Episode 18
水上五千メートル。
耳元で吠え猛る風は、まるで悪魔の慟哭のようだった。だが、虚空を自由落下するその男の姿勢を、少しも揺るがすことはできない。ゲンソンは両手を背後で組み、背広の裾をはためかせながら、まるで漆黒の隕石そのもののように、破滅の力を帯びてエーゲ海へ一直線に降下していく。
その背後には、桃色、銀、青、金、黒――五条の眩い光が次々と追従していた。それは流星などではない。人類と神話の境界を越えた力を持つ女神たち、その名もエイジス・タスクフォースである。
「速度マッハ10! 三、二、一で水面との衝突に入ります!」
サイラの冷徹な報告が、各員の耳に装着された極小通信装置から響いた。
エーゲ海の海底三千メートル。その深淵で、オリンポス・バイオテック・シンジケートの地下世界はフル稼働していた。
レヴィアタン級超大型潜水艦O-01号の司令室では、B級半神であり、戦神アレスの混血の血を引く司令官カエルが、高価なエスプレッソを悠然と一口すすっていた。彼は脚を組み、巨大なレーダースキャン画面を見つめている。そこでは、オリンポスの頂の廃墟の中心部が、数十基もの巨大電磁ドリルによって抉られ、雷の心臓へ到達しようとしていた。
「司令官カエル! 上空から未知の物体を検出! とてつもない速度で接近中です!」
生体機械化された将校が狼狽しながら叫び、その甲高い声が操縦区画に反響する。
カエルは眉をひそめ、カップを卓上に置いた。
「未知の物体? 人間軍の弾道ミサイルか? エネルギーシールドを起動しろ……いや、待て! 混沌エネルギー警報だと? 一体どういうことだ……」
言い終えるより早く、災害級の衝突が真っ直ぐに降り注いだ。
ドオオオオオオン!!!
それまで静寂を保っていたエーゲ海は、瞬く間に爆ぜた。数百メートルもの高さの巨大な水柱が天へ突き上がり、海面上のあらゆるものを押し流す局地的津波となる。だが、本当に恐ろしいのは陸上ではなく、海底の方だった。
ゲンソンは速度を一切落とさない。最高位の混沌の力を宿すその肉体で、水面を直接貫き、わずか一瞬で海底三千メートルまで突き抜け、そして正確無比にレヴィアタンO-01号の艦上へ着地した。
凄まじい衝撃は、海底に真空の衝撃波を生み出し、周囲数マイルの海水を一斉に弾き飛ばした。水のない巨大な気泡が形成され、発掘区域全体を包み込む。
巨大な超潜水艦三隻――いずれもスタジアム一個分ほどの巨体――が衝撃で横倒しになり、互いに激突して金属が悲鳴を上げる耳をつんざく音を響かせた。オリンポス艦隊の電子機器、探照灯、レーダーは一斉に沈黙する。ショートし、火花を散らし、完全に機能を停止した。
暗黒の海底、そして巨大な真空気泡の内側で、ゲンソンは潰れた潜水艦の上にゆっくりと立ち上がった。彼の周囲には、薄い黒色の混沌の膜が張り巡らされており、海水を完璧に遮断している。そのため、高価な背広には一滴の水すら付着していなかった。
ドン。ドン。ドン。ドン。ドン。
五つの重い着地音が周囲に響く。エイジスの美女たちが、オリンポス遺跡のぬかるんだ地面へ一斉に降り立った。張苑英の妖精結界の支援により、彼女たちは海底でも地上と変わらぬように呼吸し、会話することができる。
「派手な着地ね、ボス!」
ナージャーが銀の双剣を抜き、手首をくるくると回してウォームアップする。
「でも、私は好きよ!」
「集中しなさい。敵は多いわ。」
ジンニーが冷淡に量子狙撃銃を装填し、細長い瞳で生体研究施設からあふれ出す無数の黒い影を見据えた。
潜水艦の内部で、カエルは狂ったように咆哮し、故障した操縦室のドアを蹴破って बाहरへ飛び出した。彼の後ろには、筋肉増強型の傭兵が百人以上続く。遺伝子突然変異の血清を投与され、さらに金属製の義肢を持つ者たちだ。
「このクソども! 貴様ら何者だ、よくもオリンポス・バイオテック艦隊を襲ったな!?」
カエルは怒鳴り、手には火花を放つエネルギー剣を抜き放った。彼はフレイヤの肩章に刻まれた盾の紋章を見て、瞳を一瞬で収縮させる。
「エイジス・プライムだと!? お前らアメリカの企業連中、死にたいのか!?」
ゲンソンは艦の上に立ったまま、両手を悠々とポケットに突っ込み、わずかに首を傾けてカエルを見下ろした。まるで汚らしいゴキブリでも見るような目つきだった。
「アレスの出来損ないの雑種風情が、よくも私の前でほざけたものだな。」
彼の声が、ヴァイブラニウムのマスク越しに低く響く。その圧倒的な威圧感に、カエルは思わず一歩退き、両脚が無意識に震えた。
「このゴミ掃除をしろ、娘たち。私の邪魔になるな。」
「ご命令のままに、社長!」
フレイヤとナージャーが真っ先に飛び込んだ。
「ヴァルハラの栄光のために!」
フレイヤは黄金の翼を大きく広げ、手にした槍を半月状に薙ぎ払う。眩い黄金の雷が落下し、ミサイルを撃とうとしていた強化兵の一隊を真っ二つに断ち切った。
一方ナージャーは銀色の疾風と化した。敵陣の中を、現れては消え、消えては現れる。
キン! キン! ズブッ!
