↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/81

Episode 22

挿絵(By みてみん)

闇とは、果てのない虚無などではない。永遠に凍てついた、分厚い氷の層なのだ。

千年以上もの歳月を、時間そのものが凝固した夢幻の狭間を漂い続ける中で、私の意識は冷え切ったガラスの檻に閉じ込められていた。五歳児だった私の生体は、一つ一つの細胞に至るまで凍結していた。それでも、旧世界から唯一残された同行者――BoyBotの微細回路システムだけは、静かに稼働し続けていた。外界が狂気じみた速度で変貌していく中、その世界から零れ落ちるデータの断片を一つずつ、辛抱強く収集し、それを微弱な電気パルスへ変換して、直接私の大脳皮質へと送り込んでいた。

千年にも及ぶ冷凍睡眠の、朦朧とした夢の中で、私は「見て」いた。

恐ろしい時代が、目覚めていく瞬間を。

BoyBotは、その瞬間を記録していた。

古代の闇の存在――ノクサール・ヴェイルが、朽ち果てた無数の影という姿を脱ぎ捨て、完全無欠の肉体へと凝縮していった、その瞬間を。

彼は、凛々しく端正な若者の姿で現れた。

その瞳は宇宙のブラックホールのように深く、髪は死そのものを思わせる色を帯びていた。

そして彼は、万金帝国の玉座へと歩みを進めた。

かつての名を捨て、傲慢と狂気を滲ませた異名を自らに授けながら。

――魔王・雷善長夢。

彼は皇族陵墓へ向かった。

そこは歴史上、最も偉大で、同時に最も残虐だった戦士たちが眠る場所だった。

邪悪な魔力を帯びた彼の声は、幾層もの地質を貫き、大地の底へと響き渡った。

「目覚めよ!」

その一声とともに、黒い土の中から無数の白骨が這い出した。

血に濡れた無数の魂が地中から這い上がり、彼の足元へひれ伏す。

そうして、惑星そのものを喰らい尽くさんとする野望に仕える、不死の軍勢が築かれていった。

そして――時間が一気に加速した。

囚われた意識の中で、千年という歳月は、まるで瞬き一つのように過ぎ去った。

「システム再起動報告。主人、ジェンソン様。現在、高度に進化した遺伝子構造を持つ生体群によって、まもなく解凍処置が開始されます。

一千年の歳月を経て、完全に変貌した地政学的情報を受け取る準備をなさってください。

現在、外界文明は文明レベル7の境地に到達しております。これは、私自身が最も楽観的なアルゴリズムを用いたとしても、わずか十世紀の間に到達するとは予測できなかった発展段階です。

外部建築は、古代文明の荘厳さと、現代量子回路の中核技術が融合した異様な様式となっております。

交通機関はもはや空間そのものに制約されておらず、四種の機能を統合した複合移動システムへと進化し、空を覆う不可視の磁力線路の上を滑るように移動しております。

この惑星は……変わりました。

現在の質量と半径は、宇宙に存在する平均的な恒星の百万倍に達しています。

重力は人工的な膜構造によって完全に制御されています。

そして、この巨大な地球上に存在する国家は、ただ一つ。

――五行仙国のみです」

BoyBotの機械的な声が、私の頭蓋内へ響き渡った。

長々と、そして詳細に。

私が正式に目を開く、その瞬間まで、絶対的な慎重さを伴って。

「BoyBot……つまりお前は、俺の家族が皆殺しにされた後、サーシャが俺の目の前で頭を潰された後……俺は千年間眠り続けて、目覚めてみれば、すべての悲劇を間接的に引き起こした張本人の足元に、世界そのものがひれ伏しているって言いたいのか?」

