第七章 黒星の残響 6
黒。
世界が、消えた。
音も。
光も。
感覚すら。
何もない。
ただ、黒だけが広がっている。
ノアは自分が立っているのか、落ちているのかすら分からなかった。
呼吸も曖昧だ。
身体の感覚が遠い。
だが、不思議と恐怖はなかった。
代わりに――懐かしさがある。
「……なんだよ、ここ」
声を出したつもりだった。
しかし音は響かない。
黒の中へ吸い込まれる。
その時。
『百に届いたか』
声。
あの声だ。
夢の中で聞いた声。
戦闘中に聞こえた声。
黒星の奥から響く声。
ノアは周囲を見渡した。
「出てこい」
『まだ早い』
「ふざけんな。お前、何なんだ」
数秒の沈黙。
やがて、黒の奥で何かが揺れた。
“目”。
巨大だった。
暗闇の中で、ゆっくり開く。
銀色の瞳。
ノアの背筋が凍る。
自分と同じ銀。
だが、もっと深い。
もっと古い。
人間じゃない。
本能が理解する。
『器にしては上出来だ』
「器……?」
『黒星をここまで育てた者は久しい』
意味が分からない。
だが、ひとつだけ理解できた。
これは黒星そのものだ。
いや。
正確には、“黒星の中にいる何か”。
ノアは睨み返した。
「俺の中に勝手に住んでる奴に褒められても嬉しくない」
『強がるか』
「強がってるわけじゃない。気持ち悪いんだよ、お前」
銀の瞳が細くなる。
『面白い』
その瞬間。
黒い空間へ無数の光景が浮かび上がった。
燃える街。
崩れる塔。
血。
無数の死体。
そして――。
巨大な“黒い星”。
空に浮かぶ、それ。
見上げるだけで吐き気がする。
理解できない。
なのに、本能だけが叫んでいた。
見てはいけない、と。
『いずれお前は選ぶことになる』
声が響く。
『喰われるか』
黒星が脈打つ。
『喰う側になるか』
瞬間。
ノアの視界が戻った。
「っ……!」
膝をつく。
石畳。
時計塔前。
現実へ戻ってきた。
「ノア!」
ルナが駆け寄る。
アークもセシリアも、緊張した顔でこちらを見ていた。
ノアは息を荒げる。
心臓が異常な速度で脈打っていた。
「銀目! 大丈夫か!?」
「……あぁ」
そう答えたが、全然大丈夫じゃない。
頭の中に、まだ“あの光景”が焼き付いている。
黒い星。
あれは何だ。
黒星の正体なのか。
それとも――。
「へぇ」
前方。
銀髪の男が、少し驚いたように目を細めていた。
「百到達で意識を保つか」
ノアの目が鋭くなる。
「……お前、知ってるのか」
男は静かに笑った。
「当然だ」
一歩。
また近づいてくる。
周囲の生徒たちは完全に動けなくなっていた。
教師たちすら、まだ来ない。
いや――。
来られない。
この男の放つ圧力が異常すぎる。
「その黒星は“門”だ」
男が言う。
「世界の外側へ繋がる門」
意味不明だった。
だが、冗談には聞こえない。
ノアはゆっくり立ち上がる。
短剣を握る。
男は続けた。
「本来、黒星は人間には扱えない」
「……」
「だが、お前は適応している」
黒星が脈打つ。
ドクン。
《蓄積値:101》
増えた。
ノアは舌打ちする。
「勝手に増えるなよ……」
男が目を細める。
「見えるのか?」
しまった、とノアは思った。
だが遅い。
男は明らかに反応していた。
「蓄積値を認識できるのか」
ノアは何も答えない。
だが、その沈黙だけで十分だったらしい。
男は小さく笑った。
「なるほど。予想以上だ」
その瞬間。
ゾッ――と。
悪寒。
ノアは反射的に横へ飛ぶ。
直後。
今まで立っていた場所が“消えた”。
爆発じゃない。
斬撃でもない。
空間そのものが削り取られている。
広場の石畳が綺麗に消失していた。
アークが青ざめる。
「は……?」
セシリアも絶句している。
ノアだけが理解していた。
今のは“攻撃”ですらない。
たぶん、触れただけ。
それだけで空間が消える。
男は首を傾げた。
「勘もいい」
ノアは短剣を握り直す。
冷や汗が止まらない。
逃げるべきだ。
本能が叫んでいる。
だが。
「……逃げたら終わる」
小さく呟く。
ここで背中を向ければ、仲間が死ぬ。
アークも。
ルナも。
セシリアも。
だから。
ノアは前を見る。
男の赤い瞳を、真っ直ぐ見返した。
その瞬間。
男が、初めて笑った。
「いい目だ」
黒星が、歓喜するように脈打った。