金属の激突音が連続して鳴り響き、続けて悲鳴が上がる。オリンポス軍の金属製の腕や生体火砲は、まるでバターでも切るかのように切断されていった。
「遅すぎるわね! お前らの機械義肢、生ゴミ置き場から大量生産でもしたの?」
ナージャーは斬りながら嘲笑し、靴先で一人の兵士を蹴り飛ばして岩壁に叩きつけた。
後方では、苑英が地面からふわりと浮かび上がり、素早く印を組んでいた。
「桃花結界――封陣!」
無数の仙気の桃の花びらが舞い上がり、逃走路を完全に塞ぐ空間の壁となって、傭兵たちをティンニーの狙撃範囲へ追い込んでいく。
ドン! ドン! ドン!
三条の濃紺レーザーが空間を引き裂き、魔術支援を行おうとしていた三体の半神隊長の頭蓋中央を正確に撃ち抜いた。ティンニーは古い石柱の上で静かに立ち、指は一切の無駄なく引き金を絞っている。
「美味しい標的を独り占めしないでよ、ティンニー!」
苑英が頬を膨らませて抗議し、霊気の帯を放って五人の敵を拘束すると、その武器ごと握り潰した。
「単にあなたが遅いだけよ、怠け者の狐娘。」
ティンニーは無線越しに皮肉たっぷりに返した。
戦況が一方的に進む中、海底の地面が突如として激しく揺れた。研究施設の貯蔵区画から、三体の巨大怪物が姿を現した。神話に登場するヒュドラの姿をしているが、蛇頭はおぞましいチタニウム装甲で覆われ、口にはレーザー砲がぎっしりと詰め込まれている。
「サイボーグ・ヒュドラだ! あの女たちを潰せ!」
カエルが勝ち誇ったように吠えた。
ヒュドラたちが咆哮し、鋼鉄の顎を開いてエネルギー砲を放とうとする。
しかし、その瞬間、黄金の縁をまとった黒い影が、常識では追えない速度で疾走した。
「その穢れた雑種トカゲどもが、女神の前でその汚い口を開くとはいい度胸ね!」
野性的で鋭いバステトの声が響いた。彼女は空中で身を翻し、ナノ装甲が完璧な曲線をなぞる。両手の十本の爪が伸び、太陽神力の輝きと獣の狂暴性が混ざり合った眩い光を放っている。
シュッ、シュッ、シュッ!
バステトは第一のサイボーグ・ヒュドラを稲妻のごとく駆け抜けた。彼女の爪は、厚さ一メートルにも及ぶチタニウム装甲を引き裂くほど鋭く、怪物の首の内部にある生体エンジンコアへと一直線に食い込む。
「ニャー!」
バステトは挑発するように唸り、力任せに引き裂いた。バキッ! ヒュドラの鋼鉄の頭部がもぎ取られ、機械油と黒い生体血液が激しく噴き出す。
それでも彼女は止まらない。猫の女神は無類の敏捷性を駆使し、倒れ込む第一の個体の胴体を蹴り台にして第二の個体へ跳び移った。そして身を翻し、神力を纏った蹴りを怪物の顔面へ叩き込む。ヒュドラは数十メートル先へ吹き飛び、そのまま爆散した。
わずか十秒足らずで巨大怪物二体を片付けると、バステトは優雅に着地した。猫の尾が得意げに揺れる。彼女は振り返って苑英を見やり、顎を高く上げて傲慢に笑った。
「見たでしょう、妖精の小娘? 砂漠の野良猫は、見せ物のためだけにいるんじゃないのよ! これで私を先輩と呼ぶ資格は十分かしら?」
苑英は唇を尖らせ、腰に手を当てた。
「たまたま運が良かっただけよ! 待ってなさい、あとで誰がより多くの半神を倒すか見せてあげる!」
己の配下の美女たちが、血塗られた戦場をまるで遊び場か口喧嘩の舞台のように変えてしまうのを見て、ゲンソンはただ首を振り、マスク越しにこめかみを揉むしかなかった。
その一方で、司令官カエルは呆然と立ち尽くし、冷や汗を滝のように流していた。彼の精鋭艦隊も、何十億ドルもかけて生み出した怪物たちも、まるで紙細工の玩具のように、一瞬で引き裂かれてしまったのだ。彼の視線は、あの潜水艦の上に立つスーツ姿の男へと向けられる。恐怖が心を完全に支配していた。
「化け物だ……あいつら、人間じゃない! 増援を呼べ! オリンポス頂上プロトコルを直ちに起動しろ!」
カエルは狂ったように通信ブレスレットを操作した。
地底深く、雷の心臓片がドリルで穿たれているその場所で、耳をつんざく爆音が轟いた。廃墟の地盤から、純金製の避雷柱が何千本もせり上がってくる。
シィィィィッ!
