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星喰らいの王  作者: のあずぅあーくぅ
52/54

第八章 白い馬車 2

馬車の扉が。


ゆっくりと開いた。


最初に見えたのは、黒い靴だった。


磨き上げられている。


学院の石畳へ足を下ろしても、男はすぐには動かなかった。


数秒。


まるで周囲の空気を確かめるように立ち止まる。


その後、一人の男が白い馬車から静かに降りた。


年齢は三十前後だろうか。


灰色に近い髪を後ろへ流し、細い銀縁の眼鏡を掛けている。


服装は派手ではない。


濃紺の長衣。その上から羽織った白い外套。


腰には剣も杖もない。


代わりに、細長い革製の筒と数冊の薄い本が吊られている。


研究者。


一目でそう分かる姿だった。


だが、ノアが見ていたのはそこじゃない。


男が馬車から降りた瞬間。


胸の奥の黒星が、明らかに反応した。


ドクン。


《蓄積値:456》


増えた。


ノアは目を細める。


男はまだこちらを見ていない。


むしろノアが食堂にいることすら、普通なら分からない距離だ。


それなのに黒星は反応した。


視線じゃない。


認識でもない。


少なくとも、これまでと同じ増え方ではない。


ノアは黒い記録帳から距離を取りながら、その感覚を頭へ刻み込む。


今の一回。


絶対に忘れない。


窓の向こう。


男は学院正門で待っていた教師へ軽く頭を下げた。


そして何かを話す。


内容までは聞こえない。


だが、ノアは口の動きを見ていた。


男は短い言葉しか使っていない。


教師の方は何度か説明している。


一方的な会話。


男が質問し。


教師が答えている。


その間、男の視線は学院の破損箇所を何度も巡っていた。


崩れた校舎。


石畳。


結界柱。


窓。


そして。


一度だけ。


地下区画へ続く建物の方向を見た。


ノアの目が鋭くなる。


「……知ってる」


アークが横を見る。


「何が」


「あいつ」


ノアは窓から目を離さない。


「地下の位置を知ってるかもしれない」


ルナが息を呑む。


セシリアがすぐに聞いた。


「根拠は?」


「視線」


ノアは答える。


「学院の被害を見に来たなら、もっと壊れてる場所を見る。でもあいつ、地下入口がある棟を見た」


「一回だけです」


セシリアが言う。


「偶然の可能性もあります」


「ある」


ノアは頷く。


「だからまだ決めない」


それが重要だった。


一つの情報だけで結論を出さない。


第九区では、思い込みが死に直結した。


怪しい。


だから敵。


そんな単純な判断をした奴から罠に嵌まる。


ノアは頭の中へ、今分かっていることを並べる。


魔導院は事件後に出発したとは考えにくい。


男はノアの特徴を知っている。


黒星が男へ反応した。


地下区画の方向を確認した。


だが、まだ敵意は見えない。


足りない。


判断材料が少なすぎる。


「学院長室へ行くぞ」


レインが言った。


ノアは窓から離れる。


アークも立ち上がった。


「俺らは上だな」


「うん」


ノアはアークとルナを見る。


「絶対に声出すなよ」


アークが眉を上げる。


「俺を誰だと思ってんだ」


「すぐ声出す奴」


「否定しづらい」


「ルナ」


「はい」


「アークが喋りそうになったら止めて」


「任せてください」


「俺への信用どうなってんだ!?」


食堂の生徒たちが振り返る。


ノアは無言でアークを見る。


アークも気付いた。


「……今のは違う」


「もう不安なんだけど」


セシリアが小さく息を吐く。


「私は馬車の周辺を確認します」


ノアが頷く。


「できれば、来た人数も」


「分かりました」


セシリアは一足先に食堂を出ていく。


目立たないように。


ただ普通の生徒が歩いているように見える速度で。


だがノアには分かる。


もう完全に仕事へ入っている。


周囲。


出口。


人の配置。


全部を確認していた。


「行くぞ」


レインに促され、ノアも歩き出す。


