第七章 黒星の残響 3
黒星が、再び脈打つ。
今までで最も強く。
ドクン。
視界が一瞬、黒く染まった。
ノアは足を止める。
混戦の音が遠ざかる。
アークの叫びも、セシリアの剣撃も、ルナの詠唱も、敵たちの怒号も、全部が水の中へ沈んでいくように遠くなる。
代わりに聞こえたのは、声だった。
『見つけた』
ノアの背筋が冷える。
以前、夢の中で聞いた声。
黒い星の奥から響いた声。
それが、今度は現実の中で聞こえた。
「……ふざけんな」
ノアは歯を食いしばる。
今は模擬戦中だ。
それも、敵を誘導して混戦を作った直後。
ここで意識を奪われれば、作戦ごと崩れる。
だが黒星は止まらない。
ドクン。
今度は視界に“線”が見えた。
人の視線。
恐怖。
焦り。
敵意。
期待。
混戦の中で誰が誰を見ているのか、誰が誰を警戒しているのか、誰が次に動こうとしているのか。
それが、細い糸のように見える。
ノアは息を呑んだ。
これは便利だ。
あまりにも便利すぎる。
三班の前衛はアークを見ている。
後衛の一人はセシリアを警戒している。
別班のリーダーは星札を奪うことしか見えていない。
そして、ルナはノアを見ている。
心配している。
ノアは一瞬だけ、ルナと目が合った。
「ノア!」
声が戻る。
音が戻る。
世界が戻る。
同時に、敵の後衛が魔導弾を放つ。
狙いはアークではない。
混戦の隙に、ノアを狙っている。
ノアは半歩だけ横へ動いた。
それだけで魔導弾は外れ、背後の壁に当たって弾ける。
「なっ……!」
撃った生徒が驚愕する。
ノアはそのまま前へ踏み込んだ。
短剣を使わない。
斬らない。
ただ、相手の視線の流れへ入り込む。
相手は魔導弾を撃つ瞬間、必ず杖先を見る。
次に標的を見る。
そして最後に逃げ道を見る。
その順番を読めばいい。
ノアは杖先が動く前に、相手の逃げ道へ立った。
「遅い」
星札を奪う。
一瞬。
その生徒は、自分が何をされたのか分からない顔をしていた。
《蓄積値:72》
黒星が静かに増える。
ノアは顔をしかめた。
まただ。
また喰った。
戦っているだけなのに、勝つだけで周囲の認識が集まり、黒星が増えていく。
便利だが、気味が悪い。
「銀目! 後ろ!」
アークの声。
振り返るより早く、ノアは身体を沈めた。
背後から伸びた木剣が空を切る。
ノアはそのまま相手の足元を払う。
転ばせる。
星札を抜き取る。
さらに一枚。
《蓄積値:74》
増える。
「……本当に嫌な力だな」
ノアは小さく呟く。
だが、止まれない。
この力を嫌悪しても、使わなければ負ける。
使えば強くなる。
強くなれば、もっと見られる。
見られれば、もっと増える。
最悪の循環だ。
それでも。
「ルナ、右の後衛を止めて!」
「分かった!」
ルナの魔法が床を走る。
淡い光の鎖が、敵後衛の足元を縛る。
「セシリア、左を開けて!」
「了解です!」
セシリアが左通路の敵を押し返し、あえて逃げ道を作る。
敵はそこへ逃げる。
だが、その先にはアークがいた。
「来たなぁ!」
盾の一撃。
敵が吹き飛ぶ。
ノアは笑った。
完璧だった。
相手の行動を読んで誘導し、仲間の位置へ押し込む。
ただ強く殴るより、ずっと楽だ。
戦場を動かす感覚。
それが、少しだけ気持ちよかった。
「……顔が悪いです」
セシリアが呟く。
「今それ言う?」
「言います。かなり悪い顔をしています」
アークが爆笑した。
「ハハッ! いいじゃねぇか! 悪い顔できる奴は強いぞ!」
「褒めてるように聞こえないな」
ノアはそう返しながら、混戦の中心へ視線を向ける。
三班と別班は完全に潰し合っていた。
星札がいくつも床へ落ちる。
ノアはそれを拾う。
一枚。
二枚。
三枚。
まるで漁夫の利そのものだった。
「こんなに簡単でいいんですか……?」
ルナが少し困ったように言う。
「簡単じゃないよ」
ノアは星札を懐へしまいながら答える。
「相手が勝手に動いてくれる形を作っただけだ」
「それを簡単にやるのが怖いんですよ」