青紫色に眩く発光する半球状のエネルギー障壁が炸裂し、オリンポス頂の廃墟と彼らの艦隊全体を覆い尽くした。樹木の幹ほどもある巨大な雷が水中で閃き、絶対的な雷霆領域を形成して、たまたま泳ぎ寄った不運な海洋生物をことごとく焼き尽くしていく。
「ゼウス神の神級防御シールド……!」
フレイヤは眉をひそめて後退した。槍先が魔力共鳴でわずかに震える。
「奴ら、科学の力で古代の雷結界を再現しているわ!」
シールドの内側で、カエルは狂気じみた高笑いを上げた。これで安全だと信じ切っているのだ。
「強いな、お前たち! だが、この雷盾は量子核爆弾すら耐えられる! 見ていろ、S級半神たちが本部から降臨した時、お前たちは粉々になる!」
それでも、ゲンソンは動かない。彼は依然として両手を背中に組み、やや首を傾げながら、威勢だけの音を立てるエネルギーシールドを見つめていた。マスクの下の微笑みは、ますます深くなる。その表情には、言いようのない冷酷さが宿っている。
「核爆弾では壊れない、か。ならば……指を弾くだけならどうだ?」
創造主の気だるげな声が響き、ゆっくりと冷たい深海の水へと溶けていった。
神級雷霆の結界の内側で、司令官カエルは肩で息をしながら、血走った目をぎらつかせていた。額に張り付いた金髪を乱暴にかき上げると、彼は海底にそびえ立つ青紫色の巨大なエネルギー障壁を見て、勝ち誇った狂気じみた笑みを浮かべた。それは、自らの艦隊と、エイジス・コングロマリットを名乗るあの怪物どもとを隔てていた。
「ハハハ! どうした、クソども! 黙り込んだか!?」
音声増幅システム越しに、カエルは怒鳴り散らした。その声は雷鳴と混じり合い、轟々と響いた。
「これが偉大なるゼウス神の雷霆の盾だ! 遺跡のコアエネルギーで起動した以上、北欧の神々だろうが古代エジプトの神々だろうが、一筋たりとも傷を付けることなどできん! 全ユニット、電磁砲発射管へエネルギーを充填しろ! 外へ撃ち返せ! あいつらを灰にしてやれ!」
カエルの命令に従い、潜水艦の残骸に埋め込まれた数十基の生体砲塔が一斉に向きを変えた。雷霆の結界から電力を吸い上げ、まばゆく輝く巨大なプラズマ球へと収束させていく。
ドォン! ドォン! ドォン!
古木の幹ほどもある死の雷が次々と外へ放たれ、真空の泡の層を引き裂きながら、エイジスの美女たちのいる地点へ真っ直ぐ殺到した。周囲の温度は一気に跳ね上がり、外側の海水までもが煮え立つように沸騰する。
「来なさい、野良猫! どっちが反応速度で上か、勝負しましょうよ!」
チュオン・ヴィエンインが顎をしゃくって挑発し、小さな両手を宙で舞わせた。桃色の仙気が激しく噴き上がり、巨大な蓮華を形成して高速で回転する。
「女神に命令する気!?」
バステトがうなる。だが、その身体はきわめて忠実に連携していた。彼女はアンクの杖を高々と掲げ、太陽の輝きが神髄からその蓮華の中心へと一直線に流れ込んでいく。
「合体防壁――太陽仙陣!」
二人の声がぴたりと重なった。
黄と桃の二色が絡み合う光の壁がただちに立ち上がり、山のように揺るぎなく屹立する。カエルの放った破壊的な雷撃はその防壁に激突し、眩い光爆を連続的に生じさせたが、二人の防御を貫くことは到底できなかった。
「見事な防御だ、二人とも。」
その背後で腕を組んでいたナ・ザートが、余裕たっぷりに口笛を吹く。すぐそばではフレイヤが静かにうなずき、黄金色の瞳に仲間の力を誇る色が宿っていた。
しかし、この騒がしい膠着状態は、創造主たる存在の退屈をじわじわと募らせていった。
潰れた潜水艦の天井に立ったゲンソンは、かすかにため息を漏らした。その吐息は小さかったが、その場にいる全員の耳に、はっきりと届いた。
彼は片足を持ち上げ、ゆったりと艦上から歩き降りた。飛ぶでもなく、跳ぶでもない。ゲンソンはただ、空気の階段を降りるように歩いていく。両手はなおも、背広のポケットに無造作に差し込まれたままだった。
カエルの結界から逸れた雷の残光が四方八方へ飛び散る。だが不思議なことに、ゼウス神の神力を宿した雷がゲンソンの衣服に触れようとするたび、それは勝手に……曲がり、霧散した。まるでこの古代の雷霆そのものが震え上がり、戦場を歩く至高の存在に汚れを付けることを恐れているかのようだった。
「まさか……まさかだろ!? あいつ、防御魔法を使っていないのか!? 雷嵐の中を、そのまま歩いているだと!?」
カエルは舌をもつれさせ、瞳孔を針の先ほどまで縮めた。唇に浮かんでいた勝ち誇った笑みは硬直し、やがて極限の恐怖へと変わっていく。
ゲンソンは、ヴィエンインとバステトの防護を悠然と通り抜け、そのまま前へ進んだ。彼はついに、死の電光を放つ雷霆の盾のすぐ手前で立ち止まる。彼と破壊のエネルギーとの距離は、もはや十センチにも満たなかった。
わずかに首を傾けると、ヴァイブラニウムのマスクの奥で、赤く燃える瞳が嘲弄を宿してきらめいた。
