↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星喰らいの王  作者: のあずぅあーくぅ
3/54

第二章 王都

酒場の空気が止まっていた。


誰も喋らない。


第九区の人間にとって、“王立魔導学院”なんて別世界の名前だった。貴族と才能ある魔術師だけが入れる場所。王都中心部のさらに中心。金も地位も権力もある連中の世界。


そこへ、第九区のガキが呼ばれる。


普通なら笑い話だ。


だが、騎士の持っている封書は本物だった。


王家の印章。


偽造なんてした瞬間、首が飛ぶ。


ガルドが腕を組みながら低く聞く。


「……何の冗談だ。」


騎士は淡々としていた。


「冗談ではない。王立魔導学院特別観測枠として、ノア・アルクライトへ召喚命令が出ている。」


「観測枠?」


ノアが眉をひそめる。


騎士は視線を向けた。


「異常認識現象の確認、および変異種討伐時の行動記録に基づく。」


ノアは少し黙る。


異常認識現象。


遠回しだが、多分自分のことだ。


変異種との戦闘。


あの時、確かにおかしかった。


相手の“認識”が見えた。


揺らせた。


喰った。


そこまで考えた瞬間、胸の奥が微かに脈打つ。


《蓄積値:15》


また数字。


ノアの顔がわずかに歪む。


騎士が気づいた。


「どうした。」


「いや、別に。」


ルナが隣でじっとノアを見ていた。


赤い瞳。


何かを確かめるみたいな視線。


ノアはそれを無視する。


今は余計なことを考えたくなかった。


ガルドが騎士へ聞く。


「断ったら?」


騎士は即答した。


「推奨しない。」


酒場の空気が冷える。


脅し。


遠回しだが、そういうことだ。


王家からの呼び出しを拒否する自由なんて、第九区の人間にはない。


ガルドが舌打ちする。


「クソ貴族どもが。」


騎士は反応しない。


慣れているのだろう。


第九区で王家が嫌われていることくらい。


ノアは頭を掻いた。


「……いつ行けばいいの。」


「明日。」


「早いな。」


「既に馬車が手配されている。」


完全に決定事項だった。


ノアはため息を吐く。


面倒だ。


だが同時に、少しだけ興味もあった。


王立魔導学院。


第九区の外。


貴族社会。


今まで見たことのない世界。


ノアは自分でも気づかないうちに、少し笑っていたらしい。


ガルドが睨む。


「その顔やめろ。」


「どの顔。」


「面白そうなこと考えてる顔。」


「失礼だな。」


「合ってんだよ。」


酒場の奥で誰かが笑った。


少しだけ空気が戻る。


騎士は封書を机へ置いた。


「準備しておけ。朝には迎えが来る。」


そのまま踵を返す。


だが扉の前で、一度だけ止まった。


「……一つ忠告しておく。」


誰も喋らない。


騎士は振り返らずに言った。


「王都では、その銀目を隠した方がいい。」


ノアは少し目を細めた。


「何で。」


「余計な注目を集める。」


それだけ言って、騎士は雨の中へ消えていった。


酒場に沈黙が落ちる。


やがてガルドが大きく息を吐いた。


「最悪だ。」


「そこまで?」


「王都の貴族は、第九区より性格悪ぃ。」


「終わってるな。」


「しかも陰湿だ。」


「もっと終わってる。」


ガルドは机へ腰を下ろす。


「銀目。」


「ん。」


「行くのか。」


ノアは少し考える。


断る理由はない。


というより、断れない。


それに。


今日、自分は変わった。


だったら、多分このまま第九区だけで生きるのは無理だ。


ノアは肩を竦めた。


「行ってみる。」


ガルドはしばらく黙り、それから酒瓶を投げてきた。


ノアが受け取る。


「餞別だ。」


「飲みかけじゃん。」


「贅沢言うな。」


ノアは少し笑った。


その夜は遅くまで騒がしかった。


灰狼組の連中は、半分宴会みたいな空気になっていた。生き残った後の酒は美味い。第九区ではそれが何より大事だった。


「銀目が貴族になるってよ!」


「無理だろ!」


「三日で追い出されるに銀貨二枚!」


「いや初日!」


「お前ら失礼じゃない?」


酒場中が笑う。


ノアは椅子へ座りながら、小さくため息を吐いた。


騒がしい。


でも嫌じゃない。


第九区は腐っている。


臭いし、汚いし、すぐ人が死ぬ。


それでも。


ここが自分の居場所だった。


ルナが隣へ座る。


「寂しい?」


「まだ行ってない。」


「でも少し考えてる。」


ノアは酒瓶を回しながら笑った。


「まぁ、ちょっと。」


ルナはしばらく黙る。


それから小さく言った。


「王都は嫌い。」


ノアは目を向ける。


「行ったことあるの?」


少し沈黙。


ルナは答えない。


またそれだ。


この少女は、時々妙に古い目をする。


まるで全部知っているみたいに。


ノアはそれ以上聞かなかった。


聞いても、多分まだ答えない。


夜が更ける頃、ようやく酒場の騒ぎも落ち着いた。


ノアは二階の狭い部屋へ戻る。


薄いベッド。


軋む床。


小さな窓。


いつもの部屋。


荷物なんてほとんどない。


着替えと、ナイフと、少しの金だけ。


ノアはベッドへ腰を下ろした。


静かだ。


下からはまだ笑い声が聞こえる。


だが、部屋の中は妙に落ち着いていた。


その時。


胸の奥が脈打つ。


《蓄積値:17》


ノアの顔が歪む。


「……またか。」


数字が増えている。


何の数字なのか分からない。


でも本能的に理解していた。


“喰った”分だ。


認識。


恐怖。


視線。


そういうものを。


ノアは頭を抱える。


気持ち悪い。


でも、思い出してしまう。


変異種を揺らした瞬間。


群れ全体が崩れた瞬間。


あれは、少し気持ちよかった。


その事実に、自分で寒気がした。


窓の外を見る。


雨は止み始めている。


遠くで王都中心部の灯りが見えた。


白い塔。


貴族街。


煌びやかな世界。


第九区とは別の国みたいだった。


ノアはぼんやり呟く。


「学院、か。」


どんな場所なんだろう。


貴族ばかりの世界。


魔術師。


王家。


そして、多分。


今日みたいな“異常”を知っている連中。


ノアはベッドへ倒れ込む。


疲れているはずなのに、眠気はなかなか来なかった。


目を閉じる。


その瞬間。


黒い空間が広がった。


夢だとすぐ分かった。


暗い。


何もない。


ただ、遠くに“星”だけが浮かんでいる。


黒い星。


嫌な色だった。


見ているだけで不安になる。


ノアは眉をひそめる。


「何だよ、これ。」


返事はない。


だが次の瞬間。


声が響いた。


『見つけた』


ノアの背筋が凍る。


振り返る。


誰もいない。


なのに。


“何か”がいる。


見えない。


でもいる。


巨大で。


冷たくて。


人間じゃない何か。


黒い星が脈打つ。


《観測開始》


ノアは息を呑んだ。


その瞬間、世界が砕けた。


ノアは飛び起きる。


息が荒い。


汗が滲んでいた。


部屋は暗いまま。


朝はまだ遠い。


ノアは顔を覆う。


「……最悪。」


夢。


なのに妙に現実感があった。


胸の奥がまだ冷たい。


その時、扉の向こうから小さな声がした。


「起きてる?」


ルナだった。


ノアは少し黙ってから答える。


「……起きた。」


扉が静かに開く。


ルナはノアを見るなり、少しだけ眉を寄せた。


「見た?」


ノアは目を細める。


「お前、何か知ってるだろ。」


ルナはベッドの横へ座る。


赤い瞳が、暗闇の中で静かに揺れていた。


「ノア。」


小さな声。


「もし、変な声が増えても。」


「増える前提なんだ。」


「……飲まれないで。」


その言葉だけ、妙に重かった。


ノアは少し笑う。


「努力する。」


ルナは小さく頷く。


しばらく沈黙が落ちる。


外では雨が止み、遠くで夜明け前の風が吹いていた。


ノアは窓の外を見る。


第九区。


腐った街。


でも、自分が生きてきた場所。


明日には、そこを出る。


不安はあった。


だが同時に。


少しだけ、楽しみでもあった。



朝の第九区は静かだった。


夜通し騒いでいた連中も、さすがに疲れたらしい。酒場《黒鉄亭》の一階には、机へ突っ伏して寝ている男や、床で転がっている酔っ払いが何人もいる。


ノアは階段を降りながら欠伸をした。


眠れたような、眠れてないような微妙な感覚だった。


