Episode 57
翌朝の夜明けは、雷鳴も不吉な前兆も連れてこなかった。古い樫の木々が広げる枝葉の隙間から、琥珀色の柔らかな光が差し込み、湿り気を帯びた洞窟の天井をまっすぐに照らしていた。
ラム・チエウ・バンは、枯葉を敷き詰めた寝床の上で身じろぎし、目を覚ました。
目覚めて最初に肌を刺激したのは、朝霧の冷気がもたらす身を切るような寒さではなかった。右手首にきつく巻きつけられた、ざらざらと粗い麻縄の感触だった。
それは、激流に網を投げ、荒れ狂う川の流れに逆らって綱を引いてきた手を持つ少年、ファム・フー・テーが結んだ、三重の結び目だった。
バンは身を起こし、左手でその結び目をゆっくりとなぞった。
川辺で出会った少年の言葉が、ふと脳裏によみがえる。
――ほどき方も覚えておけ。必要なときに、切る羽目になるなよ。
バンは目を細め、記憶を頼りに縄の端をあれこれと探り始めた。
しかし、ナイフを握ることにも、葉をむしることにも、木々をよじ登ることにも、ましてや前世で古い事件記録をめくることにも慣れていた指先は、ありふれた民間伝承のような結び方を前に、すっかり不器用になっていた。
ほどこうとすればするほど、縄は手首に食い込んでいく。幼い肌には、うっすらと赤い筋が刻まれ始めていた。
「さっきから、いったい何をやってるんだ、お前は?」
岩の陰から、甲高く、皮肉たっぷりの声が飛んできた。
いつの間に目を覚ましていたのか、森に住むリスが岩の上にしゃがみ込んでいた。前足で乾いた木の実をしっかりと抱え、つぶらな黒い瞳をせわしなく動かしながら、バンの不器用な手つきをじっと眺めている。
バンは手を止め、顔を上げた。口元がぴくりと引きつる。
「結び目の力学的構造を研究してるんだ」
「力学的構造だって? なんだか大層な言い方をするじゃないか」
リスは鼻を鳴らし、岩の上をしなやかに歩くと、ひょいとバンの肩に飛び乗った。
そして頭を傾け、彼の手首に巻きついた麻縄の匂いを嗅ぐ。次の瞬間、歯をかちかちと鳴らすような笑い声を漏らした。
「ただのほつれかけた麻縄じゃないか。命を助けられたばかりの人間のガキが、自分の不器用さを隠すために三重に結んだだけの話さ。余ったほうの端を、ちょっと引っ張ってみなよ……いや、そっちじゃない! 左だよ、左!」
バンは言われたとおり、左側の縄の端をそっと引いた。
――カチリ。
複雑に見えた結び目が、突然、ほどけた。
手首を締めつけていた輪が完全に緩み、縄はするりと抜け落ちて、彼の手のひらに収まった。
バンは、あまりにもあっけなくほどけた縄を呆然と見つめ、それから隠しきれない驚きを浮かべてリスを見上げた。
「お前、これのほどき方を知ってたのか?」
リスは得意げに鼻を高くし、ふさふさの尻尾を揺らした。
「リスを甘く見るんじゃないよ! 山の上にいるヒヒたちは、蔓を使って果実を捕まえる罠を仕掛けるんだ。あたしはそれを何度か見ているうちに、締めつける力の仕組みを理解したのさ。この森で、自分を縛るもののほどき方も知らずに生きていたら、遅かれ早かれニシキヘビの腹の中に納まることになるからね」
バンはほどいた麻縄を手に取り、丁寧に巻き直した。それから腰の布袋へ、慎重にしまい込んだ。
自分を縛るもの。
リスが何気なく口にしたその言葉が、文字どおりの意味を超えて、彼の頭の中に響き続けていた。
前世のバンソンは、さまざまなものに縛られていた。
人々の偏見に。迷宮入りした殺人事件に。いつまでも追いついてこない正義に。そして、古びた集合住宅が炎に包まれる中で迎えた、あの無念の死にさえも。
今世では違う。広大な森林のただ中で、十歳の少年として目を覚ましたとき、彼は人の世のあらゆる鎖を断ち切り、ようやく自由気ままな人生を送れるのだと思っていた。
ところが、山を一度下りただけで、激流にのまれかけていた見知らぬ少年に手を差し伸べただけで、彼は知らぬ間に、自らの手で新たな縁を結んでしまった。
新たな恩義。新たな人間関係。そして、外の世界の謎を秘めた、小さな銅の札。
人は生まれながらにして孤独な存在なのかもしれない。
それでも、幾多の嵐をくぐり抜けるほどに、人はかえって、同じ人間たちが張り巡らせた網へ、自ら進んで絡め取られていく。
「おい」
リスが前足でバンの耳をつつき、物思いに沈んでいた彼の意識を現実へと引き戻した。
「昨日、山の麓の小さな集落まで下りて、塩ときれいな布を少し持って帰ってきただろ? どれ、あたしにも見せておくれよ」
バンは立ち上がり、洞窟の隅へ歩いていった。そこで、昨日フー・テーからもらった小さな布袋を開く。
中に入っていたのは、濁った色をした粗い粒の塩と、洗ってきれいにした何枚かの粗布だった。
リスは鼻先を袋へ突っ込み、しきりに匂いを嗅いだ。見るからに浮き立った様子だった。
