、声を低くした。


「山で暮らす子供を探しているそうだ。野生の動物と話ができるらしい、とも言っていた。あんなおかしな噂を、どこで聞いたのかは知らないが、今朝から村の人間が何人も、しつこく質問されている」


 私は黙り込んだ。


 背筋が冷たくなった。


「そいつらに何と答えた?」


「聞いたこともないと言った」


「疑われる心配はなかったのか?」


 フウ・テーは目を見開き、私をにらんだ。


 冗談を言っているような様子は、少しもなかった。


「たとえお前に会ったことがあると言ったところで、あいつらに本当か嘘かを見分けられるわけがない。それに、自分から家族を危険に巻き込むほど、俺は馬鹿じゃない」


 彼は少し黙り、重いため息をついた。


「バン、お前はいったい何を隠している? 何に手を出したんだ? どうしてあんな殺し屋たちに、命を狙われるようなことになったんだ?」


 私は、激しく流れる川へ目を向けた。


 フウ・テーをだましたいわけではなかった。


 しかし、罪のない友人を、簡単にこの危険な出来事へ巻き込むこともできなかった。


 灰色の服の連中は、あの金属片を必死になって探している。だが、私自身、あの金属片がどれほどの災いをもたらすものなのか、まだ十分に理解できていなかった。


 結局、私は本当のことを半分だけ話すことにした。


「森の中で、妙な金属片を偶然拾ったんだ。それが……この前、暴れたイノシシの死と関係しているらしい」


 フウ・テーは眉を深く寄せた。


「食料倉庫を破壊した、あのイノシシか?」


「ああ」


「それで、まだ持っているのか?」


 私は黙った。


 その沈黙こそが、何よりもはっきりした答えだった。


 フウ・テーは手で額を押さえ、あきれたように首を横に振った。


「お前は本当に、とんでもなく度胸のあるやつだな。危険だとわかっていても、自分から厄介事を抱え込むんだから」


「素性もわからない連中に、あれを渡したくないんだ」


 フウ・テーは通りの方へ顔を向けた。


 灰色の服を着た二人が、ちょうど川辺の入り口に姿を現したところだった。


 一人は船頭に声をかけて話を聞いていた。もう一人は、船着き場につながれた木製のいかだを、何気ない様子で観察していた。


 フウ・テーはすぐに私を押し、古くて破れた漁網の山の奥へ隠した。


「ここでじっとしていろ。絶対に動くな」


「お前はどうするんだ?」


「俺は仕事を続けなきゃならない。急に逃げ出したら、あいつらはもっと疑うだろう」


 そう言うと、彼は再びいかだのところへ戻った。


 縄を手に取り、何事もなかったかのように作業を続け始めた。


 私は漁網の陰に身を縮め、息を殺しながら、隙間から二人の動きをうかがった。


 灰色の服の男が近づいてきて、船の運航時刻について尋ね始めた。


 フウ・テーは落ち着いて答えていた。話す速さも一定で、余計な言葉は一つもなかった。


 やがて男は、川辺によく来る子供について、わざと話題を変えて尋ねてきた。


 フウ・テーは冷たく首を横に振った。


「この貧しい村には、草のように子供がたくさんいます。人を探しているのなら、まず名前を正確に教えてください」


 灰色の服の男は、目の前の少年を疑わしそうに見つめた。


「君は以前、川に飛び込んで人を助けたことがあるそうだな。あれほど度胸のある人間なら、頭もよく、記憶力も悪くないはずだ」


 フウ・テーは勢いよく顔を上げた。


 声には、少しの震えもなかった。


「人を助けたのは、そのとき偶然そうなっただけです。川辺を通り過ぎる人間の顔を、一人ずつ覚えているほど暇ではありません」


 二人の視線が、鋭くぶつかった。


 しばらくして、灰色の服の男はそれ以上追及しなかった。背を向けると、ほかの場所を調べるために歩き去った。


 私は二人の姿が竹林の向こうに完全に消えるまで待ってから、漁網の陰から出た。


 フウ・テーは私を見ると、ほっと息を吐いた。