夢のせいだ。


黒い星。


《観測開始》。


あの声を思い出すだけで、胸の奥がざわつく。


「顔悪いぞ。」


カウンター奥で酒瓶を整理していたガルドが言った。


「最近みんなそれ言う。」


「最近ずっと悪ぃ顔してるからな。」


ノアは適当に椅子へ座る。


ガルドが黒パンを投げてきた。


硬い。


第九区名物、人を殺せるパンだ。


ノアは齧りながら聞く。


「迎えっていつ来るんだっけ。」


「昼前だとよ。」


「早いなぁ。」


「王都の連中は気が短ぇ。」


ガルドは煙草へ火をつける。


しばらく沈黙。


その後、ぽつりと言った。


「……学院なんざ、碌な場所じゃねぇ。」


ノアは少し目を上げた。


ガルドが王都中心部を嫌っているのは知っている。でも学院へここまで露骨な反応をするのは珍しかった。


「行ったことあるの?」


「ねぇよ。」


「じゃあ何で。」


ガルドは煙を吐く。


「昔、知り合いが行った。」


「へぇ。」


「死んだ。」


空気が少し止まる。


ガルドはそれ以上詳しく語らなかった。


ノアも聞かなかった。


第九区では、“聞かない方がいい過去”がいくつもある。


その時、酒場の扉が勢いよく開いた。


「銀目ぇぇぇ!!」


リリだった。


朝から元気すぎる。


ノアはパンを齧りながら手を上げる。


「おはよ。」


「おはよじゃない! 本当に王都行くの!?」


「まぁ。」


「すげぇ!!」


リリの目が輝く。


その後ろからジード達も入ってきた。


「学院って貴族ばっかなんだろ?」


「飯めっちゃ美味いらしいぞ。」


「女も綺麗って聞いた。」


「最後いる?」


ノアが呆れると、ジードは真顔で頷いた。


「超大事。」


ガルドが煙草を投げつけた。


「ガキ。」


酒場に少し笑いが戻る。


ノアはその空気を見ながら、妙に落ち着かない気持ちになっていた。


多分、自分はもうここへ戻れない。


そんな気がしていた。


別に理由はない。


でも昨日の戦いで、自分の中の何かが変わった。


あの力。


認識を喰う感覚。


あれは、第九区みたいな狭い場所に収まるものじゃない。


胸の奥が微かに脈打つ。


《蓄積値:19》


ノアは顔をしかめた。


増えてる。


何もしなくても。


「……最悪。」


ルナがいつの間にか隣へ座っていた。


「増えた?」


「勝手に増えるのやめてほしい。」


ルナは少し考えるように黙る。


「認識されてるから。」


「何それ。」


「見られてる。」


ノアは周囲を見る。


酒場の連中。


リリ。


ジード。


皆、確かにこちらを見ている。


昨日、変異種を倒した。


第九区を救った。


その認識が広がっている。


ノアは舌打ちした。


「有名税高すぎない?」


ルナは少しだけ笑った。


その笑顔を見て、ノアは少し驚く。


この少女、あまり笑わない。


というか感情が薄い。


だからこそ、今の小さな笑みは妙に印象に残った。


昼前になる頃には、第九区中へ話が広がっていた。


“銀目が王都へ行くらしい”。


噂は速い。


特に第九区みたいな狭い場所では、一瞬で広がる。


酒場の外へ出ると、路地のあちこちから視線を感じた。


興味。


期待。


羨望。


少しの嫉妬。


ノアは頭を掻く。


「ほんと見られてんな。」


ルナが横を歩きながら言う。


「昨日から変わった。」


「そんなに?」


「うん。“ただの銀目”じゃなくなった。」


ノアは少し黙る。


その言葉は妙に重かった。


路地を歩いていると、小さなガキ達が駆け寄ってきた。


「銀目!」


「王都行くの!?」


「貴族ぶん殴ってきて!」


「それは予定に入ってるかも。」


ガキ達が笑う。


ノアも少し笑った。


第九区のガキは逞しい。


昨日あれだけの騒ぎがあったのに、もう普通に走り回っている。


多分、慣れているのだ。


壊れることに。


死ぬことに。


そして、生き残ることに。


その時、遠くから重い音が聞こえた。


馬車だ。


第九区では珍しい。


皆が自然と視線を向ける。


路地の奥から現れたのは、白い紋章入りの大型馬車だった。


王立魔導学院。


周囲がざわつく。


「本物かよ……。」


「第九区に学院馬車……。」


「浮いてんなぁ。」


実際、かなり浮いていた。


綺麗すぎる。


白い車体。磨かれた装甲。紋章入りの旗。第九区の泥だらけの景色と全く合っていない。


馬車が酒場前で止まる。


御者台から、一人の男が降りてきた。


黒服。


眼鏡。


細身。


いかにも学院関係者という感じだった。


男は周囲を一瞥し、露骨に眉をひそめる。


「……酷い環境ですね。」


ガルドが即座に睨んだ。


「帰るか?」


男は咳払いする。


「失礼。ノア・アルクライトは?」


ノアが手を上げる。


「俺。」


男の目が銀色の瞳を見る。


一瞬だけ空気が変わった。


警戒。


観察。


値踏み。


ノアはその視線を、妙にはっきり感じ取ってしまう。


《蓄積値:20》


また増えた。


ノアは軽く眉をひそめる。


男はすぐ表情を戻した。


「私は王立魔導学院、特別観測科所属のクロードです。本日より貴方を学院へ案内します。」


「観測科?」


「後ほど説明します。」


いかにも面倒そうな言い方だった。


クロードは周囲を見回す。


第九区の住民達。


灰狼組。


ガルド。


その視線には、微かな警戒が混じっていた。


多分、ここが怖いのだ。


第九区の空気は、王都中心部の人間には重すぎる。


ガルドがノアを見る。


「行くなら、さっさと行け。」


ノアは少し笑う。


「寂しい?」


「殴るぞ。」


「図星か。」


ガルドは本気で舌打ちした。


だがその目は、少しだけ柔らかかった。


ノアは荷物を持ち上げる。


といっても小さい袋一つだけだ。


クロードがそれを見て少し驚く。


「それだけですか。」


「第九区の人間に何期待してんの。」


クロードは返答に困った顔をした。


ルナが自然に隣へ来る。


クロードが眉を上げた。


「そちらは?」


「ルナ。」


「同行者ですか?」


「うん。」


クロードは少し迷う。


だが最終的に頷いた。


「……報告は受けています。許可されています。」


ノアは目を細めた。


“報告”。


誰がどこまで知っているのか。


少し嫌な感じがした。


馬車へ乗り込む。


中は広かった。


柔らかい座席。


綺麗な内装。


第九区では見ないものばかりだ。


ノアは素直に感心した。


「すご。」


ルナが小さく言う。


「田舎者。」


「否定できない。」


外ではガキ達が手を振っている。


「銀目ー!」


「貴族ぶっ飛ばせー!」


「飯持って帰ってこい!」


ノアは窓から手を振り返した。


馬車がゆっくり動き出す。


第九区の景色が流れていく。


汚れた路地。


崩れた建物。


灰色の空。


全部、見慣れた景色だ。


ノアは窓へ頬杖をつきながら、小さく息を吐いた。


「……行くか。」


ルナが静かに頷く。


馬車は泥だらけの道を抜け、王都中心部へ向かって走り始めた。馬車が第九区を抜ける頃には、空は少し晴れ始めていた。


ノアは窓へ寄りかかりながら、外の景色をぼんやり眺める。


第九区の外側は、少しずつ空気が違った。


道が広い。


建物が崩れていない。


臭いも薄い。


人間の服が綺麗だ。


それだけで、別世界みたいだった。


「すごいな。」


ノアが素直に呟くと、向かい側のクロードが少し眉を上げた。


「……何がです?」


「全部。」


クロードは微妙な顔をする。


多分、学院側の人間にとっては当たり前の景色なのだろう。


だがノアには違う。


第九区しか知らない。


だから、王都中心部へ近づくだけで妙に落ち着かなかった。


ルナは静かに外を見ている。


赤い瞳。


その横顔には、どこか懐かしそうな色があった。


ノアは気づく。


この少女、王都を知らない感じじゃない。


むしろ逆だ。


知りすぎている。


「ルナ。」


「なに。」


「前にも来たことある?」


少し沈黙。


それから小さく答える。


「……昔。」


またそれだ。


曖昧な返答。


でも今は深く聞かなかった。


クロードが咳払いする。


「これから向かうのは、王立魔導学院中央校舎です。」


「へぇ。」


「学院では貴方の適性検査、戦闘記録確認、認識異常観測を行います。」


ノアは眉をひそめた。


