第八章 白い馬車 3
初めてだった。
フィリウス・ヴァンロードの顔から。
完全に。
笑みが消えた。
応接室の空気が変わる。
ノアは目を逸らさない。
学院長エレノーラも黙ったまま、二人を見ている。
レインは壁際に立ち、腕を組んでいる。
誰も口を挟まない。
今、この場で最も重要なのは。
フィリウスが何を答えるか。
そして。
答えないなら。
どう答えないか。
そこだった。
数秒。
フィリウスはノアを見続けた。
やがて。
小さく息を吐く。
「……君は本当に」
そこで一度言葉を切った。
「嫌なところへ手を伸ばしますね」
ノアは少しだけ笑う。
「答えになってない」
「ええ」
「じゃあ、行ったことある?」
フィリウスは机へ視線を落とした。
先ほど広げた星図。
その端へ指先を添える。
一度だけ。
トン、と。
指で紙を叩いた。
「あります」
ノアの呼吸が。
ほんの少しだけ止まった。
レインの目が細くなる。
エレノーラは表情を変えない。
だが。
杖を握る指へ力が入ったのが分かった。
ノアはすぐに次を聞く。
「いつ」
「十一年前」
「どこから」
「王都北部」
「門?」
「はい」
即答。
さっきまでとは違う。
隠す気がない。
いや。
違う。
隠す必要がなくなった。
ノアがそこまで辿り着いたから。
フィリウスはそう判断した。
なら。
ここから先は。
何を出し。
何を隠すか。
もっと慎重に見ないといけない。
ノアは聞く。
「戻ってきたのは何人」
フィリウスの指が。
止まった。
また。
ここ。
「何人で行った?」
ノアは角度を変える。
フィリウスは答える。
「九人です」
「戻ったのは」
沈黙。
長い。
ノアは待つ。
焦らない。
相手が答えづらい質問ほど。
黙って待った方がいい。
沈黙に耐えられなくなった方が負ける。
フィリウスは目を閉じた。
そして。
「二人」
静かに答えた。
ノアは何も言わない。
九人。
二人。
七人消えた。
さっきの鉱山事故と。
同じ数字。
偶然?
ノアの思考が一気に回る。
旧ガルディア鉱山。
二十三名死亡。
七名行方不明。
向こう側へ行った調査隊。
九名。
七名戻らず。
七。
七。
三百年前。
門が開いた日。
空から七つの星が消えた。
また。
七。
ノアは表情を変えない。
だが。
頭の中では。
同じ数字が何度も並ぶ。
偶然ではない。
多すぎる。
「七人」
ノアが小さく呟く。
フィリウスの瞳が。
ほんの僅かに動く。
聞こえた。
そして。
反応した。
「なんで七人?」
ノアは聞く。
フィリウスはすぐには答えない。
「分かりません」
「本当に?」
「少なくとも」
フィリウスは真っ直ぐノアを見る。
「私は知らない」
“私は”。
この言い方。
誰かは知っている可能性がある。
ノアは拾う。
「知ってる奴がいる?」
フィリウスが小さく笑った。
「言葉尻をよく拾う」
「そっちがわざと残してるんじゃない?」
今度は。
フィリウスが黙る。
ノアは少しだけ身体を前へ倒す。
「俺に気付かせたいことがある?」
その瞬間。
応接室が静まり返った。
エレノーラの目が。
僅かにノアへ向く。
レインも。
フィリウスだけは。
しばらく何も答えなかった。
そして。
ゆっくり椅子へ背を預ける。
「もしそうだとしたら」
薄青色の瞳。
「君はどうします?」
質問で返してきた。
ノアは一秒だけ考える。
罠。
何を気付かせたいか。
それを直接聞けば。
こちらの興味が分かる。
なら。
別の道。
「信用しない」
即答。
フィリウスの眉が僅かに上がる。
「なぜ?」
「わざわざ遠回しに気付かせる奴は」
ノアは言う。
「直接言えない理由がある」
「直接言えない理由がある奴は」
「自分の立場を守りたい」
「自分の立場を守りながら、俺を動かしたい」
「だったら」
「利用しようとしてる可能性が高い」
フィリウスは数秒。
ノアを見つめる。
そして。
今度は。
本当に笑った。
「正解です」
ノアの目が細くなる。
「何が」
「私を信用しないことです」
エレノーラが低く言う。
「ふざけた真似を」
「していません」
フィリウスは学院長を見る。
「私は彼に、最初から信用してほしいなどと思っていません」