「おお、本物の塩じゃないか! いつもあたしが舐めてる、塩気のある岩壁についた、舌がひりひりするような鉱塩とは大違いだ! 少しくらい分けておくれよ。今日は塩をまぶした木の実が食べたいんだ!」
「欲張るなよ」
バンは袋を引き寄せ、安全な場所にしまった。
「この塩は傷の消毒と、雨季を越すための食料の保存に使うんだ。お前のおやつを豪華にするための調味料じゃない」
「ちょっとくらいいいじゃないか、ケチ!」
リスは不満げに頬を膨らませた。
「それに、お前と昨日のおチビさん、ずいぶん親しそうだったじゃないか。もっと大きな壺にいっぱい詰めてもらえばよかったのに!」
「向こうは俺に借りがあるわけじゃないし、俺だって向こうに借りはない。昨日のやり取りは、あれで貸し借りなしだ」
そう答えながら、バンは粗末な上着の内側へ手を差し入れた。
指先が、ひやりと冷たい金属に触れる。
彼はそれを取り出した。
二本の指ほどの大きさしかない、小さな銅の札だった。
朝日が洞窟の中へ差し込む中、三本の刻線が交わり、無限を思わせる三角形を形作っていた。
三日前、表面にこびりついていた泥は、石で磨き、乾いた布で拭き取ってある。そのおかげで、くすんだ古色の奥から、銅本来の鈍い輝きが姿を現していた。
リスはふざけた様子を引っ込め、銅札へ顔を近づけた。鼻先で慎重に匂いを嗅ぎ、耳をぴくりと動かす。
「このいまいましい金属……森の縁にいる猟師たちが、互いの取引に使っている銅貨や細工物とは、どうにも様子が違うね」
「似たようなものを見たことはあるか?」
バンの声が、わずかに低くなった。
リスは首を勢いよく横に振った。首元の毛が警戒するように逆立つ。
「一度もないよ。こいつからは、ひどく嫌な匂いがする……生きた血の匂いでも、死体の匂いでもない。戦場の煙と、大きな鍛冶場で焼けた金属の匂いだ。バン、お前、これをどこで拾ったんだい?」
「この前、傷を負ったあの女の子が身を隠していた場所だ」
バンは札の表面に刻まれた、三本の曲線が交差する模様を凝視したまま答えた。
「誰かに執拗に追われ、命に関わる傷を負った子供が、これを持っていた。そう考えたら、こいつはいったい何だと思う?」
「さあね。あたしには何とも言えないよ」
リスは一歩後ずさり、明らかに不安をにじませた声で続けた。
「ただ、外の人間たちが奪い合うものに、弱い者を幸せにするものなんて、まずありはしない。それだけは確かだ。お前、そいつは捨てたほうがいい。さもなければ、大きな川の深いところへ放り込んじまいな。厄介事を自分から招き入れるのはやめておきなよ」
バンは黙って銅札を見つめた。
生き延びることだけを考えるなら、リスの助言は理にかなっていた。
面倒事から距離を置く。食べるものと着るものに関わりのない秘密など、見なかったことにする。それが、原始的な生存本能に従うならば、最も賢い選択なのだろう。
しかし、厳格な捜査官だった彼の本質が、それを許さなかった。
好奇心。そして、わずかな手掛かりから異変を嗅ぎ取る直感。
その二つが告げていた。
この銅札は、もっと大きな絵図を解き明かすための鍵なのだと。
森の縁に点在する集落の、見せかけの平穏。その裏側には、血と陰謀にまみれた世界が、息を潜めている。
バンは銅札を慎重に革袋へしまい、しっかりと縫い合わせた袋ごと、衣服の最も内側にある隠しポケットへ押し込んだ。
それから立ち上がり、服についた枯葉を払い落とす。
「行くぞ」
「どこへ? また山へ果物を採りに行くのかい?」
リスは眉をひそめた。
「違う。今日は、東の谷間に仕掛けた縄罠を見に行く」
バンは腰に差した小さな短剣を手に取り、洞窟の出口へ向かった。
「運がよければ、今日は酸っぱい森の果実じゃなく、新鮮な肉にありつけるかもしれないぞ」
「新鮮な肉」の一言を聞いた途端、リスの目がぱっと輝いた。
もはや異論はなかった。リスは勢いよくバンの肩へ飛び乗り、歓声を上げる。
「行こう、行こう! 何をぐずぐずしてるんだい、早く出発しよう! あたしはもう、カリカリに焼いた野ウサギの腿肉が食べたくてたまらないよ!」
深い森を進むには、絶え間ない注意と、一歩ごとの慎重さが欠かせなかった。
ラム・チエウ・バンは、自らの手で年月をかけて切り開いてきた細い獣道をたどりながら、リスを連れて進んだ。足を取られる泥沼の一帯を避け、深山に棲む炎豹の狩り場を遠回りする。
高い梢を吹き抜ける風が、無数の葉を揺らしていた。そのざわめきは、荒々しくも雄大な山林の交響曲となって、森の奥深くまで響き渡っていた。
太陽が中天に達し、鮮やかな金色の光が茂り合う草木の上へ幾筋もの柱となって降り注ぐ頃、ようやく二人は罠を仕掛けた場所へたどり着いた。