「認識異常って言い方、ちょっと嫌だな。」


「正式名称ですので。」


「もっとこう、格好いい呼び方ない?」


「ありません。」


冷たい。


ノアはため息を吐いた。


クロードは手元の資料を確認しながら続ける。


「まず言っておきますが、学院内では問題行動を控えてください。」


「人を問題児みたいに。」


「違うんですか?」


「否定しづらいな。」


クロードは疲れた顔をした。


どうやら既に、ノアの情報をある程度読んでいるらしい。


第九区。


灰狼組。


変異種戦。


銀目。


危険人物扱いされても不思議じゃない。


馬車が大通りへ入る。


その瞬間、ノアは思わず身を乗り出した。


広い。


とにかく広い。


石畳。


噴水。


白い建物。


行き交う馬車。


綺麗な服を着た人々。


第九区とは全部違う。


「……すげぇ。」


ルナが小さく言う。


「田舎者。」


「だから否定できないって。」


ノアは目を輝かせながら外を見る。


パン屋。


宝石店。


魔導具店。


全部高そうだ。


第九区では、一日で盗まれそうなものばかり並んでいる。


道行く人々が、馬車の学院紋章へ気づいて視線を向ける。


その中に、ノアは混じっていた。


銀目。


薄汚れた黒外套。


場違い。


その視線が、妙にはっきり分かる。


好奇。


嫌悪。


侮蔑。


そして少しの恐怖。


《蓄積値:22》


また増えた。


ノアは小さく舌打ちする。


「……増えやすくない?」


ルナが小さく答える。


「見られてるから。」


「便利だけど面倒だな、この体質。」


クロードがこちらを見る。


「何か言いましたか?」


「独り言。」


クロードは少し怪訝そうにしたが、それ以上は聞かなかった。


やがて、馬車が大きな門の前で止まる。


ノアは窓の外を見て、少し黙った。


デカい。


白い門。


巨大な敷地。


高い塔。


中央へ浮かぶ魔導式の光。


王立魔導学院。


王都最大の教育機関。


そして。


貴族と才能ある人間だけの場所。


ノアは小さく笑った。


「……ほんと別世界だな。」


門が開く。


馬車がゆっくり中へ入った。


その瞬間。


周囲の視線が、一斉にこちらへ集まる。


学生達だった。


制服姿。


綺麗なローブ。


貴族っぽい空気。


彼らが学院馬車を見る。


そして。


窓際のノアを見る。


銀目。


第九区の服。


場違いな存在。


ざわめきが広がる。


「誰だあれ。」


「平民?」


「銀目……?」


「気味悪……。」


ノアは眉をひそめた。


聞こえている。


かなり。


《蓄積値:24》


増える。


視線の分だけ。


ノアは思わず額を押さえた。


「……面倒くさ。」


クロードが静かに言う。


「言ったでしょう。銀目は目立つと。」


「想像以上。」


馬車が中央校舎前で止まる。


クロードが先に降りた。


ノアも続く。


瞬間。


空気が変わった。


静か。


周囲の学生達が、露骨に距離を取っている。


ノアは少し笑った。


「避けられてる。」


「当然です。」


クロードが淡々と言う。


「銀目は“呪われた徴”とされることがありますから。」


「うわ偏見。」


「王都では珍しくありません。」


ノアは肩を竦める。


第九区では気にされなかった。


だが、王都では違うらしい。


その時。


前方から足音が聞こえた。


学生達がざわつく。


道を空ける。


そこを歩いてきたのは、一人の少女だった。


白銀の髪。


整った顔立ち。


青い瞳。


騎士みたいに真っ直ぐな姿勢。


学院制服の上から青い外套を羽織っている。


周囲の空気が変わる。


人気者なのだとすぐ分かった。


クロードが小さく呟く。


「……セシリア様。」


少女――セシリアは、こちらへ真っ直ぐ歩いてきた。


青い瞳がノアを見る。


その瞬間。


ノアは少しだけ驚いた。


嫌悪がない。


代わりにあるのは。


警戒。


観察。


そして。


「貴方が、ノア・アルクライトですか。」


静かな声だった。


ノアは片手を上げる。


「そうだけど。」


セシリアは銀色の瞳を真っ直ぐ見返す。


周囲の学生達がざわつく。


普通なら銀目と視線を合わせることすら避ける。


だがセシリアは逸らさなかった。


「私はセシリア・エルフォード。」


周囲がさらにざわつく。


どうやら有名人らしい。


「騎士科主席です。」


ノアは少し眉を上げた。


「へぇ、すごい人。」


「貴方の戦闘記録は確認しています。」


ノアは嫌な予感がした。


「どこまで。」


「変異種戦まで。」


「うわ。」


セシリアは少しだけ目を細める。


「一つ聞きます。」


「何。」


「貴方、あの時何をしました?」


空気が静まる。


周囲の学生達も聞き耳を立てていた。


ノアは少し考える。


そして笑う。


「俺も知りたい。」


セシリアは数秒黙った。


それから、小さく息を吐く。


「……誤魔化しているようには見えませんね。」


「よく言われる。」


その時だった。


遠くから怒鳴り声が響く。


「おい新入りぃぃ!!」


周囲が一斉に嫌そうな顔をする。


ノアが振り向く。


大柄な男が歩いてきた。


赤髪。


筋肉。


デカい。


明らかに脳筋。


しかも笑顔がうるさい。


「お前が第九区の銀目か!!」


ノアは即答した。


「誰。」


周囲が吹き出す。


男はショックを受けた顔をした。


「知らねぇのかよ!?」


「有名人?」


「アーク・ヴァンディス! 戦闘科二年首席!」


「へぇ。」


「反応薄っ!」


アークは大笑いしながらノアの肩を叩く。


痛い。


傷口直撃。


ノアの顔が歪んだ。


「痛ぁ!?」


「ん?」


「そこ怪我してる!!」


「お前面白ぇな!!」


何なんだこいつ。


セシリアが冷たい目を向ける。


「アーク、絡まないでください。」


「いいだろ別に! 面白そうじゃねぇか!」


アークはノアを見る。


その目にあるのは嫌悪じゃない。


純粋な興味。


それもかなり好戦的な。


「なぁ銀目。」


「何。」


「お前強い?」


ノアは少し考える。


「普通。」


「嘘つけ。」


アークはニヤッと笑った。


「お前、“ヤバい匂い”するぞ。」


アークはニヤニヤしたままノアを見ていた。


周囲の学生達もざわついている。


「ヴァンディス先輩が絡んでる……。」


「また始まった。」


「でも相手あの銀目だぞ。」


「危なくない?」


聞こえている。


かなり。


ノアは小さくため息を吐いた。


《蓄積値:27》


増える。


本当に面倒だ。


アークはそんなノアを見て、さらに笑みを深くした。


「なぁ、一発やろうぜ。」


「嫌。」


即答だった。


周囲が少し静まる。


アークが目を丸くした。


「即答!?」


「怪我してるし、疲れてるし、知らない筋肉と戦う理由ない。」


「筋肉って言うな!」


「じゃあ何。」


「未来の最強。」


「自称?」


「そのうち全員そう言う。」


自信がすごい。


ノアは少し呆れた。


だが嫌いじゃない。


こういう単純な人間は、第九区にもいた。


分かりやすい。


その時、セシリアが一歩前へ出る。


「アーク、やめなさい。」


「何でだよ。」


「学院前で騒ぎを起こさないでください。」


「騒ぎじゃねぇって。挨拶だ。」


「貴方の挨拶は大体壁が壊れるでしょう。」


周囲の学生達が頷いている。


前科があるらしい。


アークは不満そうに頭を掻いた。


「チッ。」


「今舌打ちしました?」


「してねぇ。」


完全にした。


ノアは少し笑う。


その時、クロードが疲れ切った顔で口を開いた。


「……とりあえず、中へ。」


学院中央校舎。


中も凄かった。


広い。


天井が高い。


床が磨かれている。


第九区の建物とは全部違う。


ノアは素直に感心した。


「掃除大変そう。」


クロードが少し振り返る。


「感想そこですか。」


「大事じゃない?」


「多分貴方だけです。」


廊下を歩いていると、周囲の視線がずっと刺さる。


銀目。


平民。


第九区。


噂。


全部混ざっている。


ノアは頭を掻いた。


「人気者って大変だな。」


ルナが小さく言う。


「調子乗ってる。」


「乗ってない。」


「ちょっと乗ってる。」


否定しづらい。


第九区では、こんな風に注目されることなんてなかった。


