第七章 黒星の残響 10
門が消える代わりに。
黒星の中へ、“向こう側”が入ってきている。
その感覚を理解した瞬間、ノアの全身を悪寒が駆け抜けた。
「っ……!」
右手が熱い。
いや、熱いなんてものじゃない。焼けるみたいだった。黒い裂け目へ触れている右腕が、まるで別の生き物になったみたいに脈打っている。
ドクン。
《蓄積値:138》
また増えた。
裂け目は少しずつ縮んでいる。だが、その代わりに、黒い何かがノアの腕を伝って体内へ流れ込んできていた。
頭の中へ知らない景色が流れ込む。
崩れた塔。
赤黒い空。
無数の影。
巨大な黒い星。
その下で、誰かが泣いていた。
「やめ……ろ……!」
ノアは歯を食いしばる。意識を持っていかれそうになる。黒星が情報を喰っているのか、それとも逆に侵食されているのか、自分でも分からない。
その時。
銀髪の男が初めて焦ったように動いた。
「黒星持ち! 止めろ!」
「止め方なんか……!」
「それ以上喰えば、お前の人格が保たん!」
広場の空気が凍る。
アークが顔色を変えた。
「おい、それって……!」
ノアは答えられない。今は喋る余裕すらなかった。裂け目の奥から流れ込む情報量が異常すぎる。
視界が何度も切り替わる。
知らない戦場。
知らない化け物。
そして、“銀の瞳”。
自分と同じ目をした誰かが、巨大な黒い星を見上げていた。
『門を喰らう者』
声が響く。
黒星の奥から。
『星喰らい』
ノアの呼吸が止まりかける。
その瞬間だった。
裂け目の奥から、巨大な“目”が完全に開いた。
ゾワッ――と。
広場全員の背筋へ悪寒が走る。
教師たちの結界が一斉に砕けた。
「なっ……!?」
「結界が!」
目だけ。
ただ、それだけ。
なのに空間が歪む。視線を向けられた地面が黒く崩れ、存在そのものが削られていく。
銀髪の男が舌打ちした。
「最悪だ……!」
男の周囲へ、赤黒い魔力が噴き上がる。
今まで初めて見せる、本気の気配だった。
空気が震える。
広場の石畳が浮き上がり、周囲の生徒たちが悲鳴を上げる。
「全員下がれ!!」
男の怒声。
同時に、男の周囲へ無数の黒い線が走った。
空間そのものを切り裂くみたいな斬撃。
それが裂け目へ突き刺さる。
轟音。
裂け目が揺れる。
だが。
巨大な目は消えない。
むしろ、ゆっくりこちらを見ていた。
ノアを。
正確には――黒星を。
ドクン。
《蓄積値:145》
増加速度が上がる。
「っ、ぁ……!」
膝が崩れる。
意識が引きずられる。
まずい。
このままじゃ、本当に自分が消える。
その時。
誰かが、ノアの肩を掴んだ。
「銀目!」
アークだった。
「戻ってこい!!」
その声で、一瞬だけ意識が現実へ戻る。
アーク。
セシリア。
ルナ。
みんな、まだここにいる。
逃げていない。
ノアは息を荒げながら、裂け目を見る。
閉じなきゃいけない。
完全に。
今すぐ。
「黒星……!」
ノアは右手へ力を込める。
すると、黒い影がさらに広がった。
裂け目へ絡みつき、無理やり引き剥がすみたいに空間を引き寄せる。
ギギギギ、と。
耳障りな音。
裂け目の奥の巨大な目が、初めて“怒り”を見せた。
空間が震える。
広場全体へ圧力が落ちた。
生徒たちが次々倒れる。
教師ですら膝をつく。
だが、ノアは止まらない。
止まれない。
「閉じろォォォッ!!」
黒星が爆発する。
ドクンッ!!!
《蓄積値:150》
その瞬間。
裂け目が、一気に縮んだ。
巨大な目が歪む。
黒い手が崩れる。
空間の亀裂が、黒い影に飲み込まれていく。
そして。
バキンッ――!!
硝子が砕けるみたいな音と共に、裂け目が完全に消えた。
静寂。
誰も動かない。
広場には、荒れ果てた石畳と、倒れ込んだ生徒たちだけが残っていた。
ノアはその場で膝をつく。
呼吸が乱れる。
頭が痛い。
黒星の脈動が止まらない。
ドクン。
《蓄積値:151》
増えている。
まだ。
終わってない。
その時。
銀髪の男が、静かにノアの前へ立った。
赤い瞳が細められる。
「……本当に閉じたか」
ノアは睨み返す。
「なんなんだよ……これ」
男は数秒黙り、それから小さく息を吐いた。
「黒星は、“世界の外”へ繋がる門だ」
「……」
「そしてお前は、その門を喰った」
ノアの背筋が冷える。
男は続けた。
「つまりお前は、もう普通の人間じゃない」




