第七章 黒星の残響 37.5
幕間 雨上がりの食堂
学院中が慌ただしく動いていた。
壊れた校舎。
治療を受ける生徒たち。
教師たちは朝から走り回り、あちこちで修復魔法が光っている。
そんな中でも、食堂だけは変わらず湯気が立っていた。
「ほら、食え」
アークが大きな皿をノアの前へ置く。
肉。
パン。
スープ。
山盛りだった。
ノアは皿とアークを見比べる。
「……多くないか」
「多い」
「じゃあ何で持ってきた」
「お前、昨日ほとんど死にかけてたし」
「意味分かんねぇ理由だな」
「いいから食え」
ノアは苦笑しながらスープを口へ運ぶ。
温かい。
その瞬間、胃が思い出したように鳴った。
「……腹減った」
「だろ?」
アークが勝ち誇ったように笑う。
「昨日からまともに食ってねぇんだから」
ノアは黙々と食べ始めた。
セシリアは向かい側で紅茶を飲みながら、その様子を静かに眺めている。
ルナは少し安心したように微笑んだ。
「ちゃんと食べてますね」
「食べないと倒れるしな」
「違います」
ルナは首を横へ振る。
「昨日の食べたい、とは違います」
ノアの手が止まる。
黒星の飢え。
あの時感じた、本能そのものの空腹。
今感じている空腹とはまるで違う。
今はただ、お腹が空いているだけだ。
ノアは少し笑った。
「確かに違うな」
セシリアが静かに口を開く。
「違いを言葉にできますか」
ノアは少し考える。
「昨日のは……何でもよかった」
「石でも、人でも、魔物でも」
「とにかく喰いたかった」
食堂が少し静かになる。
ルナの表情も硬くなった。
ノアはすぐに続ける。
「でも今は違う」
「普通に飯が食いたい」
アークが笑う。
「それなら安心だ」
「昨日のお前、俺まで食いそうだったし」
「食わねぇよ」
「いや、目が怖かった」
「忘れろ」
「無理」
アークは笑いながらパンをちぎる。
「でもさ」
「昨日、お前が戻ってきた時さ」
「正直、ちょっと泣きそうだった」
ノアは思わず顔を上げた。
アークは照れくさそうに頭を掻く。
「言わせんなよ」
「気持ち悪ぃ」
「自分で言ったんだろ」
「忘れろ」
ルナが小さく笑う。
セシリアも紅茶へ口を付けながら言う。
「安心しました」
「貴方が戻ってきて」
ノアは照れくさくなって視線を逸らした。
「……そんな大袈裟な」
「大袈裟ではありません」
セシリアは真っ直ぐ言う。
「昨日の貴方は、本当に消えてしまうと思いました」
その言葉に、ノアは何も返せなかった。
代わりにパンを一口かじる。
静かな時間だった。
誰も戦っていない。
黒星も暴れていない。
ただ朝ご飯を食べているだけ。
そんな当たり前の時間が、ひどく新鮮だった。
ドクン。
胸の奥で黒星が静かに脈打つ。
ノアは反射的に確認する。
《蓄積値:451》
また一つ減っていた。
ノアは思わず笑う。
「どうしました?」
ルナが首を傾げる。
「いや」
ノアは三人を見渡した。
「こういう時間も、悪くないなって思って」
アークは大笑いした。
「今さらかよ!」
「うるさい」
「もっと早く気付け!」
食堂へ笑い声が響く。
窓の外では、雨上がりの空から一筋の光が学院を照らしていた。
その光の向こうで、新しい運命を乗せた一台の白い馬車が、静かに学院へ近づいていることを、この時の四人はまだ知らなかった。