「わかっただろう? あいつらの目的は、ただ人を探すことじゃない」


「狙いは俺だ」


「たぶんな」


 以前の私は、あの金属片を隠してしまえば、すべて終わると思っていた。


 しかし、現実は違った。


 あいつらはまだ金属片を手に入れていない。それでも、私という存在そのものが、すでに排除しなければならない邪魔者になっていたのだ。


 フウ・テーは私の肩を軽くたたいた。


「金属を扱う職人のじいさんに会いに行け。この村で、あんな妙な物について知っている人間がいるとしたら、あのじいさんしかいない」


 私は強くうなずいた。


 金属細工の店は、村の東側の道の突き当たりにあった。


 外には低いヤシの葉の屋根があり、その下には冷えた鉄の棒や、農具に使う銅の金具、壊れた農具の部品などが乱雑に置かれていた。


 燃えかけた炭のにおいが鼻をついた。そこに油のにおいと、熱せられた金属の熱気が混ざっていた。


 年老いた鍛冶職人は、静かに炉の前へ座っていた。


 長い火ばさみを使い、赤く焼けた鉄の棒をひっくり返している。


 私の足音に気づくと、老人は目を上げた。


「またお前か?」


 私は炉から安全な距離を保って立ち止まった。


「この前のことについて、もう少し詳しく聞きたいんです」


 老人は鉄の棒を金床の上に置き、ハンマーを振り下ろした。


 カーン!


 金属がぶつかる鋭い音が、耳に響いた。


「最初に言ったはずだ。銅の札だか黒い金属だか、そんなものは知らん」


 私は後ずさりせず、しっかりとした声で言った。


「今日は、銅の札について聞きに来たんじゃありません」


 老人のハンマーが止まった。


 私は彼の目をまっすぐに見つめ、一言ずつ、ゆっくりと話した。


「黒い金属片について聞きたいんです。けがをした野生の動物の体に深く刺さっていました。その動物が突然暴れ出したとき、金属片が真っ赤な光を放ったんです」


 老人の顔色が、みるみる変わった。


 ハンマーを持っていた腕が、空中で止まった。


 振り下ろすことも、引き戻すこともできないようだった。


「お前……それをどこで見た?」


「森の奥です」


「森のどこだ? 詳しく言え」


 私は黙ったまま、答えなかった。


 老人はしばらく私をにらみつけていたが、やがてため息をつき、ハンマーを地面に放り出した。


「馬鹿な子供め。世の中には、知ろうとすること自体が死につながる秘密もあるんだ」


「どうしてですか?」


 私は一歩前へ出た。


「だからこそ、僕は何も知らないんです。答えを知りたくて、あなたのところへ来たんです」


 老人は黙り込んだ。


 外では、人々の足音が少しずつ減っていた。


 米を積んだ牛車が、重い音を立てながら土の道を通り過ぎ、乾いた泥の上に深い車輪の跡を残していった。


 狭い鍛冶場では、赤い炭がまだ静かに燃えていた。しかし、炎は弱まり、赤黒い光だけが残っていた。


 やがて老人は立ち上がり、ゆっくりと歩いていくと、古びた木の扉をしっかりと閉めた。


「座りなさい」


 私は低い木の椅子を引き寄せ、老人の向かいに座った。


 鍛冶職人は、荒れた両手を膝の上に置いた。


 やけどの跡や、ひび割れ、厚いまめがいくつも重なっていた。その手は、雷に打たれた古い木の幹のように、硬くごつごつしていた。


「何年も前のことだ。わしは北の山の頂上近くにあった、ある製鉄場で職人たちをまとめる立場にいた」


 老人は、時間の中に埋もれた記憶を一枚ずつめくるように、ゆっくりと話し始めた。


「そこでは鉱石を掘り出し、農具を作り、国境を越えて行き来する商人たちのために武器を造っていた」


 老人は赤くなった炭を見つめた。


「ある日、山の中から妙な黒い石が偶然掘り出された。普通の鉄より何倍も重く、溶かすのも非常に難しかった。しかし、うまく加工できれば、その硬さは泥を切るように鉄を切り裂くほどだった」