「ゼウスの偉大な盾、だと?」
ゲンソンは低い声で言った。その音調は怠惰そうでありながら、敵の精神そのものに直接響き渡る。
「確かに、見た目だけはきらびやかだ。だが、俺の前では、こんなもの安物のシャボン玉と大差ない。」
そう言うと、ゲンソンはゆっくりと右手をズボンのポケットから抜いた。握り拳は作らない。内力を巡らせることすらしない。ただ人差し指を一本だけ、静かに伸ばし、そのまま雷霆の盾の表面へ軽く触れた。
チン。
静かな湖面に雫が落ちたような、かすかな澄んだ音が響いた。
だが、ゲンソンの指先が触れたその一点から、漆黒の至高のカオスが広がり始めた。それは派手に爆ぜるのではなく、致死性のウイルスのようにじわじわと侵食していく。青紫の巨大な雷光は一瞬で黒く染まり、断裂し、声にならない悲鳴のように歪んだ。
ほんの一瞬で、カオスの黒い蜘蛛の巣状の亀裂が、数平方マイルにも及ぶ半球状の防壁全体へと広がっていった。
「や、やめ……やめろ! この盾は遺跡のエネルギーコアで……!」
カエルは錯乱し、両手で頭を抱えた。
バキ……ドオォォォォン!!!
カエルが言い終える前に、オリンポスの頂に千年を超えて張られていた雷霆の領域が爆裂した。エネルギーの壁は無数の鋭い光の破片となって砕け散り、海底じゅうへと飛散する。
その強引な破壊は、凄まじい魔術反噬を引き起こした。オリンポス・バイオテック社の機械システムは、ことごとく炎上した。近くにいた強化傭兵たちは、圧壊するような衝撃で内臓を潰され、黒い血を吐いてその場に崩れ落ち、即死した。
そしてカエル自身――アレスの血を引くB級半神――もまた、反噬の力で十数メートルも吹き飛ばされ、古代大理石の柱に背中から叩きつけられた。彼は泥濘に崩れ落ち、内臓の破片を混ぜた大量の血を吐き、身に着けていた高価なナノアーマーは無残に砕け散っていた。
煙と電磁霧が次第に晴れていく。瓦礫の山の中から、磨き上げられた手製の革靴が静かにこちらへ歩み寄った。ゲンソンはカエルの目の前で足を止める。その靴は塵ひとつ付いておらず、まるで喪に服した犬のように惨めな司令官の姿とは、あまりにも対照的だった。
ゲンソンは靴先でカエルの顎を軽く持ち上げ、顔を上向かせた。
「防御ゲームは終わりだ。」
頭上から落ちるような冷たい声が響く。
「さあ答えろ。お前たちが必死になって掘り出そうとしている『雷の心臓』は、どこにある?」
カエルは震えが止まらず、歯の根が合わなかった。あの仮面の奥にある無感情な赤い瞳を見た瞬間、彼は悟った。目の前にいるのは人間ではない。神でもない。
それは、破滅という概念そのものだ。
「ま、前……前方に……」
カエルはどもりながら、砕けた指でオリンポスの頂の遺跡中央を指差した。そこには、闇に沈む巨大な純金の神殿があった。
「そ、そこに……ある……だが、お前たちに手に入るはずがない……S級半神……『雷の子ら』が内側を守っている……奴らが、お前たちを引き裂いて……」
「長い。」
ゲンソンが冷たく言葉を切る。
靴先が、わずかに押し下げられた。
ぐさり。
血は流れなかった。つい数分前まで、Aegisの一団を踏み潰すと豪語していたアレス混血の半神カエルは、突如として漆黒の塵へと変わり、塩辛い海水へ溶け込んで永久に消えた。この世に生物としての痕跡をひとかけらも残さずに。
ゲンソンは衣の裾を軽く払うと、なおも動けずに立ち尽くす女たちへ振り返った。彼女たちは皆、彼を見上げ、崇拝にも似た眼差しを向けていた。
「行こう。」
ゲンソンが手をひらりと振る。
「まだ砕くべき心臓が一つある。それに、地に埋めてもらいたがっているS級半神が何人かいる。」
エイジスの美女たちは即座に武器を構え、主席――いや、創造主の足取りに従った。彼女たちは巨大な残骸の間を抜け、純金の神殿へと真っ直ぐ向かっていく。
中心部へ近づくほど、海水にかかる圧力はさらに重くなった。神殿の巨大な石扉のさらに奥深くから、低く、荒々しく、そして規則的な音が響いてくる。
ドクン……ドクン……ドクン……
それは機械の音ではない。地震の音でもない。まさに“雷の心臓”そのものの鼓動だった。ギリシャ神話の断片が、いままさに目を覚まそうとしている。それは、これまでになかったほど苛烈で血塗られた衝突――オリンポスの頂を真に支配する存在たちとの邂逅の前触れだった。
第三章の幕は、地中海の果てしない深淵の底で、完全に上がったのである。
瓦礫が散乱する海底艦隊の残骸を抜け、ゲンソンたちはついに、沈みゆくオリンポス頂の中でも最も壮麗な建造物の前に辿り着いた。そこには、深い闇に沈む海の底で静かに佇む、純金のみで鋳造された古代神殿があった。
その荘厳さは、人類の想像をはるかに超えている。百メートル級の高さを誇る、タイタンの神々を模した彫刻柱が巨大なドームを支え、その正面にはオリハルコン製の大扉がそびえていた。銅の赤みと太陽の輝きを併せ持つ神話の金属――その表面には、青紫に妖しく瞬く雷霆の呪紋がびっしりと刻み込まれている。