少しだけ気分が浮いている自覚はあった。


やがてクロードが大きな扉の前で止まる。


「こちらです。」


中へ入る。


広い部屋だった。


円形。


壁一面に魔導式。


中央には黒い水晶みたいなものが置かれている。


その周囲に、数人の大人が立っていた。


ローブ姿。


教師達だろう。


その中でも、一際目立つ人物がいた。


白髪の女性。


年齢不詳。


細い杖。


眠そうな目。


だが。


空気が違う。


ノアは instinctively 分かった。


強い。


この人、かなり強い。


女性はノアを見るなり、小さくため息を吐いた。


「……本当に銀目か。」


クロードが頭を下げる。


「連れてきました、学院長。」


周囲が静まる。


ノアは少し目を瞬かせた。


学院長。


つまり、この学院で一番偉い人。


白髪の女性――学院長エレノーラは、杖をつきながらノアへ近づいてくる。


赤い瞳。


妙に鋭い。


見透かされるような感覚があった。


「ノア・アルクライト。」


「はい。」


「第九区出身。」


「そう。」


「変異種を討伐。」


「みんなで。」


エレノーラは数秒黙る。


それから。


「嘘をつくな。」


空気が重くなった。


ノアの笑みが少し薄れる。


エレノーラは真っ直ぐ銀色の瞳を見る。


「変異種を崩したのは、お前だ。」


周囲の教師達が静まる。


クロードも黙った。


ノアは肩を竦める。


「俺もよく分かってない。」


「それは本当らしいな。」


エレノーラは小さくため息を吐く。


「面倒なものを拾った。」


ノアは少し笑う。


「ひどい。」


「事実だ。」


エレノーラは黒い水晶を指差した。


「触れろ。」


「何これ。」


「認識測定器。」


嫌な名前だ。


ノアは露骨に嫌そうな顔をした。


教師の一人が小声で呟く。


「本当に第九区の人間か……。」


「態度が。」


「図太い。」


全部聞こえている。


《蓄積値:29》


ノアは眉をひそめた。


エレノーラが気づく。


「聞こえるのか?」


「ん?」


「視線。」


ノアは少し黙る。


それから適当に誤魔化した。


「なんとなく。」


エレノーラの目が細くなる。


その反応だけで分かった。


この人、何か知ってる。


ノアはゆっくり水晶へ近づく。


黒い。


妙に嫌な色だ。


触れた瞬間。


世界が止まった。


教師達が目を見開く。


黒い水晶へ、銀色の光が走った。


次の瞬間。


バキッ。


水晶に亀裂が入る。


部屋が静まり返る。


ノアは目を瞬かせた。


「……壊れた?」


教師達がざわめく。


「馬鹿な。」


「認識干渉……?」


「いや、測定器側が拒絶した?」


クロードの顔色が悪い。


アークだけは爆笑していた。


「ハハハハハ!! 面白ぇ!!」


セシリアが額を押さえる。


「最悪です……。」


エレノーラだけが黙っていた。


赤い瞳が、真っ直ぐノアを見ている。


その視線は、警戒に近かった。


ノアは何となく察する。


多分。


自分は今、かなり面倒な存在認定された。


その時。


胸の奥が強く脈打った。


《蓄積値:31》


ノアの視界が、一瞬だけ揺れる。


黒い。


空間。


星。


嫌な感覚。


そして。


誰かの声。


『――見つけた』


ノアの呼吸が止まる。


次の瞬間。


視界が戻った。


部屋。


教師達。


学院。


全部元通り。


だが。


エレノーラだけが気づいていた。


彼女の表情が、初めて変わる。


驚愕。


そして。


「……星を見たのか?」


部屋の空気が凍った。


ノアは小さく息を呑む。


何で。


何でこの人、それを知ってる。


エレノーラは杖を強く握る。


「クロード。」


「は、はい。」


「他の教師を下がらせろ。」


空気が変わった。


教師達がざわつく。


「学院長?」


「今すぐだ。」


声が低い。


絶対に逆らわせない声だった。


教師達が慌てて部屋を出ていく。


アークは「えー」と不満そうだったが、セシリアに引きずられていった。


やがて。


部屋には、ノア、ルナ、クロード、エレノーラだけが残る。


静寂。


エレノーラはノアを見る。


「お前。」


赤い瞳が細くなる。


「何を喰った。」


「何を喰った。」


その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が変わった。


ノアは笑わなかった。


いつものように誤魔化すことも、軽口で流すこともできなかった。


喰った。


エレノーラは今、確かにそう言った。


黒牙犬との戦いで、ノアの中に流れ込んできた感覚。飢え。恐怖。支配。群れ。あれを、彼女は“喰った”と表現した。


つまり知っている。


少なくとも、何かを。


ノアはゆっくり口を開いた。


「……俺にも分からない。」


「分からないまま喰ったのか。」


「喰いたくて喰ったわけじゃない。」


「だが喰った。」


エレノーラの声は冷たかった。


責めているのではない。


確認している。


危険物の状態を調べるみたいな目だった。


ノアはその視線が少し気に入らなかった。


「さっきから喰った喰ったって、俺を化け物みたいに言うね。」


「まだ違う。」


エレノーラは即答した。


「だが、そのままならなる。」


その言葉に、ルナの指が僅かに動いた。


ノアはそれを見逃さなかった。


ルナは知っている。


やっぱり。


エレノーラも、それに気づいたらしい。


赤い瞳がルナへ向く。


「お前もいるのか。」


ルナは沈黙した。


クロードが困惑する。


「学院長……?」


「黙っていろ。」


クロードは口を閉じた。


エレノーラはルナを見て、さらに目を細める。


「白髪、赤目、認識残滓への耐性。なるほど。お前が隣にいる理由も分かった。」


ノアはルナを見る。


「説明してほしいな。」


ルナは小さく目を伏せた。


「今はまだ。」


「それ何回目?」


「ごめん。」


謝られると、逆に言い返しづらい。


ノアは小さく舌打ちした。


エレノーラが杖を鳴らす。


床に魔導式が浮かび上がる。


光の輪が部屋を包む。


「今から話すことは、この部屋の外へ漏らすな。」


ノアは肩を竦める。


「秘密の話?」


「命に関わる話だ。」


「俺の?」


「全員の。」


その一言で、空気が重くなった。


エレノーラは黒い水晶の割れた欠片を見た。


「認識測定器は、通常の魔力、精神強度、天恵反応を測る道具だ。だが、お前が触れた瞬間、測定器は“測定される側”になった。」


ノアは眉をひそめる。


「どういう意味?」


「普通は水晶がお前を読む。だが今のは逆だ。お前の中の何かが、水晶に刻まれた認識情報を喰おうとした。」


クロードの顔が青くなる。


「そんな馬鹿な……測定器には百年以上の観測記録が……。」


「だから割れた。」


エレノーラは淡々と言った。


「全てを喰われる前に自己破壊したんだ。」


ノアは自分の手を見る。


指先が少し冷たかった。


自分がそんなことをした実感はない。


ただ触れただけだ。


なのに、道具が勝手に壊れた。


いや。


壊れたのではなく、壊させたのかもしれない。


ノア自身の中にいる、あの黒い何かが。


《喰え》


脳裏に声が蘇る。


ノアは顔をしかめた。


エレノーラがそれを見逃さない。


「声が聞こえるか。」


「……たまに。」


「何と言う。」


ノアは少し黙る。


答えるべきか迷った。


だが、今さら隠しても意味がなさそうだった。


「喰え、って。」


クロードが息を呑む。


エレノーラは目を閉じた。


「やはりな。」


「知ってるの?」


ノアの声が低くなる。


エレノーラはしばらく沈黙した。


やがて、静かに言う。


「三百年前、同じ声を聞いた男がいた。」


ルナが小さく息を止めた。


ノアも黙る。


三百年前。


その言葉に、胸の奥が反応した。


黒い星が、静かに脈打つ。


エレノーラは続ける。


「彼は最初、英雄だった。飢えた民を救い、腐った貴族を倒し、戦争を止め、王国を一度まとめ上げた。人々は彼を讃えた。王と呼んだ。神と呼んだ。」


ノアは無意識に聞き入っていた。


ルナは俯いている。


その横顔が、ひどく痛そうだった。


エレノーラは言う。


「だが、彼は人々の認識を喰い続けた。感謝、恐怖、信仰、期待。全てを力に変えた。そして最後には、自分が何者だったのか分からなくなった。」


