Episode 46
警察署のデータ分析室は、壁掛け時計の分針が「40」を通過した瞬間、冷たい白色光に満たされていた。午前八時四十分。
室内の空気は、感熱紙の匂い、フル稼働するマザーボードから立ち上る熱せられたプラスチックの臭気、そして、事件の残骸の中から真実を掬い上げようと全力を尽くす人々の規則正しい呼吸によって、重苦しいほど濃密になっていた。
西川ハルトは、巨大なディスプレイの前に立っていた。顔には緊張の色が濃く浮かんでいる。彼は、互いに独立した二つの情報源から抽出された映像記録を、画面上に並べて表示させた。
左側には、旧校舎西側の廊下に設置されていた独立型カメラの映像が映し出されている。かつて、藤沢レンが最後にどのような足取りをたどったのかを再構成するうえで、決定的な手掛かりになると考えられていた映像だ。
右側には、学校正門の防犯カメラシステムが記録した映像が表示されていた。
バンソンはディスプレイのすぐそばに立ち、見慣れた、そして嫌というほど脳裏に焼きついた映像を見つめていた。細身で学者然とした体つきの生徒が、薄い長方形の物体を携え、旧校舎の廊下へ足を踏み入れる。
古い映像の画面隅に表示された時刻を見ると、その人物が映り込んだのは十八時五十八分。そして、最後に姿を見せたのは十九時五分だった。
しかし、今回、西川はいつものように映像を再生しようとはしなかった。
彼は振り返り、胸の前で腕を組むと、バンソンと高村捜査官をまっすぐに見据えた。
「これ以上、推測を掘り下げる前に、まず根本的な問題を一つ確認しておきたい」
西川の声が、室内の静寂を破った。
「君たちは、この廊下に設置された独立型カメラの時計について、動作確認と時刻の校正を行ったのか?」
バンソンは瞬きをし、眉をひそめた。
「当日の主要な出来事をすべて照合して、時系列を一致させようとはしました」
「主要な出来事を照合することと、カメラの時計を校正することは、まったく別の話だ」
西川はきっぱりと首を横に振り、人差し指で机を軽く叩いた。
「この廊下のカメラは、完全に独立した録画装置を使っている。映像は、機器に内蔵されたローカルストレージカードに直接保存される仕組みだ。十八時四十七分に通信経路を遮断された中央監視カメラ群には接続されていない。だからこそ、旧校舎のネットワークが無効化されたあとも、この映像だけは残っていたんだ」
彼は一拍置き、全員が説明を理解するのを待ってから、話を続けた。
「だが、問題はそこじゃない。この録画装置の内部時計は、学校のネットワークが採用している標準時に、一度も同期されていなかった。つまり、ハードウェア内部の時計だけで動作し、実際の時間との間にずれが生じていたんだ」
高村は眉をつり上げ、ディスプレイに一歩近づいた。
「そのずれを特定できたのか?」
「はい」
西川はうなずき、比較用のグラフを表示させた。
「技術班は四時間かけて、まったく異なる二つのカメラシステムの両方に、明瞭に記録されている基準となる出来事を探しました。見つかったのは、学校の保守担当職員が西側廊下と中庭をつなぐ扉を通過する場面です。標準時を使用している正門のカメラでは、その時刻は十八時五十二分十四秒。一方、独立型の廊下カメラでは、十八時五十八分五十五秒と表示されていました」
彼は二つの映像を拡大し、横並びにした。
映し出された場面は、撮影角度こそ異なるものの、保守担当職員の歩く姿勢も、足の運びも、扉を通過する際の動作も、完全に一致していた。
「技術的な時刻のずれは、正確に特定できました」
西川は断言した。
「廊下カメラの時計は、標準時より六分四十一秒速く進んでいます。つまり、どういうことかわかりますか? 映像に直接焼き込まれた時刻表示は、すべて実際の時刻と食い違っているということです。したがって、最初から計算し直し、補正しなければなりません」
バンソンは、しばらく言葉を失った。
彼は、これまで何時間もかけて分析し、議論し、仮説を組み立ててきた二つの時刻を、改めて見つめた。
十八時五十八分。
十九時五分。
それらは、もはや出来事が実際に発生した時刻ではなかった。
単なる、ハードウェアの誤差によって歪められた数字にすぎなかったのだ。
背筋に冷たいものが走った。
バンソンは、捜査という仕事が突きつける、あまりにも残酷な真実を悟った。
この世で最も恐ろしいのは、カメラが誤った時刻を記録することではない。