「へえ、この扉、十階建ての建物くらいあるじゃないの。」
ナ・ザートは双剣をくるくると弄びながら、顎を上げて見上げた。
「“シルバー・ヴォルテックス”で斬り裂いてみましょうか、社長?」
「くだらない暴力はやめなさい。」
ティンニーが前へ出て、ナ・ザートの案を冷たく一蹴した。
「この扉は純粋なオリハルコン製。しかも雷神の反撃術式まで刻まれているのよ。あれを斬ったら、跳ね返るエネルギーで、あなたなんて焼き串のハリネズミになるわ。」
ティンニーは量子狙撃銃を肩に担ぎ、もう片方の手で戦術ポーチから青い妖精札を三枚抜き出した。彼女はそれを素早く巨大な扉の表面に貼り付ける。
「ヴィエンイン、札に霊気を流して。私は量子弾で内部の魔術錠の原子構造を破壊する。」
「了解、ティンニー隊長!」
ヴィエンインが軽やかに前へ出て、両手を札へと当てた。淡い桃色の霊気が流れ込み、扉に刻まれた雷霆の呪紋と混ざり合って、たちまち干渉を起こす。
ティンニーは三歩下がり、銃を構え、細く鋭い瞳で光学スコープを覗き込んだ。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
三発の量子弾が、術式の死角を正確に撃ち抜く。
バキ……ギィン!
金属が砕ける乾いた音が響いた。雷霆の呪紋が次々と消え失せる。何万トンもの重量を誇る巨大な扉が、耳をつんざく軋みを立てながら、ゆっくりと左右に開いていった。その振動は海底一帯を揺るがした。
扉が開くや否や、不思議な現象が起きた。エーゲ海の海水は目に見えないエネルギーの壁に阻まれ、内部へ流れ込むことができない。
ゲンソンは悠然と敷居を跨いだ。するとすぐに、彼の黒い背広は完全に乾いたままだった。神殿の内部は、古代の空間魔法陣によって守られた、乾燥した酸素豊かな空間になっていた。
「わぁ……ここ、まるで地上みたいに乾いてるにゃ!」
バステトはベルベットの尻尾を揺らし、猫耳をぴんと立てて嬉しそうにした。
だが、その喜びは、彼女たちが大広間の中心へ進んだ瞬間、驚愕へと変わった。
内部空間は、まるで小宇宙のように広大だった。大広間のど真ん中には、巨大なハート形のエネルギー球が浮かんでいる。眩い紫の光を放ち、その輝きは周囲の空間を歪ませるほどだった。
ドクン……ドクン……
その鼓動のたびに、エネルギーの衝撃波が彼女たちの身体をかすめ、天と嵐の威圧を帯びた恐るべき圧力を放つ。
「この力……」
フレイヤは黄金の槍を強く握りしめ、表情を引き締めた。
「やはり間違いない。ギリシャ神話の第三の断片――“雷の心臓”よ。まだ眠っている状態でこの神力……オーディンの神髄をも上回るわ。」
バステトはごくりと唾を飲み込み、思わずゲンソンの傍へ身を寄せた。雷の気配は、猫科の者たちにとって、常に不快と不安を呼び起こす。
「ご主人様……これ、なんだか生きてるみたいです。本当に、これを持ち帰るだけでいいんですか?」
ゲンソンはその巨大なエネルギー体を気にも留めない様子で見つめ、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「Aegis Primeの塔に据える巨大バッテリーとして使うのも悪くない。サイラなら気に入るだろう。」
「持ち帰る、だと? はははっ!」
突如、男の鋭く傲慢な声が響き、空気を切り裂いた。
「生意気な凡人どもめ、オリンポス頂を自由に買い物でもできるスーパーか何かだとでも思っているのか?」
黄金の柱の背後、闇に沈んだ陰から、三つの人影がゆっくりと現れた。彼らの身体から噴き上がる殺気は凄まじく、足元のオリハルコン床にひびが入り始めるほどだった。
最初に姿を現したのは、細身の青年だった。銀色の軽装甲に身を包み、手には翼の紋様が刻まれた細剣を持っている。その速度は異常で、空中に残像しか残さない。
「まずは自己紹介をしよう。」
彼は口端を吊り上げ、金属の刃先を舌で軽くなぞった。
「俺はゼファー。ヘルメス神の“速度”の血を受け継ぐ者だ。外でカエルとかいう出来損ないを倒したのは見事だったが、あの程度の雑魚と、俺たちS級半神を同列に語れると思うなよ?」
ゼファーの隣から、艶やかな桃色の影が歩み出る。青緑色の蛇革の衣装に身を包んだ、妖艶な女だった。瞳孔は爬虫類のように縦に裂け、髪の代わりに、頭部には機械仕掛けの生体蛇がうねりながら舌を鳴らしている。
「怖がらせちゃだめよ、ゼファー。」
女は甘ったるい声でそう言ったが、その響きには毒が含まれていた。
「私はサーペンス。アテナの知性とメデューサの危険性、その結晶体。向こうにいる可愛いお姉さんたち、素敵ね。あなたたちを、私のコレクションの中でもっとも精巧な石像にしてあげると約束するわ。」
ドンッ!