ノアの喉が少し乾く。


「その男の名前は。」


聞かなくても分かる気がした。


だが聞いた。


エレノーラは、真っ直ぐノアを見た。


「ノア・アルクライト。」


部屋が静まり返った。


クロードが目を見開く。


ノアは笑おうとした。


だが、うまく笑えなかった。


同じ名前。


同じ銀目。


同じ声。


同じ“喰う”力。


偶然と言うには出来すぎていた。


ノアはゆっくりルナを見る。


「……知ってた?」


ルナは答えない。


それが答えだった。


胸の奥で何かが冷える。


怒りではない。


裏切られた、というほどでもない。


ただ、自分の足元が急に薄くなったような感覚だった。


ノアは小さく息を吐く。


「なるほど。」


エレノーラが言う。


「星喰いの王。そう呼ばれた男だ。」


その名前を聞いた瞬間、ノアの視界が一瞬だけ揺れた。


燃える空。


黒い王冠。


泣き叫ぶ人々。


銀色の瞳。


そして誰かの声。


『まだ、終わっていない』


ノアは机へ手をついた。


ルナがすぐに近づく。


「ノア。」


「大丈夫。」


嘘だった。


全然大丈夫じゃない。


だが、ここで崩れるのは癪だった。


エレノーラはじっと見ている。


「お前は危険だ。」


「言われなくても分かった。」


「だが、排除するには早い。」


ノアは顔を上げる。


「物扱い?」


「そう聞こえたなら謝罪しよう。だが、お前は今、王国にとって放置できない存在だ。」


「殺す?」


クロードが青ざめる。


エレノーラは即答しなかった。


その沈黙だけで、ノアは理解した。


あり得るのだ。


自分を殺すという選択が。


王家や学院にとって。


ノアは静かに笑った。


「いいね。」


エレノーラの眉が動く。


「何がだ。」


「ようやく、話が大きくなってきた。」


クロードが信じられないものを見る顔をした。


ルナが少しだけ困ったように目を伏せる。


エレノーラは長くノアを見て、それから小さく息を吐いた。


「お前、性格が悪いな。」


「よく言われる。」


「だが、星喰いの王とは違う。」


ノアの笑みが少し止まる。


「分かるの?」


「少なくとも今はな。」


エレノーラは杖を引く。


床の魔導式が少し薄れる。


「星喰いの王は、最初から人々に応えようとした。救えと言われれば救い、導けと言われれば導き、王になれと言われれば王になった。お前は違う。」


「優しくないから?」


「そうだ。」


即答だった。


ノアは少し傷ついた顔をした。


「そこは否定してほしかった。」


ルナが小さく笑いそうになって、すぐに堪えた。


エレノーラは続ける。


「だが、それが救いになるかもしれん。お前は人の願いに従わない。なら、飲まれにくい。」


「褒めてる?」


「半分。」


「もう半分は?」


「危険視している。」


「正直でいいね。」


エレノーラはクロードへ視線を向けた。


「ノア・アルクライトを特別観測生として登録する。ただし通常授業への参加も許可する。」


クロードが驚いた顔をした。


「学院長、本気ですか?」


「隔離すれば腐る。隠せば増える。こういう手合いは、人の中へ置いた方がまだ監視しやすい。」


ノアは口元を歪める。


「俺、菌みたいな扱い?」


「似たようなものだ。」


「ひどい。」


エレノーラはノアを見る。


「ただし条件がある。」


「何。」


「力を使ったら報告しろ。声が増えたら報告しろ。夢を見たら報告しろ。ルナを遠ざけるな。そして学院内で不用意に貴族を煽るな。」


ノアは少し考える。


「最後だけ自信ない。」


クロードが頭を抱えた。


エレノーラの杖がノアの額を軽く叩いた。


「小僧。」


「痛い。」


「ここは第九区ではない。お前の軽口一つで家同士の争いになることもある。」


「面倒すぎる。」


「王都とはそういう場所だ。」


ノアは肩を竦めた。


正直、かなり面倒だ。


だが。


面白くもあった。


第九区とは違う戦い。


腕力だけじゃない。


嘘、権力、家名、噂、視線、認識。


全部が武器になる世界。


ノアの胸の奥が微かに熱くなる。


《蓄積値:34》


増えた。


エレノーラが目を細める。


「今、増えたな。」


「分かるの?」


「顔に出ている。」


「みんなそれ言うな。」


ルナが横で頷いた。


ノアはため息を吐いた。


エレノーラは扉へ向かう。


「クロード。入学手続きを進めろ。セシリアとアークには通常通り接触させて構わん。むしろ見張りに使える。」


「承知しました。」


「ルナ。」


呼ばれたルナが顔を上げる。


「お前の所属は後で処理する。しばらくノアの同行者扱いだ。」


ルナは小さく頷いた。


ノアは少し意外そうにする。


「ルナも学院?」


「……多分。」


「適当。」


「ノアに言われたくない。」


エレノーラが扉を開ける直前、もう一度振り返った。


「ノア。」


「はい。」


「お前が何者かは、まだ決まっていない。」


その言葉は妙に重かった。


「星喰いの王の再来か。別の何かか。ただの第九区の悪ガキか。それを決めるのは、今のお前だ。」


ノアは少し黙る。


それから笑った。


「悪ガキが一番気楽でいいな。」


エレノーラは呆れたように鼻を鳴らし、部屋を出ていった。


残されたクロードが深いため息を吐く。


「……胃が痛い。」


ノアは少し笑う。


「大変そう。」


「貴方のせいです。」


「まだ何もしてない。」


「既に測定器を一つ破壊しました。」


「触っただけ。」


「それが問題なんです。」


クロードは書類を抱え直す。


「とにかく、仮宿舎へ案内します。その後、制服と教材、簡易登録を行い、明日から授業へ参加してもらいます。」


「早いなぁ。」


「特別観測生なので。」


「便利な言葉だね、それ。」


部屋を出ると、廊下にはまだ数人の学生が残っていた。


さっき追い出されたアークとセシリアもいる。


アークは壁に寄りかかり、明らかに待っていた顔だった。


「終わったか!」


「声でかい。」


「で、何だったんだ?」


「秘密。」


「ずりぃな!」


アークは不満そうに笑う。


セシリアはノアをじっと見ていた。


「大丈夫ですか。」


ノアは少し驚く。


「心配?」


「貴方が暴走すると学院が危ないので。」


「素直じゃないな。」


「本心です。」


たぶん本心だ。


でも、それだけでもない気がした。


ノアはそれを何となく感じ取る。


《蓄積値:35》


また微かに増える。


セシリアの視線。


警戒。


興味。


そして少しだけ、認めたような感情。


ノアは胸を押さえた。


慣れない。


人の視線が見えるのは、やっぱり気持ち悪い。


ルナが横から小さく言う。


「無理しないで。」


「してない。」


「嘘。」


「最近バレるの早くない?」


「顔。」


ノアは額を押さえた。


アークが割り込んでくる。


「なぁ銀目、明日暇か?」


「授業じゃないの。」


「授業後!」


「何する気。」


「模擬戦。」


ノアは即答した。


「嫌。」


「また即答!?」


「怪我してるし。」


「治れば?」


「治っても嫌。」


「何でだよ!」


「お前と戦うと壁壊れそうだから。」


セシリアが冷たく言う。


「壊れます。」


「壊す前提で話すな!」


周囲の学生達が少し笑う。


ノアはその空気を感じた。


さっきまでの嫌悪や警戒だけじゃない。


ほんの少し、興味が混ざった。


第九区の銀目。


学院長に呼ばれた異物。


アークに絡まれ、セシリアに話しかけられた少年。


その認識が広がっていく。


ノアは小さく笑った。


本当に、面倒な場所だ。


でも。


悪くない。


クロードに案内された宿舎は、これまた別世界だった。


綺麗な部屋。


柔らかいベッド。


机。


窓。


個人用の洗面台。


ノアは部屋へ入るなり立ち止まった。


「ここ、俺一人?」


クロードが怪訝そうに見る。


「当然です。」


「広すぎない?」


「標準です。」


第九区の自室より三倍は広い。


ノアは少しだけ落ち着かなかった。


ルナは隣の部屋を与えられるらしい。


本人は特に不満もなさそうだった。


クロードが制服を置く。


「明日の朝、迎えに来ます。問題を起こさないように。」


「努力する。」


「その返事が一番不安です。」


クロードは疲れた顔で去っていった。


部屋に一人残されたノアは、ベッドへ腰を下ろした。