人間が、現実との照合すら済んでいない時刻を土台に、推論の巨大な城を性急に築き上げてしまうことなのだ。
報告を聞き終えた高村は、表情を曇らせた。
年配の捜査官は、怒りを露わにすることはなかった。しかし、彼の声には、鉄のように揺るぎない命令の重みが宿っていた。
「以前の時系列再構成で使用した時刻は、すべていったん撤回し、信頼できる基準時刻に基づいて修正しろ。確実な時刻照合の根拠がないものについては、必ず『映像上の表示時刻』と明記すること。実際の発生時刻であるかのように扱うことは、絶対に許さん」
高村はバンソンに視線を向けた。その眼差しは鋭く、深かった。
「物的証拠のほうを、最初の仮説に都合よく合わせるために改変するわけにはいかない。基本原則を忘れるな。我々がすべきなのは、客観的な証拠と完全に整合するまで、仮説のほうを壊し、修正し続けることだ」
バンソンは一言も反論しなかった。
彼はうつむき、個人用の手帳を開くと、ペンを握り、最初のページに大きな文字で書き記した。
『誰が何をしたのかを突き止める前に、まず、その出来事が正確に何時に起きたのかを確かめなければならない。』
西川はすぐに計算処理を開始し、新たに判明した六分四十一秒の時刻差に基づいて、二つの映像に記録された時刻をすべて補正した。
ディスプレイ上に、新しい時刻が表示されていく。
薄い物体を持った人物が廊下へ入ったのは、独立型カメラの表示時刻では十八時五十八分だった。そこから六分四十一秒を差し引くと、実際の時刻はおよそ十八時五十一分となる。
そして、その人物が姿を消す直前に最後に映ったのは、カメラの表示時刻で十九時五分。補正後の実際の時刻は、およそ十八時五十八分だった。
つまり、この謎の人物が映像に姿を現していた時間は、わずか七分ほどにすぎなかった。
バンソンはディスプレイに一歩近づき、指示を出した。
「西川、その人物が扉を通過する瞬間のフレームを切り出して、可能な限り拡大してくれ」
画面は、奇妙な物体を持つ両手の部分へと、ぎりぎりまで切り詰められた。
人物が手にしているものは、確かに薄く、比較的四角ばった形状をしていた。薄い書類の束か、硬い表紙のファイルを思わせる。
しかし、古いカメラの解像度では、紙の束なのか、革張りの書類入れなのか、それとも同程度の大きさを持つ別の物品なのかを見分けるには、鮮明さが足りなかった。
西川は続いて映像を逆再生し、その人物が廊下から立ち去る場面を調べた。
「見てください。外へ出るとき、両手の状態はまったく確認できません。最初に持っていた薄い物体も、同じ位置には見当たりません。ただし、撮影範囲が狭いうえ、上着の裾で隠れている可能性も十分にあります」
若い技術者は、専用ソフトウェアを使い、コントラスト強調、ノイズ除去、映像の手ぶれ補正といった処理を次々に試した。
だが、何度試しても、結果は変わらなかった。
人物が書類を事務室へ持ち込み、その場に置いていったのか。それとも、持ち去るときも依然として手に握っていたのか。
それを裏づけるだけの物理的な情報は、映像の中に存在しなかった。
高村は腕を組み、立て続けに確認の質問を投げかけた。
「この人物の顔は識別できるか?」
「できません」
西川は首を横に振った。
「帽子のつばと天井の影で、顔は完全に隠れています。制服にも、校章や個人を特定できるような特徴は確認できません」
「藤沢レン本人だと断定できるか?」
「断定するだけの証拠はありません」
「では、橘カイトである可能性は?」
「排除することはできませんが、そうだと裏づける証拠もありません」
室内は再び、重苦しい沈黙に包まれた。
バンソンはペンを手に取り、手帳へ慎重に書き込んだ。
『廊下カメラに映った人物――身元未確認。』
そして、そのすぐ隣に、かつて確かな事実であるかのように扱っていた古いメモを、自らの手で完全に抹消した。
『レン、もしくはレンと関係のある人物が、書類を事務室へ持ち込んだ。』
その様子を見ていた高村は、眉をわずかに上げた。
「自分で組み立てた、ずいぶん筋の通った仮説を捨てるつもりか、バンソン?」
「仮説を捨てるのではありません、捜査官」
バンソンは顔を上げた。その瞳は鋭かった。
「未検証の仮説を、あたかも自明の事実であるかのように見せてしまう言葉遣いを捨てているんです」
年配の捜査官は、わずかにうなずき、彼の姿勢を評価した。