 私は一言も口を挟まず、注意深く耳を傾けた。


「最初は、誰もが天から与えられた宝だと思った。だが、試験を始めて数週間もたたないうちに、炉の近くで働いていた職人たちが、次々と奇妙な病気にかかり始めた」


 老人は一度、言葉を切った。


「高熱にうなされ、意識が戻らなくなった者もいた。記憶を失った者もいた。そして突然、正気を失い、野獣のように互いをかみつき、傷つけ合う者まで現れた」


 老人の顔には、悲しみが浮かんでいた。


「本当の原因が何だったのか、わしにはわからん。ただ、ある日、炉が大爆発を起こした。その事故のあと、製鉄場は永久に封鎖された」


 彼は静かに続けた。


「生き残った者たちは縛られ、別の場所へ連れて行かれた。そして、残った鉱石も、完成した武器も、すべて徹底的に回収されたのだ」


 私の頭には、あのイノシシの毛の下にあった、黒く曲がりくねった筋が浮かんだ。


「あの鉱石が……動物を狂わせたんですか?」


「そこまでは断言できん」


 老人は首を横に振った。


「だが、お前が話した症状は、あの妙な鉱石の周りで起きたことと、まったく同じだ」


「では、いったい誰があれを必死に探しているんですか?」


 老人は顔を上げ、私を見つめた。


「正確な身元はわからん。だが、最近になって、昔の製鉄場について尋ねる見知らぬ者たちが大勢現れた。あいつらは商人でもなければ、普通の役人でもない」


 私は唇を強く結んだ。


 以前の私は、偶然拾った落とし物のようなものだと思っていた。


 だが、今、目の前に明らかになった事実は違った。


 あの黒い金属片は、巨大な災いを生み出す機械からこぼれ落ちた、ほんの小さな破片にすぎなかったのだ。


「僕は、これからどうすればいいんですか?」


 私は尋ねた。


 老人は、心配そうな目で私をまっすぐに見つめた。


「捨てなさい」


「す、捨てるって……どこに?」


「深い谷に投げ捨てるんだ。大きな川の底に沈めてもいい。とにかく、誰にも見つからないようにしろ」


「でも、もし誰かが偶然拾ってしまったら?」


 老人は言葉に詰まり、答えられなかった。


 私は老人を見つめ、ゆっくりと言った。


「僕だって、あんな危険な物を持っていたくありません。でも、灰色の服を着た連中に渡すのも嫌です。あいつらが、どんな残酷なことに使うのかわからないからです」


 老人は深いため息をついた。


「バン、お前はまだ幼すぎる。この世のすべての問題を、一人の子供が背負えるわけではないんだ」


 私はうつむき、自分の両手を見つめた。


 その言葉は、これまで何度も大人たちから聞かされてきたものだった。


 幼いころの私は、それが大嫌いだった。自分の努力を否定されているように感じたからだ。


 しかし、いくつもの出来事を経験した今、私はその言葉に、もっと深い意味があることを理解し始めていた。


 世の中には、一人の人間が受け止められる限界を超えた災いがある。


 それは、私が無能だからではない。


 ただ、まだ知識が足りず、力も足りず、何よりも、私は完全に一人だったからだ。


「わかりました」


 私は小さな声で答えた。


 老人は、私が思いのほか静かに受け入れたことに驚いたようだった。


 それでも、やがて彼はうなずいた。


「わかったのなら、もう好奇心に任せて動くな。昔の製鉄場には近づくな。そして、自分が何を持っているのか、あの連中に知られてはならん」

 そのときだった。


 木の扉の向こうから、乾いたノックの音が三回響いた。


 コン、コン、コン。


 速くもなく、遅くもない。


 鍛冶職人の老人は、一瞬で顔を青くした。外に立っているのが誰なのか、すぐにわかったのだ。


「何を聞かれても、絶対に口を開くな」


 老人は急いで、ささやくように言った。


 ギィ……。


 木の扉が勢いよく開いた。


 灰色の服の男が、まっすぐ中へ入ってきた。その後ろには、手に包帯を巻いた、あの松明を持つ男が続いていた。


 灰色の服の男は老人を一瞥し、それから私に視線を止めた。


「これは面白い偶然だな」


 私は石のように動かず、その場に立っていた。一歩も後ろへ下がらなかった。


 灰色の服の男は薄く笑った。


「さっき、茶屋に立ち寄って黒い金属片について尋ねたばかりなんだ。まさかここで、お前が鍛冶職人と仲よく話しているところに出くわすとは思わなかったよ」


 老人はすぐに一歩前へ出て、年老いた体で私をかばった。


「この子は農具に使う鉄くぎを少し買いに来ただけだ。お前たちの事情とは何の関係もない」


 しかし、灰色の服の男は老人を完全に無視した。


 もう一歩近づき、私を鋭く見つめた。


「何度も警告したはずだ。もし本当に、あの破片を持っているのなら、賢く振る舞って、さっさと渡せ。子供を相手に、わざわざ手荒なことはしたくないんだ」