「なら何をしに来た」
エレノーラの声には圧がある。
フィリウスは視線を戻す。
ノアへ。
「選んでもらうためです」
「何を」
「知らないまま生きるか」
「知ってしまうか」
ノアは眉を寄せた。
「またそれ?」
「黒星に関わる者は」
フィリウスは静かに言う。
「知識によって救われ」
「知識によって壊れます」
「三百年前から」
「ずっと」
ノアは老人の話を思い出す。
アルト。
研究。
黒星を知ろうとして。
近づきすぎた。
そして。
喰星になったかもしれない。
「じゃあ」
ノアは聞く。
「お前はどっち?」
フィリウスが少しだけ目を細める。
「何がでしょう」
「救われた側?」
一拍。
「壊れた側?」
空気が止まる。
今度こそ。
フィリウスは。
すぐに答えなかった。
長い。
長い沈黙。
そして。
「……両方です」
小さな声だった。
初めて。
フィリウスの声に。
疲労が混ざった。
それまでの研究者らしい余裕も。
楽しんでいるような空気も。
一瞬だけ消える。
ノアは見逃さなかった。
ここ。
本音。
少なくとも。
今の返答だけは。
作っていない。
ノアは追い込まない。
エレノーラが言っていた。
相手を追い込みすぎるな。
逃げ道をなくせば。
嘘をつく。
あるいは。
話そのものを切られる。
ノアは一度。
話題を戻す。
「向こう側で何を見た?」
フィリウスの表情が。
ゆっくり戻る。
ただし。
今度は笑わなかった。
「最初に見たのは」
「空でした」
ノアは黙る。
「空?」
「ええ」
フィリウスの視線が遠くなる。
「黒い空」
「星はありません」
「太陽も」
「月も」
「なのに明るい」
「影がない」
ノアの脳裏へ。
あの世界が浮かぶ。
自分が黒星の中で見た景色。
崩壊した都市。
黒い星。
でも。
同じなのか?
フィリウスは続ける。
「地面は白かった」
ノアの思考が止まる。
白。
自分が見たものと違う。
「白?」
「灰にも似ていました」
「どこまでも」
「建物は?」
「ありました」
「どんな」
「巨大な柱」
「それだけです」
フィリウスの声が低くなる。
「天まで届くような柱が」
「何百本も」
「並んでいた」
ノアは聞く。
「化け物は」
「いました」
「目?」
フィリウスの瞳が。
一瞬。
鋭くなる。
ノアはもう誤魔化さない。
「巨大な目」
「見た?」
沈黙。
フィリウスが静かに頷く。
「見ました」
「銀色の人間も?」
さらに。
沈黙。
今度は長い。
「……見ました」
やっぱり。
ノアの胸が重くなる。
同じ存在?
それとも。
似た別個体?
「何された」
フィリウスの指が。
ゆっくり右手へ伸びる。
手袋を外す。
ノアの目が。
その指先へ向いた。
先ほど見えた。
古い傷。
だが。
手袋の下にあったのは。
傷だけじゃない。
右手の甲。
手首から人差し指まで。
白い線が走っている。
皮膚に描いたものではない。
皮膚そのものが。
白く変質している。
ノアの黒星が。
ドクンッ。
《蓄積値:459》
大きく反応した。
ノアは表情を変えない。
だが。
フィリウスは。
その瞬間。
ノアの胸元を見た。
気付いた?
いや。
音は聞こえないはず。
でも。
何かを見た。
「それ」
ノアは手を指す。
「向こう側で?」
「はい」
「侵食?」
「いいえ」
フィリウスは首を横へ振る。
「少なくとも」
「黒い侵食とは違います」
「じゃあ何」
「分かりません」
また。
分からない。
だが。
この男は分からないことを。
隠さず分からないと言う。
それが逆に。
信用しづらい。
どこまでが本当か分からないから。
フィリウスは白い線を指でなぞる。
「向こう側で」
「私は何かに触れました」
「何か?」
「見えませんでした」
「ただ」
「触れた瞬間」
フィリウスは。
ほんの少し。
顔を歪めた。
「私の名前が分からなくなった」
ノアの呼吸が。
止まりかける。
「……何?」
「自分の名前です」
「自分が誰なのか」
「何をしに来たのか」
「誰と一緒だったのか」
「全部」
「一瞬で」
フィリウスはノアを見る。
「消えました」
ノアは。
言葉が出ない。
記憶を喰う?