食堂から本館へ。


昨日は血と悲鳴ばかりだった廊下に、今日は修復作業の音が響いていた。


生徒たちもいる。


ノアを見る者も少なくない。


以前とは視線が違う。


噂が回っている。


何が起きたか正確には知らない。


だが、何か大きな事件の中心にノアがいた。


それだけは知られているらしい。


ノアは視線を拾いながら歩く。


恐怖。


興味。


感謝。


疑念。


全部ある。


だが黒星は静かだった。


《蓄積値:456》


変化なし。


良い。


少なくとも、この程度では反応しない。


昨日より安定している。


ノアはそれも記憶する。


階段へ差しかかる。


その時、前方から二人の生徒が歩いてきた。


ノアを見る。


片方が何かを囁いた。


聞こえた。


「黒い化け物を喰ったって」


噂は、もうそこまで歪んでいる。


ドクン。


《蓄積値:457》


一つ増える。


ノアは足を止めなかった。


でも覚えた。


“黒い化け物を喰った”。


怪物としての認識。


それには反応する。


やはり周囲の噂は放置できない。


エレノーラが言っていた情報戦。


もう始まっている。


「気にするな」


前を歩くレインが言った。


「気にしてない」


「嘘だな」


「気にはしてる」


ノアは訂正した。


「でも腹は立ってない。放置はしないけど」


レインが一瞬振り返る。


「何をする気だ」


「噂を消すのは無理」


ノアは階段を上りながら答える。


「止めれば余計に広がる」


「じゃあ?」


「別の噂で薄める」


レインが少しだけ口元を動かす。


「考えていたか」


「アークが飯を四皿食ったとか」


「なぜ俺の噂なんだよ!」


後ろから声。


ノアとレインが同時に振り返る。


階段の下。


アークがいた。


ルナも。


二人とも固まっている。


ノアは目を細めた。


「なんでいるの?」


アークが無言になる。


ルナがおずおずと答えた。


「四階への道、こっちなので……」


ノアは数秒黙った。


確かにそうだ。


「……じゃあ静かに行って」


「お前今絶対俺が尾行失敗したと思っただろ」


「ちょっとだけ」


「絶対だろ!」


「声」


「……悪い」


レインが額を押さえる。


「本当にこいつらで大丈夫なのか」


ノアは即答した。


「大丈夫じゃないからいいんだよ」


レインの目が向く。


「どういう意味だ」


「完璧な奴らに囲まれてたら」


ノアは少し笑う。


「俺まで自分が特別だって勘違いしそうだから」


数秒。


アークがニヤッとする。


「なるほどな!」


「お前は喜ぶところじゃない」


ルナが笑いを堪える。


ドクン。


《蓄積値:456》


一つ減った。


ノアはもう確信する。


日常。


本当に効く。


それも作った日常では駄目なのかもしれない。


黒星対策のために笑おう。


そう考えて笑ったところで効果は薄い。


今みたいに。


自然に。


普通に。


そういう瞬間。


黒星が一番静かになる。


この違いも記録する。


やがて三階。


ノアとレインは廊下を右へ。


アークとルナはそのまま四階へ上がった。


すれ違う瞬間、アークがノアの肩を軽く叩く。


何も言わない。


それだけ。


ノアも振り返らない。


第二応接室。


扉の前には学院長エレノーラが立っていた。


腕を組んでいる。


ものすごく機嫌が悪そうだ。


ノアは足を止める。


「……怒ってる?」


「怒っている」


即答。


レインが何事もなかったように横へ立つ。


エレノーラの目が細くなる。


「聞いたぞ」


ノアは一瞬レインを見る。


「もう言ったの?」


「言うと言っただろ」


「もうちょっと誤魔化してくれても」


「却下だ」


エレノーラが低く言う。


「学院設備を利用した盗み聞きを作戦として提案したそうだな」


「盗み聞きじゃなくて情報収集」


「同じだ」


「でも相手が怪しい」


「知っている」


ノアが止まる。


「……知ってる?」


エレノーラは腕を下ろした。


「だから許可する」