沈む。


柔らかい。


逆に寝づらそうだ。


窓の外を見ると、学院の庭が見えた。


整えられた芝生。


魔導灯。


遠くの訓練場。


第九区とは何もかも違う。


ノアはしばらく黙っていた。


その時、胸の奥が脈打つ。


《蓄積値:36》


《第一段階、安定率:12%》


「……段階?」


新しい言葉。


ノアは眉をひそめる。


声はもう聞こえない。


ただ、数字だけが残っている。


ノアはベッドへ仰向けに倒れた。


天井が綺麗だ。


雨漏りもない。


変な感じだった。


そのまま目を閉じる。


だが眠れない。


脳裏には、黒い星が浮かぶ。


星喰いの王。


ノア・アルクライト。


同じ名前。


同じ銀目。


同じ“喰う”力。


自分は何なのか。


まだ分からない。


でもエレノーラは言った。


まだ決まっていない。


なら。


決めればいい。


他人に決めさせるんじゃなく。


自分で。


ノアは目を開ける。


小さく笑った。


「悪ガキでいいか。」


その声は、静かな部屋に溶けた。


同じ頃。


学院の高塔。


エレノーラは一枚の報告書を王都中央へ送っていた。


《対象:ノア・アルクライト》

《銀目》

《第九区出身》

《認識捕食現象を確認》

《星視反応あり》

《星喰いの王との名称一致》


筆が一瞬止まる。


エレノーラは深く息を吐き、最後の一文を書いた。


《即時排除は推奨せず》

《観測継続》

《危険度:未知》


窓の外では、学院の灯りが夜に沈んでいた。


そして遠く、王都のどこかで。


黒いローブの男が、静かに笑っていた。


「銀目が、学院へ入った。」


その声に、別の影が答える。


「星は目覚めたか。」


「まだ幼い。」


「なら育てろ。」


「喰わせるのか。」


「そうだ。」


黒い影は、夜空を見上げた。


雲の切れ間に、かすかに星が見えている。


「今度こそ、星喰いの王を完成させる。」


学院の夜は静かだった。


けれどノアはまだ知らない。


この静けさが、第九区の騒がしさよりもずっと危険だということを。


朝。


王立魔導学院の鐘が鳴った。


重く澄んだ音が、広い敷地全体へ響き渡る。


ノアは布団へ顔を埋めたまま呟いた。


「……うるさ。」


第九区に鐘なんてない。


朝は怒鳴り声か喧嘩の音で始まる。


だから逆に、この綺麗すぎる音が落ち着かなかった。


扉が叩かれる。


「ノア。」


ルナの声。


ノアは布団から顔だけ出す。


「なに。」


「起きて。」


「眠い。」


「クロード来る。」


ノアは一秒で起きた。


あの胃痛を抱えた学院職員に朝から怒られるのは面倒だ。


急いで制服へ着替える。


黒を基調にした学院制服。思ったより動きやすい。だが、鏡に映った自分を見てノアは少し変な顔をした。


「似合わな。」


ルナがじっと見る。


「意外と似合う。」


「ほんと?」


「顔はいいから。」


「褒め方雑だな。」


ルナは少しだけ笑った。


その時、扉が開く。


クロードだった。


開口一番、ため息。


「……本当に起きていた。」


「信用低くない?」


「第九区出身の時点で諦めています。」


ひどい。


クロードは書類を抱え直す。


「今日は基本授業の見学、簡易適性確認、戦闘科仮登録があります。」


「仮登録?」


「正式配属前の確認です。」


「へぇ。」


クロードはノアをじっと見る。


「絶対に問題を起こさないでください。」


「努力はする。」


「その返事もう聞き飽きました。」


廊下へ出る。


朝の学院は人が多かった。


学生達が次々と移動している。制服の色も少し違う。騎士科、魔導科、研究科、治癒科。分野ごとに分かれているらしい。


そして。


ノアが歩くだけで、空気がざわつく。


「銀目だ。」


「昨日の。」


「変異種倒したって本当?」


「でも平民だろ?」


「第九区出身らしい。」


視線。


好奇心。


侮蔑。


期待。


全部混ざる。


《蓄積値:39》


ノアは眉をしかめた。


増える速度が上がっている。


クロードが小声で言う。


「人気ですね。」


「悪い意味でな。」


「学院では噂が広がるのが早いんです。」


「面倒。」


「同感です。」


クロードは本気で疲れていた。


中央廊下を抜けた瞬間、前方から騒がしい声が聞こえた。


「いたァ!!」


アークだった。


朝からうるさい。


周囲の学生達が露骨に避けている。


ノアは即座に踵を返した。


「逃げるなァ!!」


「朝から暑苦しい!」


アークが大股で近づいてくる。


今日も筋肉だった。


「戦闘科来るんだろ!?」


「予定では。」


「じゃあ模擬戦しようぜ!」


「授業前に?」


「今なら誰もいねぇ!」


「いるよ。めちゃくちゃ。」


アークは気にしない。


本当に脳筋らしい。


その時、後ろから冷たい声。


「朝から騒がないでください。」


セシリアだった。


青い瞳がアークへ向く。


アークが露骨に嫌そうな顔をする。


「お前またいるのか。」


「学院なので。」


正論だった。


セシリアはノアを見る。


昨日と違い、今日は学院制服姿だった。白銀の髪が朝日に反射して妙に目立つ。


「おはようございます。」


「おはよ。」


「眠そうですね。」


「眠い。」


「緊張感がない。」


ノアは少し笑う。


「あるけど顔に出ないだけ。」


「逆です。全部顔に出ています。」


最近みんなそれ言う。


ノアは少し傷ついた。


アークが割り込んでくる。


「で!? 戦うのか!?」


「まだ言ってる。」


「戦闘科だぞ! 戦わなきゃ始まらねぇ!」


セシリアがため息を吐く。


「貴方は少し黙ってください。」


「何でだよ!」


騒がしい。


だが、その空気の中で。


ノアは微かに違和感を覚えた。


視線。


今までと違う。


悪意が混ざっている。


ノアは自然にそちらを見る。


廊下の奥。


数人の貴族学生がこちらを見ていた。


高そうな制服。


装飾。


見下すような目。


その中心にいる金髪の男が、露骨に眉をひそめる。


「……本当に入れたのか。」


空気が少し変わった。


周囲も気づく。


クロードが小さく舌打ちした。


「面倒なのに見つかりましたね……。」


ノアは聞く。


「有名人?」


「アルベルト・リオグランデ。上級貴族です。」


「長い。」


「貴族は名前が長いんです。」


アルベルトがこちらへ歩いてくる。


視線は完全にノアへ固定されていた。


嫌悪。


侮蔑。


そして少しの警戒。


ノアはその感情が分かってしまう。


《蓄積値:41》


また増えた。


アルベルトはノアの前で止まる。


「君がノア・アルクライトか。」


「そうだけど。」


「第九区出身。」


「うん。」


「平民。」


「まぁ。」


「銀目。」


「そこは生まれつき。」


アルベルトの眉が寄る。


多分、もっと萎縮すると思っていたのだろう。


ノアはいつも通りだった。


第九区で生きていると、貴族程度で緊張しない。


ガルドの方が怖い。


アルベルトは冷たく言う。


「学院の格が落ちたな。」


周囲が静まる。


クロードが頭を抱えた。


「始まった……。」


アークが逆に楽しそうな顔をする。


セシリアは露骨に機嫌が悪くなっていた。


ノアは少し考える。


それから素直に聞いた。


「学院ってそんな高級だったんだ。」


一瞬、空気が止まった。


アークが吹き出す。


「ハハッ!!」


周囲も少し笑う。


アルベルトの顔が引き攣った。


「貴様……!」


「いや、だって昨日来たばっかだし。」


「問題はそこではない!」


「めんど。」


ノアは本音で言った。


アルベルトのこめかみに血管が浮く。


セシリアが一歩前へ出る。


「アルベルト。やめなさい。」


「セシリア、お前は黙っていろ。」


「学院長命令です。この件への不必要な干渉は禁止されています。」


アルベルトが眉をひそめる。


「……学院長が?」


空気が少し変わる。


エレノーラの名前は重いらしい。


だが、それでもアルベルトは引かなかった。


「ならなおさら危険だ。こんな得体の知れない平民を学院へ置くなど――」


その瞬間。


ノアの胸の奥が脈打った。


《認識偏向を確認》


知らない言葉。


視界が、一瞬だけ変わる。


アルベルトの感情が見えた。


見下し。


恐怖。


排除したいという意識。


そして。