いや。
もっと。
認識。
自分自身への認識。
それを奪う。
黒星と。
逆?
いや。
同じ系統?
フィリウスは続ける。
「同行者の一人が」
「私の名前を呼んだ」
その瞬間。
ノアの頭の中で。
アークの声が蘇る。
銀目!!
戻ってこい!!
ルナ。
ノアさん。
セシリア。
貴方は怪物ではありません。
そして。
蓄積値が減った。
ノアの目が。
僅かに見開かれる。
フィリウスは。
その反応を見た。
「何か」
「心当たりがありますね」
ノアは答えない。
でも。
遅い。
今の反応は取られた。
ノアは自分を責めない。
完全に隠すのは無理。
なら。
相手がどこまで読んだかを読む。
フィリウスの目。
興味が強まった。
つまり。
確信まではしていない。
仮説。
なら。
まだ守れる。
ノアは逆に質問する。
「名前を呼ばれたら戻った?」
フィリウスが頷く。
「ええ」
「完全に?」
「いいえ」
ノアの目が細くなる。
「何が残った」
フィリウスは白い手を見た。
「忘れました」
「は?」
「何を失ったのか」
「分からない」
ノアの背中へ。
冷たいものが走る。
それは。
怖い。
何かを失った。
でも。
失ったもの自体を覚えていない。
なら。
喪失にすら。
気付けない。
ノアは無意識に。
自分の記憶を確認する。
第九区。
アーク。
学院。
ルナ。
セシリア。
自分。
ある。
少なくとも。
今は。
フィリウスは手袋を戻す。
「九人で入り」
「二人で帰った」
「もう一人は?」
ノアが聞く。
フィリウスの手が。
止まる。
「誰」
「戻ってきたもう一人」
そこ。
さっきから。
一度も話していない。
フィリウスはゆっくり。
ノアを見る。
「亡くなりました」
「いつ」
「帰還から三日後」
「原因」
「自殺です」
応接室の空気が。
一気に重くなる。
ノアは何も言わない。
フィリウスも。
少しの間。
黙った。
そして。
「彼は」
声が低い。
「帰ってから」
「ずっと同じことを言っていました」
ノアは待つ。
「何を」
フィリウスの薄青い瞳が。
ノアを捉える。
「七人目が足りない」
一瞬。
意味が分からなかった。
だが。
次の瞬間。
ノアの頭の中で。
数字が並ぶ。
九人。
二人帰還。
七人消失。
七人目。
鉱山。
七人行方不明。
三百年前。
七つの星。
「……どういう意味」
ノアの声が。
少し低くなる。
フィリウスは首を横へ振った。
「分かりません」
「その言葉だけ?」
「いいえ」
「もう一つ」
フィリウスの顔が。
僅かに強張る。
「七つ揃えば」
「鍵になる」
ノアの胸の奥で。
黒星が。
ドクンッ!!!
《蓄積値:462》
跳ね上がる。
三。
一気に。
ノアの身体が。
ほんの僅かに揺れた。
今度は。
隠しきれなかった。
フィリウスの目が。
鋭くなる。
「……今」
ノアは即座に遮る。
「七つ揃うって何が」
会話を前へ。
反応を掘らせない。
フィリウスの視線が。
一瞬だけノアの胸に残る。
だが。
追及しない。
「分かりません」
また。
ノアは苛立つ。
「さっきからそれ多くない?」
「研究とは」
フィリウスは静かに答える。
「分からないことを」
「分からないまま扱う仕事でもあります」
「格好つけても分からないだけじゃん」
「そうとも言います」
ノアは少しだけ息を吐く。
冷静になれ。
七。
鍵。
星。
銀眼。
門。
向こう側。
そして。
黒星が。
“七つ揃えば鍵になる”へ強く反応した。
つまり。
重要。
おそらく。
黒星自身に関わる。
「フィリウス」
初めて。
名前で呼ぶ。
男の目が僅かに変わる。
「はい」
「その死んだ人」
「名前は」
フィリウスの表情が。
固まった。
ほんの少し。
だが。
今までで。
一番大きい反応。
ノアは。
すぐに分かった。
ここ。
何かある。
「言えない?」
フィリウスは。
答えない。
ノアは追う。
「知らない?」
まだ。
沈黙。
「忘れた?」
その瞬間。
フィリウスの瞳が。
揺れた。
ノアの背筋へ。
悪寒。
まさか。
「……名前」
ノアがゆっくり言う。
「思い出せないの?」
フィリウスは。
長い。
長い沈黙のあと。
小さく。
「はい」
答えた。
エレノーラも。
レインも。
初めて表情を変えた。
ノアはフィリウスを見る。
帰ってきた仲間。
三日間。
一緒にいた。
会話した。
自殺した。
それなのに。
名前が思い出せない。
「記録は?」
ノアが聞く。
フィリウスの答えは。
もっと。
気味が悪かった。
「ありません」
「消した?」
「違います」
「最初から」
フィリウスは言う。
「彼の名前だけ」
「どの記録にも」
「書かれていなかった」
静寂。
誰も。
何も言えない。
ノアは自分の胸を押さえそうになる。
でも。
止める。
黒星へ意識を向けるな。
考えろ。
人間の頭で。
九人。
七人消えた。
二人戻った。
片方。
フィリウス。
もう片方。
名前が世界から消えている。
そして自殺。
七人目が足りない。
七つ揃えば鍵になる。
なら。
その人間は。
本当に帰ってきたのか?
