第七章 黒星の残響 11
雨が降り始めた。
ぽつ、ぽつ、と。
冷たい雫が石畳へ落ちる。
学院広場は混乱のままだった。
教師たちは生徒を避難させようとしている。だが、侵食された生徒は一人じゃなかった。
広場の端。
倒れていた別の生徒が、ゆっくり立ち上がる。
「おい……まただ!」
アークが顔を歪める。
立ち上がった生徒の瞳も黒い。
身体の表面へ、黒い線が浮かんでいる。
まるで裂け目の亀裂そのものだった。
レインが低く呟く。
「向こう側の残滓が広がってるな」
「残滓……?」
「門が開いた影響だ。本来なら裂け目と共に消える。だが、お前が喰ったせいで繋がりだけ残った」
ノアは舌打ちした。
「俺のせいって言いたいのか」
「事実だ」
即答だった。
ノアの眉が寄る。
だが、反論できない。
実際、黒星は今も脈打っている。
侵食体を見るたび、妙な感覚があった。
“飢え”。
黒星が、あれを喰いたがっている。
ドクン。
《蓄積値:158》
また増える。
ノアは胸元を押さえた。
その瞬間。
二体目の侵食体が動いた。
石畳を砕きながら突っ込んでくる。
速い。
普通の学院生の動きじゃない。
筋力も反応速度も、人間離れしている。
アークが前へ出る。
「させるかぁ!!」
盾が轟音を上げる。
侵食体と激突。
だが。
「っ、重っ……!?」
アークの顔が歪む。
押し切れない。
侵食体は片腕を失っているのに、それでも異常な力だった。
ノアは即座に動く。
視界が加速する。
侵食体の重心。
筋肉。
視線。
全部が見える。
ドクン。
《蓄積値:160》
黒星の脈動と同時に、世界が鮮明になる。
ノアは侵食体の側面へ回り込んだ。
短剣を振る。
ザンッ――!!
黒い線を断ち切る。
侵食体が絶叫した。
同時に、黒い霧みたいなものが傷口から噴き出す。
「なっ……!」
教師たちが目を見開く。
ノアも理解し始めていた。
侵食体の核は“黒い線”だ。
あれを断てば止まる。
侵食体が崩れる。
身体が黒い灰になって消えていく。
雨の中へ溶けるように。
静寂。
その瞬間。
黒星が歓喜した。
ドクンッ!!
《蓄積値:164》
ノアの呼吸が乱れる。
頭が痛い。
侵食体を倒すたび、黒星が強くなる。
レインがノアを見る。
赤い瞳。
その中に浮かんでいるのは警戒だった。
「適応が早すぎる」
「……何がだ」
「侵食への」
ノアは顔をしかめる。
気分の悪い言い方だった。
だが、その時。
広場全体へ、また悪寒が走った。
ズズ……。
地面の下。
何かが動いている。
アークが顔を引きつらせる。
「おい、冗談だろ……」
石畳の隙間。
そこから黒い線が広がっていた。
血管みたいに。
学院中へ。
「っ……!」
ルナが青ざめる。
「広がってます……!」
レインの表情が険しくなる。
「門の残滓が地下へ潜ったか」
「どうなる」
ノアが問う。
レインは短く答えた。
「学院全体が侵食される」
雨が強くなる。
黒い線が石畳を這い、壁を登り、校舎へ広がっていく。
遠くで悲鳴が聞こえた。
もう始まっている。
ノアは歯を食いしばった。
「……止めればいいんだろ」
レインが視線を向ける。
「簡単に言う」
「方法はあるのか」
数秒の沈黙。
やがてレインは静かに言った。
「核を潰す」
「核?」
「残滓には中心がある。向こう側と最も強く繋がった場所だ」
ノアは周囲を見る。
黒い線。
侵食。
広がり方。
その時、黒星が脈打った。
ドクン。
《蓄積値:166》
視界へ情報が流れ込む。
黒い線の流れ。
集まる場所。
中心。
“地下”。
ノアは目を細めた。
「……地下通路か」
レインの赤い瞳が僅かに動く。
「見えるのか」
「なんとなく分かる」
正確には、“黒星が教えてくる”。
気持ち悪い感覚だった。
だが、今は使うしかない。
アークが盾を持ち直す。
「行くんだろ?」
セシリアも剣を抜いた。
「止めなければ終わりです」
ルナは少し震えながら、それでも頷く。
ノアは仲間たちを見る。
みんな、逃げない。
本当に。
バカみたいに。
その時だった。
レインが静かに口を開く。
「一つ忠告しておく」
ノアが振り返る。
雨の中、銀髪が揺れていた。
「侵食核を喰えば、お前の黒星はさらに進む」
「……進む?」
「人間から遠ざかる、という意味だ」
雨音だけが響く。
ノアは数秒黙った。
そして。
「今さらだろ」
そう言って歩き出した。