重い一歩が神殿の床に落ち、大広間全体を揺らした。三人目の男は、身長三メートル近い巨漢だった。岩塊のような筋肉を纏い、鋲付きの甲冑を身に着けている。手には、凶暴な雷を迸らせる巨大な戦鎚が握られていた。
「能書きはもういい!」
巨漢が雷鳴のような声で吠えた。
「俺はブロンテス! ヘラクレスの力を継ぐ者だ! この槌で一人ずつ頭蓋を叩き潰し、お前たちの血でこの神殿を真紅に染めてやる!」
ゼファー、サーペンス、ブロンテス――三大S級半神。オリンポス・バイオテック・シンジケートの最強戦略兵器が、ついにその姿を現した。
三つの頂点級の力が重なり合い、圧力となってAegisの一行へ押し寄せる。
「S級半神が三人、ね……」
フレイヤは目を細め、槍先を真っ直ぐ前へ向けた。
「肩書きだけは立派そうじゃない。」
ナ・ザートは首の関節をぽきぽきと鳴らし、瞳の奥に殺気を燃やした。
「でも、戦う前にうるさく喋る奴は一番嫌いなのよ。」
ヴィエンインは柔らかく微笑んだが、その十本の指先には桃花の霊気がすでに灯っていた。
「みなさん、自信満々ね。さて、あとで誰が誰を石像にするのか、楽しみにしていて。」
バステトは喉の奥で低く唸り、鋭い爪を露わにした。
「主人を凡人呼ばわりするなんて、許さない。あの汚い口を引き裂いてやる!」
息苦しいほど張り詰めた空気の中で、最も落ち着いていたのは、やはり創造主だった。
ゲンソンは背後で手を組み、仮面越しの赤い瞳で、三人のS級半神をまるで安物のコメディ芝居でも見るように見渡した。彼は小さく欠伸をし、それから四人の女たちへ視線を移す。
「聞いたな。」
ゲンソンは気だるげに片手を伸ばし、背広の裾についた想像上の埃を払った。
「準備運動だ。奴らを叩き潰せ。ただし、きれいに片付けること。俺のこの服に血や毒を飛ばすなよ。」
「「「「御意、社長!」」」」
四人の美女たちが声を揃えた。
純金の大広間は、ほんの一瞬、静止したかのように見えた。次の瞬間、金属の激突音と巨大なエネルギーの奔流が爆発し、エーゲ海の海底で繰り広げられる、史上最悪のS級ボス戦の幕が切って落とされた。
「奴らを殺せ!」
ブロンテスの咆哮が、まるで頭上を割る雷鳴のように轟き、純金の大広間を包んでいた静寂を引き裂いた。ヘラクレスの血を引く巨漢は、オリハルコンの床を力任せに踏み鳴らした。盛り上がった筋肉には青紫の血管が浮かび上がり、電磁の光を帯びて脈打っている。彼は何トンもの重さを誇る巨大な戦槌を振り上げると、宙へ跳躍し、破壊的な一撃をフレイヤの立つ位置めがけて叩きつけた。
「大人しく肉片に成り果てろ、か弱い北欧女め!」
ブロンテスは勝ち誇って吠えた。
フレイヤは瞬きひとつしない。黄金の瞳には、露骨な侮蔑の色だけが宿っていた。退いて避ける代わりに、ヴァルハラの戦女神は静かに膝を折り、背の光翼をまばゆく爆ぜさせて、極烈の旋風を巻き起こした。
「か弱い、ですって? なら見せてあげるわ。空の重みというものをね!」
フレイヤは神力を両腕に集中させ、黄金の槍を水平に構えると、巨漢の千鈞の戦槌を真正面から受け止めた。
キン……ドォン!!