ノアの目が。
ゆっくり細くなる。
「フィリウス」
「はい」
「その人」
一拍。
「本当に」
「お前と一緒に帰ってきた?」
応接室の空気が。
完全に止まった。
フィリウスの顔から。
血の気が引いた。
ノアは。
確信した。
その可能性を。
フィリウス自身。
今まで。
考えていなかった。
いや。
考えられなかった?
ノアの頭が。
さらに回る。
もし。
向こう側が。
認識を操作できる。
名前を奪える。
記憶を変えられる。
なら。
帰還者が二人だった。
その記憶自体。
偽物かもしれない。
「待て」
レインが初めて。
強く口を挟んだ。
「それ以上考えるな」
ノアが見る。
レインの顔は。
本気だった。
「なんで」
「認識汚染の可能性がある」
その言葉。
フィリウスの目も鋭くなる。
エレノーラが即座に杖を持ち上げた。
「フィリウス」
「はい」
「その話を」
「今まで何人へした」
フィリウスは。
考える。
「……六人」
ノアの呼吸が。
止まる。
六。
また。
足りない。
七に。
一つ。
フィリウスも。
気付いた。
顔が。
真っ白になる。
「まさか」
レインが低く言う。
「全員の名前を言えるか」
フィリウスは口を開く。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
そこで。
止まった。
応接室へ。
重い沈黙が落ちる。
「……五人」
フィリウスが呟く。
「私は」
「六人に」
「話したはずです」
ノアの黒星が。
ドクン。
《蓄積値:463》
一つ。
増えた。
フィリウスは。
ゆっくり自分の右手を見る。
白い線。
それが。
ほんの僅かに。
動いた。
「……学院長」
フィリウスの声から。
完全に余裕が消えた。
「今すぐ」
「この部屋を封鎖してください」
エレノーラは。
すでに動いていた。
杖が床を叩く。
瞬間。
応接室を覆うように。
幾重もの魔法陣が展開される。
壁。
窓。
扉。
天井。
全部。
「レイン!」
「分かってる!」
レインも動く。
赤黒い線が空間へ走る。
外部との接続を。
空間ごと切断する。
ノアは立ち上がらない。
動かない。
考える。
何が起きている。
フィリウスは。
六人に話した。
でも。
五人しか思い出せない。
これが。
向こう側の影響なら。
情報を伝えた相手が。
消える?
違う。
名前だけ?
記憶だけ?
あるいは。
“七人目”を作ろうとしている?
ノアの背筋へ。
ゾッと。
悪寒が走る。
その時。
上。
天井から。
コツ。
小さな音。
ノアの目が。
一気に上を向く。
四階。
旧講義室。
アーク。
ルナ。
二人がいる。
いや。
いるはず。
ノアは立ち上がった。
「アーク!」
返事はない。
「ルナ!」
ない。
ノアの顔から。
血の気が引く。
エレノーラが叫ぶ。
「動くな!」
でも。
ノアは。
もう扉へ向かっていた。
レインが腕を掴む。
「待て!」
「上に二人いる!」
「だから待て!」
「離せ!」
「今のお前が上へ行って」
レインの赤い瞳が。
ノアを真っ直ぐ見る。
「二人の名前を忘れていたらどうする!」
ノアの身体が。
止まった。
頭の中。
アーク。
いる。
顔。
分かる。
声。
分かる。
盾。
馬鹿。
飯四皿。
全部。
ある。
ルナ。
いる。
声。
顔。
魔法。
紅茶。
昨日。
自分の手へ触れた。
全部。
ある。
でも。
それを確認したから。
本当にあると言える?