この映像が証明しているのは、補正後の時刻に、正体不明の人物が廊下へ足を踏み入れたということだけだった。
その人物が藤沢レン本人であることも、犯人であることも、二十七番のカードを手にしていたことも、そして、行方不明になった書類を持ち去った人物であることも、何一つ証明されてはいない。
画面に映った一つの曖昧な人影に、四つもの異なる犯罪上の身元を同時に背負わせることなど、できるはずがなかった。
思考の秩序を根本から立て直すため、バンソンは補正済みの時刻と、別系統のサーバーから独立して確認されたデータを並べて整理した。
実際の出来事| 補正後の時刻/確認時刻| 確実性の程度
身元不明の人物が廊下へ入る| およそ十八時五十一分| 時刻の確実性は高いが、個人の身元は不明
その人物が最後に映像へ現れる| およそ十八時五十八分| 時刻の確実性は高いが、その後の移動方向は不明
レンの携帯電話が旧校舎のWi-Fiに接続| 十九時三分| 端末の存在は確認できるが、所持者の正確な位置までは特定できない
端末の接続先が保管室付近のアクセスポイントへ移動| 十九時九分| 電波の到達範囲に基づく、おおよその位置しか特定できない
SR-01の認証コードでノアのファイルを開く操作が行われる| 十九時十二分| ソフトウェア上の操作は確認できるが、実際の操作者は不明
通知によってレンの携帯電話の画面が点灯| 十九時二十四分| プッシュ通知による自動点灯。人間が端末を操作していた証拠にはならない
バンソンは手を止め、十八時五十八分から十九時十二分までの、ぽっかりと空いた時間帯に目を凝らした。
そこには、およそ十四分間もの空白が横たわっていた。
その間、廊下カメラに映っていた謎の人物は、検証に使われた映像の視野から姿を消していた。
一方、藤沢レンの携帯電話が旧校舎のWi-Fiへの接続を記録したのは、十九時三分になってからだった。その後、端末は接続先の電波到達範囲を移動し、保管室に近い場所へ接近する。そして、十九時十二分にSR-01による操作が実行された。
しかし、これらの出来事が連続して発生していたからといって、それらを一つにつなぐ因果関係が証明されたわけではなかった。
その間には、出来事同士を結びつける、いかなる確かな証拠の糸も存在しなかったのだ。
高村は人差し指を持ち上げ、データ一覧をまっすぐに指した。
「つまり、君はこう言いたいのか。カメラに映った人物は、レンが旧校舎へ来るよりも前に、すでにそこを立ち去っていた可能性がある、と?」
「そう断定しているわけではありません」
バンソンは即座に答えた。
「僕が指摘しているのは、十八時五十八分以降、その人物が映像の視野から外れているという事実だけです。カメラは廊下の隅々まで映しているわけではありませんし、階段へ続く分岐路もすべて監視できているわけではありません」
「では、その人物が今も旧校舎のどこかに潜んでいる可能性もあるということか?」
「はい。あるいは、裏口から外へ逃げた可能性もあります。どちらも排除できるだけのデータはありません」
高村は、さらに問いを重ねた。
「では、藤沢レンについてはどう考える?」
「レンの携帯電話が旧校舎の電波圏内で接続を開始したのは十九時三分です。そして十九時九分には、保管室付近のアクセスポイントへ接続先が移っています」
バンソンは分析を続けながら、指先で机を軽く叩いた。
「ただし、それが証明しているのは、携帯電話という端末が異なる電波到達範囲を移動したということだけです。レン本人が、特定の部屋にいたと証明することはできません」
彼は一拍置き、さらに厳しい指摘を加えた。
「そして何より重要なのは、十九時九分にその携帯電話を持っていた人物が、生身の藤沢レン本人だったという証拠すら、どこにも存在しないことです」
後方の席で、時系列の再構成作業を一連の流れとして見守ることを許されていたアサは、はっとしたように顔を上げた。
彼女はわずかに身を乗り出し、声を発した。
「バンソン……。十九時九分にレンの携帯電話が保管室の近くにあったのなら、十九時十二分にSR-01のアクセス権限を使ったのも、レン本人だった可能性があるんじゃない?」
高村は、すぐには答えなかった。
彼は黙って、並列に表示された二つのデータを見つめていた。
バンソンもデータ一覧に目を戻し、頭の中で証拠の断片を組み替えた。
一方には、保管室のすぐ近くにあったと推測されるレンの携帯電話。