神具同士が激突し、耳をつんざく轟音が炸裂した。衝撃波が周囲の黄金の柱をなぎ倒し、まるで枯れ枝のようにへし折っていく。ブロンテスは目を見開いた。自分の増強された筋力の全てが、三分の一ほどの体格しかない一人の女によって完全に止められているのだ。
「な……どうして……」
彼は歯を食いしばり、必死に柄を押し下げる。
「お前たちの、くだらない科学の寄せ集めにすぎない力が、創造主に祝福された本物の神髄に敵うとでも?」
フレイヤは口元を吊り上げた。彼女は瞬時に槍を引き戻し、信じがたい速度で身を捻って戦槌の柄を伝うように滑り込む。巨漢が武器を引き戻すより早く、彼女の穂先は分厚い鋲付きの鎧を貫いていた。
ズブッ!
黄金の槍はブロンテスの左胸を貫通し、改造された心臓をそのまま串刺しにする。槍先から迸った魔術の電流が、巨体を内側から食い破った。ブロンテスは断末魔を上げ、口端から黒い血を吐き出したのち、巨躯を神殿の床へと崩れ落とし、大地を震わせた。
戦線の反対側では、ナ・ザートとバステトもそれぞれの獲物を相手にしていた。
ヘルメスの速度の血を継ぐと自称するゼファーは、銀色の疾風と化して四方八方からナ・ザートへ襲いかかる。彼の細剣は空中に無数の残像を残した。
「ハハハ! 遅い、遅いぞ! 見えているのか、貴様!?」
ゼファーは狂ったように笑い、その声は四方八方から響いた。
「お前の目では、俺の音速の速度に追いつくことすらできまい!」
ナ・ザートはその場から一歩も動かない。腰の両脇に二振りの銀刀を下げ、目を細めたまま、まるで居眠りでもしているかのようだった。
「うるさいわね。」
彼女はため息をつき、軽くあくびをする。
その瞬間、ナ・ザートの目が見開かれた。殺気が一気に噴き上がる。視覚に頼る必要などない。幾千もの死線で研ぎ澄まされた殺し屋の本能が、空気のわずかな流れを捉えていた。彼女は半歩だけ左へ滑るように身をずらし、同時に右手の刀を逆袈裟に振り上げた。
シャッ!
鮮烈な赤い血飛沫が宙を舞う。
ゼファーの姿が露わになり、地面に転がった。両脚のアキレス腱を断たれ、悲鳴を上げながらのたうつ。
「音速だと?」
ナ・ザートは歩み寄り、銀刀の切っ先をゼファーの顎に押し当てた。その眼差しは千年氷のように冷たい。
「殺し屋の世界では、いちばん走り回る奴が、いちばん弱いのよ。地獄へようこそ、ガキ。」
銀の刃が閃く。ゼファーの首は胴から離れ、オリハルコンの床を転がった。
一方その頃、サーペンスは、万物を石化させる毒を持つ緑色の液体を狂ったようにバステトへ浴びせかけていた。彼女の頭上でうごめく機械仕掛けの蛇たちは、耳障りな音を上げながら、生体レーザーを乱射して猫神を狙っている。
「醜い石像になりなさい、この野良猫!」
サーペンスが毒々しく叫ぶ。
しかしバステトは、まるで影のようにしなやかだった。空中で翻り、身体をしならせて毒の雨をいとも容易く回避する。尻尾が挑発的に左右へ揺れた。
「蛇遊びが私を怯えさせるとでも思ったの?」
バステトは倒れた柱の上へ軽やかに着地し、琥珀色の瞳に獣じみた光を宿した。
「エジプトじゃ、蛇なんて猫科の連中にとってはおやつ同然よ。あの巨大なアペプだって生きたまま噛み砕いた私に、この程度の改造ミミズが何だっていうの!」
そう言い終えるや否や、バステトは唸り声を上げ、金色の光となって空間を裂いた。彼女はサーペンスの毒の包囲網へ一気に飛び込み、まったく無傷のまま突き抜ける。その太陽神の神力こそ、あらゆる冷毒の天敵だった。
シュッ、シュッ!
太陽の力を宿した十本の爪が、サーペンスの頭部に真っ直ぐ突き刺さる。バステトは容赦なく機械蛇の群れを引き裂き、さらにそのまま腕を振るって女暗殺者の胸を貫き、生きたまま鼓動する生体エンジンコアをえぐり出した。
サーペンスは目を剥いたまま、身体が塵へと分解され始める。バステトは掴んだコアを放り捨て、手の甲の血を軽く舐め取った。野性的で誇らしげな笑みが浮かぶ。
S級半神三人との戦いは、わずか三分にも満たず終結した。エイジスの美女たちは一歩引き、誰ひとり傷ひとつ負っていない。衣服に皺すらない。
だが、その短い静寂はすぐに破られた。
ドクン!! ドクン!! ドクン!!