 私は一言も答えなかった。


 灰色の服の男が顎を少し動かすと、それを合図に、松明を持った男がすぐに飛び出した。


 男は鍛冶職人の老人の肩を乱暴につかみ、後ろへ引き倒そうとした。


「やめろ!」


 私は思わず叫び、前へ飛び出した。


 その瞬間、部屋にいた全員が驚いて動きを止めた。


 灰色の服の男は白い歯を見せ、冷たく笑った。


「どうやら……お前は、私が思っていた以上に事情を知っているようだな」


 彼はゆっくりと腰の短刀を抜いた。


「なら、教えてもらおうか。あの鉱石の破片を、いったいどこに隠した?」


 私は熱気のこもった鍛冶場の真ん中で立ち尽くし、手に持っていた竹の枝を強く握りしめた。


 自分が、この二人の大人に勝てる見込みなど、まったくないことはわかっていた。


 しかし、今ここで背を向けて逃げれば、鍛冶職人の老人は間違いなく殺されるか、連れ去られてひどい目に遭わされるだろう。


 冷たい刀の光が、私の目に映った。


 そのとき、私は生まれて初めて、一つのことを理解した。


 逃げることが、いつも最善の選択とは限らない。


 なぜなら、自分が何度も背を向けて逃げ続ければ、後ろにいる人たちが、その臆病さの代償として命を失うこともあるからだ。


 そのとき、鍛冶職人の老人が激しくもがき、松明を持った男の手を振りほどこうとした。


「この子に手を出すな!」


 老人は私を後ろへ強く押しやり、灰色の服の男をにらみつけて叫んだ。


「この子は製鉄場について何も知らん! ただ森で暮らしている子供だ! 何かを拾ったら、それを知っているだけにすぎん!」


 灰色の服の男は鼻で笑い、刀を振ると、木のテーブルに強く置いた。


「一つだけ聞こう。残っていた鉱石は、どこへ運ばれた?」


 老人は口を閉じたまま、一言も答えなかった。


 松明を持った男が老人の腕を強く握りしめた。老人は痛みに顔をしかめた。


 私はその残酷な行為を見つめ、それから素早くテーブルへ目を向けた。


 そこには、抜き身の刀が置かれていた。


 鋭い刃物を相手にして、私が勝てるはずはない。


 しかし、鍛冶場の裏口はまだ少し開いていた。その先には、狭い路地が続いている。


 そこから外へ飛び出せば、村人たちに助けを求めることができるかもしれない。


 だが、その間に老人は殺されてしまうだろう。


 私は、山の谷間で経験した失敗を繰り返したくなかった。


 目の前で誰かが危険にさらされているのに、何もできず、ただ見ていることしかできない。あの無力さを、もう一度味わいたくなかったのだ。


 しかし、何も考えずに突っ込んで、無駄に命を落とすわけにもいかなかった。


 私は狭い鍛冶場の中を素早く見回した。


 炉のすぐそばには、大きな木製の水おけが置いてあった。


 壁には、長い鉄ばさみが何本もぶら下がっている。


 裏口の近くには、細かく砕けた炭が散らばっていた。


 そして、薪を束ねるための丈夫な縄もあった。


 その瞬間、フウ・テーから教わった、縄の結び方や地形を利用する方法が頭に浮かんだ。


 灰色の服の男は、さらに厳しい声で迫った。


「私の我慢にも限界がある。すべて話せば、お前たち二人の命は助けてやる」


 老人は地面につばを吐いた。


「わしは一生、鉄を打って生きてきた。お前たちのような悪党に、良心を売り渡すつもりはない!」


 灰色の服の男の顔が、鍋の底のように真っ黒になった。


 次の瞬間、彼は手を振り上げ、老人の顔を思い切り平手打ちした。


 パンッ!


 乾いた音が鍛冶場に響いた。


 老人はよろめき、木のテーブルの角に背中を強くぶつけながら倒れ込んだ。


 私の胸の奥で、何かが突然、激しく燃え上がった。


 怒りと憤り、そして何もできない悔しさが、頭の中で荒れ狂う嵐のように渦巻いた。


 あの無実の老人を侮辱した男に飛びかかりたい。腰の小さな短刀で、あいつを刺してやりたい。


 しかし、足を一歩踏み出した瞬間、理性が私を引き止めた。


 今、飛びかかっても、一瞬で倒されるだけだ。


 何一つ解決できないまま、相手と同じように命を失うことになる。


 私は竹の枝を握りしめ、必死に心を落ち着かせた。


 そして、一歩後ろへ下がった。


 恐怖で震えているふりをしながら、ゆっくりと水おけの方へ移動した。


 その様子を見た松明を持った男が、ばかにしたように笑った。


「どうした? 森育ちのガキでも、死ぬのは怖いのか?」


 私は何も答えなかった。


 ただ、誰にも気づかれないように足を動かし、水がいっぱいに入った木製の水おけの台を、そっと蹴った。


 灰色の服の男が近づき、刀を持ち上げた。


「どうやら、お前たちは本当に死にたいようだな」


 その瞬間だった。


 私はありったけの力を込めて、水おけを蹴り倒した。


 ドンッ!