そこは、切り立った二つの岩壁に挟まれた狭い谷間だった。
小さな獣たちが、山頂から水を飲みに渓流へ下りる際、近道として利用する細い道が通っている。
バンはリスに静かにするよう合図し、身を低くかがめると、慎重に歩を進めた。
縄罠が巧妙に隠されている、棘のある低木の茂み。そのすぐそばまで近づいたときだった。
彼の呼吸が、ぴたりと止まった。
罠が作動していた。
麻縄は限界まで張り詰め、端は、跳ね返る力を生み出すために湾曲させた枝へ、固く結びつけられている。
その輪の中に、大きな野ウサギが一匹、捕らえられていた。
灰色の厚い毛皮に覆われた体。力なく垂れ下がった長い耳。そして、かすかな抵抗を繰り返す後ろ足。
「おおっ、こいつは大物だ!」
リスは興奮のあまり、甲高い声を上げた。バンが慌てて手を伸ばし、押さえなければ、肩から転げ落ちていたかもしれない。
「静かにしろ。これ以上、怯えさせるな」
バンは低い声でたしなめ、慎重に短剣を抜いた。
それから、一歩ずつ獲物へ近づいていく。
人影に気づいた野ウサギは、恐怖に駆られて激しく跳ね上がり、胴に食い込んだ縄を噛み切ろうともがいた。
しかし、罠の結び目はバン自身が考案したものだった。力学の原理と、森で生き抜いてきた経験を組み合わせて作り上げた仕掛けは、きわめて頑丈だった。
暴れれば暴れるほど、縄はいっそう強く締まっていく。
逃げ道は、どこにもなかった。
バンは素早く片膝をつき、短剣で枝の反発力を生み出している部分を切り離した。縄の張力が弱まるのを確かめると、ためらうことなく刃を野ウサギの喉元へ突き立てた。
一太刀で、確実に。
獲物が無用に苦しみ続けることのないよう、彼は手早く命を絶ったのだった。
濃い赤色の血が流れ出し、青々とした草の一角を染めていった。
リスはバンの肩から地面へ飛び降り、野ウサギの周りをぐるぐると歩き回った。新鮮な血の匂いを嗅ぎつけ、今にも飛びつきそうなほどの食欲をあらわにしている。
「最高だ! バン、お前、本当にやるじゃないか! これなら今夜はごちそうだね! さあ、そいつを持って帰って、すぐに洞窟で焼こう!」
バンは安堵の息を漏らした。刃についた血を草で拭い、短剣を鞘に収める。
それから身をかがめ、野ウサギに巻きついた縄を解いた。縄は丸めておき、次に罠を仕掛けるときにも使えるようにしておく。
ちょうど、野ウサギの耳をつかんで持ち上げ、洞窟へ戻ろうとしたときだった。
バンの耳が、かすかな物音を捉えた。
――ガサッ。
音は、森の獣たちが行き来する獣道から聞こえたのではなかった。
頭上。谷間を見下ろす、険しい岩壁の頂上からだった。
誰かが誤って小さな石を踏みつけたらしい。小石が転がり落ち、下に積もった枯葉の上へ、ぱらぱらと散らばった。
バンは即座に動きを止めた。
全身の筋肉が、張り詰めた弦のように硬直する。
リスも異変を察したらしい。慌ててバンの頭の上へ飛び移り、その場にしがみついた。息を殺しながら、垂直にそびえ立つ岩壁を見上げている。
地上からおよそ十五メートルの高さにある、突き出した岩棚。
その上に、黒い影が一つ、鬱蒼と茂るシダの陰へ身を潜めていた。
顔は見えない。
それでもバンには、はっきりと感じ取れた。
冷たく鋭い、殺気を帯びた視線が、真上から自分に突き刺さっている。
あいつは、いつからそこにいたのか。
自分が罠を仕掛けた瞬間から、すべてを見ていたのだろうか。
余計な物音は、一つもなかった。
警告の言葉もなかった。
次の瞬間、岩壁の上の黒い影が、唐突に足を踏み出した。
影は恐るべき速度で斜面を駆け下り始めた。わずかに突き出した岩を次々と踏み、まるで獲物を追い詰めた猛獣のように、一直線にバンへと迫ってくる。
「バン! 逃げろ!」
リスが悲鳴のような声を上げた。
しかし、もう遅かった。
二人の間にある距離は、あまりにも短い。
しかも、落下しながら岩場を蹴って降りてくる謎の人物の速度は、普通の十歳の子供が予測できる限界をはるかに超えていた。
それでも、バンは取り乱さなかった。
元捜査官として鍛え上げられた分析能力が、千分の一秒にも満たない刹那に、最大限の速度で働き始めた。
獣道へ向かって逃げれば、先回りされる。
谷間は狭すぎる。回避に使える空間が限られている以上、相手にとって圧倒的に有利な地形だった。
手元にある武器は、小さな短剣だけ。
そして、彼が頼れるのは、深い森で幾千もの昼夜を過ごす中で鍛え上げてきた、生存本能だった。
バンは背を向けて逃げる代わりに、突然、身を深くかがめた。
そして、捕らえたばかりの野ウサギを、目の前の相手めがけて投げつけた。
視界と突進の軌道を乱すための、咄嗟の判断だった。
ほぼ同時に、足元の丸石を力いっぱい蹴り、反動を利用して横へ身を転がした。
――ドスンッ!
