第七章 黒星の残響 8
空間が割れる。
まるで硝子に亀裂が走るみたいに。
広場の空気へ、黒い線が走った。
「なっ……」
ノアの思考が一瞬止まる。
次の瞬間。
亀裂の奥から、“手”が伸びた。
黒い。
細い。
人間みたいな形。
だが、人間じゃない。
指が異様に長い。
皮膚の表面が揺れている。
輪郭が曖昧だ。
まるで“影”そのものが形を持ったみたいだった。
広場中が悲鳴に包まれる。
「ば、化け物……!」
「なんだアレ……!」
教師たちが一斉に動く。
結界魔法。
防御陣。
拘束術式。
だが。
黒い手が動いた瞬間、それら全部が砕けた。
「っ!?」
魔法が壊れた。
いや、違う。
“消えた”。
男の力と同じ。
空間ごと削除されている。
ノアの背筋を冷たい汗が流れる。
《蓄積値:117》
急増。
黒星が暴れている。
いや――。
喜んでる。
ノアは奥歯を噛み締めた。
ふざけるな。
こんなの、自分の力じゃない。
その時。
銀髪の男が初めて表情を変えた。
驚き。
ほんの少しだけ。
「……門が開いた?」
低い呟き。
ノアは聞き逃さなかった。
門。
さっきも言っていた。
黒星は“門”だと。
つまり。
これが。
門の先。
黒い手がさらに這い出てくる。
ギチギチ、と。
空間を軋ませながら。
周囲の生徒たちは完全に恐慌状態だった。
逃げる者。
腰を抜かす者。
泣き出す者。
アークだけは前へ出る。
「銀目!!」
盾を構える。
セシリアも剣を抜く。
ルナも震えながら魔法陣を維持していた。
ノアは叫ぶ。
「来るな!!」
三人が止まる。
ノアは黒い手を見た。
理解できる。
あれはまずい。
触れたら終わる。
本能がそう告げている。
その瞬間。
黒い手が動いた。
速い。
空間を滑るように伸びる。
狙いは――。
ルナ。
「っ!」
ノアは反射で飛び出していた。
間に入る。
黒い手が目前まで迫る。
瞬間。
黒星が、爆発するみたいに脈打った。
ドクン!!!
《蓄積値:120》
視界が黒く染まる。
世界が遅くなる。
ノアは見た。
黒い手の“流れ”。
どこから伸び。
どう動き。
何を認識しているか。
分かる。
いや、理解させられている。
ノアは短剣を振った。
普通の刃。
ただの鉄。
なのに。
黒い手が、“斬れた”。
ザンッ――!!
黒い液体みたいなものが飛び散る。
絶叫。
耳を塞ぎたくなるような異音。
空間そのものが悲鳴を上げているみたいだった。
広場の全員が硬直する。
銀髪の男ですら目を見開いていた。
「……斬った?」
ノア自身も理解できていない。
今の感覚。
自分が斬ったんじゃない。
黒星が、“斬らせた”。
黒い手が痙攣する。
その瞬間。
空間の亀裂がさらに広がった。
バキバキ、と。
裂け目の向こう側。
“何か”がいる。
巨大。
暗い。
見えない。
なのに。
そこにいると分かる。
ノアの呼吸が止まりかける。
ヤバい。
本当に。
ヤバい。
その時だった。
銀髪の男が、初めて焦った声を出す。
「おい、黒星持ち」
ノアは振り返る。
男は赤い瞳を細め、亀裂を睨んでいた。
「今すぐ門を閉じろ」
「……できるわけないだろ!」
「できなければ学院ごと消える」
空気が凍った。
アークが顔を引きつらせる。
「はぁ!?」
セシリアも絶句している。
ルナは青ざめていた。
だが男は冗談を言っていない。
ノアにも分かった。
裂け目の向こう。
あれが本当に出てきたら終わる。
学院どころじゃない。
街ごと消える。
黒星が脈打つ。
《蓄積値:121》
ノアは歯を食いしばった。
閉じる方法なんて知らない。
だが。
頭の奥で。
声が聞こえる。
『喰え』
あの声。
黒星の中の声。
『喰えば閉じる』
ノアの背筋が凍る。
「……何を」
『門を』
意味が分からない。
だが。
直感だけはあった。
できる。
そして、それをやった瞬間。
もう普通には戻れない。