 重い木のおけがひっくり返り、何十杯分もの水が、炉の下で赤く燃えていた炭の山に一気に流れ込んだ。


 ジュウウッ……!


 白い煙が大量に立ち上った。


 息苦しく、目にしみる煙が、瞬く間に鍛冶場全体を包み込んだ。


「くそっ! いったい何が起きたんだ!?」


 松明を持った男は慌てて老人を放し、顔を押さえながら激しくせき込んだ。


 私は一秒も無駄にせず、老人のところへ駆け寄って腕をつかんだ。


「早く、逃げて!」


 老人は驚いた様子だったが、反応は早かった。


 私に引っ張られるまま、ふらつきながら裏口へ走った。


「逃がすな!」


 灰色の服の男が、煙の向こうから怒鳴った。


 私は老人を先に外へ押し出すと、テーブルの上にあった農具をまとめてつかみ、後ろへ力いっぱい投げつけた。


 追っ手の進路をふさぐためだった。


 それから、自分も狭い裏口を飛び越えるようにして外へ出た。


 松明を持った男は腕を振り回して煙を追い払い、裏口から飛び出してきた。そして、私の服の裾をつかんだ。


 ビリッ!


 布が大きく破れた。


 私は汚れた地面を一回転して転がったが、すぐに立ち上がり、老人を引っ張って全力で走り出した。


 目指したのは、人でにぎわう川辺だった。


 そこが一番安全な場所だからではない。


 人がいるからだ。


 白昼堂々と殺し屋が好き勝手に振る舞うことを防げるのは、今のところ、人々の目だけだった。


 川辺で木材を運んでいたフウ・テーは、騒がしい足音を聞いて、勢いよく振り返った。


 私と鍛冶職人の老人が必死に走ってくるのを見ると、彼はすぐに何が起きたのかを理解した。


「こっちだ!」


 フウ・テーは大きな板を倒し、狭い路地を横切るように置いた。


 私と老人は、そのすき間をすり抜けた。


 しかし、すぐ後ろまで迫っていた松明を持った男は、障害物に行く手をふさがれ、足を止めざるを得なかった。


 ほんの一瞬のことだった。


 だが、それだけで川辺にいた人々の注意を引くには十分だった。


 竹ざおでいかだを動かしていた若い男たちが、声を上げながら駆け寄ってきた。


 後ろから灰色の服の男も近づいてきたが、集まり始めた人々を見ると、歯を食いしばり、仲間を連れて後ろへ下がった。


 彼は道の反対側に立ち、私を冷たくにらみつけた。


「いいだろう……お前は、あいつらの側につくことを選んだんだな?」


 私は荒い息をしながら、木の柱を強くつかんだ。


 何も答えなかった。


 灰色の服の男は顎を上げ、背を向けた。


「今のうちに楽しんでおけ。いずれ、また会うことになる」


 二人の姿は、すぐに人の流れの中へ消えていった。


 私は川辺の真ん中に立ち尽くした。


 体中の力が、すべて抜け落ちてしまったようだった。


 あまりにも一瞬の出来事だった。


 あと少しでも遅れていたら、私も鍛冶職人の老人も、命を落としていたかもしれない。


 フウ・テーが駆け寄り、ぼろぼろに破れた私の服を見て、あきれたように言った。


「バン、今度は何をやらかしたんだ?」


 私はうつむいた。


「俺は……鍛冶職人のおじいさんを巻き込んでしまった」


 そのころには、鍛冶職人の老人は村人たちに支えられ、平らな石の上に座らされていた。


 頬にははっきりとした青あざができていたが、目はまだしっかりしていた。


 私は慌てて駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


 老人は私を一度見つめると、かすれた声で笑った。


「わしの代々使ってきた水おけをひっくり返しておいて、最初に聞くことがそれか?」


 私は目を丸くした。


 それから、深く頭を下げた。


「ごめんなさい……。あとで必ず直しに戻ってきます」


 老人はしばらく黙って私を見つめていた。


 やがて、荒れた手で私の肩を軽くたたいた。


「直さなくてもいい」


 彼は、殺し屋たちが消えていった道へ顔を向けた。


「だが、これからは無駄に危険へ飛び込むような真似はするな」


 私は顔を上げた。


