第七章 黒星の残響 19
「……腹、減った」
その声は静かだった。
だが。
地下通路の全員が、本能的に理解してしまった。
“今のノアは危険だ”と。
ドクン。
《蓄積値:301》
黒星が脈打つ。
ノアの右目。
黒い瞳の奥で、銀色の星がゆっくり回転していた。
地下通路の侵食残滓が、ザワザワと震え始める。
まるで怯えているみたいに。
レインの赤い瞳が細まる。
「意識はどこまで残ってる」
ノアは答えない。
代わりに、ゆっくり周囲を見回した。
視界が違う。
世界の見え方そのものが変わっている。
空気。
魔力。
侵食。
全部が“流れ”として見える。
アークたちの身体の中を流れる魔力すら見えた。
ドクン。
《蓄積値:303》
その瞬間。
ノアの喉が鳴る。
“美味そう”。
脳裏へ、そんな感覚が浮かんだ。
ノアの表情が歪む。
違う。
違う違う違う。
「っ……!」
頭を押さえる。
だが、黒星は止まらない。
『喰え』
声。
黒星の奥。
『飢えている』
「黙れ……!」
黒い影が揺れる。
地下通路の壁へ侵食みたいに広がった。
アークが一歩前へ出る。
「銀目」
ノアの黒い瞳が向く。
ゾワッ――。
殺気。
ただ視線を向けられただけなのに、全身が粟立つ。
だが、アークは退かなかった。
「戻ってこい」
短い言葉。
単純な言葉。
だが、その瞬間。
ノアの瞳が僅かに揺れる。
銀色が戻りかける。
レインが目を細めた。
「……まだ残ってるか」
だが。
ドクンッ!!!
《蓄積値:305》
黒星が脈打った瞬間、ノアの顔が苦痛に歪んだ。
頭へ情報が流れ込む。
黒い世界。
巨大な星。
銀の瞳。
そして。
“喰われる記憶”。
ノアは膝をつく。
「がっ……ぁ……!!」
苦しい。
頭が壊れそうだ。
情報量が多すぎる。
その時。
ルナが、震えながら前へ出た。
「ノアさん」
アークが叫ぶ。
「おいルナ!」
だが、ルナは止まらない。
怖い。
本当は震えるほど怖い。
今のノアは、完全に別物だ。
それでも。
ルナはノアの前まで歩いた。
ノアの黒い瞳が向く。
レインが低く言う。
「近づくな。今のそいつは――」
「違います」
ルナが遮る。
その声は震えていた。
でも、真っ直ぐだった。
「ノアさんは、そんな人じゃない」
ノアの呼吸が止まる。
黒星が脈打つ。
ドクン。
《蓄積値:306》
『喰え』
声。
『飢えている』
ノアの右腕が、ゆっくりルナへ伸びる。
アークが歯を食いしばる。
セシリアも剣へ手をかける。
だが。
ルナは逃げなかった。
ノアを見ている。
真っ直ぐ。
恐怖を押し殺して。
その瞬間だった。
ノアの脳裏へ、別の記憶が流れ込んだ。
雨。
薄暗い路地。
第九区。
幼い頃。
飢えて倒れていた自分へ、パンを投げてくれた少女。
名前も知らない。
顔も曖昧。
でも。
“優しかった”。
黒星が、僅かに揺らぐ。
ドクン。
《蓄積値:307》
ノアの黒い瞳へ、銀色が戻る。
右腕が止まった。
ルナが、小さく息を呑む。
「……ノアさん」
ノアの口が動く。
「……逃げろ」
声が掠れていた。
黒星を押さえ込んでいる。
だが、限界だ。
ノア自身が一番分かっていた。
このままだと、本当に喰う。
理性ごと。
全部。
レインが静かに言う。
「今ならまだ封じられる」
ノアが顔を上げる。
「……方法は」
「黒星を強制的に眠らせる」
「できるのか」
レインは数秒黙った。
そして。
「成功率は低い」
アークが顔をしかめる。
「おい待て、それ失敗したらどうなる」
レインの赤い瞳が、真っ直ぐノアを見る。
「完全侵食だ」
地下通路の空気が凍った。
ルナの顔が青ざめる。
セシリアも黙る。
だが。
ノアだけは、不思議と冷静だった。
ドクン。
《蓄積値:308》
もう時間がない。
黒星は今も成長している。
侵食を喰い。
情報を喰い。
どんどん強くなっている。
ノアはゆっくり立ち上がった。
黒い影が揺れる。
右目の銀星が、静かに輝いていた。
そして。
ノアは、小さく笑った。
「……やるしかないだろ」