私の思念には、苦い毒が滲んでいた。

「五行仙国……魔王・雷善長夢に支配された世界には、なんとも皮肉な名前だ。

あいつは千年という時間を使って、生存のためのあらゆる法則を作り替えた。

一年は二十二か月。

存在する季節は、ただ一つ――冬だけ。

人間の寿命は一万年にまで延び、十五歳になって初めて思春期へ入る。

機械が肉体労働のすべてを代行し、貨幣はもはや交換手段ですらない世界……。

俺には分かる。

あまりにも完璧に見えるその外殻の下から、絶望の匂いが漂っている。

あいつは人類すべてを巨大なガラスの檻に閉じ込め、ただの支配を遥かに超えた何か――そんな陰謀のために、人間を飼育しているんだろう?」

私はそう問い返した。

同時に、身体を包んでいた氷塊が徐々に溶け、温かな液体へと変わっていく感触を覚えた。

「その通りでございます、ジェンソン様。

雷善長夢は、歴史上最も苛烈な生存法を制定しました。

――弱者は、断頭台へ送られる。

毎年、全人口の半数――数十億にも及ぶ命が、十分な強さに達していないという理由だけで粛清されています。

すべての人間は、強くなることを強制されているのです。

現在、最も重視されている職業は、魔術師、薬師、剣闘士、そして英雄。

宗派と宗門が学校に取って代わり、異形の強者を生み出す血塗られた炉となっております。

その一方で、芸術、歌唱、演技といった分野は泥の底まで踏みにじられ、物乞いや売春婦が娯楽を提供するためのものと見なされています。

この巨大惑星の総人口は現在、わずか三十億人に維持されています。

その規模を考えれば、あまりにも少なすぎる数です。

雷善長夢は、人口の多い帝国など必要としていません。

彼が欲しているのは、この星系の境界を越え、さらなる野望を拡大するための、最精鋭の軍隊だけです。

彼は人類を搾り尽くし、最も強い者を探し続けているのです。

……ご注意ください、ジェンソン様。

現在、冬眠カプセルからの搬出処理が開始されます。

地表防護プロトコル、解除準備に入ります」

カチッ。

シュー……。

圧縮空気がカプセルの内部から抜ける音が、耳を刺すように響いた。

生体手術用照明から放たれた眩い光が、私の網膜を真正面から焼いた。

私は真っ赤に充血した目を細めた。

身体は羽のように軽い。

だが同時に、まるで大手術を終えた直後のように、力が抜けていた。

私は宙に浮かぶ合金製のベッドの上に横たわっていた。

その周囲では、人間とほとんど変わらない姿をしていながら、非現実的なほど完璧な美貌を持つ生体たちが、ざわめきながら何かを議論していた。

彼らは真っ白なローブをまとい、その表面には発光する電子回路が走っている。

彼らの言葉が私の耳へ届く。

だが、それはただの奇妙な音の連なりにすぎなかった。

量子暗号のように歪み、複雑に入り組んだ響き。

千年前の言語とは、まるで違っていた。

「(未知の言語)……この生命体、遺伝子構造があまりにも純粋すぎる!

しかし、生殖センターによる交配や遺伝子改変の痕跡が一切存在しない!

旧バイハイロン国の永久氷原の下に、いったい何世紀眠っていたのだ?

見ろ。

現代では、すべての個体が遺伝子選別を受け、最高峰の美貌へと最適化されているというのに、この子供の容貌には、他者の精神を圧倒するほどの強烈な磁場がある。

言語球を与えろ。

意思疎通を確立し、この存在が旧文明の生き残りなのか、それとも荒野から生まれた新種の突然変異なのか確認する必要がある!」

一人の男が、私へ近づいてきた。

真っ白な銀髪は高く跳ね上がり、その瞳は極光のような青色をしている。

彼の手には、淡い緑色の光を放つ透明な飴玉があった。

男が何を言っているのかは理解できなかった。

それでも、かつて本我が滅ぼした無数の文明に関する記憶が、私へ告げていた。

これは、消化器官を通じて一時的に知識を移植するタイプの技術だ。

私は抵抗しなかった。

ゆっくりと口を開き、その飴玉を飲み込む。

飴が喉を通り抜けた瞬間、膨大な情報が神経を伝って脳幹から大脳へと一気に流れ込んできた。

そして、この時代の言語体系、語彙、文法――そのすべてが、瞬時に分解され、解析され、理解へと変換されていった。

「どうだ、奇妙な子供。

私が発している音節を、もう理解できるか?

五行仙国・晶体中央病院へようこそ。

我々は北方の辺境で漂流していた君の氷繭を発見した。

解凍したところ、君の後頭部には、わずか一ナノメートル程度の微細回路装置が緩く付着していた。

幸いなことに、解凍処置が始まる前に、それは自動的に剥離した。

もし我々が磁場を使って取り外していたら、再起動中の神経細胞が損傷し、脊髄そのものが焼き切れていた可能性がある。

君は何者だ?

なぜ、わずか五歳ほどの身体しか持たない子供が、これほど異常な骨密度と、極端な温度環境への耐性を持っている?」

男の声は、もはや明瞭だった。

私はすべてを理解できた。

男は私を見つめていた。

好奇心。

そして、それと同時に警戒心。

まるで目の前にいるのが子供ではなく、いつ爆発するか分からない時限爆弾であるかのように。

私は小さな両手を宙に浮かぶ合金製ベッドへつき、ゆっくりと上体を起こした。

身体が変わっている。

この惑星の気候は、千年前よりも遥かに寒冷化しているらしい。

その環境へ適応するためなのか、私の肌は異様なほど白く、滑らかになっていた。

それでいて、まるでカーボンナノファイバーを織り込んだかのような強靭さを備えている。

私は周囲を見回した。

この部屋にいるのは私だけではなかった。

数十人ほどの、私と同年代の子供たちが、別々の病床に座っている。

彼らは皆、遺伝子選別の結晶だった。

完璧。

美しい。

傷一つない。

しかし奇妙なことに、周囲の少女たちは皆、私へ視線を集中させていた。

何人かは鼻血まで流し、顔を真っ赤にしながら、ひそひそと話している。

「嘘……。

さっき目覚めたばかりなのに、あの目……。

本当に綺麗……!

綺麗すぎて、逆に残酷なくらい!

剣士宗門の王族遺伝子から生み出された御曹司たちと比べても、あの子のほうが遥かに強烈な気配を放ってる。

あんなに小さな身体なのに、私たちを見る視線が……まるで神様が蟻を見下ろしてるみたい。

心臓が胸から飛び出しそう。

古代から冷凍睡眠していた人間が、どうして現代文明レベル7の最新美容アルゴリズムすら超える外見を持ってるの……?」

私は、そんなくだらない囁きを完全に無視した。

美しい?

そんなものに何の意味がある。

一年ごとに人口の半分が弱さを理由に虐殺される世界で、美貌に何の価値があるというのだ?