地面へ叩きつけられるように着地したのは、屈強な大男だった。
粗末な革鎧を身につけ、灰色の布で顔の下半分を覆っている。
着地の衝撃は凄まじく、周囲の泥土と腐葉土が一斉に舞い上がった。
男は手を振るい、飛んできた野ウサギを、まるで無価値なごみでも払いのけるように横へ弾き飛ばした。
頭巾の下にのぞく冷徹な眼差しが、数歩離れた場所で身を起こそうとしているラム・チエウ・バンを、瞬く間に捉えた。
この男は、森の獣を追うだけの猟師ではない。
その眼差しに宿っていたのは、獲物を横取りされたことへの怒りなどではなかった。
失われた品を探し求める者の、冷酷な殺気だった。
バンは右手で短剣の柄を強く握りしめた。額には冷たい汗がにじんでいた。
それでも、彼の目は相手から離れなかった。
外の世界から来た敵が、ついに本当に、彼の住処の扉を叩いたのだ。
翌朝の夜明けは、雷鳴も不吉な前兆も伴わずに訪れた。太古からそびえる樫の木々の葉陰を、琥珀色の柔らかな光が甘やかにすり抜け、湿り気を帯びた洞窟の天井を照らしていた。そこには、朽ちた土の匂いと、広大な原生林に息づく草木の素朴な香りが溶け合っていた。
ラム・チエウ・バンは、すでにしおれ始めた乾いた葉の寝床で身じろぎし、目を覚ました。
目覚めて最初に肌を刺激したのは、朝霧の冷気がもたらす身を切るような寒さではなかった。右手首にきつく巻きつけられた麻縄の、ざらざらと粗い感触だった。
それは昨日、ファム・フウ・テーが彼の傷を手当てするために結んだ、三重の結び目だった。一見すると単純で、きちんとまとまった結び方にすぎない。だが、不用意に縄の端を引けば引くほど、幼い手首に締めつけが増していく、厄介な結び目でもあった。
バンは眉をひそめ、もう一度だけ試してみることにした。
親指と人差し指で縄の端をつまみ、編み込まれた輪を慎重に緩めようとする。しかし、器用さはまたしても短気に打ち負かされた。引く方向を間違えて力任せに引っ張った結果、縄はさらに固く締まり、肌に食い込んで、赤々とした痕を残した。
バンは大きくため息をついた。腰に差していた小刀を抜くと、頑固な結び目ごと、ためらいなく縄を断ち切った。
その傍らで、乾いた葉の上に小さなシナモンロールのように丸まっていたリスが、片目だけを薄く開けた。いつもの皮肉っぽい口調で、彼を見やる。
「さっきから、いったい何をしているんだ、ラム・チエウ・バン?」
「縄の結び目を解いてた」
「それで、どうして最後には刀でぶった切っているんだ?」
「解けなかったからだ」
リスはゆっくりと身を起こし、大きく伸びをしながら、あくびをひとつした。それから、二つに断ち切られた縄を見て、呆れたように首を振った。
「まったく、もったいない! せっかく使い勝手のいい縄だったのに」
バンは反論しなかった。
小刀を鞘に収め、手のひらで動かなくなった縄の切れ端を見つめる。昨日、ファム・フウ・テーは、結び目を滑らかに解くには縄の端を正しい方向へ引かなければならないと、はっきり説明してくれた。それなのに彼は、少しでもうまくいかなくなると、焦って力任せに引きちぎろうとしてしまったのだ。
切れた縄を眺めているうちに、ふと、ある考えが頭をよぎった。
この世には、腕力や焦りに任せて解決しようとすればするほど、かえって事態を悪化させ、出口を遠ざけてしまうものがあるのではないか。
たかが小さな麻縄の結び目ひとつを前にして、なぜ自分がそんな遠大なことを考えたのか、バン自身にもわからなかった。
おそらく、このところ彼は、十歳の子供の手に余るほど、思いどおりにならない出来事に直面し続けていたからだろう。
渓流のほとりに現れた、短剣を携えた冷ややかな少女。執拗に追跡してくる、顔に傷のある二人の刺客。奇妙な三本の曲線が刻まれた銅札。そして、激流に呑まれ、あやうく命を落としかけた少年、ファム・フウ・テー。
そのすべてが、広大で複雑な、危険に満ちた世界を形づくる断片だった。その世界は、少しずつ彼の眼前に姿を現し始めている。
だが、真実に触れようと手を伸ばすたび、わからないことが新たにいくつも現れ、彼の視界を覆い尽くしてしまう。どれほど考えても、答えを見つけられないことばかりだった。
バンは切れた縄を袋の隅へしまい、立ち上がって小さな火を起こした。朝の冷え込みをしのぐためだった。
「今日は、また山の麓の村まで下りてくる」
そう言いながら、彼は温かな灰の中に埋めておいた野生の芋をいくつかひっくり返した。
リスはその言葉を聞くなり、ぴょんと跳び上がって彼の肩に乗り、空っぽになった食料袋を横目で見た。
