Episode 3
終年陽光の射すことなき桃山の深奥には、ただ万年玄氷がもたらす骨を穿つほどの酷寒と、慄然たる静寂のみが支配していた。四方のうす暗い石壁は天庭が施した無数の黄金色の符呪に覆い尽くされ、そこから発せられる激しい雷光が絶え間なく交錯しては、石台に繋がれた痩せ衰えた女の肉体を容赦なく打ち据えていた。
かつて三界を震撼せしめるほどの絶世の美貌を謳われた天庭の長公主・**瑶姫**の姿は、今や見る影もなく衰弱しきっていた。鎧は無惨に引き裂かれ、乱れ荒んだ長髪が血色の失せた青白い顔を覆い隠している。かつては満天の星河を湛えていたはずの鳳眼も、今や光を失い、ただ虚ろな深淵を晒すのみであった。
「ガツン!」
と、粗暴な獄卒の神将が雷電の鞭を地面に投げ捨て、瑶姫の顎を荒々しく掴み上げて咆哮した。
「吐け! あの二人の不届きな**孽種**どもは、一体どこに潜んでいるのだ? 玉皇大帝の勅命が下っているのだ。もしお前がなおも頑なに楊戩と楊嬋の行方を隠し通そうとするならば、本将がお前を死ぬより苦しい目に遭わせてやる。永劫に雷火がお前の五臓六腑を焼き焦がす地獄の苦痛を味わわせてくれるわ!」
瑶姫はかすかに瞳を持ち上げ、口の端から鮮血を滴らせながらも、その唇には傲然たる嘲笑を浮かべた。
「ふん……白昼夢でも見ているのか。たとえこの身が粉骨砕身しようとも、我が子らの一本の髪の毛一本すら、貴様らごときに触れさせはせぬ」
「この愚婦めが! 敬酒を飲まずに罰酒を食らうとはこのことだ!」
神将は激怒し、凄まじい雷鳴を伴った平手打ちを彼女の顔面に叩き込もうと手を振り上げた。
「ドンッ!」
突如として、洞窟の入り口から大地を揺るがす大爆音が響き渡った。堅固な岩壁の一角が粉々に打ち砕かれ、飛び散る。立ち込める朦朧とした塵埃の奥から、身長二メートル十センチに達する、筋骨隆々たる巨躯が悠然と姿を現した。
ゲンソン・ジェスダは、肩に無骨な如意金箍棒を担ぎ、もう一方の手で霊酒の入った瓢箪を掴み、ゴクゴクと豪快に喉を鳴らして飲み干しながら歩を進めていた。背後から伸びる猿の尾は、いかにも気怠げに左右へと揺れている。
「おや、ここは随分と涼しい場所だな。昼寝の場所を探していただけなのだが、どうしてこの洞窟にはこうも野良犬の吠え声がうるさく響いているのだ?」
ゲンソンはぽかんとした様子で周囲を見回し、その視線を獄卒の神将へと向けた。
「何者だ!?」神将は驚愕し、慌てて神剣を引き抜いてゲンソンへと突きつけた。
「大胆不敵な奴め! ここは天庭の禁足地にして、一級の重罪人を幽閉する場所だ! どこの馬の骨とも知れぬ妖猿が、何のためにここへ乱入してきたのだ!?」
ゲンソンはパチパチと瞬きをし、己に向けられた剣先など歯牙にもかけない様子だった。彼は鎖に縛られた瑶姫を一瞥し、次いで神将を見据え、口を尖らせて吐き捨てた。
「俺は妖猿なんかじゃない、ゲンソンだ。それに、お前は何様のつもりで俺に向かって怒鳴り散らしているんだ? その偉そうな面構え、見ているだけで反吐が出る。言っただろう、俺は昼寝の場所を探しているんだ。邪魔だからとっとと失せろ」
「死に晒せ!」
神将は激怒して咆哮し、剣を振るって突進した。一撃でこの傲岸不遜な巨漢の首を撥ね飛ばそうという腹積もりだ。
ゲンソンは微動だにせず、酒の瓢箪を下ろそうともしなかった。剣先が彼の胸元に迫り、あと一寸というその瞬間、背後の原初の猿尾が不意に弾かれた。
「ピシャァン!」
肉眼では到底捉えきれぬ神速で、猿の尾が虚空を薙ぎ払った。