もう一方には、SR-01のアクセス権限を使い、白沢ノアのファイルを開いたソフトウェア上の操作記録。
両者の発生時刻は、わずか三分しか離れていない。
しかし、携帯電話を持っていた人物と、サーバー上で操作を行った人物とを物理的につなぐ証拠は、依然として欠落したままだった。
「十分にあり得る」
バンソンは慎重に答えた。
「ただし、別の可能性もあります。誰かがレンから携帯電話を奪い、それを保管室の近くまで運んだのかもしれない。あるいは、レンが、コンピューターを操作していた別の人物のすぐそばにいたのかもしれません」
彼は一人ひとりの顔を見渡した。
「考え得る可能性は、すべて検証対象に入れなければなりません。想像にとって都合のいい、筋の通った物語を描けるからという理由だけで、一つの筋書きを選ぶことは絶対に許されないんです」
捜査が始まって以来、初めて、事件を担当する一同は一つの仮説を真正面から検討しなければならなくなった。
十九時十二分にノアのファイルを開いた人物は、藤沢レン本人だったのかもしれない。
その仮説を裏づける実証的な証拠は、まだ一つも確認されていなかった。
しかし、ひとたびその可能性が検討対象に加わった以上、一同は捜査開始当初から当然のこととして受け入れてきた先入観を捨てざるを得なかった。
すなわち、レンの死亡時刻に近いタイミングでSR-01が使用されたのだから、必ず犯人による悪意ある操作に違いない、という思い込みである。
もしファイルを開いたのがレン本人だったとすれば、事件の見え方は根本から変わってくる。
西川は、そこで分析を止めなかった。
彼は旧校舎のWi-Fi電波到達範囲を三次元で再現した空間モデルを開き、電波が物理的にどこまで位置特定に利用できるのかを説明し始めた。
「この電波の構造を見てください」
西川はグラフィックを指し示した。
「一つ目のアクセスポイントは広い範囲をカバーしていて、北側の廊下全体と中庭の一部まで電波が届きます。二つ目は保管室へ向かう廊下の近くに設置されていますが、その電波到達範囲は、隣接する事務室の一部とも大きく重なっています」
彼はため息をついた。
「このように電波の到達範囲が重複しているため、携帯電話が一つ目のアクセスポイントから二つ目へ自動的に接続先を切り替えたとしても、それは端末が電波の届く範囲内を移動したことを示すだけです。端末を持っている人物が保管室の扉のすぐ外にいるのか、室内に潜んでいるのか、それとも近くの死角に立っているのか。そこまでは、まったく判別できません」
バンソンは眉をひそめ、技術的な観点から踏み込んだ質問をした。
「受信信号強度、つまりRSSIを使えば、携帯電話が二十七番の保管室の扉から何メートル離れているのか、正確に測定できないか?」
「必要な精度を得ることはできません」
西川はきっぱりと首を横に振った。
「厚い鉄筋コンクリートの壁、大型の金属製書類棚、アクセスポイントの設置位置、それに不規則な障害物。そういったものが電波の進行方向を変え、減衰させ、ときには反射させます。こうした古い建築物の内部では、RSSIの測定値に最大十メートルもの誤差が生じる可能性があります」
「では、十九時九分にレンが二十七番の部屋へ入ったと結論づけるとしたら?」
高村が尋ねた。
「データの限界を超えた、論理的な飛躍になります」
西川は簡潔に答えた。
バンソンはうつむき、技術的な制約を慎重に手帳へ書き留めた。
これまで彼は、無機質な数字の列を眺めると、その背後にある行動の順序を、まるで完成された映像のように頭の中で再構成することに慣れていた。
しかし、この事件を通して、彼は何よりも高くつく教訓を学びつつあった。
ある数字を知っていることよりも、その数字では何に答えられないのかを理解することのほうが、はるかに重要なのだ。
アサは、画面に表示された複雑な電波到達範囲の図を見つめながら、小さく息を吐いた。
「私たち、自分たちで自分たちを追い詰めているんじゃないかな……。はっきりしないデータばかりに振り回されて、時間を無駄にしているんじゃないの、バンソン?」
バンソンは彼女に顔を向けた。その眼差しは揺るがなかった。
「違うよ、アサ。時間を無駄にしているわけじゃない。証拠一つひとつが、どこまでの事実を裏づけられるのか、その限界を明確にしているんだ。データがどれほどの確実性を持っているのかを理解していなければ、妄想に都合のいい結論を導き出すために、僕たちは簡単にデータに操られてしまう」