三人の最強護衛が葬られたのを見て、大広間中央に浮かぶ“雷の心臓”の球体が突然、狂ったように暴れ始めた。紫の光が百倍にも膨れ上がり、エーゲ海の海底全域を照らし出す。球体の内部からは火山の噴火のように巨大なエネルギーが溢れ出し、無数の雷撃が壁へと乱れ飛んで、神殿の構造そのものを破壊していく。
「エネルギーが臨界を超えています! 自壊して私たちを巻き込む気です!」
ティンニーが叫び、慌ててヴィエンインと共に何重もの防御結界を展開した。
「無機質な断片のくせに、怒ることもできるのね。」
気だるげで平坦なゲンソンの声が響き、轟音の雷鳴を完全に押し潰した。
彼はゆっくり前へ歩み出る。ティンニーとヴィエンインの張った結界は、ゲンソンの背後へ置き去りにされた。彼は、狂気じみて咆哮する雷の嵐の中心へ、そのまま踏み込んでいく。
人の胴ほどもある巨大な紫電がゲンソンを直撃した。だが不思議なことに、その雷が彼の上着の裾に触れた瞬間、すべてが漆黒の混沌の気配に呑み込まれ、火花ひとつ残さず消滅した。創造主は破壊の只中を歩きながら、まるで自宅の庭を散歩しているかのように悠然としていた。
ゲンソンは巨大なエネルギー球の直前で足を止めた。その圧力は、どんな神であれ粉砕して塵へ変えるほどだったが、彼はただ首を少し傾け、ヴァイブラニウムの仮面を外して脇へ放ると、赤く燃える瞳と妖しい顔立ちを露わにした。
「千年も眠っていたくせに、目覚めてもまだその癇癪ぶりか?」
ゲンソンは右手を持ち上げた。魔術も呪符も使わない。ただ生身の手のひらを、その煮えたぎる雷の球面へ直接押し当てた。
シィィィィッ!
二つの至高の力がせめぎ合う、圧制の戦いが始まった。オリンポスの雷霆は唸り、ゲンソンの手を引き剥がそうとする。だが、混沌とは万物の起源であり、あらゆる法則を呑み込む深淵だ。ゲンソンの掌からは漆黒の血管のような筋が伸び、球体の表面を生き物の網のように這い、強引に締め上げていく。
「言ったはずだ……大人しく小さくなれ。」
ゲンソンが低く唸った。その圧力は、創造主の威光として泰山のように降りかかる。
バキ……バキ……シュン!
まばゆい紫の光が、突然ふっと消えた。巨大なエネルギー球は最後の屈服の叫びを上げると、急速に収縮し、圧縮されていった。そしてやがて、ゲンソンの掌の中にちょこんと収まる、深紫色の小さな宝玉へと変わった。
ギリシャ神話の至宝――“雷の心臓”は、正式にAegis企業の手に落ちた。
同時に、支えていたエネルギー核を失ったことで、大広間全体の空間魔法陣が崩壊し始めた。純金の壁には巨大な亀裂が走り、地中海の黒い海水が、千トン級の圧力を伴って流れ込んでくる。
「社長! ここ、崩れます!」
ヴィエンインが叫び、量子転送装置を取り出した。
ゲンソンは宝玉を内ポケットへ収め、淡々とシャツの袖をまくり上げた。そして振り返り、口元に満足げな笑みを浮かべる。
「海底ピクニックはここまでだ。サイラ、転移ゲートを起動しろ。皆をV-Xへ戻す。」
「了解しました、社長。転移ゲートを開きます。」
Aegisの足元に、緑色の光輪が現れた。エーゲ海の海水が何百万トンと押し寄せ、オリンポス頂の壮大な遺跡を押し潰す、そのほんの一秒前――五人の絶世の美女と創造主は、粒子のような光へと変わり、跡形もなく消え去った。
十分後。
エーゲ海の水面から何万メートルも上空。
ステルス機V-X Aegis Destroyerは、ふわりと白い雲を縫って進んでいた。豪奢な操縦室で、ゲンソンは革張りの椅子に深く身を預け、脚を組み、赤ワインのグラスを軽く揺らしている。目の前のガラス卓には、北欧の氷、エジプトの黄金の砂、ギリシャの雷――三つの神話断片が、柔らかな光を放ちながら静かに共鳴していた。
バステトは彼の足元で丸くなり、おとなしく眠っている。寝息は「にゃ……」と聞こえるほど穏やかだ。ナ・ザートとフレイヤは部屋の隅で武器を手入れしており、ティンニーとヴィエンインは中央スクリーンでエネルギーグラフを解析していた。
「ゲンソン社長。」
ナ・ザートが銀髪を払って、口元を吊り上げる。
「これでオリンポスのゴミは一掃しました。次はどうします?」
ゲンソンはワインをひと口含み、妖しく細めた瞳を窓の外へ向けた。そこには、地平線へと沈みゆく夕日があり、広大な海を赤く染めている。彼は知っていた。今日のオリンポス頂の崩壊は終わりではない。それは、もっと古く、もっと恐ろしく、闇の中で目を覚まそうとしている神話存在たちへの警鐘にすぎないのだと。
「次か?」
ゲンソンは低く笑った。その声は穏やかなのに、空さえ震え上がるほどの殺気を孕んでいた。
「この世界を、もう少しだけ揺らしておこう。九界の頂点にいる神々が自ら降りてくるその時は、俺が直々に――地獄というものがどういう景色か、見せてやる。」