千年前。

「天才」という肩書きも、「完璧」という評価も、私の両親と、私に残された唯一の友人たちの命を奪った。

この世界が強さと権力だけを価値あるものとして扱うのなら――外見など、巨大な罠を彩るためだけの、ただの屑にすぎない。

「後頭部の装置など、私は気にしていない。

自動的に外れたのなら、お前たちにとっても幸運だったな。

もし触れていたなら、俺の防衛システムがこの病院全体を吹き飛ばしていた可能性がある。

それに、俺が何者なのか。

なぜあの氷の下にいたのか。

そんなことは――歴史から忘れ去られた残骸だと思えばいい。

お前たちが、継ぎ接ぎだらけの考古学資料でしか知ることのできない時代から流れ着いた亡霊だ。

服が必要だ。

この合成化学薬品の臭いに満ちた部屋から出たい。

そして何より、自分の生体リズムを調整するための空間が必要だ。

でなければ……制御を失って、周囲の脆弱な生体を傷つけかねない」

私の声は、五歳児の澄んだ声だった。

だが、その響きには冷たさがあった。

静寂があった。

そして、幼い肉体には到底似つかわしくない威厳があった。

部屋全体が、一瞬で静まり返った。

科学者たちは一歩後ずさる。

私の小さな身体から、目には見えない殺気が放たれているのを感じ取ったのだろう。

彼らはすぐに、温度を自動調節する生体繊維で織られた衣服を私に渡した。

東洋の古装束と宇宙航行服のミニマリズムを融合させたようなデザインだった。

服を着終えると、私はベッドから飛び降り、隔離区域の外へと確かな足取りで歩き出した。

病院の廊下は透明なガラスで作られており、五行仙国の首都全体を見渡すことができた。

雲を突き抜けるほど巨大な塔が立ち並び、その間を飛行している。

古典的な反り屋根の建築様式が、漆黒の光沢を持つ金属によって精密に装飾されている。

その表面には、超高速で空を走る飛行艇の光が反射していた。

空は、息を呑むほど深い青だった。

巨大すぎる惑星の質量が、感覚そのものを押し潰してくるような錯覚を覚える。

ノクサール・ヴェイルの千年に及ぶ帝国を、どう生き延び、どう転覆させるか。

その方法を考えながら歩いていた私は、廊下の曲がり角で、向こうから走ってきた小さな人影と、不意にぶつかった。

ドンッ。

二人ともよろめいた。

私はすぐに体勢を立て直し、文句の一つでも言おうとした。

だが、その瞬間。

真紅の瞳が、ぶつかった相手の顔を捉えた。

喉の奥から、すべての言葉が消えた。

千年前、深海の底で凍りついていたあの瞬間のように。

凍りついた。

その髪。

その大きな瞳。

その、内気なのにどこか頑固そうな雰囲気。

見間違えるはずがない。

完全に同じだった。

――サーシャ。

「……サーシャ……」

すでに冷え切っていた私の心臓が、激痛を伴って一度だけ跳ねた。

小さな手が無意識のうちに宙へ伸びる。

目の前に立つ少女の頬へ触れようと、震えながら。

千年前に潰された頭。

灰となった身体。

その記憶が、まるで巨大な嵐のように押し寄せ、BoyBotが長い年月をかけて築き上げた精神防御を一瞬で引き裂いていく。

呼吸が乱れた。

瞳孔が急速に収縮する。

「ご、ごめんなさい……!

わざとぶつかったわけじゃないの!

だ、大丈夫……?

あなたの目……なんだか、今にも泣きそうに見えるよ。

どこか痛いの?

あ、あの……あなた、誰なの?

私、この病院で、そんなに綺麗で魔性的なルビー色の瞳を持った人なんて見たことないよ。

それに、このプラチナブロンド……。

この色って、王家の大魔導師の血筋を持つ人にしか出ないと思ってた……」

少女の声が、澄んだ高音となって私を現実へ引き戻した。

その内気さ。

戸惑い。

そして隠しきれない淡い動揺。

それらが一瞬で、私の幻想へ冷水を浴びせた。

違う。

この子はサーシャではない。

サーシャなら、この文明レベル7の時代特有の、そんな話し方をするはずがない。

何より、目の前の少女の血管には、千年前には存在しなかったほど濃密な霊力が渦巻いている。

これはただの、残酷な偶然なのだ。

外見だけが完璧に一致した、別の時間軸に属する存在。

私は伸ばしかけた手を引っ込め、視線を落とした。

胸の奥を引き裂いていた失望と痛みを、必死に押し込める。

「何でもない。

俺は痛くない。

泣いてもいない。

ただ、ここの光が少し眩しいだけだ。

俺のことは気にするな。

俺はただ、この廊下を通り過ぎているだけの人間だ」

乾いた声でそう答え、私は顔を背け、その場を立ち去ろうとした。

だが、その瞬間。

研究部門の高位勲章を身につけた、中年の大柄な男が、大股でこちらへ歩いてきた。

顔には賢者のような威厳が浮かんでいる。

しかし少女を見る眼差しだけは、驚くほど柔らかかった。

「ヴィエン・アン、また勝手に走り回っているのか。

研究室で大人しく待っていろと言っただろう。

私が遺伝子データを確認しなければならないのだから。

……おや。

これは……旧バイハイロン国から解凍されたばかりの生命体ではないか。

もう目覚めたのか。

まったく、驚異的な生命力だ。

ヴィエン・アン。

この子は、何千年も前の秘密をその身に抱えている特殊な原初遺伝子構造の持ち主だ。

誰もが生き残るため、過酷な宗門修練の渦へ飲み込まれているこの時代に、新しい友人がいるというのは、お前に必要なものなのかもしれない。

どうして自分から話しかけてみないんだ?

お前、他の子供たちが打算的で残酷だから友達ができないって、いつも文句を言っていただろう?」

男は微笑み、少女の肩へ大きな手を置いた。

その言葉の一つ一つが、私の心の中にある、見えない錠前へ鍵を差し込んでいくようだった。

ヴィエン・アン。

張ヴィエン・アン。

張リュー・サ。

天才の思考は、瞬時に情報を結びつけた。

張ヴィエン・アン。

この名前……。

あまりにも聞き覚えがある。

冬眠中にBoyBotが走査していた考古学データ。

その中に、この名前があった。

いや。

今はまだ、深く掘り下げる時ではない。

この少女が私の過去とどれほど因果的なつながりを持っていようと、私は決して心を許してはならない。

この心は、すでに十分すぎるほどの死を見てきた。

これ以上、誰かをこの孤独で血塗られた復讐の旅へ巻き込みたくはない。

「えっと……あなた……こんにちは。

私の名前は張ヴィエン・アン。

父は張リュー・サ。

晶体病院の量子生物学研究部長よ。

父があまりにも忙しくて家に帰れないから、今日は一緒に遊びに来ただけなの。

あなた……名前は?

