第七章 黒星の残響 5
時計塔の最上部。
そこに立つ人影を見た瞬間、広場の空気が凍った。
風が吹く。
高所を抜ける冷たい風。
その中で、黒い外套だけがゆっくり揺れていた。
顔は見えない。
距離が遠い。
だが――。
“見られている”。
ノアは直感した。
相手は最初から、ずっと見ていた。
模擬戦も。
戦闘も。
黒星の脈動も。
全部。
ドクン。
黒星が脈打つ。
今までで一番強く。
視界が揺れた。
《蓄積値:91》
また増える。
ノアは眉を寄せた。
おかしい。
視線を向けられるだけで増えている。
まるで、黒星が“認識”を喰っているみたいだ。
「……誰だ」
アルベルトが顔を引きつらせながら呟く。
周囲の生徒たちもざわつき始める。
「あれ、教師か……?」
「いや、違う……」
「なんだ、あの魔力……」
空気が重い。
ただ立っているだけなのに、全員が本能的に理解していた。
危険だと。
ノアは時計塔を見上げたまま動かない。
黒星が反応している。
つまり、関係者だ。
少なくとも、“普通”じゃない。
その時。
人影が、動いた。
一歩。
塔の縁から前へ出る。
「っ!?」
誰かが息を呑む。
普通なら落ちる高さ。
だが。
次の瞬間。
人影は“落ちなかった”。
空中へ、静かに立った。
広場がどよめく。
浮遊魔法。
いや、違う。
魔力の流れが見えない。
詠唱もない。
杖もない。
ありえない。
ノアの目が細くなる。
その人物は、空中を歩くようにゆっくり降りてくる。
静かに。
ゆっくり。
まるで重力そのものを無視しているみたいに。
やがて、広場の中央へ降り立った。
黒い外套。
銀色の髪。
そして――。
赤い瞳。
「……は?」
アークが呆然と声を漏らす。
ノアも、一瞬だけ思考が止まった。
銀。
自分と同じ色。
いや、少し違う。
もっと冷たい。
もっと鋭い。
まるで刃物みたいな銀色だった。
男は周囲を一切見ない。
真っ直ぐ。
ノアだけを見ている。
ドクン。
黒星が激しく脈打つ。
《蓄積値:95》
増加が止まらない。
ノアは奥歯を噛み締めた。
危険だ。
本能が叫んでいる。
この男はまずい。
「……やっと見つけた」
男が口を開く。
低い声。
静かな声。
なのに、広場全体へ響いた。
周囲の生徒たちが息を呑む。
ノアは短剣を握る。
「誰だ、お前」
男は答えない。
代わりに、ゆっくり視線を落とした。
ノアの胸元へ。
黒星がある場所。
その瞬間。
男の口元が、微かに歪んだ。
「やはり、“黒星”はお前に宿っていたか」
広場が静まり返る。
アークたちが驚いた顔でノアを見る。
アルベルトですら動けない。
黒星。
その名前を、知っている。
ノアの背筋を冷たいものが走る。
「……なんで知ってる」
男は静かに答えた。
「知っているさ」
一歩。
男が近づく。
「それは元々、“こちら側”の力だ」
意味が分からない。
だが。
黒星が暴れ始める。
ドクン。
ドクン。
視界が黒く染まりかける。
ノアは反射的に後ろへ飛んだ。
その瞬間。
男がいた場所の石畳が“消えた”。
轟音すらない。
ただ、空間ごと抉り取られたように地面が消失している。
広場が悲鳴に包まれる。
「なっ……!?」
「おい、今の……!」
「魔法じゃない……!」
アークが叫ぶ。
「銀目ぇぇぇ!!」
ノアは着地しながら男を見る。
理解不能。
攻撃動作が見えなかった。
詠唱も。
魔力も。
気配すら。
なのに、地面が消えた。
男は静かに首を傾ける。
「避けるか」
まるで感心したみたいに。
ノアの全身へ冷や汗が流れる。
勝てるとか、勝てないとか。
そういう次元じゃない。
格が違う。
だが。
「ノア!!」
ルナの声。
「下がってください!」
セシリアが剣を抜く。
アークも盾を構える。
仲間たちが前へ出る。
その瞬間。
ノアの中で、何かが切り替わった。
恐怖。
焦り。
混乱。
全部が消える。
代わりに、思考が研ぎ澄まされていく。
黒星の脈動が加速する。
《蓄積値:100》
――到達。
その瞬間だった。
ノアの視界が、完全に黒へ染まった。




