第七章 黒星の残響 9
ノアの喉が、ひどく乾く。
目の前では、空間の裂け目が今も広がり続けていた。
黒い亀裂の奥。
そこに“何か”がいる。
見えてはいけないもの。
理解してはいけないもの。
なのに、黒星だけは歓喜していた。
ドクン。
《蓄積値:122》
増える。
止まらない。
『喰え』
声が響く。
頭の奥。
脳へ直接流し込まれるみたいに。
ノアは奥歯を噛み締めた。
「……どうやって」
『触れろ』
簡単に言うな。
ノアは裂け目を見る。
そこから漏れてくる“気配”だけで、全身が警告を発していた。
触れたら終わる。
本能が叫んでいる。
だが。
「銀目!!」
アークの声。
振り返る。
アークは盾を構えたまま、必死に踏み止まっていた。
セシリアも剣を握っている。
ルナは震えながらも魔法陣を維持していた。
みんな、逃げていない。
ノアは小さく息を吐いた。
「……クソ」
逃げるわけにはいかない。
もし門の向こうの“何か”が出てきたら終わる。
学院も。
街も。
全部。
銀髪の男が低く言う。
「時間がない」
ノアは睨み返した。
「分かってるよ」
男は黙る。
赤い瞳が、じっとノアを見ていた。
まるで試しているみたいに。
ノアは裂け目へ向き直る。
空気が重い。
いや。
空間そのものが軋んでいる。
黒い手が、再び動いた。
ギチ……。
裂け目を押し広げるように。
さらに向こう側から、別の“何か”が覗く。
巨大な目。
暗闇の奥で、ゆっくり開いた。
「っ――」
広場の何人かが、その瞬間に倒れた。
気絶。
見ただけで精神が耐えきれなかった。
教師の一人が叫ぶ。
「見るな!! 目を合わせるな!!」
だが遅い。
広場中が混乱していた。
黒星が脈打つ。
ドクン。
《蓄積値:125》
ノアの視界が揺れる。
情報が流れ込む。
裂け目。
空間。
黒い手。
門。
そして。
“喰い方”。
ノアは息を呑んだ。
分かる。
理解したくもないのに、理解できてしまう。
黒星は“門”を閉じるんじゃない。
門そのものを取り込む。
喰って、消す。
「……狂ってる」
『だから黒星なのだ』
声が笑う。
ノアは苛立ちを覚えた。
気持ち悪い。
なのに。
身体の奥では、妙な高揚感もあった。
裂け目を前にして、黒星は喜んでいる。
まるで飢えた獣みたいに。
ノアはゆっくり短剣を握り直した。
その瞬間。
銀髪の男が、初めて少しだけ目を見開く。
「……まさか」
ノアは前へ出る。
アークが叫んだ。
「おい銀目! 何する気だ!!」
「閉じる」
「どうやって!?」
ノアは答えない。
答えられない。
自分でも分かっていない。
ただ。
“できる”という感覚だけがあった。
黒星が脈打つ。
ドクン。
《蓄積値:127》
ノアは裂け目の前まで辿り着く。
冷たい。
近づくだけで、体温が奪われていく。
裂け目の奥。
巨大な“何か”が動いた。
見える。
輪郭が。
巨大すぎる。
黒い。
星みたいな形。
いや。
“目”だ。
巨大な瞳が、裂け目の向こうからこちらを見ている。
ノアの呼吸が止まりそうになる。
その瞬間。
黒星が爆発するみたいに脈打った。
ドクンッ!!!
《蓄積値:130》
視界が黒へ染まる。
ノアの右手が、勝手に動いた。
裂け目へ触れる。
瞬間。
広場全体が震えた。
「っ!?」
轟音。
いや、音じゃない。
空間が悲鳴を上げている。
裂け目が暴れる。
黒い手が狂ったように蠢く。
だが。
ノアの右手から、黒い何かが広がっていた。
影。
液体みたいな黒。
それが裂け目へ絡みつく。
『喰らえ』
声。
同時に。
ノアの視界へ、膨大な情報が流れ込んだ。
知らない景色。
知らない空。
崩壊した都市。
黒い星。
無数の化け物。
頭が壊れそうになる。
「がっ……ぁ……!!」
膝をつく。
痛い。
脳が焼ける。
だが、黒星は止まらない。
裂け目を、喰っている。
ギチギチ、と。
黒い亀裂が、少しずつ縮み始めた。
広場がどよめく。
「閉じてる……!?」
「なんだ、あれ……!」
教師たちですら理解できていない。
銀髪の男だけが、静かにノアを見ていた。
赤い瞳。
その中へ初めて、“警戒”が浮かんでいた。
ノアは息を荒げる。
《蓄積値:135》
増え続ける。
嫌な予感がした。
これは閉じているんじゃない。
“取り込んでいる”。
つまり。
門が消える代わりに。
黒星の中へ、“向こう側”が入ってきている。