よかったら、私と一緒にこの辺りを見て回らない?

空中にある魔術師学院全体を見渡せる秘密の通路を、私はたくさん知ってるの!」

張ヴィエン・アンは、恐る恐る半歩前へ出た。

小さな手で衣服の裾を強く握りしめる。

その瞳には、期待と、私の容貌に対する無邪気な憧れがきらめいていた。

その躊躇いがちな仕草。

まただ。

あまりにも似ている。

かつてサーシャが、機械だらけの部屋で孤独に閉ざされていた私を慰めるために抱きしめてくれた、その仕草に。

私は深く息を吸った。

そして父娘を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと言葉を吐き出した。

「俺の名は……ジェンソン・ジェスダ。

友達を作ることに興味はない。

そして、お前たちが望むような形で、この世界に縛られるつもりもない。

俺はただ、時間に置き去りにされた旅人だ。

弱さが死刑宣告と同義であるこの時代で、自分が存在する意味をもう一度見つけようとしているだけだ。

俺には近づかないほうがいい。

なぜなら、俺の周りにあるのは……災厄と破壊だけだから」

張リュー・サは、わずかに眉を上げた。

五歳児の口から発せられるとは思えないほど、老成し、悲観的で、そして辛辣な言葉に驚いたのだろう。

男は低く笑い、手を軽く振った。

「ジェンソン・ジェスダ、か。

古代の言語体系に由来する構造の名前とは、ずいぶん奇妙で発音しづらいものだ。

五行仙国の現代では、そんな長ったらしい名前はもう一般的ではない。

父娘ともに、お前を『ソン』と呼んでもいいか?

坊や。

お前の目を見れば、心に無数の傷を抱えていることくらい分かる。

お前は、自分の周囲には災厄しかないと言う。

だが私に言わせれば、お前が現れたことこそ、救いなのだ。

私には処理しなければならない実験が山ほどある。

そしてヴィエン・アンは、この冷たい病院の中であまりにも孤独だ。

たとえ、ある午後に偶然すれ違うだけの友達でもいい。

この子には友人が必要なのだ。

過去という重荷を理由に、今を拒絶する必要などない。

少なくとも今この瞬間だけは……ただの子供として生きてみなさい」

私は黙った。

ジェンソン。

ソン。

名前など、ただの仮面だ。

どう呼ばれようと構わない。

だが、この研究部長の忍耐と包容力には、どうにも戸惑わされた。

雷善長夢の残酷な世界。

人間が淘汰されないために互いを踏みつけ合う世界。

そんな場所にも、家族の温かさを守り続けている人間が残っているのか?

別の断る理由を探すより先に、張ヴィエン・アンが大きく息を吸った。

内気さが消えた。

代わりに現れたのは、驚くほど大胆な決意だった。

少女は私のもとへ駆け寄り、小さく温かな手で私の手を強く握った。

「分かった、ソン!

あなた、まるで宗門にいる何万歳も生きたお爺ちゃんみたいな話し方をするんだね!

今目覚めたばかりだから、この世界がどれだけ素晴らしくて、どれだけ恐ろしいか、まだ何も知らないでしょう?

ついてきて!

永遠の氷の底の夢なんかじゃ絶対に見つけられないものを、私が見せてあげる!