「今度はどこへ行くつもりだ?」
「村だ」
「またか? 昨日も行ったばかりじゃないか」
「ああ。まだ用事がある」
「じゃあ、森の実を持って帰ってくるんだろうな?」
バンは横目でリスをにらんだ。
「持って帰る」
「よし、なら私もついていく!」
「この前は、人間はリスを捕まえるものだって、怖がっていただろう?」
「私が怖いのは、私を檻に閉じ込めようとする悪意のある連中だけだ! この世の人間全員をまとめて怖がるほど、私は愚かじゃない!」
バンはかすかに笑った。もう言い争うことはせず、肩から滑り落ちないよう、そっと手を添えてやった。
これまでの村への往来を通じて、バンは気づき始めていた。この小さなリスもまた、自分なりの方法で世界を学ぼうとしているのだ。
森に足を踏み入れた人間が、誰も彼も危険な敵というわけではない。だが、愛想よく笑い、親しげに言葉を交わす者なら誰にでも、無条件で信頼を寄せていいというわけでもない。
人間も動物も、結局のところ、生き延びるための基本を学ばなければならない点では同じだった。
誰もが、原初的な恐怖と共に生きる術を身につける必要がある。けれど、その恐怖に自分の行動すべてを支配させてはならない。
バンは布袋を肩に掛け、洞窟の入り口をくぐった。
太陽はちょうど姿を現したばかりだった。東の山並みの彼方から、温かな朝の光が初めて地上へと降り注ぐ。
また、新しい一日が始まった。
その日、村へと下る山道は、前回訪れたときよりもずっと人通りが多く、活気にあふれていた。
乾いた薪を山のように背負った数人の樵が、朝霧にむせながらバンの横を通り過ぎていく。大きな米俵を満載した粗末な荷車の一団は、車輪の輻が外れたらしく、道端で修理に追われていた。
道の両側では、小さな商店の主たちが木戸を大きく開け放ち、商品を並べ始めていた。粗削りの木椀、青々とした山菜、乾燥したバナナの葉で包んだ荷物。そんな品々が、店先の台に所狭しと置かれている。
バンは人波の中を黙々と進んだ。切れ長の目は周囲を絶えず観察し、警戒を緩めることはなかった。
これほど大勢の人間が一か所に集まり、同時に笑い、話し、叫んでいる光景には、まだ完全には慣れていない。
値段をめぐる甲高い言い争い。空腹に耐えかねて泣き叫ぶ子供。暴れる家畜のいななき。互いを呼び合う人々の声。
無数の音が入り混じり、まとまりのない濁流となって耳に押し寄せる。その底が見えない奔流の中へ、自分まで迷い込んでしまったような感覚を、バンは覚えていた。
だが、今日の目的ははっきりしていた。
まず彼は、前回立ち寄った塩売りの露店へ向かった。手元に残っていた乾燥した木の実を差し出し、小さな袋一つ分の塩と交換するためだった。
中年の店主が古びた木製の棹秤で品物の重さを量ると、バンは秤の傾きを細めた目で確かめ、落ち着いた口調で告げた。
「昨日より、塩が少し足りないと思います」
店主の顔つきが険しくなった。
「小僧、何をでたらめなことを言っている! わしは何年も信用第一で商売をしてきたんだ。塩を一両たりともごまかしたことはないぞ!」
「おじさんがごまかしているとは言っていません」
バンは台の上に置かれた二つの分銅を指さした。
「でも、こちらの皿にある分銅のほうが、向こうの皿にあるものより重いんです。釣り合うように調整すれば、塩はもう少し多くなるはずです」
店主は怒鳴り返そうとした。
しかし、十歳の子供とは思えないほど落ち着き払った、鋭い眼差しを向けられると、なぜか急に気まずさを覚えたらしい。
身をかがめ、二つの分銅を手に取って、念入りに見比べる。
確かに、一方の分銅は底の角がほんのわずかにすり減っていた。
男は気まずそうに口をつぐんだ。ぶつぶつと何かをつぶやいてから、匙で塩をひとすくい、バンの袋へ追加した。
「これで十分だろう?」
バンはうなずき、塩袋を受け取って一歩下がった。
しつこく言い争うことも、不当に多くの埋め合わせを要求することもしなかった。この量があれば、これから数日間、生き延びるために必要な塩は確保できる。
人でごった返す市場で大声を張り上げたところで、自分に何か得があるわけでもなかった。
今回のことで学んだ教訓は、ごく単純なものだった。
誰かと何かを交換するときは、自分が何を差し出し、何を受け取るのかを、きちんと把握しておくべきだ。
信頼とは、口先だけの誓いで証明できるような、抽象的な概念ではない。
ときには、相手への敬意や自分の身を守る術は、古びた秤を自分の目で確かめるという、ごく当たり前の行為の中にこそある。