“自分より下であってほしい”という認識。


ノアは思わず笑いそうになった。


分かりやすすぎる。


その瞬間、アルベルトがビクリと身体を震わせた。


周囲も少しざわつく。


「……何だ?」


アルベルトの顔色が変わる。


今、一瞬だけ。


ノアへ抱いていた“格下”という認識が揺らいだ。


本能的な危機感へ変わった。


ノア自身、何をしたのか分からない。


ただ、相手の認識へ少し触れただけ。


だが。


効いてしまった。


アルベルトは一歩下がる。


それに自分で気づき、顔を赤くした。


「き、貴様……!」


ノアは少し困った顔をした。


「俺まだ何もしてないんだけど。」


本当にしてない。


アークが目を輝かせる。


「今の何だ!?」


セシリアも鋭い目で見ていた。


クロードだけが青ざめている。


「やめてください本当に……。」


ノアは額を押さえた。


《蓄積値:44》


増える。


視線が集まるほど。


認識されるほど。


胸の奥の黒い何かが、少しずつ大きくなっていく。


その感覚に、ノアは小さく舌打ちした。


ノアが舌打ちした瞬間、周囲の空気がまた少し変わった。


アルベルトは完全に警戒している。


だが、それ以上に周囲の学生達がざわついていた。


「今の見たか?」


「アルベルトが下がった……?」


「威圧?」


「魔術じゃないよな……。」


視線。


興味。


恐怖。


期待。


全部が流れ込んでくる。


《蓄積値:46》


ノアは眉間を押さえた。


頭が少し痛い。


アークがそんなノアを見て、楽しそうに笑う。


「やっぱお前おもしれぇな!」


「楽しそうで何より。」


「戦えって!」


「それしか言わないなお前。」


セシリアが小さくため息を吐いた。


「アルベルト。もう行きなさい。」


アルベルトはノアを睨み続けていた。


プライドが高いのだろう。


周囲の前で一歩下がったのが相当効いている。


だが、それでも無理に突っ込んではこなかった。


本能的に理解したのかもしれない。


目の前の銀目が、自分の理解の外にいることを。


アルベルトは低く言う。


「……学院長が何を考えているか知らないが、お前のような存在は必ず問題を起こす。」


ノアは肩を竦める。


「今のところ、お前の方が絡んできてるけど。」


周囲から笑いが漏れる。


アルベルトの顔がさらに歪んだ。


だが、セシリアの視線に気づき、最後には舌打ちして去っていく。


取り巻き達も慌てて続いた。


空気が少し緩む。


クロードが深く息を吐いた。


「初日からこれですか……。」


「俺悪くなくない?」


「半分くらいは。」


「理不尽。」


アークが大笑いする。


「ハハハ! 気に入った!」


「俺は気に入ってない。」


「よし戦おうぜ!」


「話戻るなぁ。」


セシリアが額を押さえた。


「もう授業の時間です。行きますよ。」


クロードが慌てて頷く。


「そ、そうですね! ノア、こちらへ!」


ノアは最後にアルベルト達の背中を見た。


嫌な感じが残っている。


多分、あれで終わらない。


王都の貴族は、第九区より面倒かもしれない。


ガルドの言葉を思い出しながら、ノアは小さくため息を吐いた。


戦闘科訓練場。


そこは学院内でも特に広い場所だった。


巨大な石造りの闘技場。


魔導障壁付き。


周囲には観客席まである。


ノアは素直に感心した。


「無駄にデカい。」


アークが聞き逃さない。


「無駄じゃねぇ! 男の夢だろ!」


「夢だったんだ。」


「訓練場はデカければデカいほどいい!」


「脳筋理論。」


戦闘科の学生達が次々と集まってくる。


そして当然のように、ノアへ視線が集まった。


銀目。


第九区。


特別観測生。


噂の中心。


《蓄積値:48》


また増える。


ノアは少しうんざりした。


セシリアがその様子を見る。


「……慣れていないんですか。」


「何に。」


「視線。」


ノアは少し考え、それから答えた。


「第九区じゃ、ここまで見られない。」


「有名人では?」


「悪い意味では。」


「今も大差ないと思います。」


「否定できない。」


その時、訓練場の中央へ教師が現れた。


大柄な男。


短髪。


顔に傷。


いかにも戦闘狂。


男は周囲を見渡し、ノアを見つけるなり笑った。


「お前が例の銀目か。」


「例のって何。」


「学院中で噂だ。」


最悪だ。


教師は名乗る。


「戦闘科主任、バルガスだ。」


ノアは少しだけ警戒する。


強い。


ガルドに近い空気。


真正面から殴り合うタイプだ。


バルガスはニヤッと笑う。


「今日は簡単な実力確認をする。」


アークが即座に手を上げた。


「俺やる!」


「お前は黙ってろ。」


「何でだよ!?」


「壊れるからだ。」


「誰が!?」


「訓練場が。」


周囲が笑う。


どうやら本当に前科持ちらしい。


バルガスはノアを見る。


「銀目。」


「名前で呼んで。」


「ならノア。」


「うん。」


「お前、武器は。」


ノアは腰のナイフを見せる。


周囲がざわつく。


「ナイフだけ?」


「嘘だろ。」


「戦闘科だぞ?」


バルガスですら少し眉を上げた。


「本気か。」


「使い慣れてるから。」


第九区では、大きな武器なんて持ち歩けない。


狭い路地では邪魔だ。


ノアにとっては、ナイフが一番馴染む。


バルガスは数秒考え、それから笑った。


「いい。嫌いじゃねぇ。」


アークが嬉しそうに叫ぶ。


「やっぱおもしれぇ!」


セシリアが呆れている。


バルガスは木剣を一本持ち上げた。


「まずは軽く見るだけだ。」


「誰と?」


バルガスが周囲を見る。


そして。


「セシリア。」


訓練場がざわつく。


セシリア本人も少し目を見開いた。


「……私ですか?」


「ちょうどいい。お前なら加減できる。」


アークが不満そうな顔をする。


「えぇー。」


「お前は加減できねぇだろ。」


「できる!」


「壁壊した回数言うか?」


アークが黙った。


どうやら図星らしい。


セシリアは静かに前へ出る。


腰には細身の剣。


立ち姿が綺麗だった。


ノアは少し感心する。


「騎士っぽい。」


「騎士科主席なので。」


「強そう。」


「それなりには。」


セシリアは真っ直ぐノアを見る。


青い瞳。


昨日より少し柔らかい。


だが警戒は消えていない。


ノアには分かる。


《蓄積値:49》


その時だった。


胸の奥が、少し強く脈打つ。


《一定値到達》


《権能片鱗を確認》


知らない言葉。


次の瞬間、ノアの視界が揺れた。


訓練場。


学生達。


セシリア。


全部の“視線”が見える。


誰が誰をどう見ているか。


恐れ。


尊敬。


嫉妬。


期待。


それらが線みたいに繋がって見えた。


ノアは思わず息を呑む。


そして。


セシリアへ集まる大量の視線が見えた。


人気。


信頼。


憧れ。


彼女はこの学院で、“強者”として認識されている。


ノアは理解する。


認識は力になる。


なら。


そこへ触れれば。


《喰え》


黒い声。


ノアの銀色の瞳が、微かに光った。


セシリアがピクリと反応する。


「……今。」


ノアはすぐ視線を逸らした。


危ない。


何かをしそうになった。


本能的に分かった。


もし今、無意識に踏み込んでいたら。


セシリアの“認識”へ触れていた。


ノアは胸を押さえる。


息が少し荒い。


ルナが観客席から小さく呟いた。


「早い……。」


エレノーラの言葉が蘇る。


《隔離すれば腐る。隠せば増える》


つまり。


この力は、止まらない。


バルガスが気づく。


「大丈夫か。」


ノアは深呼吸した。


「……まぁ。」


セシリアは剣を構えたまま、じっとノアを見ている。


警戒が強くなっていた。


さっき何か感じたのだろう。


ノアはナイフを抜く。


空気が張り詰める。


周囲が静かになる。


アークだけが楽しそうだった。


「始まるぞ……!」


バルガスが腕を振り上げる。


「――始めろ。」


その瞬間。


セシリアが消えた。


速い。


ノアの瞳が細くなる。


青い閃光みたいだった。


次の瞬間には剣が目の前へ来ている。


ノアは咄嗟にナイフで受けた。


火花。


衝撃。


重い。


細身の剣なのに、信じられないくらい重かった。


ノアの足が石畳を滑る。


セシリアの青い瞳が揺れない。