今日この瞬間から、私があなたの案内役になるの。

だから、拒否権なんてないからね!」

そう言うと、私の反応を待つことすらせず、少女は私の手を引き、陽光で満たされたガラス張りの廊下を走り始めた。

私は、本気を出せば、ほんの千分の一の肉体的な力だけで、その手を振り払うことができた。

あるいはBoyBotへ命じ、微弱な電撃を放たせて逃げることもできた。

だが――。

少女の掌から伝わってくる温もり。

それは、あまりにも本物だった。

それは私に思い出させる。

たとえ私が創造主の魂を宿していたとしても。

たとえ胸の内に、魔王・雷善長夢への天をも覆うほどの憎悪を抱えていたとしても。

今この瞬間、私はまだ息をしている。

まだ肉体を持ち、確かに生きているのだ。

私は、張ヴィエン・アンに手を引かれるまま、走っていった。

七級文明の眩い光の中を駆けていく、小さな背中を見つめながら。

――分かった。

魔王。

お前は偽りと残酷さに満ちた世界を作った。

千年前、俺のすべてを奪った。

だが――。

今日、ジェンソン・ジェスダは帰ってきた。

そして、この生死を懸けたゲームは……。

今、この瞬間から、本当の意味で始まる。

晶体中央病院の敷地は、千年前の断片的な記憶の中に存在する、いかなる医療施設とも似ていなかった。


それは、一個の宙に浮かぶ生態系だった。


巨大な古樹が無数にそびえ立ち、発光する葉を広げている。その根は地中へ伸びるのではなく、磁気浮遊合金で形成された巨大な構造体へと深々と食い込んでいた。


吹き抜ける風には、人工的に生成された花々や草木の香りと、文明レベル7特有の鋭いオゾン臭が混じっていた。


張ヴィエン・アンは私の手を引き、白玉石で舗装された遊歩道を歩いていた。


私たちが進むたび、道の両脇から無数の小さな光の粒がふわりと舞い上がり、風に乗って流れていく。


少女の手は温かく、柔らかい。


それは、氷の繭から生まれ直したばかりのように冷たく、硬直した私の体温とは、あまりにも対照的だった。


「ソン、歩くの遅すぎるよ!」


ヴィエン・アンは振り返り、頬を膨らませた。


だが、大きな瞳には隠しきれない興奮が宿っている。


「そんな、エネルギーの切れた機械みたいな歩き方をしてたら、光芒塔で魔術師見習いたちがやる光の演舞に間に合わなくなっちゃうよ!」


私はそっと手を引き、一定の歩調を崩さずに進んだ。


視線だけを横へ流し、敷地内の至る所に設置された、黒光りする金属製の記念碑を眺める。


「私は視覚的な幻惑などに興味はない。


お前は私を、こんなくだらないものを見せるためだけに連れ出したのか?」


ヴィエン・アンが足を止めた。


どうやら私の冷淡な態度に戸惑ったらしい。


少女は俯き、靴先で道端の玉石を軽く蹴った。


そして、その声は突然、年齢には似つかわしくないほど沈んだ。


「違うよ……。


ただ……一緒に歩いてくれる人が欲しかっただけ」


少女はゆっくり顔を上げた。


澄んだ瞳に映っているのは、子供の身体に閉じ込められた、老いた魂の姿だった。


「ねえ、ソン。


この学院でも、この研究区画でも、私には一人も友達がいないの。


みんな、私のことを変人って呼ぶ。


性格が強すぎるとか、頑固すぎるとか……高貴な学者の血を引く女の子らしくないって」


「性格が強い?」


私は口元をわずかに歪めた。


笑みとも呼べない、半端な表情が浮かぶ。


「一年ごとに人口の半分が、『弱い』という理由だけで殺される世界で、強く振る舞い、頑固でいることが完璧な防衛機構でなくて何だ?


なぜ連中はお前を孤立させる?」


「私が、『完璧』を自称する連中に頭を下げないから!」


ヴィエン・アンは小さな両手を強く握りしめた。


幼い声の中に、純粋な怒りが滲む。


「遺伝子を使って、宗門の力まで借りて、自分たちより身分の低い人間を踏み潰すの。


私はあの偽善が大嫌い!


前に、剣士一族の御曹司が壊れた清掃ロボットに唾を吐いたことがあったの。


だから、そいつの鼻をへし折ってやった!」


私は無言で少女を見つめた。


怒りで赤くなった頬。


鼻をきゅっと縮める仕草。


意地を張ったように寄せられた眉。


その一つ一つが、私の心の最も深い傷へ突き刺さる見えない刃物だった。


――サーシャ。


目の前の少女は、あまりにも残酷なほどサーシャに似ていた。


顔立ちだけではない。


この残酷な世界の中で、弱い者を守ろうとする、その心までが似ていた。


無垢さと強さが同居したその魂こそ、千年前、サーシャを権力者の足元で踏みにじらせたものだった。


背骨から頭頂部へ、鋭い痛みが一気に駆け上がる。


罪悪感。


無力感。


凍りついたはずのものが、今になって燃えるような熱を帯び、噴き上がってくる。


――俺は、サーシャが一番俺を必要としていた時、どこにいた?


多元宇宙を破壊できるほどの力を持っていたくせに。


それなのに、俺を本当の意味で一人の人間として見てくれた、たった一人の少女の命すら救えなかった。


私が黙り込み、焦点の合わない目をしているのを見て、ヴィエン・アンも重苦しい空気を感じ取ったらしい。


彼女は慌てて話題を変え、私へ近づいて袖口にそっと触れた。


「でも……今は私、ソンがいるから!」


少女は満面の笑みを浮かべた。


八重歯が愛らしく覗く。


「もう、あいつらに馬鹿にされなくて済むよ。


知ってる?


私にはお兄ちゃんが一人と、弟が一人いるの。


二人とも戦術区画で勉強してる。


今度こっそり連れていって、会わせてあげる。


そして、あの二人の馬鹿にこう言ってやるの。


『見て! 偉大なるヴィエン・アン様が、お前たち二人を足しても敵わないくらい、超絶イケメンで超絶カッコいい友達を見つけたんだから!』って。


絶対、嫉妬で爆発するよ!」


少女の無邪気さは、私の良心を細い針で何度も刺してくるようだった。


未来の約束。


兄弟。


普通の人生。


それは、この帝国すべてを血で染める使命を背負った私にとって、あまりにも贅沢なものだった。


「私に自分の誇りを預けるな、ヴィエン・アン」


私は低く掠れた声を出し、可能な限り安全な距離を作ろうとした。


「他人に依存して成立する誇りほど、脆いものはない。


もしある日、私が消えたら。


あるいは、もっと最悪な形で……私がお前の家族にもたらされる災厄の原因になったら、その時――」


ヒュッ!


鋭い風切り音が、私の言葉を遮った。


瞬きをする暇さえなかった。


硬質な金属製の物体が、猛烈な速度で真っ直ぐ私の額へ飛来する。


完全な生体機械としての反射能力を備えた私は、避けようともしなかった。


ゴツンッ!


物体は私の額へ直撃し、そのまま跳ね返って玉石の路面に転がった。


血は出ない。


痛みもない。


ナノ構造によって強化された私の皮膚には、傷一つついていなかった。


私は屈み込み、落ちた物体を拾い上げる。


それは小型の磁気反動式ジェットエンジンを搭載した玩具の自動車だった。


威力制御を知らない子供が扱うには、危険すぎる玩具だ。


「ははは!


悪かったな、白い顔のチビ!


ちょっと手が滑っただけさ!」


少し離れた植え込みの向こうから、下卑た笑い声が響いた。


数歳年上と思われる少年が、初級魔術師課程の制服を着て腕を組んで立っている。


顎を上げ、挑発するような表情を浮かべていた。


謝罪する気など、微塵もない。


そして、私の小さな体を見た瞬間、その瞳には露骨な侮蔑が浮かんだ。


私は平然と玩具を拾い上げた。


合金製の表面から微かな振動が伝わってくる。


内部のエンジンは、まだ甲高く唸っていた。


「このクソ野郎!


わざとソンに投げたんでしょう!」


私の隣で熱が爆発した。


張ヴィエン・アンが怒鳴り声を上げる。


小さな顔は真っ赤になり、髪が無重力状態で宙へ浮き始めた。


握りしめられた両手の周囲には、淡い橙色のエネルギーが渦巻いている。


霊力が暴発する兆候だ。


「私の友達に手を出したな!