バンはさらに市場の奥へと歩を進めた。
そこには、金属類や古道具、旅商人たちが置いていった雑多な品々を買い取る店が、軒を連ねていた。
昨日の午後にも立ち寄ろうと思っていたが、時間が足りなかったのだ。
釘だらけの粗末な木机の向こうには、白髪が糸のように真っ白な老職人が座っていた。節くれ立ち、硬くなった両手で、錆びついた銅製の錠前を黙々と研いでいる。
バンはその前まで進み、小さな銅札を机の上に置いた。
「この刻印に見覚えはありませんか?」
老職人の手が止まった。
彼はうつむき、かすんだ目を細めて小さな金属片を見つめた。それから銅札を手に取ると、陽の光が差し込む壁際まで持っていき、刻まれた一本一本の線を確かめるように眺めた。
その瞬間、ほんの一瞬だけ、老人の表情が一変した。
それは、息を呑むほど短い動揺だった。
バンが相手の一挙手一投足に意識を集中させていなければ、完全に見逃していただろう。
「お前……これを、どこで拾った?」
老職人の声はしわがれていた。その響きには、かすかな警戒が滲んでいる。
「森です」
「どこの森だ?」
「具体的な場所までは覚えていません」
老職人は弾かれたように顔を上げ、バンをまっすぐににらみつけた。
「子供のお前が、あんな奥深い森に入ったというのか? 正直に言え。いったい、どこでこれを手に入れた?」
バンは、決めつけるような尋問口調が気に入らなかった。
老人は古い品に興味を抱いた者として尋ねているのではない。まるで銅札が発見された場所そのものが、自分の生死を左右するほど重要であるかのように問い詰めている。
「森で拾ったと、さっき言いました」
老職人は銅札を手にしたまま、不意にそれをバンのほうへ押し返した。
そして、追い払うように手を振った。
「こんなものは見たこともない。持って帰れ。さっさと行きな」
バンは黙って立っていた。すぐには銅札を受け取らない。
「でも、さっきは一目見ただけで、何か問題があると気づいたじゃないですか」
老職人の手にあった研磨道具が、ほんの一拍、動きを止めた。
老人は再び顔を上げ、今度は先ほどよりも長くバンを見つめた。その眼差しには、辺境の小さな店で古道具を売り買いする老人らしい、ぼんやりとした雰囲気はもうなかった。
「小僧。自分で価値も危険も理解できないものを、子供が持ち歩くべきではない」
バンはゆっくりと銅札を受け取り、再び袋の中へしまった。
「では、大人なら理解できるんですか?」
老人ははっとするほど素早く顔を伏せた。そして何事もなかったかのように、錠前を研ぐ作業へ戻った。
質問には答えなかった。
会話は、息苦しいほど濃密な沈黙の壁に阻まれ、そのまま終わった。
バンは振り返ることなく、店を後にした。
銅札の本当の持ち主が誰なのか、まだ確かなことは何一つわからない。
それでも、一つだけ断言できることがあった。
これは、何の意味もない玩具でも、ありふれた金属くずでもない。
おそらく、老職人は厄介事に巻き込まれることを恐れているのだろう。あるいは単純に、見知らぬ子供へ秘密を明かしたくないだけかもしれない。
理由が何であれ、バンには理解できた。
これから先、この銅札について人の多い場所で誰かに尋ねることは、決してしてはならない。
彼は市場のさらに奥へと進み、清潔な包帯に使える布を手に入れようと、布を扱う店を探し始めた。
そのときだった。
少し離れた漢方薬の店から、澄んだ少女の声が聞こえてきた。懇願する響きが、その言葉の端々ににじんでいる。
「おばあさん、どうかお願いします。この二包のお薬だけ、先に売っていただけませんか。残りのお金は、母が仕事から戻ったら、必ずすぐにお持ちします!」
バンは足を止め、声のしたほうへ顔を向けた。
薬屋の店先には、淡い青色の粗布の服を着た少女が立っていた。袖はきちんと肘の上までまくり上げられ、細い手首が露わになっている。黒髪は後頭部で一つにまとめられていた。
傍らには竹籠が置かれていた。中にはさまざまな草の葉や薬草の根が、種類ごとに丁寧に仕分けられ、ぎっしりと詰められていた。
木のカウンターには、油紙で包まれた薬包が二つ、すでに用意されている。
店主は痩せ細った老人だった。彼は冷ややかに首を横に振る。
「ハー・ティン・リュウ・ホア。お前の家は、先月の薬代さえまだ払い終えていないだろう」
「わかっています……」
リュウ・ホアと呼ばれた少女は、唇を噛み、か細い声で答えた。
「なら、うちの決まりはわかっているな。前の借金をすべて返してからでなければ、新しい薬を持ち帰らせるわけにはいかん」