セシリアの声は冷静だったが、少しだけ呆れが混じっていた。
ノアは肩を竦める。
「第九区だと、正面から殴り合う方が死ぬからね」
その言葉に、ほんの少し空気が変わった。
アークもセシリアも、何も言わなかった。
ルナだけが、静かにノアを見ていた。
第九区。
そこはノアの原点だ。
戦うなら勝てる場所で戦う。
勝てないなら逃げる。
逃げられないなら騙す。
騙せないなら、相手同士を潰し合わせる。
卑怯でも、生き残った方が勝ち。
それが第九区のやり方だった。
模擬戦開始から一時間。
ノアたちの班は、星札を十二枚集めていた。
かなり多い。
だが、そのせいで当然、狙われる。
学院中央の時計塔前。
そこへ移動した瞬間、ノアは足を止めた。
広場に、誰かが立っている。
金色の髪。
整った顔。
高価な制服。
アルベルト・リオグランデ。
第二章でノアへ絡んできた上級貴族の生徒だ。
彼の周囲には、取り巻きが五人。
全員、武装している。
アークが露骨に嫌そうな顔をした。
「うわ、面倒なのがいる」
セシリアも表情を硬くする。
「アルベルト……」
アルベルトはノアを見る。
その目には、以前と同じ侮蔑があった。
だが、それだけではない。
警戒。
敵意。
そして、強い焦り。
ノアはそれを感じ取った。
《蓄積値:75》
黒星が微かに反応する。
「君はずいぶん調子に乗っているようだな、ノア・アルクライト」
アルベルトの声が広場に響く。
周囲の別班も足を止め始めた。
空気が変わる。
これはただの模擬戦ではなくなる。
貴族の面子。
平民への侮蔑。
学院内の派閥。
全部が絡む。
ノアは小さく息を吐いた。
「また絡んできたの?」
「黙れ」
アルベルトの顔が歪む。
「第九区の平民が、学院で好き勝手に振る舞うな」
ノアは少し考えた。
正面から潰すのは簡単だ。
アークもいる。
セシリアもいる。
ルナもいる。
だが、それだと面白くない。
ここで必要なのは、勝つことだけじゃない。
“どう見られるか”。
ノアは周囲を見た。
多くの生徒が見ている。
アルベルトが上級貴族として平民を押さえつけるのか。
それとも、銀目のノアが貴族相手にどう動くのか。
視線が集まっている。
つまり、盤面だ。
黒星が小さく脈打つ。
ノアは笑った。
「いいよ」
「何?」
「勝負しよう」
アルベルトの目が細くなる。
「……貴様、何を企んでいる」
「模擬戦でしょ。星札を奪い合うだけ」
ノアは懐から星札を一枚取り出した。
「俺たちは十二枚持ってる。そっちは?」
アルベルトは一瞬黙る。
取り巻きの一人が小声で何かを言う。
ノアはそれだけで察した。
少ない。
たぶん、三枚か四枚。
ノアは笑みを深くした。
「少ないんだ」
「黙れ!」
アルベルトが怒鳴る。
怒った。
簡単すぎる。
怒れば視野が狭くなる。
視野が狭くなれば、誘導しやすい。
ノアは星札を指で揺らした。
「じゃあさ。こうしよう」
周囲が静まる。
「俺一人対、お前たち全員」
空気が凍った。
アークが目を見開く。
「おい銀目!?」
セシリアが即座に声を上げる。
「無茶です!」
ルナも顔色を変える。
「ノア」
だがノアは振り返らない。
アルベルトは数秒黙り、それから笑った。
「……馬鹿か?」
「そう見える?」
「自殺行為だ」
「なら受ける?」
アルベルトの顔が歪む。
受けなければ臆病に見える。
受ければ、ノアの盤面に乗る。
どちらにしても、もう主導権はノアにある。
セシリアはそれに気づいたのか、息を呑んだ。
「……まさか」
ノアは小さく笑う。
そう。
これは戦闘ではない。
観衆を使った頭脳戦だ。
アルベルトは逃げられない。
貴族として。
上級生として。
平民相手に挑まれて、断れば面子が潰れる。
そして受ければ――。
ノアは、見せられる。
第九区の銀目が、貴族を相手に何をするのか。
アルベルトが剣を抜いた。
「後悔させてやる」
ノアは短剣を抜かず、ただ静かに立った。
「やってみなよ」
黒星が、歓喜するように脈打った。