今日は、そのボロボロの制服ごと引き裂いてやる!」


少女は飛び出した。


さっきまでの内気で恥ずかしがり屋の姿など、完全に消え去っている。


その目は燃え上がるように輝き、獲物の喉笛へ噛みつこうとする小さな猛獣のようだった。


だが、一歩踏み出した瞬間。


私は腕を伸ばし、ヴィエン・アンの手首を強く掴んだ。


完全な抵抗だった。


霊力を爆発させている彼女でさえ、鋼鉄の壁へ激突したかのように、その身体ごと引き戻された。


「ソン!


離して!


あいつの口を殴り潰させて!」


ヴィエン・アンはもがき、悔しそうに私を睨んだ。


私は手首を軽く締め、暴走しかけた霊力を完全に抑え込んだ。


凍結した湖面のように平静な眼差しのまま、淡々と問いかける。


「初めて私に会った時、お前は臆病な子兎のように警戒していた。


それが今は、ほんの些細な衝突だけで血に飢えた獣へ変わり、勝ち負けに執着して理性すら失っている。


なぜだ?


その怒りは、私を守りたいからか?


それとも――自分が反抗しなければ、他人から『死刑に値する弱者』と見なされることが怖いからか?」


ヴィエン・アンは凍りついた。


私の言葉は、燃え盛っていた少女の怒りへ冷水を浴びせたようだった。


瞳が揺れる。


唇が震える。


反論しようとするが、言葉が出てこない。


そうだ。


腐り果てた五行仙国において、攻撃性は生まれ持った性格ではない。


――それは生存手段なのだ。


私は少年へ視線を向けた。


手にはまだ、あの玩具を握っている。


私は指を軽く弾いた。


あまりにも自然で、誰一人として軌道を認識できないほどの動作だった。


パシュッ!


ドンッ!


玩具の車は空気を切り裂き、少年の頬をわずか0.1ミリほどの距離で掠め、そのまま背後の巨木へ深々と突き刺さった。


少年の頬に、細い血の筋が走る。


目が大きく見開かれた。


顔から血の気が失せる。


両脚が激しく震え、そのまま尻餅をついた。


やがて、ズボンが濡れ始めた。


「自分の玩具を拾え。


そして、消えろ」


私は冷淡に命令した。


少年は這いつくばりながら玩具へ近づき、泣き叫びながら逃げ去った。


高価そうな自分の玩具を振り返って見る勇気すらなかった。


ヴィエン・アンはその場に立ち尽くした。


まだ息を切らしている。


怒りから驚きへ。


そして最後には――説明し難い陶酔が、その瞳に浮かんだ。


横顔を見つめている。


「ソン……あなた……今、何をしたの?


あの速度……」


私は答えなかった。


ヴィエン・アンの手をまだ掴んでいた私は、そのまま何気なく遠方の空を見上げた。


浮遊都市中央広場。


巨大な8D投影システムが作動している。


澄み切った空が引き裂かれ、そこに巨大な立体映像が浮かび上がった。


髪の一本一本まで鮮明に見えるほどの映像だった。


そこに映っていたのは、一人の男。


純黒の皇帝長衣をまとい、随所に純金の装飾が施されている。


その顔は妖しいほど美しく、深い瞳には周囲の酸素さえ奪い去るかのような圧倒的威圧感が宿っていた。


男は笑っていた。


慈愛に満ちた微笑み。


傲慢で、高潔で、すべての生命へ恩恵を授ける神のような笑み。


だが――私は、その笑みを知っている。


その目を知っている。


「空に映っている……あの男は、誰だ?」


私の声が、突然掠れた。


一語一語が歯の間から擦れ出る。


ヴィエン・アンの手首を掴んでいた指に、無意識のうちに力が入った。


少女は痛みに顔をしかめた。


だが空を見上げた瞬間、その瞳には幼い頃から刷り込まれた畏敬の念が満ちていった。


「ソンは長く眠りすぎたから、知らないんだね。


あの方は私たちの至高なる御方。


万金帝国、そして現在の五行仙国を統べる支配者――


魔王・雷善長夢陛下。


世界を統一し、新たな法を定め、私たちに長い寿命と完璧な進化を与えてくださった方だよ……」


――雷善長夢。


その名が、轟音となって私の精神を爆破した。


新しい名前。


新しい姿。


偽りの完璧さ。


それらすべてをもってしても、あの暗黒のエネルギーの腐った本質だけは隠せない。


――奴だ。


千年前、空そのものを引き裂いた者。


ゼンム・ジョンソンの魂を喰らった者。


私が家族と呼ぶことを望んだ、すべての命を間接的に死へ追いやった者。


――ノクサール・ヴェイル。


周囲のすべてが歪み始めた。


ヴィエン・アンの声が、濃密な霧の向こうから聞こえてくるように遠ざかっていく。


病院の敷地が、砕けたガラスのように崩れ始めた。


頭蓋の中へ何千本ものドリルを突き刺されたような激痛が走る。


身体全体が痙攣した。


そして――。


心の最も深い闇。


私が千年もの間、封じ込めていた場所から、黒い影が這い出してきた。


私の本我。


絶対的破壊を象徴する存在。


「見ただろう、ジェンソン?」


その声が響いた。


太く、濁っていて、粘つくように嘲笑的な声。


私の無意識へ直接叩き込まれる。


「見ろ。


お前が愛した者たちを皆殺しにした男が、今どこに立っている?


あいつは神になっている!


お前が使うことを拒んだ、その力だけで世界を支配している!」


「黙れ……」


私は心の中で叫び、両手で頭を抱えた。


「黙れ?


なぜ私が黙らなければならない?