本気ではない。


でも、かなり強い。


ノアは口元を歪めた。


「……いいね。」


学院中の視線が、二人へ集まっていた。


「……いいね。」


ノアは石畳を滑りながら笑った。


セシリアの剣は速い。


しかも綺麗だった。


無駄がない。


騎士の剣だ。


第九区の喧嘩とは全然違う。


ノアはナイフを弾かれそうになりながら、ギリギリで身体を捻る。直後、セシリアの斬撃が横を通り抜けた。


風圧だけで頬が切れる。


観客席がざわつく。


「速っ……。」


「セシリア様、本気じゃないよな?」


「相手ナイフ一本だぞ……?」


アークだけが大笑いしていた。


「もっとやれぇぇ!!」


バルガスが怒鳴る。


「うるせぇぞアーク!!」


ノアは距離を取る。


セシリアは追わない。


青い瞳が静かにこちらを見ている。


「避けますね。」


「そっちが速い。」


「まだ加減しています。」


「怖。」


本気じゃない。


それは分かる。


でもノアもまだ本気じゃない。


というより。


本気を出すと、自分でも何が起きるか分からなかった。


《蓄積値:51》


胸の奥が熱い。


視線が集まるほど、黒い何かが活性化していく。


ノアには、それが分かってしまう。


セシリアが再び踏み込む。


速い。


だが今度は見えた。


視線。


重心。


意識。


どこへ斬るか。


全部。


ノアは半歩だけ横へズレる。


剣が空を切る。


その瞬間、周囲がざわついた。


「避けた!?」


「セシリア様の剣を……?」


セシリア自身も少し目を見開く。


ノアはその隙へ入り込んだ。


近い。


ナイフを振るう。


セシリアが即座に剣で受ける。


火花。


衝撃。


ノアはそのまま後ろへ飛んだ。


セシリアが静かに言う。


「……今、見ていましたね。」


「何を。」


「剣じゃなく、“私”を。」


ノアの笑みが少し止まる。


鋭い。


かなり。


セシリアは確信し始めている。


ノアの異常性を。


《喰え》


胸の奥で声が響く。


ノアは小さく舌打ちした。


うるさい。


だが。


今なら分かる。


セシリアへ向けられている認識。


強い。


優秀。


主席。


騎士。


その認識が、彼女を形作っている。


ノアは無意識に、それへ触れそうになる。


危ない。


本能的に分かった。


触れれば、多分崩せる。


セシリアという存在を。


ノアは強引に意識を逸らした。


「……っ。」


セシリアが眉をひそめる。


「どうしました。」


「いや。」


危なかった。


本当に。


自分が自分じゃなくなる感覚があった。


観客席。


ルナが静かに見ている。


赤い瞳。


その表情は少し苦しそうだった。


アークは逆にテンションが上がっている。


「すげぇ!! セシリアとやり合ってる!!」


周囲の学生達も動揺していた。


第九区の銀目。


平民。


それが、学院主席とまともに戦っている。


あり得ない。


その認識が、少しずつ崩れていく。


《蓄積値:53》


ノアは息を吐く。


増える。


視線が増えるほど。


認識されるほど。


強くなる。


最悪の仕様だ。


セシリアが剣を構え直す。


今度は空気が違った。


真面目な顔。


完全に“敵”として見始めている。


「次、行きます。」


「どうぞ。」


セシリアが消える。


さっきより速い。


観客席から悲鳴みたいな声が上がる。


ノアは反射的に動いた。


見える。


認識が。


セシリア自身ですら無意識の、“勝つ”という意識。


そこへ、ノアは少しだけ触れる。


「……ッ!」


セシリアの動きが、一瞬だけ鈍る。


本当に一瞬。


だが十分だった。


ノアは懐へ潜り込む。


ナイフを首元へ突きつける。


空気が止まる。


セシリアの剣先も、ノアの喉元で止まっていた。


互角。


訓練場が静まり返る。


誰も喋らない。


やがて。


アークが爆笑した。


「ハハハハハ!! マジかよ!!」


周囲も一気にざわつく。


「嘘だろ……。」


「セシリア様と互角……?」


「平民が?」


「いや、銀目……。」


セシリアは動かなかった。


青い瞳が真っ直ぐノアを見る。


その視線の奥にある感情を、ノアは感じ取る。


驚き。


警戒。


そして。


興味。


ノアはナイフを下ろした。


「終わり?」


セシリアもしばらくして剣を引く。


「……ええ。」


バルガスがニヤニヤしながら前へ出てきた。


「十分だ。」


観客席がまだ騒がしい。


アークが飛び降りてくる。


「お前やっぱ強ぇじゃねぇか!!」


「疲れた。」


「次は俺な!!」


「嫌。」


「何でだよ!!」


いつもの流れになってきた。


セシリアはまだノアを見ている。


その視線が、少し変わっていた。


昨日までの“得体の知れない異物”じゃない。


危険。


だが、放置できない存在。


そんな認識。


《蓄積値:54》


ノアはまた顔をしかめた。


セシリアが気づく。


「またですか。」


「何が。」


「顔。」


最近本当に隠せなくなっている。


その時。


訓練場の端で、クロードが真っ青な顔をしていた。


手には魔導通信機。


学院本部からの緊急連絡だろう。


クロードはノアを見る。


それから深いため息を吐いた。


「……報告案件ですね。」


「何が。」


「全部です。」


クロードは本気で疲れていた。


同じ頃。


学院高塔。


エレノーラは窓から訓練場を見下ろしていた。


後ろには数人の教師。


そして。


王国直属騎士が一人。


騎士が低く言う。


「本当に危険なのですか。」


エレノーラは目を細める。


「危険だ。」


「ならなぜ飼う。」


「今殺せば、何が起きるか分からん。」


騎士が黙る。


エレノーラは静かに続ける。


「まだ人間だ。」


その言葉だけ、妙に重かった。


訓練場では、ノアがアークに肩を組まれていた。


「だから戦おうぜ!」


「暑苦しい!」


「いいだろ減るもんじゃねぇし!」


「体力は減る!」


周囲から笑いが漏れる。


セシリアは小さくため息を吐いた。


だが。


ほんの少しだけ、口元が緩んでいた。


ノア・アルクライト。


第九区の銀目。


星喰いの王と同じ名を持つ少年。


危険。


異常。


得体が知れない。


なのに。


どこか、人を惹きつける。


その認識が、学院全体へ広がり始めていた。


そして夜。


ノアは宿舎のベッドへ倒れ込んでいた。


疲れた。


本当に疲れた。


学院は第九区より静かなのに、妙に神経を使う。


視線が多すぎる。


期待も警戒も、全部見えてしまう。


ノアは額を押さえた。


《蓄積値:55》


《第一段階進行率:18%》


「……だから何なんだよ。」


誰も答えない。


窓の外を見る。


学院の夜景は綺麗だった。


第九区とは違う。


だが。


綺麗すぎて、逆に不気味だった。


その時。


コンコン。


扉が叩かれる。


「ノア。」


ルナだった。


「開いてる。」


ルナが静かに入ってくる。


手には二つのカップ。


甘い匂い。


「何それ。」


「ホットミルク。」


「急に優しい。」


「疲れてるから。」


ノアは少し笑った。


ルナはベッド横へ座る。


しばらく無言。


その沈黙は嫌じゃなかった。


やがてルナが小さく言う。


「……今日、危なかった。」


ノアは分かっていた。


セシリアの認識へ触れかけた時だ。


「無意識だった。」


「それが危ない。」


ノアはミルクを飲む。


甘い。


第九区じゃ滅多に飲めない味だった。


「俺、どうなるんだろうな。」


ルナは少し黙る。


それから。


「まだ、選べる。」


ノアは目を向ける。


ルナの赤い瞳は真っ直ぐだった。


「星喰いの王にはならない。」


小さな声。


でも確信していた。


ノアは少し笑う。


「そんな大層なもんになる気ないよ。」


「うん。」


「俺は俺だし。」


ルナは静かに頷いた。


窓の外では、星が出ていた。


黒い夜空。


遠い光。


そのどこかで。


何かが、確かにノアを見ていた。


だが今はまだ。


誰も知らない。


この少年が、王国の運命を変える存在になることを。


そして。


それが救いになるのか、終わりになるのかを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。