凄絶なる**「始原の威圧」**が炸裂し、その圧倒的な圧力によって洞窟内の空気が一瞬にして極限まで圧縮される。獄卒の神将は何が起こったのかを理解する暇すらなく、その金剛の肉体と鋭利な神剣ごと、ただ一振りの尾の一撃によって粉砕され、鮮血の霧と化して虚無へと霧散した。
痕跡すら残らぬ、一瞬の消滅であった。
一撃必殺。三界からの完全なる抹殺である。
後に残されたのは、ただ肌を刺すような、恐るべき静寂のみであった。その光景を目の当たりにした瑶姫は、驚愕のあまり鳳眼を限界まで見開いた。自身の目を疑うしかなかった。天庭の強力な大神将が、この一風変わった男のたった一振りの「尾」によって、瞬時に消し去られたというのか。
ゲンソンは衣服の塵を軽く払い、悠然と石台へと近づき、瑶姫を見下ろした。
彼の端麗極まりない容顔が彼女の顔に近づくと、芳醇な酒の香りと、魂の根幹を揺さぶるような圧倒的な「洪荒の気」が漂い、瑶姫の魂は震えおののいた。
「おい、随分と無惨な格好だな」
ゲンソンは瞬きをしながら手を伸ばし、彼女の唇の端の血を指先で拭った。
万紀の眠りから覚め、彼の体内に満ち満ちていた**「始原の神力」**が、瑶姫の持つ純潔なる神の血に感応し、にわかに活性化した。その澎湃たるエネルギーは狂ったように暴れ回り、解放され、注ぎ込まれる場所を求めて激しくうねる。傷だらけの彼女の肢体を細めて見つめるゲンソンの脳裏に、至高の神としての原初の魔性が目覚めていく。
彼は一言も発せず、大きな手を伸ばすと、万年玄氷の鎖を紙切れのように容易く引きちぎり、彼女の身体をその強靭な腕の中へと抱き寄せた。
暗涼たる桃山の闇の中で、偉大なる魂と神力の交わりが始まった。俗世的な生々しい描写を排し、ただ最高峰の二つのエネルギーが共鳴し合う中で、重々しい吐息と交わされる言葉が洞窟内に木霊する。
「んっ……あ……あなた、何を……やめて……」
ゲンソンの2メートル10センチに及ぶ巨躯から発せられる凄まじい熱量が五臓六腑へと流れ込んでくるのを感じ、瑶姫は取り乱した声を上げた。
「動くな。俺の神力が有り余っているんだ。そのボロボロの体を浄化してやる」
ゲンソンは低い声で囁き、荒い息を彼女の首筋に吹きかけた。
「いや……痛い……あなたの神力は……強すぎる……私には耐えられない……うぅ……」
彼女は苦悶の声を漏らし、痩せ細った力ない手で彼の岩のように頑強な肩を必死に掴んだ。
「少し耐えろ。この混元の気を感じるんだ」
二人の周囲の空間が歪み始め、ゲンソンの肉体から放たれた黄金の光と洪荒のオーラが、二人を包み込んでいく。瑶姫が荒い息を漏らし、咽び泣くような喘ぎ声を上げるたびに、ゲンソンの体内の神力が解き放たれ、枯れ果てていた彼女の骨髄へと惜しみなく注ぎ込まれていく。そのたびに、彼女の肉体に刻まれた無数の傷跡が、奇跡的な速度で癒えていった。
「あ……ゲンソン……あなたは一体どんな怪物なの……この力、恐ろしすぎる……ん、うぅ……」
「俺はゲンソンだ。この名を刻み込め、俺の女よ」
太古の狂乱とも言える歓愉は目まぐるしく続き、それはあたかも大旱魃の後に万物を潤す**雲雨**のようであった。「始原のエネルギー」が洞窟内に満ち溢れ、かつて冷徹極まりなかった幽閉の地を、幻惑的な仙境へと変貌させていく。
荒れ狂う情熱と余剰の神力がすべて放出され尽くすと、洞窟は徐々に元の静寂を取り戻していった。
ゲンソンは満足げな表情で深く息を吐き出し、爽快感に満ち溢れていた。彼はすっと立ち上がり、衣服を整え、背後の猿尾を嬉しげに揺らした。
