第七章 黒星の残響 4
時計塔前の広場に、重たい静寂が落ちる。
周囲を囲む生徒たちは誰も喋らない。
息を呑み、ただ成り行きを見守っていた。
学院でも有名な上級貴族、アルベルト・リオグランデ。
対するのは、第九区出身の銀目の少年。
しかも、一対多数。
普通なら勝負にならない。
誰もがそう思う。
だが。
「……始めないの?」
ノアの一言で、空気が変わった。
挑発。
それも、完全に相手を見下した言い方だった。
アルベルトのこめかみに血管が浮かぶ。
「貴様……!」
激昂。
ノアは心の中で小さく息を吐いた。
やっぱり簡単だ。
怒りやすい人間は扱いやすい。
視野が狭くなる。
思考が単純になる。
誘導に気づけなくなる。
「行け!」
アルベルトの怒声。
同時に、取り巻き二人が前へ飛び出した。
速い。
学院生としてはかなり上位。
連携も悪くない。
左右から挟み込み、一人が牽制、もう一人が本命。
典型的な包囲型だ。
だが。
「遅い」
ノアは半歩だけ後ろへ下がる。
それだけで、二人の間合いがズレた。
さらに、ノアは地面を軽く蹴る。
ほんの少し。
たったそれだけで、床に落ちていた小石が転がる。
前へ出た取り巻きの片方が、それを踏んだ。
「っ!?」
体勢が崩れる。
ほんの僅か。
だが、十分。
もう片方の剣筋と噛み合わない。
連携が壊れる。
ノアはそこへ滑り込んだ。
短剣は抜かない。
ただ、相手の腕を押す。
それだけ。
剣の軌道がズレる。
「な――」
味方同士でぶつかる。
鈍い音。
悲鳴。
周囲がざわめく。
ノアはその間に横を抜けた。
速い。
というより、“無駄がない”。
最短距離。
最小動作。
必要なことしかしていない。
だから読みにくい。
アルベルトの顔が歪む。
「囲め!!」
残り三人も動く。
魔導士二人。
剣士一人。
ノアは視線だけで配置を確認した。
広場中央。
時計塔。
噴水。
石畳。
全部、使える。
黒星が脈打つ。
ドクン。
視界が鮮明になる。
風の流れ。
重心。
呼吸。
視線。
敵意。
全部が見える。
ノアは小さく息を吐いた。
「右の魔導士が先」
次の瞬間。
魔導弾が飛ぶ。
だがノアは避けない。
代わりに、前へ出た。
「は?」
魔導士が目を見開く。
普通は避ける。
後ろへ下がる。
だが、ノアは“撃つ瞬間”へ飛び込んだ。
魔導士系は距離が近すぎると狙いが甘くなる。
さらに、杖を振る瞬間は重心が固定される。
つまり。
その瞬間が、一番弱い。
ノアは魔導士の懐へ潜り込んだ。
短剣の柄で手首を打つ。
「ぐぁっ!?」
杖が落ちる。
そのまま身体を回転。
後ろから来た剣士の斬撃を、魔導士へぶつける。
「なっ――!?」
同士討ち。
周囲がさらにざわめいた。
「お、おい……」
「なんだあれ……」
「全部読んでるのか……?」
違う。
読んでいるだけじゃない。
“誘導している”。
ノアは敵の思考を利用していた。
人は焦ると最短で動く。
怒ると視野が狭くなる。
恐怖すると逃げ道を見る。
それを利用するだけ。
第九区では当たり前だった。
生き残るために。
黒星が、また脈打つ。
《蓄積値:81》
増えた。
ノアは一瞬だけ眉を寄せた。
増加速度が速い。
前までこんなに簡単には増えなかった。
まるで――。
観衆が多いほど増えているような。
「……っ」
嫌な予感。
だが、その瞬間。
アルベルト本人が動いた。
「舐めるなぁぁぁ!!」
凄まじい速度。
魔力強化。
さすがに上級貴族。
今までの取り巻きとは格が違う。
剣速が鋭い。
重い。
速い。
ノアは初めて短剣を抜いた。
金属音。
火花が散る。
広場の空気が震えた。
「……へぇ」
ノアは少しだけ感心した。
強い。
少なくとも、今までの学院生とは違う。
力任せじゃない。
ちゃんと訓練されている。
アルベルトが剣を振り抜く。
二撃。
三撃。
連続。
ノアは全部を最小動作で捌く。
「逃げてばかりか!」
「そっちこそ単調だよ」
「何!?」
アルベルトの眉が動く。
ノアは気づいていた。
アルベルトは強い。
だが、“綺麗すぎる”。
貴族剣術。
正統派。
教本通り。
だから読みやすい。
第九区にはいないタイプだ。
あそこでは、もっと汚い。
もっと醜い。
もっと予測不能。
だからノアには、この剣は見切れる。
アルベルトの右肩が動く。
次は斜め。
ノアは先に動いた。
剣を弾く。
踏み込む。
肩へ体当たり。
重心を崩す。
「ぐっ……!」
アルベルトがよろめく。
その瞬間。
ノアは短剣を首元へ突きつけていた。
静寂。
誰も動かない。
アルベルトの顔が青ざめる。
あと数センチ。
本物の戦場なら死んでいた。
ノアは静かに言った。
「終わり?」
アルベルトの手が震える。
悔しさ。
屈辱。
怒り。
恐怖。
全部が混ざった顔だった。
黒星が、強く脈打つ。
《蓄積値:89》
ノアの背筋が冷えた。
増えすぎだ。
おかしい。
ただ勝っただけだ。
なのに、まるで黒星が“喜んでいる”。
その時だった。
広場の空気が変わる。
ゾワッ――と。
全員が同時に顔を上げた。
時計塔。
その最上部。
誰かが立っている。