私はただ、この上なく残酷な真実を口にしているだけだ」


黒い影が私の肩を這い上がる。


その爪が、血を流し続ける魂を優しく撫でる。


「千年前、お前はあまりにも甘すぎた!


ゼンム・ジョンソンなど、簡単に握り潰せたはずだ!


あの小娘サーシャを救うために、万金帝国そのものを平らな地面へ変えることだってできた!


それなのに、お前は何をした?


臆病者め!


お前自身の力に怯えた!


力を振るえば、あいつらを傷つけると思った!


そして結果はどうだ?


結局、全員死んだ!


お前の惨めな無力さによって!」


「違う!


俺は、あいつらと同じ怪物になりたくなかっただけだ!」


「愚か者!」


本我が咆哮した。


その声は最後に残された理性の光までも食い尽くす。


「この人間という仮初めの殻が持つ本能は、共感かもしれない。


慈悲かもしれない。


だが、この偉大なる魂の核心にあるものは――


破壊だ!


お前はすべてを虚無へ還すために生まれた!


自分自身の本質を拒絶したことこそ、お前を弱くした原因なのだ!


ほら、あのヴィエン・アンという少女を見ろ。


あいつはお前を心配している。


その腐った慈悲だけで、あいつを守れると思うのか?


この身体を私に渡せ。


そうすれば、私は雷善長夢の首をへし折り、奴の帝国を噛み砕いてやる!」


「――嫌だあああああ!」


私は天を仰ぎ、喉を裂くような絶叫を放った。


小さな身体から、目に見えない衝撃波が爆発的に広がった。


半径十メートル以内のあらゆるものが吹き飛ぶ。


視界が暗転した。


最後に見えたのは――。


恐怖に染まったヴィエン・アンの顔が、私へ向かって駆けてくる姿だった。


そして、永遠の闇が私の意識を呑み込んだ。


一方その頃。


量子生物学研究所、最上階の研究室。


張リュー・サは、立体投影デスクの表面を指先で滑らせながら、夢中で作業を続けていた。


無数の遺伝子配列。


生命維持指数。


「ジェンソン・ジェスダ」と名付けられた生命体の各種データ。


それらが次々と空中へ浮かび、彼の目の前を流れていく。


完全な肉体。


文明レベル7の生物学的法則のいずれにも従わない細胞構造。


あの子供は交配によって生み出された存在ではない。


進化の産物ですらない。


時間の流れそのものから逸脱した生命体だ。


リュー・サはこめかみに軽く手を当てた。


唇の端には、どこか悲しげな笑みが浮かんでいた。


ジェンソンを解凍したのは、探検隊による偶然などではない。


魔王・雷善長夢は、何年も前からあの氷繭を発見していた。


しかし、何らかの不可解な理由によって、彼は待った。


育てた。


そして今日になって初めて、その氷塊を回収し、解剖するよう命じたのだ。


その任務をリュー・サへ与えた理由も明白だった。


彼こそが、五行仙国における生物工学の最高頭脳だったからだ。


彼らは皆、魔王へ服従している。


魔王の猟犬となることを、名誉だと思っている。


生命の昇華だと信じている。


――だが、張リュー・サは違った。


彼の瞳は、果てのない虚空へ沈んでいく。


そして、人生で最も暗い記憶が再び蘇った。


昨日の出来事であるかのように、生々しく。


十年前。


彼の妻――この世で最も優しい女性。


この残酷な世界で、唯一の光だった女性が、謎の細胞崩壊病に侵された。


最新医学をもってしても、治療法は存在しなかった。


絶望の中、張リュー・サは瀕死の妻の身体を抱き、血に染まった数万段もの聖殿の階段を、這うようにして上った。


そして、魔王・雷善長夢へ救いを求めた。


彼は命そのものを差し出した。


帝国を強化するために、自らが生み出した数千もの偉大な発明すら献上した。


求めたのは、ただ一つ。


――どうか、無限の力を持つ魔王の御力で、妻を救ってほしい。


そんなことは、あの男にとって指一本弾くほど容易なことだった。


そして雷善長夢は、その願いに応えた。


彼は玉座から降り、慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、リュー・サの妻の胸へ手を置いた。


リュー・サは感謝の涙を流した。


しかし――。


その笑みは、悪魔の笑みだった。


生命力を注ぎ込む代わりに、魔王の手は鋭利な黒い剣へと変貌した。


そして――。


妻の胸を、一切の躊躇なく貫いた。


熱い血がリュー・サの顔へ飛び散った。


「弱さとは、感染する病だ、リュー・サ」


その時の魔王の声は、低く穏やかだった。


だからこそ、なおさら残酷だった。


「彼女は、生き続けるには弱すぎた。


私は彼女を解放してやったのだ。


そして、お前から無用な鎖を一本切り落としてやった。


これからは、その痛みを使い、私に仕えるための知性をさらに研ぎ澄ませろ」


その瞬間から。


張リュー・サの心臓は死んだ。


彼が生きている理由は、幼い三人の子供たちだけだった。


表面上は従順を装い、偉大な発明を提供し続けた。


だが心の最奥では、憎悪という名の短剣を、少しずつ研ぎ続けていた。


そして――。


解凍台の上で、ルビー色の瞳をした少年――ジェンソンが目を開いた時。


リュー・サの脳裏に、亡き妻の声が響いた。


――『あの子を救って……。


あの子こそ、この長い夜を終わらせる唯一の希望よ……』


「父さん!


父さん!」


ガラス扉が自動的に開いた。


ヴィエン・アンが部屋へ駆け込んできた。


涙が頬を伝い、顔は恐怖で真っ青になっている。


普段の強気で頑固な姿など、跡形もなかった。


「ソンが……ソンがおかしいの!


叫んだと思ったら、庭で倒れて動かなくなったの!