「でも……家族が高熱を出しているんです。お金が貯まるまで待っていたら、間に合わないかもしれません!」
薬屋の主人は、うんざりしたようにため息をつき、二包の薬を彼女から遠ざけた。
「わしだって南方の商人から薬を仕入れておるんだ。いつまでもただで掛け売りを続けられるわけがない。どれだけ頼まれたところで、どうにもならん」
リュウ・ホアは、竹籠の持ち手を強く握りしめた。指の関節が白くなるほどだった。
それでも、泣きわめいて無理に薬をせびることはなかった。苦々しい言葉を投げつけることもない。
彼女はただ、命を救うために必要な二包の薬をじっと見つめていた。
やがて籠の中から、丁寧に乾燥させた木の根を束ねたものを取り出す。
「そ、それなら……この根と交換してください。岩山人参という薬草です。私が自分で崖まで登って採り、きちんと洗って、時間をかけて乾燥させました」
薬屋の主人は束を手に取り、匂いを確かめた。それから鼻を鳴らし、少女に突き返した。
「これでは値が足りん」
「で、でしたら……ここで働かせてください。店番でも、薪運びでもします。残りの分は、働いて少しずつ返しますから」
「お前のような小さな子供に、薬屋で何ができる?」
その鋭い一言が突き刺さった。
リュウ・ホアは、完全に口を閉ざしてしまった。
バンは数歩離れた場所から、一部始終を静かに見つめていた。
薬草の商売について、彼は詳しく知らない。この薬屋の主人が本当に冷酷な人間なのかどうかも、判断できなかった。
結局のところ、貧困と混乱が蔓延する社会では、借金をいつまでも許し続ければ、小さな店であっても破産しかねないのだ。
それでも、バンにははっきりとわかることが一つあった。
リュウ・ホアは、自分のために玩具や菓子を買おうとしているのではない。
病の床で苦しんでいる家族を救うために、必死になって薬を手に入れようとしているのだ。
バンは無意識のうちに、腰に下げた乾燥果実の袋へ手を伸ばしていた。
その果実は、森で暮らす自分にとって貴重な食料だった。塩や布と交換するための、大切な蓄えでもある。
今ここでそれを差し出せば、帰ったあと食料が不足する。少なくとも、これから数日を乗り切るための備えを失うことになる。
それでも、目の前の光景を見ていながら、何もせずに立ち去るのだとしたら。
自分もまた、周囲にいる無関心な者たちと何も変わらないのではないか。
バンは深く息を吸い、まっすぐ薬屋のカウンターへ歩み寄った。
「あと、いくら足りないんですか?」
リュウ・ホアは驚いて顔を上げた。薬屋の主人も、見知らぬ子供を値踏みするように目を細める。
バンは自分の乾燥果実の袋を取り出し、木のカウンターに置いた。
「この森の果実で、足りない分を補うことはできますか?」
薬屋の主人は、みずみずしさの残る果実の山を眺め、それからバンの粗末な袋へ目をやった。
「それでも足りん」
「では、ほかに何が必要ですか?」
「塩か、現金だ」
バンはためらった。
つい先ほど手に入れたばかりの、小さな塩袋を取り出す。
これをすべて差し出せば、洞窟へ戻るころには何も残らない。これから訪れる雨季に備えて蓄えておくはずだった、貴重な塩まで失うことになる。
だが、リュウ・ホアの目に浮かぶ絶望と、それを必死に押し殺そうとする様子を見て、彼は歯を食いしばった。
「これを受け取ってください」
塩袋をカウンターの上へ押し出す。
薬屋の主人は、十歳の子供が迷いなくそんな決断を下したことに、わずかに驚いた様子だった。
それでも、すぐに塩と果実の量を確かめ、足りない分を計算した。さらに果実をいくつか加え、二包の薬をリュウ・ホアのほうへ押し戻す。
バンは、半分以上も減ってしまった塩袋を見つめた。胸の奥に、少しばかりの惜しさが湧き上がる。
それでも、後悔はなかった。
リュウ・ホアは二包の薬を胸に抱き、深々と頭を下げた。
「ありがとう……ラム・チエウ・バン」
「気にしないで」
バンは短く答え、その場を立ち去ろうとした。
だが、ふと思い直したように、もう一つ尋ねた。
「病人はどこにいるんですか?」
「村の南側です」
「それなら、急いで行ったほうがいい」
リュウ・ホアは複雑な眼差しで彼を見つめた。それから薬包と籠を抱え直し、急いで南へ向かって駆け出した。
バンはその場にしばらく立ち尽くしていた。
世の中とは、ときに奇妙なものだ。
自分はただ、必要なものを買いに市場まで下りてきただけだった。それなのに、見ず知らずの少女の薬代を肩代わりし、帰るころには無一文になっている。