今度はノアが言葉を失う。


怒っていたのは何だったのか。


「ただし条件がある」


やっぱり来た。


「何」


「こちらも相手を騙す」


ノアの目が僅かに細くなる。


エレノーラは続けた。


「四階の旧講義室へ通じる音響管。使えると思ったのだろう」


「はい」


「使えない」


ノアの眉が寄る。


「壊れてる?」


「いや。魔導院の人間が来ると決まった段階で、私が封鎖した」


「なんで」


「相手がそこを調べるか確認するためだ」


ノアは黙った。


そして、少しだけ笑った。


「学院長も同じこと考えてたんだ」


「お前より先にな」


エレノーラは冷静だった。


「第二応接室は、外部から情報を取ろうとする者を判別するための部屋でもある。壁の中へ偽の導線が何本も入っている」


ノアの目が輝く。


「罠?」


「そうだ」


「盗聴を試みた場合、相手へ“聞かせたい会話”だけを送れる」


ノアは完全に理解した。


こちらが盗み聞きするのではない。


相手が盗み聞きしているか調べる。


しかも、もし相手が聞いているなら偽情報を流す。


二重。


いや。


こちらがそれを知っていると悟らせなければ三重になる。


「面白い」


エレノーラが睨む。


「楽しむな」


「でも面白い」


「ノア」


「はい」


「今日の目的は勝つことではない」


その一言で、ノアの表情が変わった。


エレノーラは続ける。


「相手の目的を知ることだ」


「余計な情報を渡すな」


「相手を追い込みすぎるな」


「嘘をつきすぎるな」


「なぜ?」


「嘘は情報になるからだ」


ノアは息を呑んだ。


確かに。


嘘をつけば。


“なぜそれを隠したのか”。


そこから逆算される。


沈黙も同じ。


否定も同じ。


会話では、喋ったことだけが情報ではない。


表情。


間。


質問への反応。


全部が情報になる。


ノアの頭の中で戦い方が切り替わる。


昨日まで。


敵の身体を読む。


視線を読む。


重心を読む。


今日は。


言葉を読む。


質問を読む。


相手が聞かなかったことまで読む。


エレノーラはそんなノアの表情を見て、小さく頷いた。


「理解したようだな」


「はい」


「もう一つ」


「?」


「黒星を使うな」


ノアの目が止まる。


「相手の感情とか認識を読むために?」


「そうだ」


「便利だけど」


「だから駄目だ」


エレノーラの声が少し強くなる。


「人間との会話まで黒星へ頼れば、お前は自分の目を使わなくなる」


ノアは何も言えなかった。


図星だった。


昨日、黒星が見せる情報は便利だった。


敵意。


恐怖。


認識。


全部が分かった。


それを使えば。


目の前の男が嘘をついているか。


何を恐れているか。


ある程度分かるかもしれない。


だが、それを繰り返せば。


いつか普通の人間の感情まで、黒星越しでしか見られなくなる。


それは。


怖い。


「分かりました」


ノアは素直に答えた。


エレノーラが少しだけ目を細める。


「意外だな」


「俺だってたまには素直だよ」


「たまにでは困る」


レインが横で小さく笑う。


エレノーラが睨む。


「貴様も笑うな」


「はいはい」


「返事が軽い」


二人の会話。


やっぱり何かある。


ノアはそう思った。


でも今は聞かない。


扉の向こう。


気配がある。


もう来ている。


エレノーラが扉へ手を掛ける。


「相手の名はフィリウス・ヴァンロード」


ノアは覚える。


「特級研究官」


「黒星研究の専門家」


「そして」


エレノーラが一瞬だけ言葉を止める。


「人間の嘘を見抜くことを趣味にしている男だ」


ノアは眉を上げた。


「最悪じゃん」


「そう思うか」


「うん」


少しだけ。


ノアは笑った。


「でも、ちょうどいい」


エレノーラが扉を開ける。


静かな応接室。


中央のテーブル。


向こう側の椅子。


そこへ、灰色の髪をした男が一人で座っていた。


眼鏡の奥。


薄い青色の瞳。


男はノアを見た。