彼女は、それ以上反論しなかった。
アサには理解できた。
バンソンは、事件を必要以上に複雑にしようとしているわけではない。
彼は、極めて孤独でありながら、必要不可欠な仕事をしているのだ。
大勢の人々が一刻も早い結末を求めるあまり、事件を都合のよい単純な物語へと歪めてしまわないように。その歪みを、彼は必死に食い止めようとしていた。
高村は間を置かず、事務担当班に命じ、学校の人事管理記録と備品管理記録をさらに詳しく調べ、二十七番のカードに関する情報を洗い直させた。
返ってきた報告書によると、二十七番のカードは以前から、校内の事務処理に使用する共用のアクセスカードとして、保管記録に登録されていた。
システムに残された利用ログには、認証コードと実行された操作しか記録されていない。カードを磁気スロットに通した人物の氏名も、個人を識別する生体情報も、記録される仕組みにはなっていなかった。
さらに、学校は鍵の引き渡しや貸し出しを記録する台帳を整備しておらず、夜間に誰がいつカードを使用したのかを追跡できる記録も残していなかった。
しかし、こうした事務管理上の不備があるからといって、カードが盗まれた、あるいは不正に利用されたと証明されたことにはならない。
ただ、厳然たる事実が一つ明らかになっただけだった。
現存する学校の管理記録には、あの運命の十九時十二分に、実際に誰が二十七番のカードを手にしていたのかを答えられる能力が、まったくなかったのである。
高村はホワイトボードの前に立ち、今後の捜査方針を決める三つの核心的な問いを書き出した。
一つ目。
当日、二十七番のカードに実際に接触できる立場にあったのは、誰か。
二つ目。
白沢ノアのファイルを開く、合理的な動機を持っていたのは、誰か。
三つ目。
特定の人物と十九時十二分のシステム操作とを結びつける物的証拠、証言、あるいは独立したデータは存在するのか。
二つ目の問いに、バンソンの注意が引き寄せられた。
ここ数日、捜査陣は一貫して、ノアの記録を消去し、証拠を隠滅しようとした人物がいるのではないかと疑ってきた。
しかし、デジタルシステムの操作ログが明らかにしているのは、十九時十二分にデータの編集も削除も行われていないという事実だった。
そのときカードを使った人物は、ただ特定の内容を確認するためにファイルを開いただけかもしれない。
何らかの秘密を隠そうとしていた可能性もあれば、自分の身を守るための証拠を探していた可能性もある。あるいは、目前に迫る危険を前に、個人的な疑念を確かめようとしていただけかもしれない。
極端な場合、その操作は藤沢レンの死とはまったく独立した出来事であり、両者の間には、何の因果関係もなかった可能性すらある。
物的証拠による裏づけがないかぎり、どのような推測であっても、真実の座を占めることは許されない。
高村は新たな命令を下した。
旧校舎の事務担当者全員の勤務記録を照合し、部屋の鍵の引き渡しに関する資料を調べ直すこと。さらに、旧校舎の事務区域へ立ち入る権限を持つ人物全員から、追加の事情聴取を行うこと。
目的は、実際に立ち入る機会があった人物を特定することだ。
直感だけを頼りに、いかにも怪しそうな人物のリストを性急に作り上げることではない。
同じ日の午後、バンソンと高村捜査官は、現場実験とカメラの撮影範囲の照合を行うため、再び旧校舎へ戻った。
調査は、正体不明の人物が防犯カメラに映り込んだ西側廊下から始まった。
固定カメラの視野が捉えているのは、古い事務室の扉の一部と、廊下の短い区間だけだった。
その視野では、奥にある暗い保管室の内部を見通すことはできない。入り組んだ廊下の分岐をすべて映すこともできず、とりわけ人物が画面から外れたあとの移動方向については、完全に「盲目」同然だった。
高村は色付きのチョークを手に取り、腐食してぼろぼろになった木製の床に、戦略上重要な三つの位置を記した。
地点A: 人物が初めてカメラの視野に入った位置。
地点B: 姿を消す直前、人物が最後にカメラに映っていた位置。
地点C: このカメラの監視範囲から完全に外れている、廊下の分岐方向。
バンソンは地点Bに立ち、目を細めながら周囲の空間を観察した。
そして、問いを口にした。
「ということは、あの人物はここを離れたあと……」