「でも、何もせずに見ているわけにはいきません」


 老人はため息をついた。


「お前には勇気がある。だが、勇気だけでは、力の足りなさを埋めることはできん。今日、村人たちが助けに来てくれなければ、お前もわしも鍛冶場で死んでいたんだぞ」


 私は黙り込んだ。


 老人の言うことは、何一つ間違っていなかった。


 私は、あの男たちの誰一人として倒せなかった。


 ただ、ちょっとした工夫で混乱を起こし、逃げ出しただけだ。


 もし相手がもっと強く攻めてきていたら。もし水おけがあの場所になかったら。


 私はとっくに、冷たい死体になっていたに違いない。


「明日、わしの鍛冶場へ来なさい」


 老人は立ち上がり、服についたほこりを払い落とした。


「何をするんですか?」


「お前は、あの黒い金属の正体を知りたがっていたんじゃなかったか?」


 老人は私の目をまっすぐに見つめた。


「わしが知っていることを、すべて話してやろう。その代わり、一つ約束してもらう」


「何ですか?」


「あの金属には、二度と手を出すな。鍛冶場へ持ち込むな。溶かそうとするな。そして、あの連中に、誰が持っているのか絶対に知られるな」


 老人は一度言葉を切り、声を低くした。


「それから、洞窟の近くにあいつらの姿を見つけたら、すぐに逃げなさい。自分の命を忘れてまで、住む場所にしがみつくんじゃない」


 今回、私はすぐにうなずかなかった。


 長い間、黙って考え込んでから、ようやく答えた。


「これからは、もっと慎重に行動します。でも、あいつらが戻ってきたら、おじいさんを見捨てることはできません」


 老人は困ったような顔で私を見た。


「わしは二度もお前に命を救ってもらうつもりはないぞ」


 私は言い返さなかった。


 老人は私の擦り傷だらけの手を見て、静かに首を横に振った。


「わしが願うのは、お前が十分に長く生きて、いつか理解してくれることだけだ。世の中には、危険な場所へ頭から飛び込んでいくだけでは、解決できない戦いもあるんだ」


 私はうつむき、その言葉を一つずつ心に刻んだ。


 川辺では、フウ・テーがずっと私を待っていた。


 夕方の風が水面を吹き抜け、木製のいかだが互いにぶつかって、かすかな音を立てていた。


 背後にある小さな村は、次第に夕暮れに包まれていった。質素なわらぶき屋根からは、再び夕食の支度をする煙が立ち上り始めていた。


 今日という一日も、もうすぐ終わろうとしていた。


 しかし、私はわかっていた。


 この出来事は、まだ始まりにすぎない。


 そして、これから最も暗い物語が幕を開けようとしているのだ。


 灰色の服の連中は、すでに私の顔を知っている。私が暮らす洞窟の場所も知っている。そして、私と黒い金属片との関係にも気づき始めている。


 もう、森の奥に隠れていれば安全だという幻想を抱き続けることはできなかった。


 ましてや、たった一人であいつらに立ち向かうことなど、できるはずもなかった。


 私はフウ・テーの方を向き、決意を込めた声で言った。


「フウ・テー、俺は武術を学びたい」


 フウ・テーは驚かなかった。


 私をしばらく見つめてから、ゆっくりとうなずいた。


「いつかそう言い出すと思っていたよ」


 彼は近づいてきて、私の肩を強くたたいた。


「だが、よく覚えておけ。武術を学ぶのは、ただ相手を倒すためじゃない。いつ進むべきか、いつ退くべきか、そして、いつ他人の助けを借りるべきかを知るためでもあるんだ」


 私は唇を強く結び、深くうなずいた。


 どこで師匠を探し、武術を学べばいいのか。これから自分がどこへ向かうことになるのか。


 まだ何もわからなかった。


 それでも、一つだけ理解したことがあった。


 本当の成長は、手に握った一本の枯れた竹の枝から始まるのではない。


 何度も痛い失敗を経験すること。愚かな過ちを犯すこと。そして、自分自身の力にどれほど限界があるのかを知ること。


 そこから、本当の成長が始まるのだ。


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