一方、石台の上に横たわる瑶姫はピクリとも動かず、一糸まとわぬ姿のままであった。その頬は紅潮し、鳳眼は虚ろに天井を見つめ、先ほどの魂を揺るがすような交わりによる疲弊から、未だに荒い呼吸を繰り返している。全身の骨肉が生まれ変わったような感覚を覚えつつも、目の前の奔放極まる男神のあまりの荒々しさに、精神はすっかり放心状態に陥っていた。
ゲンソンは彼女を見下ろし、そのうつろな瞳を見つめると、不意に微かに微笑み、耳元へと顔を寄せて温かみのある低音で囁いた。
「おい、そんな死にかけみたいな顔をするな。良い知らせを教えてやる。お前の子どもたち……楊戩と楊嬋は、まだ生きているぞ」
その二つの名前を耳にした瞬間、瑶姫の虚ろだった瞳が激しく収縮した。彼女は必死で首を巡らせ、最後の力を振り絞ってゲンソンの衣の裾を掴み、かすれた震える声で叫んだ。
「あ、あなた、今何と言ったの!? 私の子が……あの子たちが本当に生きているというの!? 嘘ではないのでしょうね!?」
「嘘をついてどうする、面倒なだけだ」
ゲンソンは肩をすくめ、平然と言い放った。
「さっき砂漠で会ったばかりだ。天庭の焼き鳥どもにいじめられているのを見かけたから、ついでにあの五月蝿いハエどもを追い払ってやった。あの子らの骨格と資質は極めて純粋だ。将来、間違いなく三界を震撼させる大器になるだろう」
瑶姫の目から涙が溢れ出したが、今度は幸福と希望に満ちた涙であった。彼女は声を詰まらせた。
「神仏に感謝を……あの子たちが生きている……生きてさえいてくれれば……」
彼女はゲンソンを見上げ、すがるような懇願の眼差しを向けた。
「ゲンソン……尾を一振りするだけで神将を葬り去るほどの力があり、我が子を救ってくれたあなたなら……なぜこの桃山を粉砕し、私をここから救い出してくれないのですか? お願いです……私をこの地獄から連れ去ってください!」
それを聞いたゲンソンは、冷淡で絶対的な無関心に満ちた笑みを浮かべた。彼は首を横に振り、如意金箍棒を再び肩に担ぎ直し、平然と答えた。
「嫌だね。あいつらを助けたのは、俺が飯を探している時に偶然邪魔をしてきたから、ついでに手を貸しただけだ。お前がここに閉じ込められているのは天庭の勝手であり、奴らの言う天規とかいう代物だろう。俺はただの通りすがりだ。あの焼き鳥どもの喧しい政治沙汰に首を突っ込む気はない。面倒臭いからな」
瑶姫は驚愕し、目の前の圧倒的な男を、感謝と怨恨の入り混じった複雑な眼差しで見つめた。
「あなた……それほどまでに冷酷なのですか!? 私の体を奪っておきながら、私をこの過酷な場所に取り残して苦しませるというのですか!?」
ゲンソンは決して振り返ることなく、気怠げに洞窟の出口へと歩みを進めた。背後の猿の尾が小馬鹿にするように揺れている。彼の怠惰な声が、背後へと響き渡った。
「俺の神力でお前の傷は癒えた。死ぬことはないはずだ。大人しくここで待っているがいい。お前の子どもたちが修行を終えて一人前になれば、自ずとお前を救いに来る。お前たちの家族の問題は、家族自身で解決しろ。俺は寝る。腹が減ってたまらん」
ゲンソンの2メートル10センチに及ぶ巨大な背中は、桃山の霧の中へと完全に消えていき、石穴には一糸まとわぬ瑶姫だけが取り残された。
彼女は涙を流しながらも微かに笑みを浮かべた。その胸中には、深い絶望と、我が子との再会という烈火のごとき希望が入り混じっていた。そして、因果に囚われぬあの孤高なる神の影は、彼女の魂の奥深くに永遠に刻み込まれたのである。




