第七章 黒星の残響 28
闇が閉じた。
巨大な目は消えた。
ミニゲートも、音もなく崩れ去る。
地下通路へ残ったのは。
崩れた壁。
砕けた石畳。
そして。
重苦しい静寂だけだった。
誰も、すぐには動けない。
アークは盾へ身体を預けたまま、大きく息を吐く。
「……終わった、のか」
返事はない。
レインは閉じた空間を睨み続けている。
セシリアは剣を構えたまま周囲を警戒し、ルナはノアから目を離さなかった。
その視線の先。
ノアはその場へ膝をついていた。
肩で息をする。
全身から汗が流れ落ちる。
右腕を覆っていた黒い影は薄くなっていたが、完全には消えていない。
ドクン。
《蓄積値:454》
数字は変わらない。
今までなら脈打つたびに増えていた。
だが、今は静かだった。
ノアは自分の胸へ手を当てる。
黒星はそこにある。
生きている。
だが。
さっきまでとは何かが違う。
「……静かだ」
思わず漏れた呟きだった。
レインがようやく振り返る。
「当然だ」
低い声。
疲労を隠しきれていない。
「お前の黒星は、あの存在を認識した」
「認識?」
「黒星同士は互いを知る。それだけで均衡が変わる」
意味は分からない。
だが、レイン自身も全てを知っているわけではない。
そんな表情だった。
アークがゆっくり近づく。
「銀目」
ノアは顔を上げる。
アークは何も言わない。
数秒見つめたあと。
いきなりノアの肩を軽く殴った。
ゴッ。
「痛っ」
「よかった」
短い一言。
ノアは少しだけ笑う。
「なんだよ、それ」
「ちゃんと痛がったから安心した」
ノアは苦笑した。
「意味分かんねぇ」
「さっきのお前、化け物みたいな顔してたからな」
アークも笑う。
だが、その笑顔の奥には隠しきれない不安が残っていた。
本当に戻ってきたのか。
また暴走しないのか。
その疑問を飲み込んでいる。
ルナも近づいてくる。
恐る恐る。
本当に恐る恐る。
「……ノアさん」
「ん?」
「手、見せてもらってもいいですか」
ノアは少し迷った。
それでも右腕を差し出す。
黒い紋様は肘の辺りまで残っていた。
だが、さっきみたいに蠢いてはいない。
ルナは震える指先で、そっと触れた。
冷たい。
人の肌じゃないみたいだった。
「……大丈夫です」
安心したように笑う。
その笑顔を見た瞬間。
ノアの胸の奥が少し軽くなった。
ドクン。
《蓄積値:453》
「……え」
数字が減った。
ノアは思わず目を見開く。
今。
また一つ減った。
レインも気づいたらしい。
赤い瞳が細くなる。
「どうした」
「減った」
「何?」
「蓄積値が」
レインの表情が変わる。
「本当か」
ノアは頷く。
「四百五十四から、四百五十三になった」
地下通路へ沈黙が落ちる。
レインはゆっくり目を閉じた。
何かを考えている。
そして、小さく息を吐く。
「……そういうことか」
ノアが眉を寄せる。
「分かったのか」
「仮説だ」
レインはルナを見る。
次にアーク。
セシリア。
そしてノアへ視線を戻した。
「黒星は侵食だけを喰うわけじゃない」
「?」
「感情にも反応する」
ノアは黙って聞く。
「飢え、恐怖、憎悪。そういう負の感情では蓄積値が増える」
そこまでは、何となく理解できた。
第九区で生きていた頃も。
戦っていた時も。
いつも増えていた。
レインは静かに続ける。
「だが、お前は今、仲間によって理性を取り戻した」
ノアはアークを見る。
ルナを見る。
二人も黙ってこちらを見ていた。
「だから減ったのか」
レインは小さく頷く。
「おそらくな」
ノアはもう一度胸へ手を当てた。
黒星はまだある。
危険も消えていない。
それでも。
完全に支配されているわけではない。
その事実だけで、少しだけ息がつけた。
その時だった。
ガラッ――。
崩れた地下通路の奥から、小さな石が転がる音が響く。
全員が反射的に振り向く。
セシリアが剣を抜く。
アークが盾を構える。
だが、現れたのは侵食体でも化け物でもなかった。
一人の老人だった。
煤だらけの灰色のローブ。
白髪混じりの長い髪。
学院の教師とは違う、古い時代の制服にも似た装束を身にまとっている。
老人は崩れた通路を見渡し、最後にノアの胸元へ視線を止めた。
その目には驚きと、どこか懐かしさが混ざっていた。
「……まさか」
老人は掠れた声で呟く。
「黒星の継承者が、本当に現れるとは」