一瞬。


本当に一瞬。


笑みが深くなる。


ノアは見逃さない。


黒星は使わない。


自分の目で見る。


フィリウスは立ち上がった。


そして、とても穏やかな声で言った。


「初めまして。ノア・アルクライト君」


ノアは椅子へ向かいながら答えた。


「初めまして」


そのまま座る。


男の正面。


逃げない。


視線も逸らさない。


フィリウスは微笑んだ。


「思っていたより、普通の少年ですね」


ノアも笑った。


「よく言われます」


嘘だった。


そんなこと。


一度も言われたことはない。


フィリウスの笑みが、ほんの少しだけ変わった。


それだけでノアは確信する。


気付いた。


今の嘘に。


だがフィリウスは指摘しなかった。


「そうですか。それは失礼しました」


「別に」


「私の中で、少し想像が膨らみすぎていたようです」


「どんな想像?」


ノアはすぐに返した。


フィリウスの瞳が僅かに細くなる。


質問に質問を返す。


まず一つ。


相手が自分についてどこまで知っているか。


フィリウスはカップへ指を添えた。


紅茶には口をつけない。


「銀色の目を持ち、異常な魔力現象の中心に現れる少年」


「それだけ聞けば、もう少し恐ろしい人物を想像するでしょう?」


ノアは答えず、フィリウスの言葉を頭の中で分解した。


銀色の目。


異常な魔力現象。


中心に現れる少年。


黒星という単語を使わない。


なぜ。


知らないから?


違う。


黒星研究の専門家だ。


知っている可能性が高い。


なら意図的に避けている。


こちらが自分から言うのを待っている。


「異常な魔力現象って?」


ノアは知らないふりをした。


フィリウスの笑みがまた僅かに深くなる。


「昨日、この学院で観測されたものです」


「昨日はいろいろありすぎたけど」


「そうでしょうね」


「具体的には?」


「空間の欠損」


フィリウスは即答した。


ノアの内側で警戒が一段上がる。


空間の欠損。


それは喰星の力。


そして門から伸びた黒い手が使ったもの。


学院側が王都へ送った報告に、どこまで書いたのかノアは知らない。


だがエレノーラは黒星について伏せていると言った。


なら。


「そんなのあったんだ」


ノアはわざと首を傾げた。


フィリウスは笑う。


「ええ」


追及しない。


それが逆に怖い。


普通なら。


君はその場にいたのでは?


知らないのですか?


そう聞く。


だが聞かない。


つまり今の返答自体を情報として取った。


フィリウスはカップを一度だけ回した。


「ところで、ノア君」


「何」


「昨日はよく眠れましたか?」


突然。


話題が変わった。


ノアは一瞬だけ考える。


睡眠。


夢。


黒星。


向こう側。


何を狙っている。


「疲れてたから」


答えを絞る。


「よく眠れたよ」


「夢は?」


来た。


ノアは内心で笑いそうになった。


睡眠が知りたいんじゃない。


夢だ。


黒星持ちが見る夢について何か知っている。


「覚えてない」


これは半分だけ本当だった。


断片はある。


暗闇。


銀色。


呼ばれたような感覚。


だが鮮明ではない。


フィリウスは初めてカップへ口をつけた。


「そうですか」


それだけ。


ノアは逆に聞く。


「なんで夢の話?」


「研究者ですから」


「答えになってない」


「夢は面白い」


「もっと答えになってない」


フィリウスが小さく笑った。


「君は想像していたより話しやすい」


「そっちは想像通り話しにくい」


「光栄です」


「褒めてない」


「存じています」


ノアは男を見る。


会話が滑らかすぎる。


どの質問にも即座に返す。


だが、ほとんど情報を出していない。


上手い。


こちらへ質問を意識させない。


雑談の中へ混ぜている。


そして何より。


ノアを子供扱いしていない。


普通なら学生相手にここまで慎重にはならない。


つまり最初から。


ノアが頭を使ってくると知っている。


その情報はどこから来た?