もし。
記憶そのものを。
偽物にされたら?
ノアの呼吸が。
浅くなる。
黒星が。
ドクン。
《蓄積値:464》
増える。
焦るな。
恐怖が。
黒星を育てる。
分かっている。
でも。
「……クソ」
ノアは目を閉じた。
考えろ。
記憶だけに頼るな。
記録。
今朝。
黒い記録帳。
《周囲:アーク、セシリア、ルナ》
書いた。
記録がある。
いや。
記録も改変される可能性。
でも。
今朝。
普通の紙にも書いた。
燃やした。
ない。
証拠が。
いや。
セシリア。
外。
馬車の確認へ行っている。
彼女へ確認。
だが。
部屋が封鎖されている。
外と接続できない。
ノアは一度深呼吸する。
「学院長」
エレノーラが見る。
「四階の二人と」
「最後に話したのは誰」
学院長は即答しない。
記憶を確認している。
「……私ではない」
レインが言う。
「俺も違う」
フィリウスは何も言わない。
ノアの頭が回る。
なら。
二人が存在することを。
この場の誰も直接確認していない?
待て。
さっき階段。
ノアとレイン。
アーク。
ルナ。
会話した。
レインもいた。
「レイン」
「ああ」
レインも気付く。
「俺も見た」
「二人いた」
共有記憶。
二人。
同じ幻覚の可能性。
でも。
低い。
さらに。
食堂の生徒。
アークが声を出して。
全員振り返った。
複数人が認識している。
なら。
完全に記憶だけではない。
少なくとも。
その時点では存在していた。
「上へ行く」
ノアは今度は静かに言った。
レインが止める。
「まだ」
「二人はいた」
「食堂で他の生徒も見てる」
「階段では俺とレインが同時に会話した」
「複数人の認識が一致してる」
「もし認識汚染なら」
「少なくともそこまでは遡ってない」
レインの目が細くなる。
ノアは続ける。
「今ならまだ」
「確認できる」
エレノーラが数秒考える。
そして。
「レイン」
「分かってる」
レインがノアの肩へ手を置く。
「一緒に行く」
ノアは頷く。
フィリウスが立ち上がる。
「私も」
「残れ」
エレノーラの声。
「だが」
「お前が発生源である可能性を否定できない」
フィリウスは。
反論できなかった。
白い右手。
その線は。
確かに動いた。
エレノーラが封鎖の一部だけを開く。
扉。
細い道。
ノアとレインだけが外へ出る。
「三十秒」
エレノーラが言う。
「それ以上は開けない」
「十分」
ノアが答える。
二人は走る。
廊下。
階段。
四階。
旧講義室。
扉。
閉まっている。
ノアが開ける。
「アーク!」
中。
誰もいない。
「……」
机。
埃。
窓。
使われていない部屋。
ルナもいない。
ノアの胸が。
強く締め付けられる。
「そんな」
レインが室内を見る。
「落ち着け」
ノアは音響管へ駆け寄る。
封鎖されている。
学院長が止めたまま。
誰も触っていない。
なら。
二人はここへ来ていない?
いや。
階段を上がった。
見た。
その後。
どこへ?
ノアは床を見る。
埃。
足跡。
ある。
二人分。
入口から。
室内へ。
そして。
奥。
窓際。
そこで。
消えている。
「レイン」
「見えてる」
足跡が。
途中で。
完全に。
消失している。
血もない。
争った跡もない。
転移術式も。
魔力痕も。
何も。
ノアの黒星が。
ドクンッ!!!
《蓄積値:467》
三つ。
一気に増える。
その瞬間。
頭の奥で。
声。
聞き覚えのない声。
でも。
どこか。
向こう側の銀色の存在に似ている。
『六』
ノアの身体が。
凍る。
レインが振り返る。
「どうした」
ノアは。
答えられない。
声が。
もう一度。
『あと一つ』
ノアの銀色の瞳が。
ゆっくり見開かれる。
そして。
誰もいないはずの教室。
一番奥の黒板に。
いつの間にか。
白い文字が浮かんでいた。
《七つ揃えば、門は開く》