父さん、早く助けて!」


リュー・サは飛び上がるように立ち上がった。


空中に浮かんでいた資料が、一斉に消える。


「気絶した?


あり得ない!


生命維持指数は完全に安定しているはずだ!


行くぞ。


すぐに案内しなさい!」


彼は上着を羽織る時間すら惜しみ、娘とともに研究室を飛び出した。


胸が激しく鼓動する。


もし、あの子供に何か起これば――。


リュー・サの密かな希望だけではない。


魔王の怒りまでもが、一家全員へ降り注ぐ。


しかし。


張リュー・サとヴィエン・アンが、中央庭園を見下ろす回廊へ出た瞬間。


彼の足は床へ縫い付けられたかのように止まった。


空の8Dスクリーンは激しくノイズを発し、白と黒のピクセル片へと崩壊している。


庭全体では、医師たちも、魔術師の見習いたちも、警備兵たちも、全員が地面へ這いつくばるように跪いていた。


誰一人として顔を上げない。


息をすることすら恐れるかのように、呼吸を押し殺している。


庭の中央。


そこに一人の大男が立っていた。


純黒の長衣。


随所を彩る純金。


静かな背中。


しかし、その身体から放たれる圧力は、周囲の空間そのものをひび割れさせるかのようだった。


――魔王。


雷善長夢。


本人が、ここへ来ている。


黒光りする革手袋に包まれた、その両腕に抱かれていたのは――。


意識を失った、ジェンソン・ジェスダの小さな身体だった。


「ま……魔王陛下……」


リュー・サは言葉を詰まらせた。


冷汗が額を濡らす。


彼は慌ててヴィエン・アンを引き寄せ、自分の隣へ跪かせた。


雷善長夢はゆっくりと振り返った。


完璧で、いかなる角度から見ても隙のないその顔には、恐ろしいほどの平静が宿っている。


彼は近くに浮かんでいた、高性能磁気浮遊式車椅子へ歩み寄った。


そしてジェンソンの身体を、宝物を扱うように慎重に横たえた。


車体の小さなボタンを押す。


車椅子が静かに浮上し、滑るように空中を移動していく。


リュー・サ親子が跪いている場所へ。


雷善長夢は、その後ろをゆっくり歩いてきた。


一歩進むごとに、周囲の温度が数度ずつ低下していく。


彼はリュー・サの目の前で立ち止まった。


息が詰まる。


魔王は身を屈めた。


長い髪がリュー・サの頬に触れる。


その髪には、巧妙に隠された血と死の匂いが漂っていた。


魔王の唇がリュー・サの耳へ近づく。


声は、二人にしか届かないほど小さかった。


まるで薄い刃物のように鋭い。


「奴の解凍に尽くしたその忠誠ぶり……私は大いに満足している。


だが、リュー・サ。


見えない地下のさらに奥で、お前が何を企んでいるのか――私は知っている。


その知性ごときで私の目を欺けると思うな。


愚かな妄想は捨てることだ。


もし私が描いた道から一歩でも外れるなら、お前が失うものは……病弱な女一人などとは比べ物にならないほど大きくなるぞ」


リュー・サは唇を噛み締めた。


血が滲む。


両手は衣の裾を強く掴んでいる。


心臓を焼き尽くしかねない怒りを、理性で必死に抑え込みながら、なんとか一言だけ絞り出した。


「わ……我に二心などございません。


すべては……陛下のものでございます」


魔王は低く笑った。


そして身体を起こす。


視線はリュー・サから離れ、震え続ける張ヴィエン・アンへ移った。


巨大な手。


かつてリュー・サの妻の胸を貫いた、その手が――。


ゆっくりと少女へ伸びていく。


リュー・サは目を固く閉じた。


心臓が止まったような感覚。


しかし。


魔王はただ、ヴィエン・アンの頭へ優しく手を置いた。


そして、軽く撫でた。


「強い個性を持つ少女だ。


実に良い。


大きくなって、帝国のために尽くせ。


小さなヴィエン・アンよ」


彼は慈愛に満ちた、あまりにも暖かく、だからこそ偽りだと分かる微笑みを浮かべた。


そして踵を返した。


上空から、悪魔の翼を思わせる淡い輪郭を持つ皇族専用機が降下してくる。


雷善長夢は、その機体へ乗り込んだ。


扉が閉じる。


空間が歪む。


そして――。


皇族機は、一千分の一秒にも満たない時間で視界から消失した。


残された庭は、紙のように静まり返っていた。


圧力が消えた。


ようやく、人々が荒い息を吐きながら立ち上がり始める。


リュー・サは地面へ崩れ落ちた。


汗が全身を濡らしている。


まるで死の世界から帰ってきたばかりのようだった。


彼は娘へ顔を向ける。


ヴィエン・アンはまだ呆然としている。


しかし、その視線はすぐに、すぐそばにある磁気浮遊式車椅子へ向かった。


そこには、意識を失ったジェンソンが横たわっている。


「父さん……ソン……大丈夫なの?」


ヴィエン・アンはすすり泣きながら、父の衣の裾を掴んだ。


リュー・サはゆっくり立ち上がった。


脚にはまだ微かな震えが残っている。


彼は車椅子へ近づき、ジェンソンの顔を見下ろした。


青白い。


それなのに、異様なほど美しい。


頭の中には、先ほど悪魔から受けた警告が何度も響いている。


だが同時に。


胸の奥で、一度たりとも消えたことのない憎悪の炎が、かつてないほど激しく燃え上がっていた。


魔王は、この少年を彼へ送りつけた。


生殺与奪を握る者からの、傲慢な挑戦状なのだ。


リュー・サはヴィエン・アンの肩へ手を置いた。


その声は低く、揺るぎなく、そして深い闇を孕んでいた。


「大丈夫だ、娘よ。


私たちが、この子を家へ連れて帰ろう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。