「俺のこと調べた?」


ノアは直球を投げた。


フィリウスは否定しなかった。


「少し」


「どこまで?」


「第九区出身」


ノアの表情は変えない。


「学院入学時の成績は筆記上位、実技下位」


まだ普通。


「戦闘では観察を重視し、格上を相手にするほど戦績が上がる」


少し深い。


「短剣を好みますが、武器への執着はない」


ノアの目が細くなる。


そこまで。


「そして」


フィリウスが言う。


「嘘をつく時、相手の目を見る」


ノアは。


笑った。


「へえ」


「今もそうですね」


「じゃあ今、俺が何か嘘ついてる?」


「いいえ」


フィリウスは首を横へ振る。


「今は、私を試しています」


その答え。


ノアは素直に評価した。


やっぱり上手い。


なら。


少し角度を変える。


「そこまで俺を調べてるのに」


ノアは椅子へ背を預けた。


「なんで昨日の事件が起きる前から、学院に向かってたの?」


空気が止まった。


ほんの一瞬。


フィリウスの指。


カップの縁に触れていた人差し指が。


止まった。


ノアは見た。


それだけで十分だった。


当たり。


少なくとも。


事件前から出発していたことを隠したかった。


フィリウスはゆっくりカップを置く。


「誰から聞きました?」


質問。


否定しない。


失敗だ。


ノアは答えない。


「事件の後なら間に合わない」


フィリウスの笑みが薄くなる。


「移動時間を計算しましたか」


「した」


「王都から学院までの距離も?」


「だいたい」


「術式馬車の平均速度は?」


「知らない」


ノアは即答した。


「でも普通の馬車より速くても、準備時間まで含めたら厳しい」


フィリウスは数秒黙った。


それから。


「素晴らしい」


静かに拍手を一度だけした。


ノアは眉を寄せる。


「誤魔化す?」


「いいえ」


フィリウスの表情から。


初めて。


作った笑みが消えた。


「ここからは少し、真面目に話しましょう」


ノアも姿勢を変える。


来る。


「確かに」


フィリウスは言った。


「私は昨日の事件が発生する前に王都を出ています」


認めた。


ノアは何も言わない。


次。


理由。


「なぜなら」


フィリウスの薄青い瞳が、ノアを真っ直ぐ捉える。


「昨日の事件を予測していたからです」


胸の奥。


黒星が脈打ちかける。


ノアは抑える。


使わない。


自分の頭で考える。


予測。


知っていた、ではない。


言葉を選んだ。


「何を予測してた?」


「門の活性化」


ノアの呼吸が。


ほんの僅かに止まった。


失敗。


だが戻せない。


フィリウスは見ていた。


確実に。


「門って何?」


今さら知らないふりをする。


フィリウスが微笑んだ。


「今の反応の後では、少し遅いですね」


ノアは舌打ちしたくなるのを抑えた。


一つ取られた。


でも。


それも情報だ。


フィリウスは“門”を知っている。


それどころか活性化を予測できる。


「どうやって予測した」


ノアは知らないふりを捨てた。


これ以上続けても意味がない。


フィリウスの目が少し楽しそうになる。


「切り替えが早い」


「答えて」


「星が消えたからです」


意味が分からない。


ノアは黙る。


フィリウスは懐から一枚の紙を取り出した。


テーブルへ置く。


星図。


夜空の配置を記したもの。


その中。


一ヶ所だけ。


黒い丸が描かれている。


「七日前」


フィリウスが指を置く。


「北東の空から、一つの星が消えました」


「雲じゃなく?」


「三ヶ所の観測所で同時確認しています」


「星が消えることと門に何の関係がある」


「三百年前にも同じことが起きた」


ノアの目が止まる。


フィリウスは続ける。


「黒星災害の十九日前」


「星が一つ消えた」


「十三日前」


「二つ目」


「六日前」


「三つ目」


「そして」


フィリウスの指が星図を滑る。


「最初の門が開いた日」


「空から七つの星が消えた」


ノアは星図を見る。


七日前に一つ。


なら。


始まっている。


「今はいくつ」


「昨日までで二つ」


フィリウスが答えた。


「二つ目が消えたのは」


一拍。


「昨日」


ノアの胸が冷える。


「何時」


「学院で異常魔力が観測された時刻と、ほぼ同時刻です」


偶然。


そう考えるには一致しすぎている。


フィリウスはノアを見る。


「だから来ました」


「黒星が現れる場所を知ってたわけじゃない?」