しかし、森へ戻ろうと踵を返したとき、背後からリュウ・ホアの声が響いた。
「ラム・チエウ・バン! ちょっと待って!」
振り返ると、彼女が小さな清潔な布を手に、こちらへ駆け戻ってくるところだった。
「あなたの手首……まだ傷が残っているじゃない」
バンは自分の右手首を見下ろした。
昨日、縄の結び目が擦れた部分は、まだ赤く腫れていた。渓流の水で軽く洗っただけで、きちんと手当てをしていなかったのだ。
「大丈夫だよ」
「医者でもないのに、勝手に大丈夫だと決めつけないで」
リュウ・ホアは声を落とし、彼の手を引いて、カウンター脇の小さな腰掛けへ座らせた。
籠から、すり潰した薬草を少し取り出す。傷口へ丁寧に塗りつけ、それから清潔な布を巻いていった。
その手つきには無駄がなかった。慎重でありながら、ためらいがなく、驚くほど柔らかい。十歳の子供の仕事とは思えないほど、手慣れたものだった。
包帯を結ぶ際、彼女は布の端を内側へ折り込み、短い端を一つだけ外に残した。
「今度、これを外すときは、この端を引いてね。昨日みたいに、結び目全体を力任せに引っ張っちゃ駄目」
バンは手首に巻かれた、きれいな結び目を見つめた。
「そのやり方、どこで覚えたの?」
「母から。母はこの村の医者なの」
リュウ・ホアは道具を片づけ、それからまっすぐ彼の目を見た。
「今日のこと、本当に感謝しているわ。でも、一つだけ、はっきりさせておきたいの。あの薬を、あなたが全部買ってくれたわけじゃない。私も自分の薬草を出して交換した。あなたは足りない分を補ってくれただけよ。受けた恩は忘れない。でも、私は誰かに借りを作ったままでいるのが好きじゃないの」
バンは小さく吹き出した。
「わかったよ。じゃあ、きれいな布と手当てにかかった手間のことも、忘れないでくれ」
リュウ・ホアは、かすかに微笑んだ。
それは、バンが彼女に出会ってから初めて目にした笑顔だった。
「忘れないわ」
そう言い残すと、彼女は身を翻し、南へ向かう人々の流れの中へと消えていった。
バンは、小さな背中が遠ざかっていくのを見つめていた。
胸の奥に、これまで感じたことのないような、温かなものが静かに広がっていた。
誰かを助けるということは、その人を自分に恩義のある者へ変えてしまうことではない。そして、誰かに何かを与えたからといって、自分が貧しくなるとは限らない。
むしろ、与えるという行為は、不確かなものばかりの世界で、人間の情というものをより深く理解する機会を与えてくれるのかもしれなかった。
バンが森へ戻ったころには、空はすでに薄暗くなり始めていた。
洞窟に足を踏み入れた彼の布袋は、空っぽだった。塩もなければ、蓄えておいた食料もない。
残っているのは、小刀と、衣服の奥深くに隠した銅札だけだった。
リスは岩壁から飛び降りると、さっそくバンの袋に頭を突っ込み、中身を確かめた。そして、悲鳴に近い声を上げた。
「な、なんてことだ! 塩はどこだ? 果実は全部どうしたんだ、バン! 真っ昼間から強盗にでも遭ったのか!?」
バンは乾いた葉の山に腰を下ろし、疲れたように息をついた。
「人を助ける薬と交換したんだ」
「人を助けるだと? 誰を? 自分が知りもしない相手をか!? 正気じゃないぞ、バン! これで明日は何を食べるつもりなんだ!」
リスは怒ったように地面を爪で引っかいた。
バンは、洞窟の中で揺らめく炎を見つめた。その眼差しは、幼い顔には似つかわしくないほど深かった。
「わかってる。でも、あのとき、あの人が死ぬかもしれないとわかっていて、黙って見ていることはできなかった」
「ふん! そんなお人よしじゃ、いつか必ず自分まで身を滅ぼすぞ! そのうち私まで巻き添えにするに決まっている!」
リスは腹立たしげに背を向けた。
だが、そのあとで、どこかから隠し持ってきた乾燥した栗を一粒、ひょいと投げてよこした。
「ほら、これでも食べておけ! このお人よし!」
バンは手のひらに収まった栗を見つめ、そっと笑った。
やがて彼は銅札を取り出し、揺らめく炎のそばに置いた。金属の表面に刻まれた、交差する三本の線をじっと見つめる。
まだ、何一つ答えは得られていなかった。
この銅札がどんな秘密へとつながっているのかも、明日からどうやって食料を手に入れればいいのかも、彼にはわからない。
それでも、胸の奥では、生きようとする鼓動がかつてないほど力強く響いていた。
彼はもう、死者の世界を孤独に漂う幽霊ではない。
何も感じない、荒野の獣でもない。
彼は、ラム・チエウ・バンだ。
そして、本当の旅は、まだ始まったばかりだった。