「いいえ」


「じゃあなんでこの学院」


「それは」


フィリウスは一瞬。


初めて。


答えを迷った。


ノアはそこへ食いつく。


「何」


沈黙。


「言えない?」


さらに。


「それとも言ったら困る?」


フィリウスが小さく息を吐く。


「君は本当に嫌な聞き方をしますね」


「褒め言葉?」


「半分は」


「残りは?」


「警戒です」


ノアは笑わない。


フィリウスも笑わなかった。


「この学院を選んだ理由は二つあります」


「一つは」


「三百年前の黒星災害に関する記録が、この学院から始まっているから」


ノアは老人を思い出す。


最初の門。


地下。


アルト。


確かに。


「もう一つは?」


フィリウスが。


ノアを見る。


「君です」


やっぱり。


「俺?」


「正確には」


フィリウスの視線が、ノアの銀色の目へ向く。


「銀眼の少年」


ノアは動かない。


「誰から聞いた」


「記録です」


「どの記録」


「百八十七年前」


「九十四年前」


「四十一年前」


フィリウスは三つの数字を並べた。


「門が大きく活性化した時期」


「必ず記録へ同じ特徴を持つ人物が現れる」


ノアの背筋へ。


冷たいものが走った。


「銀色の目?」


「ええ」


フィリウスは頷く。


「年齢も」


「性別も」


「出身も違う」


「ただ一つ」


「全員、銀色の目を持っていた」


ノアの指が。


僅かに動く。


自分の目。


ずっと。


ただ珍しいだけだと思っていた。


第九区でも目立った。


銀目。


アークからもそう呼ばれる。


それが。


黒星と関係している?


いや。


待て。


「そいつらは黒星持ちだった?」


フィリウスは答えない。


ノアは気付く。


答えられないんじゃない。


こちらが何を知っているか確認している。


「質問を変える」


ノアは言った。


「その銀眼の奴ら」


「最後はどうなった?」


フィリウスの目から。


ほんの少し。


感情が消えた。


「全員」


短い沈黙。


「行方不明です」


ノアは何も言わない。


「死亡じゃない?」


「遺体が見つかっていません」


「最後に確認された場所は」


フィリウスは。


答えなかった。


それで。


ノアは分かった。


「門の近く」


フィリウスの瞳が僅かに揺れる。


当たり。


ノアは椅子へ深く座る。


頭の中で。


一気に線が繋がり始める。


銀眼。


黒星。


門。


活性化。


過去の失踪者。


自分。


喰星はノアを見て。


次代の黒星と呼んだ。


向こう側の銀色の存在。


銀。


そこまで考えた瞬間。


胸の奥で。


ドクン。


《蓄積値:457》


増えた。


ノアは表情を変えない。


だが。


分かった。


今。


何かへ近づいた。


どれだ。


銀眼?


失踪者?


向こう側の銀色?


全部?


フィリウスがノアを観察している。


まずい。


黒星の反応は見えていないはず。


でも身体の変化を読まれる可能性がある。


ノアは意図的に別の質問を投げる。


「その記録、見せて」


フィリウスは即答した。


「条件があります」


「何」


「私の質問へ一つ答えてください」


交換。


ノアは警戒する。


「質問を先に聞く」


「もちろん」


フィリウスは眼鏡を僅かに上げた。


そして。


「昨日」


声が低くなる。


「門の向こう側で」


ノアの全身へ緊張が走る。


フィリウスは続けた。


「銀色の人間を見ませんでしたか?」


沈黙。


ノアは。


動かなかった。


動けなかったのではない。


今度は。


意図的に。


完全に止まった。


呼吸。


瞬き。


指。


全部。


フィリウスの瞳だけを見る。


どうして知っている。


誰にも。


言っていない。


いや。


老人やレインには、断片を話したかもしれない。


だが魔導院には渡っていない。


それに。


質問の仕方がおかしい。


“何かを見たか”ではない。


“銀色の人間を見なかったか”。


存在を知っている。


ノアは口を開く。


「その質問」


「答える前に」


一拍。


「一つだけ確認していい?」


「どうぞ」


ノアはフィリウスを見る。


「お前」


「向こう側へ行ったことある?」


初めてだった。


フィリウス・ヴァンロードの顔から。


完全に。


笑みが消えた。

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